3-1 異世界へ

 


異世界へ



 夕方になると雨が激しさを増してきた。
 空を覆う暗雲、叩きつけるような冷たく激しい雨が、容赦なく街に降り注いでいる。
 朝方から降り続いている雨のせいで、街中湿った嫌な臭いが漂っていた。

 普段は露店が立ち並ぶ大通りも、今日は閑散としていて人通りもほとんどない。

「嫌な天気だなあ」

 寂れた住宅街の民家のひとつ。
 粗末な麻の服を着た少年はそう呟き、木造の狭い部屋に申し訳程度についた窓から外を眺めていた。
 もうすぐ仕事から帰ってくる母が待ち遠しいのである。
 しかしあいにくの天気で外の様子がはっきりとわからなかった。

「誰か助けてくれ!」

 その時だった。家のすぐ外から大雨にもかき消せぬ程大きな悲鳴が聞こえたのは。
 少年が恐る恐る通りを覗くと、ちょうど家の前に若い青年が倒れている。
 青年はわき腹をから流れ出る血を右手で押さえ、何かに怯えている様子で正面を凝視していた。
 少年はごくりと生唾を飲み込むと、次に来るであろう残酷な行為に対して覚悟を決めた。
 この騒動がなんであるのかはもうわかっている。
 
 青年の向かいには大きな剣を持つ一人の大男が居た。
 漆黒の短髪をべっとりと顔面に貼りつけた大男は、唇を三日月形に吊り上げると、不気味な笑みを浮かべてぺろりと舌なめずりをした。

 その口元からは鋭く尖った大きな牙(きば)が伸び、目を光らせて獲物を狙う獣のような表情で青年の元へと歩み寄ると、青年の首を片手で掴んで彼の身体を軽々と持ち上げる。

「や、やめろ……、やめてくれ。頼む助けてくれ!」

 大男はにやりと笑うと、恐怖に引きつる 青年の首に容赦なく噛みついた。

「がああああ!」

 断末魔の悲鳴をあげる青年の顔を嬉しそうに見上げ、己の牙が深々と食い込んだ傷口から、溢れ出る血を喉を鳴らしながら飲みしだく。

 はじめは細く抵抗していた腕が落ち、青年の身体が細かく痙攣しはじめるとみるみるうちに血の気を失っていく。


「ヴァンパイアだ……」

 一部始終を見ていた少年の顔面は蒼白になっていた。
 平和だったこの街にも、近頃たくさんのヴァンパイアが姿を現すようになった。
 血を吸い、人間を殺すヴァンパイア。

 少年の脳裏に、ふと母親のことが思い浮かぶ。
 もうすぐ仕事から帰ってくるはずである。

「母さん、まだ来ないで」

 少年は、母親がまだ帰ってこないようにと必死に祈った。
 さっきからずっと痙攣している手足が、恐怖でさらに激しさを増していく。

 血を吸い終わったヴァンパイアは口元に付いた血を袖で拭うと、すでに息絶えていた青年を軽々と放り投げた。
 鈍い衝撃音と共に地に落ちた青年の亡骸は、頭が奇妙な方向に捻じ曲がっている。
 大きく見開かれ濁った瞳がこちらを見ている。

「やはり男は不味いな。食事は女子供に限る」

 ヴァンパイアは不愉快そうに顔をしかめるが、すぐにまた笑った。
 ちょうどその時一人の女が歩いてきたのである。

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