デートですか?


 美味しいご飯を頂くために、そして料理を教えてもらう為に、卯月さんの部屋を出入りするようになってから、もうすぐ半年が経つ。

「おかえり」
「……おう」
「なんですかその返事」

 ソファーに寝そべりながら、仕事帰りの彼を出迎える。上目遣いで見上げれば、頭をくしゃくしゃされた。
 甘やかされてる気分になって嬉しくなる。

 2ヶ月前、「勝手に入ってもいいから」と言われて渡されたのは、部屋の合鍵。
 彼女でもないのにいいのかな? と思いつつ受け取って以来、こうして彼の帰りを待つ機会が増えた。
 その後は一緒に夕飯を作って、一緒に食べる。
 そして私が帰るパターン。

 私が勝手に部屋に入っても、卯月さんは怒らない。
 相変わらずぶっきらぼうで、私に対する態度も、出会った頃から何も変わっていない。
 ついでに言えば、手を出してくる様子もない。
 半年経っても、私は卯月さんに抱かれていないままだ。

「奈々、なにか食べたいものある?」

 いつからか、私を下の名前で呼ぶようになった卯月さんが、シャツの袖を捲りながら尋ねてきた。

「卯月さんの作ったものなら、何でも食べるよ」

 そう伝えれば、何故かじっと見つめられた。
 なんとなく、不機嫌そうに見える。
 でも何故かはわからなくて、私は首を傾げた。

「……素直すぎるのも毒だな」
「え?」
「何でもない」

 意味のわからないことを呟いて、卯月さんはそのまま、キッチンへ行ってしまった。
 取り残された私の頭に、疑問符が浮かぶ。
 なんだろね。変な卯月さん。

 名前で読んでくれるようになった卯月さんとは逆に、私はいまだに、卯月さん呼びのまま。
 「下の名前で呼んでいい」って言われた事もあるけど、4つも年上の社会人、なにより彼氏でもなんでもない人を、気軽に名前で呼ぶ勇気はない。
 それになんか、照れくさい。
 男友達は普通に名前で呼べるくせに。
 卯月さんが相手だと、やっぱり調子が狂う。

 私はといえば、大学とバイトを行き来して、帰りに卯月さんの部屋に寄ったりして、毎日気ままに過ごしている。
 たまにタケくん達と飲みに行くこともあるけれど、飲みだけで終わることが多い。
 セフレ達と遊ぶ回数はかなり減って、その分、卯月さんと会う回数が増えた。
 それに、あれ以来セックスもしていない。
 卯月さんに「抱きたい」と言わせる日までセックスはしない、ビッチの意地とプライドに懸けてそう決めていた。

 その決断に、特に意味はない。
 ただ今は、卯月さん以外の男の人にあまり興味が向かないから、そんな自制をしてしまったのかもしれない。

 禁欲生活なんて自分には無理だ、って思っていたけれど、確固たる目標を掲げた時、人は越えられない壁も乗り越えられてしまうらしい。
 セックス無しで半年間も過ごせるなんて。
 以前の私なら、絶対に考えられないことだった。

 と言っても、性欲がなくなった訳じゃない。
 卯月さんに抱いてもらえたら、またみんなといっぱい遊ぶつもりだもん。






「どっか行くか」

 その一言に、私は顔を上げた。

 テーブルの上には、酸味の効いたチキントマト煮。勿論、作ったのは卯月さん。
 みりんや醤油、ソースなどを色々混ぜ合わて作ったお陰で、深いコクが出て美味しく仕上がっている。ご飯がよく進む味。
 最近はこのトマト煮が、私のお気に入り。

「どっかって、どこ?」
「どこでもいいけど。どこ行きたい?」

 卯月さんの会話は、いつも淡々としてる。
 このお誘いの意図も、私にはサッパリだ。
 何のつもりでの、一緒のお出掛けなんだろう。食材探し? グルメ巡りみたいなものだろうか?
 どう答えていいのかわからず、うんうんと唸る。

「奈々」
「うん?」
「行きたいところ、ないのか」

 問い詰めるように尋ねられて、ますます困惑する。

 行きたいところ。
 私の行きたいところ?
 ラブホとか?

「ラブホは却下な」
「どうして心の声が読めるの」
「顔見たらわかる」

 いつしか交わした会話をもう一度繰り返して、卯月さんは笑った。
 最近は、よく笑ってくれる。
 基本的にぶっきらぼうだけど、前みたいな皮肉っぽい笑い方じゃない、自然な笑い方。

「卯月さんは、どこか行きたいところある?」

 考えても答えが出てこないので、逆に問い返してみる。

「………特にない」
「えー」

 それじゃあ、この話は一向に進まないよ。

「俺ら、いっつも会うのは此処だろ」
「ここ?」
「俺の部屋」
「うん」
「たまには外に出てみるのもいいだろ」
「おお」

 なるほど。そうだったんだ。

「街ぶらつきたい」

 私がそう言えば、卯月さんはつまらなさそうな顔をした。
 希望を言ったのに、なぜだ。

「そんなんでいいのかよ」
「うん」
「もっと、他になんかあるだろ」

 でも、行きたいところなんてないし。

「他って?」
「遊園地とか」
「ああいう煩いところ、わたし苦手」

 彼の提案を拒む。

「水族館とか」
「魚見ても何が楽しいのかわかんない」
「プラネタリウムとか」
「星見ても何が面白いのかわかんない」
「……映画館とか」
「暗がりだから、いかがわしい事したくなる」
「………動物園とか」
「臭い」
「………」

 ことごとく拒絶する私に、卯月さんはとうとう音を上げた。
 近くに置いてあった雑誌を手に取り、くるくる丸めて私の頭をぽか、と殴る。

「なにすんの」
「人の提案したプランをことごとく潰しやがって」
「そんな事言われても……あ、」
「なんだよ」
「行きたいところ、あった」

 そうだ。
 そろそろ、あの場所に行きたいと思っていたんだった。

「どこだ」
「猫カフェ」
「………」

 僅かに晴れやかな表情へと変貌した卯月さんの顔が、一瞬にして真顔に戻る。

「……くまごろうを裏切る気か」
「そういう訳じゃないけど、たまには猫ちゃんで癒されたいの」

 犬を飼ってるからって、みんなが犬派だと思わないでほしい。
 私は猫も大好きだ。

「………まあ、いいけど」
「卯月さん、一緒に来るの?」
「嫌なのかよ」
「いやじゃないけど」

 猫カフェでにゃんこと戯れている卯月さんの構図が、どうにも想像しづらくて。

「その後は?」
「そのあと?」
「どっか食べに行くか?」

 やっぱり一緒にお出掛けするみたい。
 まるでデートみたいだ。
 コンビニに2人で行くことはあるけれど、ちゃんとしたお出掛けって初めてだなあと思いつつ、私は頷いた。

「いいよ」
「どこか行きたい店あるか?」
「どこでもいいよ」
「欲ないのな」
「性欲はあるよ」
「近場がいいか。お勧めの店なんかあったかな」

 スルーされちゃった。

「卯月さんと一緒ならどこにいても楽しいから、卯月さんが決めていいよ」

 彼女でもない私に、卯月さんがそこまでしてくれる理由が私にはわからない。
 だから、特別なことなんて何もしてくれなくていい。ここで一緒にご飯を作って、一緒に食べてくれるだけで十分楽しいもん。

 だから、そう告げた。
 心なしか、卯月さんの頬がちょっと赤く見える。
 でも、今回は殴ってないし。
 私、そんなに恥ずかしいこと言ったかな。

「卯月さん?」
「………、アホ」

 小声で悪態をついて、卯月さんは目を細めて笑った。

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