※大学生設定

気になる人が居る。その人はわたしの住んでいる家の隣に住んでいて、名前を忍足さんという。下の名前は知らない。何故ならわたしと忍足さんにはただの隣人という間柄以外、そもそも何の接点もないからだ。わたしが勝手に一目惚れをして勝手に忍足さんを目で追っているだけなのである。ましてや忍足さんに至っては、きっとわたしの名前どころか顔すら覚えていないかもしれない。…なんか自分で言っててちょっと悲しくなってきた。
お家の外観から察するに忍足さん家はそこそこお金もちである。他に忍足さんについて明確にわかることと言えば、彼が学年はわからずとも大学生だということと、昔、名門氷帝学園のテニス部に所属していたということ。テニスがすこぶる上手いこと。
あと近所の古本屋でアルバイトをしている、ということは最近知った情報のひとつだ。
そんな訳で、わたしは学校帰りに忍足さんのバイト先であるいかにも古びた古本屋に通うことが日課となっている。いいや、日課という訳でもない。月曜日と木曜日の夜。忍足さんがカウンターに座って居る曜日は決まっているのだ。毎週おんなじように、その曜日を迎えるとわたしは決まってその古本屋へと足を運ぶ。それは言わずもがな木曜日である、今日も。
忍足さんは恋愛小説が好きらしい。横長のカウンターテーブルで木製の背もたれのない小さな椅子に忍足さんは少し気怠そうな顔でいつも腰掛けている。忍足さんはその席で決まって恋愛もののタイトル、それもわたしには少し小難しいような厚手の本を読んでいて。その時ばかりは真摯な面持ちなのだが仕事より本に集中している忍足さんはバイトとしてどうなのだろう、と考えたこともあったけれどシフトとはいえアルバイトの人間、ましてや学生にこんなに安易に店を任せっきりにしてしまうここの店主の適当さ加減のがよっぽどどうかしているので今ではあまり気に留めていない。

「えっ、と…」
「何を探しとるんや、お嬢ちゃん」

不意に声を掛けられて呼吸が止まりそうになる。レジの前でしか聞いたことのなかったずっと憧れていた忍足さんの声。会計の時のように淡々としていなくて、低音の落ち着きある声に少しやさしさが織り混じっている気がする。勝手な思い込みかもしれないけど。
ダメだ、ひたすら緊張してしまう。今までここに通い続けてきて3週間。あまり日は経っていないとはいえ話し掛けられるなんて初めてなのである。今日は少し長居し過ぎてしまったかもしれない。しかし予想だにしない事態にわたしの精神は崩壊するまで秒読み状態だ。もちろんうれしいんだけれど、さすがに心の準備というものがいる。ど、ど、どうすれば…!
ただ、お嬢ちゃん。という響きは心外だ。年下とはいえ忍足さんと2、3才くらいしか変わらないはずである。まるで馬鹿にされてるような気持ちになってしまうのも仕方ないと思う。それに、わたしにもちゃんとれっきとした名前があるのだ。………まあ忍足さんに教えたことなんてないけど。

「…お嬢ちゃん?」
「、あ。す…すいません聞こえてます!えっと、わたしおもしろい恋愛小説探しててっ」
「恋愛小説?」
「は、はい……」
「なんやお嬢ちゃん、恋愛小説好きなんか」

実はな、俺も好きやねん恋愛小説。
知ってます、なんて言える訳がない。モデルさんみたいに綺麗な造りの顔を柔らかく緩めて微笑む忍足さんが、あまりに美しいものだからわたしは返事をするのも忘れてしまった。さいあく。失礼じゃんわたしってば。何だかひどく口の中が渇いている。暑くもないのに喉もカラカラだ。
忍足さんはかっこいい。やっぱり間近で見ても遠目に見ても行き着くところはこの一言である。

「おすすめの本、お嬢ちゃんだけに特別に教えたるわ」

そう言って忍足さんのピアニストみたいな細長い指は、まるで鍵盤を叩くみたいに本棚に並べられた背表紙をトントンと順々に叩いてゆく。そのまま2段目の棚に差し掛かったところで忍足さんの指は動きを止める。そして一冊の本をそこから抜き取るとわたしに差し出した。表紙には金色の字体でタイトルが書かれている。難しそうな文字の並びに今からすでに最後まで読み切れるか少し不安になってきたけれど、忍足さんおすすめの一冊なのだ。何が何でも読み切らなくてはならないのである。さっき見た、忍足さんの笑顔に誓って。

「あっありがとうございます!ぜぜぜぜったい読みます、ぜったいに!」
「そんなに慌てらんでもわかっとるよ、しかしお嬢ちゃんおもろいなあ」
「ええっ!」

声が裏返る。ついでに忍足さん直々に手渡された本を床に落っことした。最低最悪の流れだ。忍足さんは細長い指先で口許を押さえ込んでクスクス笑う。骨張った手の甲が露になるのと同時に、羞恥心をそっちのけにわたしの心拍数は一気に急上昇した。か、かっこいい……。

「お嬢ちゃん、気に入ったわ。またおいで」

その本は特別にプレゼントや。人差し指を薄めの唇に押し当てて忍足さんは言う。忍足さんのとんだお色気攻撃に心臓が爆発してしまいそうになったのをどうにか堪えてわたしはぶんぶん首を振っては肯定のサインを取った。「ただし店長のおっちゃんには内緒やで」さらに微笑んでわたしの頭をやさしく撫でる忍足さんにはもう眩暈を飛び越えて動悸を覚えた。やっぱりわたし、どう足掻いてもあなたが好きです。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -