20Q 3
「実力通りの展開だ。悪くはない。が、良くも無い」
ハーフタイムの間、秀徳の面々は控室のベンチに向い合せでならんで座り、入口の前に立つ監督の話に耳を傾けていた。
レギュラーのスタメン5人が彼に一番近く、実力に応じて監督から遠ざかる。
「取り敢えず、向こうはまだあきらめてない。後半は大坪も積極的に攻めろ」
皆、顔をあげて視線も監督にしっかりと向けている――ただし、緑間以外は。
「止めをさす。以上!」
「はい!」
やがて監督の話が終わり、選手達が勢いよく返事をしても、緑間はただ一人、他ごとに注意を向けていた。
目の前に己の左手を翳し、観察しては、爪を磨く。
各選手たちが自分の行動に戻る中、高尾は相変わらず爪を弄り続けている緑間の傍らに立った。
斜め後ろから、彼に声をかける。
「おい、何してんの! 監督の話も聞かないで」
すると緑間は、殆どの意識を作業に注いだまま、即座に口を開く。
「見たままなのだよ。爪を整えている。俺のシュートタッチは爪のかかり具合が肝なのだよ」
(その為に普段は常にテーピング。こだわり通り越して執念を感じる)
緑間の様子を見て、やっぱり安定の緑間だと高尾は口角を上げた。
その時、何故か地面に置いてあった信楽焼きの狸に、木村が思いっ切り足を引っかけた。
反射的に、ぶつけた右足を曲げて両手で抑える。
「あいたっ! ――ずっと思ってたけど、何だよこのタヌキ!」
「ラッキーアイテムです」
「はぁ!? ってか前半フツーにベンチにあるし! 邪魔くせんだよ!」
冷然とした緑間に、狸を鷲掴みにした木村が言い返す。
「もう割れば? 割ろう!」
更に木村の肩に手を置きながら、宮地がそこに笑顔で加わった。
流石、王者秀徳といったところか、控室には緊張感こそあれ、別段、重苦しい空気や強い殺気は漂っていなかった。
★
会場を取り巻く天候は、時間の経過に伴い更に悪化していた。
空は暗雲に覆われ、雷鳴と雨音が響き渡る。
対する誠凛の控室は、遠くの轟音の様なそれらと、カチ、カチ、と一定のリズムを刻む時計の音、選手達が時々身じろぎする音だけ――つまり、静寂に支配されていた。
ベンチに腰掛ける選手達も、周りに立ち並ぶベンチメンバーも、監督も、白美も、誰も何も喋ろうとしない。
切羽詰った緊張感と、積みに積まれたかなりの重圧感、ひしひしと増えていく不安と無力への――敗北への恐怖。
静寂と、そこに漂う負の要素の飲み込まれそうになり、リコは1人思案する。
(誰も喋ろうとしない――、どうしよう、何か言って私も皆を鼓舞しないと)
ここまでの展開も、例によって白美が言ったとおりだったと、リコは内心感服していた。
自分も皆も含め、確かにキセキの世代のなんたるかを舐めていたと、後悔もしていた。それが、このような事態を招いているのだろうということも反省していた。
白美は白美で、試合中になって初めて、一同のキセキの世代への認識の甘さに気が付いたわけだったのだが、リコは彼が「甘い」とハッキリ指摘してくれたことに対して、本当に助かったと安堵もする。
彼等がまだ集中や闘志を切らしていないのは、白美が事前に警告し、強く身構えさせていたからだ、と。
上手い具合に鼓舞して、試合で勝ちに行く為のベースを、彼は確実に築いてくれた。
でもその白美は今、リコから見て右奥のベンチの端に黒子と向い合せに座り、長い髪を垂らして俯き、何も言わない。
表情をうかがい知ることはできなかったが、様子からして話す気配はなかった。
そもそも、本来メンバーを鼓舞するというのは、監督や、主将が中心となってするべき事だ。
にも関わらず、ただでさえ怪我にマネージャー業という負担を追っている白美に、更に半ば監督としての仕事までさせてしまっている。
感謝や感心と共に湧き上がる申し訳なさをどうこうすることはできなかった。
否、日向が最大限の努力をしていることはリコが一番知っている。
彼にもっと頑張れなどとは、自分からはとても言えないと思った。
リコ自身も、自分は精一杯やっているつもりでいた。
けれども、こうして現状を前にすると、未熟さが身に染みる。
――どうすればいいか、わからない。
そしてリコは、ベンチに腰掛ける白美に自然と視線を向けている自分がいることに、気が付いた。
いつも想像以上の動きをしてくれる白美に、これではだめだと思いながらも頼ってしまうのがいけないのだろう。
でも実際、彼の動きはとても大きな誠凛の推進力になるのだから、避けられない。
如何に自分が、彼に頼っているかが身に染みた。
でも――。
(何を言えば……)
いざ自分がやってみようとすると、どう触ればいいかすら思い当たらなかった。
リコは、思わずブンブンと首を振る。
(え〜い、集中集中! ……――、『ちゅう』?)
そうして、行き詰った思考は斜め上にぶっ飛んだ。
リコは、愕然とする。
(チューするってつい言っちゃったわ! 正邦戦の時!)
慌てたリコは、今度は眉間に皺をよせ、ピクピクと動かしながら考える。
(……どうしよう、もう、同じパターンはないよね? いや、逆に? でもそれって、チュー以上ってこと? ――バカな! だ、だが――!)
何やら1人苦渋の決断を下したらしい、リコは拳をプルプル震わせながら、意を決して声を出した。
「――皆! ……あ、あ、あのね?」
「――監督、いいよ」
だが直ぐに、右のベンチに腰かけていた日向に左手をあげて制される。
「えっ?」
「どうせなんかバカなこと言うんだろ」
「あ……」
日向にあっさり見抜かれ、リコは軽く頬を染めながら息を詰まらせた。
「……空気読め」
そう言うと日向はまた黙り込む。
(元気づけようとしてくれるのはいいけど、正直勝てるイメージはねえよ)
けれども、リコが思い切って一声を発したことで、室内にピンと伸ばされていた沈黙の糸が切れた。
伊月が、隣で自分に背を向けて腰掛け、手の中のビデオカメラを覗いている黒子に気が付く。
「黒子、何してんの」
「前半、橙野くんがビデオ取っていてくれたそうなので、高尾君の」
「何か勝算あんのか」
ビデオの画面をじっと見つめたままの黒子から返ってきた答えに、期待をしたのだろう、伊月は少し明るい声音で尋ねた。
そこで黒子は、一瞬チラッと目の前に自分と向い合せで座っている白美に、視線をやった。
けれども白美は、足を軽く開いて両の太腿に両の肘を付き、貌を伏せて微動だにしない。
黒子は再び画面に目線を戻すと、一言「さあ」と答えた。
「『さあ』――って!」
伊月は不満げな声をあげた。だから黒子は、更に言葉を足してみる。
「勝ちたいとは考えます。けど、勝てるかどうかとは考えた事ないです」
「――!」
さり気ない黒子の言葉に、火神が反応した。
黒子は振り返り、言葉を紡ぐ。
「ていうか、もし100点差で負けてたとしても、残り1秒で隕石が相手ベンチを直撃するかもしれないじゃないですか」
「あぁ……」
一同は黒子のトンデモ例につられて納得したような声を出した。
「そうだな」
「うん」
伊月がうんうんと頭を振り、一同もそれに続く。
だが日向はスクッと立ち上がった。
「いや『うん』じゃねえよ! 隕石は墜ちない! てか凄いなその発想!」
しっかりとツッコむ。
「いや、でも全員腹痛とかは?」
「つられるな! それもない!」
そこに、更に土田がボケを重ねたが、日向は律儀にツッコんだ。
とはいえ、そうこうしているうちに張りつめていた室内は大分いつもの和みと活気を取り戻していた。
「まぁ〜ね〜、それに比べたら、後半逆転するなんて、全然現実的じゃん!」
にこやかに放たれた小金井の言葉を聞いて、日向もフッと笑う。
「ともかく、最後まで走って、結果は出てから考えりゃいいか! ――よし、行くぞ!」
「おう!」
そうして、誠凛にもいつもの勢いが戻る。
日頃培っている仲間同士の絆と、黒子の斜め上の発言が功を奏したというわけだった。
★
だが、黒子には2つ気になることがあった。
まずは、火神だ。
普段、大口を叩いて誠凛を勢いづけている火神が、今は静かでいるのが気にかかった。
彼の纏う、何だか重く底の知れない様なオーラも、普段とは違っていて思わず警戒してしまう。
そして、目の前で俯いたまま微動だにしない白美。動きもしないのだ、勿論喋りもしない。
そもそも、意識がこの場にあるのかと疑問になった。
恐らく、答えはNOだろうと黒子は思う。
黒子が敢えて盛り込んだ隕石のくだりでも、普段の彼なら十中八九笑っただろうに、白美はそれをしなかった。
それに、彼の意識が恐らくどこかの思考の海に沈んでいるだろうというのは、さっきの今で想像できた。
けれども、白美がその場所で何を見て、何を思い、何をしているかというのは黒子には想像すらつかなくて、黒子はもどかしさを感じる。
彼が触れられることを恐れ望まないのも知っているし、「信じる」ことだけを自分に求めているのもわかっている。
――それでも。
黒子からしてみれば、白美の姿は昔も今も、それほどまでに痛々しかった。
(Why are you...)
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