03Q 5
 休日。

 白美は独り、独り暮らしには広すぎる自宅の一室に籠っていた。
窓を開け風通しを極力良くしたその部屋には、さながらジムのような筋トレ用具が所せましと並んでいる。

 その場所で、白美は吸汗性に優れた白いスポーツウェアを上下共に纏い、白いゴムで結ばれた長い白髪を激しく揺らしていた。
 そこにいつもの彫刻の様な美しさは欠片もない。
 オレンジの双眸で一点をきつく睨みつけながら、全身から汗と共に熱気と、殺気に近い鬼気迫る物を放っている。
 まるで、獣。
 ランニングマシンの立てるモーター音と、白美の足が強くベルトを蹴る音が、ひたすら繰り返される。

 30分の5分前経過を知らせるアラームが音を立てた時、白美は漸く走り込む速度を緩めた。
 そうして息を平常通りに整えること数分、白美はランニングマシンを降りる。
 素早い動作で近くの椅子に置かれていた白いタオルを首にかけ、大きなドリンクボトルを手にした。

 立ったまま心拍数が下がっていくのを感じながら、自作のスポーツドリンクを喉に通して水分養分を補給する。
 それから、椅子に伏せてあったスマートフォンをおもむろに取り上げた。
 電話画面に飛び、ディスプレイをタッチすると通話口を耳にあてる。

 数コールしたところで、電話がつながった。

『もしもし〜、橙野くん、電話待ってたわよ』

「おはようございます、リコ先輩。お世話かけます」

 電話の相手は、リコだ。

『もう、気にしないでったらいいのよ。橙野くん、毎日物凄くよく仕事してくれて私もカナリ助かってるってのもあるし。相談なんかにものってくれちゃったりして。大体橙野くんも大事な部員なんだから、このくらいなんともないわ。むしろ大歓迎よ』

 電話口の向こうから聞こえる明るい声に、白美の口は自然と弧の形を描いた。

「今、家にいます。用事が済んだので、そろそろそちらへ向かおうかな、と」

『ええ、他の使用者さんも居ないことだし、この前言った通り今日は悠々と使えるわよ』

 リコの声を聴きながら、白美は少ない荷物を片手に電気を落とし、トレーニングルームから退出した。
 淡い光の落ちる廊下を、ニヤリとした笑みを浮かべながら歩き去る。

「配慮いただいて、本当にありがとうございます。じゃあ、後ほど」

『ええ、待ってるわよ〜』
 
「失礼します」

 電話を切る。
 白美はタオルやら何やらの片付けをしてから、たっぷりと汗を吸ったウェアを脱ぎ、脱衣所の洗濯機に放りこんだ。
 洗面台の鏡に映った、何だかんだで鍛え抜かれた己の肉体が目に映る。
 白美はそれをちらっと見て、口笛を鳴らした。

「おぉ、相変わらず俺って良い身体しちゃってるったら」

 その後、用意していたTシャツにパーカーという替えの服に着替え、白美は必要な荷物を取りに自室に戻った。

「――設備は少ないけど、本物の施設でトレーニングできるのがまた、誠凛の良い所だねぇ」

 ビニルバッグを肩に担いでクツクツと喉を鳴らすその様は、普段彼が学校で見せている貌とはまるで違う。そして彼が先程、ランニングマシーンで駆けていた時ともまた異なる。

 白美は笑ったまま玄関の扉を開け、路に飛び出した。
 しかし、途端にその表情も姿勢も掻き消え、普段の「橙野 白美」が道を歩き出すのだった。





 十数分後、白美は相田スポーツジムに訪れていた。
 入口を抜けると直ぐに、傍の椅子に腰かけていたリコと視線が合った。
 リコは、白美の姿を見るなり笑顔で立ち上がった。
 
「待ってたわよ、橙野くん!」

「おはようございます」

「お父さんならもうプールの方行ってるから。脱衣所案内するわ。こっちよ」

「はい」

 リコは奥に続く通路に向かって歩き出すと、振り返って白美に手招きをした。
 白美が隣に追いつくと、長身の彼を見上げながら口を開く。

「こうしてるとほんとに、橙野くんって真面目なんだな、って思うわ。それで、本当にバスケが好きなんだなぁ、って」

「そうですか?」

「そうよ。だって怪我で思う様にプレイが出来ないっていうのに、バスケに関わりたい一心でマネージャーをやって、オマケに休日返上でリハビリというか、トレーニングというか」

 彼女の言葉に、白美は反射的に微かに眉を寄せた。

(『バスケに関わりたい一心』――か)

「それは……」

「橙野くん、まだ、バスケ諦めてないんでしょ?」

「っ――」

 白美は、予期せず息を詰まらせてしまった。

――彼女は自分の事実を知らないままだ。だけれども、彼女のその言葉は、自分に深く突き刺さったから。

「バスケが……したい」

 ハッとしたのは、言葉が漏れた後だった。
 リコのまるで同情したような、励ますような笑顔がさらにまた胸に白美の心をえぐった。
 気付かれない様に握りしめた拳は、赤くほんのりと色づいていた。


(どうやら、よっぽど飢えてるらしい――正解だったな)

(Please don't open me)

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