路頭に迷ってます。 人の行き交う講堂で足を止めて息を吐く。 雲ひとつ無い晴天が広がる空の下、花びらがひらひらと舞って足元に落ちていく。 穏やかな初夏の気候に触れて、胸の中に燻る不安が少しだけ、薄まった気がした。 朝霧奈々、22歳。 法学部4年生。 現在、就活生まっしぐらです。 「え。タケくん、ヤリチンやめたの?」 大学近くのカフェで、久々にタケくんとランチを共にしている私の口から落ちた言葉。その下品な単語は好きじゃない、なんて苦笑交じりに呟きながら、タケくんは手元のパスタをフォークで巻き付けて頬張った。 その穏やかな顔つきが、不意に真摯なものに変わる。 「ほら、今年で卒業だしさ」 「うん」 「進学のこと真面目に考え始めたら、このままじゃ駄目だなって。3回生半ばから周りがそういう雰囲気になってたから、急に焦りだして」 「あ、私も卒業に必要な単位取るのに必死だったよ」 なんせ、今まで夜遊びしすぎていたので。 「遊んでいた子達とは、もう連絡断ってるんだ」 「そうなんだ?」 「うん。今は法科大学院入試の勉強で精一杯。遊んでる暇なんか全然ないよ。でも一緒に頑張ってる仲間がいるから、勉強漬けの毎日だけど楽しいよ」 「へえ……」 知らなかった。 タケくん、法科大学院にいくんだ。 「法律関連の職種に興味あるから、そっち系に進みたいと思ってる」 「……そっか」 タケくんの言葉に、私は曖昧に相槌を打つ。 共に大学生活4年目。将来、就職、夢、そんな言葉を意識するようになってきた。 いつまでも学生気分じゃいられない。 それはわかってるんだけど。 「奈々ちゃんはどう?」 尋ねられて、心臓がギクッと跳ねる。 「あ……うん。普通に就職」 「普通に(笑)」 タケくんが屈託なく笑って、その無邪気な笑顔につられて私も笑みを浮かべる。けれど内心は複雑な思いに駆られていた。かつての遊び仲間だったはずのタケくんが、将来の道をしっかり見据えていたことに驚いたから。 それに比べて、私の腐り様は何だろう。 特にこれといった目標も無く、就きたい仕事も何もない。とりあえず就職できれば、それでいいと思ってる。 ……それでいいと、思ってた。 タケくんと別れた後、ひとりで大学のキャンパス内を歩く。周りから受ける羨望の眼差しを総スルーして、そのまま図書館に足を踏み入れた。 受付カウンターで学生証を提示し、学習室のある5階へ向かう。人が密集していない場所の席について、力尽きたように机へと倒れこんだ。こつん、と頭を乗せたまま重い溜息を零す。 体が、鉛のように重い。精神的な疲労は体にも症状となって現れ、最近は食欲もあまりない。そういえば生理も遅れてる気がする。不安定な精神状態が数ヶ月も続けば、体が不調を訴えるのも仕方がないのかもしれない。 でも私がこんな状態になっているのは、誰のせいでもない。自分のせいだ。 そろりと腕を伸ばし、カバンの中に忍ばせている冊子を取り出した。それは後輩達に無理やり手渡された、今年の学園祭公演の企画本だ。 私は最上級生だし、学園祭は不参加のつもりでいたけれど、彼らからサポートを頼まれたからには断れきれなかった。それに、舞台の演出を考えるのはもともと好きだから。 学園祭が行われるのは11月。 まだ先の話だけど、下準備は早いに越したことはない。 でも、本音は。 「……こんなことしてる場合じゃないんだよね……」 1年前。 夜の繁華街を網羅し、男に声を掛けては無節操に遊び呆けていた『ビッチな奈々ちゃん』の姿は今はない。卒業した。 それが、大学3年の秋。 以降は学内の就活セミナーに参加して、卒業に必要な単位数を急いで取得。インターンシップも何社か受けた。バイトは土日だけに絞って、今はESと筆記、面接に追われる日々を送っている。卒論だって疎かに出来ないし、とにかく多忙。毎日がピリピリしてる。 正直、焦ってる。 私が好き放題遊びまくっていた間、周りの子達は様々な分野で成果を出していた。大学院への入試準備を進める子もいれば、就活に精を出していた子だってたくさんいる。みんながみんな、将来のことをちゃんと考えていた。 今や学生は売り手市場。就活解禁日には、既に内定者だってちらほら出始めている。現にゼミやサークルの仲間達も就活を終わらせて、残りの大学生活を楽しもうと旅行や遊びを満喫してるのに、私は未だにリクルートスーツを着てエントリーシートにペンを走らせている。そんな自分の情けない姿が恥ずかしくて泣きたくなる。 全部、自業自得。 周りから取り残される疎外感、焦燥感。 今更悔やんだってどうしようもない。 遅くても、今できることを全力でやるしかない。 「………」 視界の端に映る、演劇の冊子をパラパラ捲る。学園祭、楽しかったなあ……なんて思いを巡らせる。 去年の学園祭。私は裏方に回り、舞台を盛り上げる側に徹した。脚本や演出を考えるのが好きで、自分が舞台に立つよりも役者を立てる方が性に合ってる。そんなサークルで得た知識や経験を活かして、芸術系の道に進むことも考えた。 けれど生憎、自分の人生を演出家に捧げたいと思えるほどの熱量が私の中には無い。現実的じゃないし、経済的な面から考えても不安しか残らない。くまちゃんの面倒だって見なきゃいけないから稼がなきゃいけないし、社会人として働いた分の収入は、やっぱり欲しい。安定した職と収入のことを考えたら、民間企業へ就職するのが堅実な生き方だと判断した。演劇は趣味で続けることも出来るから。 今はそれよりも、面接。 あと卒論。 でも。 「……私、本当に就職できるのかな」 不安と焦りとプレッシャーが襲う。 就活は3年3月から企業エントリーが始まり、選考は4年の6月から、というルールが定められているけれど、実際にこのルールを守っている企業は少ない。3年の夏から裏採用は始まっていて、本選考は6月よりもずっと早い。就活を始めるのは早い方がいいと言われる所以は、この為でもあるんだろう。その時点で、私はもう他の子達よりもスタートが遅れていたんだ。 悔しい。なんでもっと真面目に将来のこと考えなかったんだろう。遊びまくっていたあの頃を悔やんだって時間が巻き戻る訳じゃないのに、それでも、って思ってしまう。でも、遊んでいなければ卯月さんと出会うこともなかったんだと思うと複雑な気分になる。 本当は私、就活のことなんて本気で考えていなかった。就職できなくても別にいい、今のバイト先で働ければいいやって、そんな風に構えていた。でも卯月さんと出会って、営業職の第一線で活躍している姿を見て、主任として誰よりも一歩先で働いている彼が本当に眩しくて格好よくて、頼もしくて。なのに、夜遅くまで資料を眺めていたりパソコンとにらめっこしていたり、人に見えない努力も欠かさず仕事と向き合う姿に胸を打たれて。多分、その頃からだ。「社会人」という立場に、強い興味と憧れを抱いたのは。 私も卯月さんと同じ社会人になれたら、今度は仕事の相談とか営業の話とかできるのかな、してみたいなって、そんな欲まで生まれていた。 だから、本気で就活頑張ってみようって思ったんだ。動機は不純かもしれないけど、頑張らなきゃ前に進めないから。 でも、現実はそううまくいかない。 季節はもうすぐ夏を迎えるって言うのに、私はいまだに内定を貰えていない現状だった。 ノートパソコンを起動してメールボックスを開く。1通の新着メールを開く度に、「どうか内定確定のメールでありますように」と何度も心の中で願う。 『お世話になっております。先日は、弊社の新卒採用選考をお受けいただきありがとうございました。今回は、結果通知のためにメールさせていただきました。 担当者で話し合いを重ねた結果、 残念ながら、朝霧様とはご縁がないという結論に達しました。大変お待たせしたにもかかわらず、残念なお知らせとなってしまい、大変申し訳ございません。 多くの会社の中から弊社に応募いただいた事に改めて御礼を申し上げますと共に、朝霧様のこれから一層のご活躍をお祈り致します』 ───ああ、また落ちた。 これで何社目だろうと思う企業からのお祈りメール。不採用の通知が届く度に心が折れそうになる。 頑張ってるつもり、なのに。 何が駄目なんだろう。不採用の理由は企業側も教えてくれないから要因もわからない。 私、社会人に向いてないのかな……。 「……ねむい……」 寝不足のせいかな。 最近、すごく眠いの。 トップページ |