彼女と少女

 ほんの少し位嫌な事があっても忘れてしまえる程度には晴れている午後。照りつける太陽に吹き抜ける風、耳を澄ますまでも無く聞こえる人々の話し声に屋台の喧騒。獣人に人間、半端者。笑っている人、怒っている人、泣いている人。街にはそんなものが常に一通り揃っている。何一つ欠ける事無く、増える事もない。例え他のものが紛れ込んだとしてもあっという間に『いつも通り』へと塗り替えてしまう。そんな『いつも通り』の街を、ユキナは全力で疾走していた。
 人の間を縫う様に、時には掻き分け、時には流れに乗り、スムーズにとは行かないまでも足は止まらない。こんな日には買い物ついでにのんびり散歩しつつ馴染みの屋台を冷やかしたりするのが常でありささやかな楽しみでもあるのだが、今日は眼前を走る少年がそれを許してくれそうもない。
 背後からなので顔は解らないが恐らく半端者なのだろう。短い髪の間からは獣の様な耳が覗き、少々毛並みの悪い尻尾が暴れる様に揺れている。そしてその手には見慣れた財布が握られていた。

「なんで財布なんてスられんだよ! 無用心!」
「……やっぱりグローブの試着は不味かったかな」
「よりにもよって両手塞がる様なモンを!」
「こら、まてー」

 長い耳をはためかせながら併走するダァトの罵声を浴びつつ足を動かすスピードを上げる。グローブを見ていた理由というのが徒手空拳で闘う事が多いとある男の為だったとは言いたくなかったし、言う必要もないだろう。
 種族の身体能力に差はあれど所詮は大人と子供、体力にも差があれば足の長さも違う。中身を探る様な時間は無かった筈だし反省するのであれば警察に突き出すのは勘弁してやってもいい。呑気にそんな事を考えていたものだから、ダァトの静止に反応するのが遅れた。

「危ねェ!」

 もう少しで追いつけそうな距離まで近付いていた少年の姿が消えた――というのは当然ながら錯覚で、少年が不意に姿勢を低くしたのだと気付くのにかかった時間は一瞬。では何故そんな事をしたのかと言えばその前に現れた『障害物』をかわす為なのだと理解した時には既に手遅れ。感心や驚愕や困惑なんかが頭を駆け巡るのには一瞬すら必要ないのに、加速した身体を止めるのにはその何倍もの時間がかかる。軽い絶望と諦念を抱きながら衝撃に備えて目を閉じた。

「きゃっ!」

 『障害物』のか細い悲鳴を聞きながら勢い良く尻餅をつく。臀部に纏わりつく痺れの様な痛みに顔を顰めながらゆっくりと瞼を開いた。少し離れた所には同じ様に尻餅をついた姿勢で地面に座り込む少女の姿。慌てて立ちあがり、躊躇してから声をかけた。

「えっと……すみません。怪我とかありませんか?」
「平気です。手を貸して頂けますか?」

 近付いて手を差し出せば、それを握った指の冷たさに少し驚いた。想像以上に軽い体重をゆっくりと引き起こすと細い黒髪がはらはらと宙を舞い、同じく黒い大きな眼にかかる。ここいらでは珍しい仕立ての黒いワンピースを軽く3回はたいた少女は、小首を傾げてにっこりと笑ってみせた。つられて首を傾げながら邪気な挙動に魅入ったのも束の間、後頭部に走る軽い衝撃に怒声が付随する。

「ぼーっとしてる場合か! さ・い・ふ!」

 はっとして周囲を見回すが少年の姿は影も形も無く、追跡の為の手がかりも残っていそうには無い。追いかけようにも追いかけられず、足の代わりに腕を動かした。かしかしと軽く頭を掻いて首を捻る。

「……あっちゃー」
「『あっちゃー』じゃねぇだろ……」

 がっくりと脱力しうなだれるダァトをよそにもう一度、今度はきょろきょろと解りやすく首を動かして辺りを見渡した。入っていたものは少ないとはいえなけなしの金銭。多少のヘソクリはあれどやはり明日から苦しくなるだろう。『結局また迷惑をかけてしまうのだろうか』と溜め息を吐き、かけた所で肩を叩かれ思わずそれを飲み込んだ。

「あの」

 振り向いた先には先程ぶつかった少女。周囲に気を配っていた筈なのに気配を感じなかったのは自分の注意不足だろうか。その手に握られているものを見て、割り込んできたダァトがすっとんきょうな声を上げる。

「ユキナの財布じゃねぇか!」
「本当だ……でも、どうして」
「うーん、どうしてででしょう?」
「それを聞いてんのはこっちだっつの」

 低く呟くダァトを軽く押しのける様に制し、にこにこと差し出す少女から財布を受け取り中を確認する。減ってない。思いの外ホッとしている胸を撫で下ろし震える手で差し出した謝礼は、冷たい手で押し戻された。

「いえ、お礼はもう」
「でも」
「いいっつーんならいいだろ。ほれ行くぞ」
「代わりにひとつ、お願いがあるんですけど」

 さっさとこの場を去りたいと言わんばかりに――というか既に行動に移して歩き出したダァトの言葉をさり気無く遮り、歩き出しそびれたユキナを捕まえる様に見つめたまま少女はもう一度、にっこりと笑った。

「お友達に、なって頂けませんか?」


 彼女と少女


 何処と無く満足げに去っていく少女の後姿をいまいち腑に落ちない気分で眺めていると、横に並んでいたダァトが小さな声で呟いた。

「あいつ、自分から引ったくりに突っ込んできたんだぞ」
「……どういう事?」
「『高い謝礼』になったってこった」



by無人工場


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