卒業生宮地と在校生高尾






ステージ上でクラス代表として卒業証書を受け取る大坪の後ろ姿を、宮地は姿勢よく見上げていた。宮地が体を預けているパイプ椅子は校舎や体育館と同じく年季が入っており、触れれば錆び付いた鉄のにおいがした。起立や着席をするたびにあちこちからギギギと鈍い音がするパイプ椅子に、宮地を始めとする卒業生はピンと背筋を伸ばし座っていた。宮地の位置からは見えないが、おそらく体育館の後方に座る在校生たちも宮地たちと同じようにまっすぐ伸びた姿勢で、パイプ椅子と同じように年季の入った椅子に腰かけているのだろう。木の毛羽立った部分にタイツを引っ掛けては伝線したと女子がよく嘆いていたなと、宮地はぼんやり思い出していた。

音楽教師がゆっくりと奏でる聞き慣れたメロディーが体育館に小さく響くなか、宮地のクラスが証書を受け取る番を迎えた。出席番号が男女別五十音順なため、宮地は中程で呼ばれるのだが、宮地はこれが少々いやだった。呼ばれるまで無意識に気を張るし、呼ばれたあとも女子が全員呼ばれるのを直立不動で待たねばならなかった。それがなんとなく、いやだった。
クラス担任が順々に名を呼び、その度に一人ずつその場に起立していく。男子生徒が二十名程呼ばれた頃、ようやく宮地の名前が呼ばれた。歯切れよくはいと返事をし、スッと立ち上がる。それとともに、パイプ椅子がギィッと鈍く音を立てた。宮地のあとに三人ほど男子生徒が呼ばれ、女子生徒へと移る。担任の声がだんだんと震えていくのが分かった。それに合わせて啜り泣く音も増えた。くそ、男のくせに泣いてんじゃねえよ。ふと自分の二つ前に立つ木村の背中が視界に入って、その背が少し、震えているのを見た。…そういえば、卒業式のような場で悲しくて泣くのは日本だけらしい。イギリスなんかの欧州では、嬉しいと思うのだそうだ。こうして、関係ないことを考えて意識を逸らそうとするのは、やはり、自分も日本人だからだろう。そんなことをぐるぐる考えているうちに全員呼ばれ、宮地のクラスの代表が呼ばれる。代表者の女子は凛とした声と姿で壇上へと上がり、校長の前に立つと一拍の間を置いて礼をした。それに合わせてクラス全員が頭を下げ、上げる。そうして彼女の名前と、以下同文につき省略しますというセリフが続き、校長から彼女の手へ卒業証書が授与された。個人個人の卒業証書は式の終了後、教室で配布されるらしい。それを聞いたとき、なんともそれは味気ないなと思ったのは記憶に新しい。代表者である女子生徒が降壇し、席へと戻る。彼女に合わせてクラス全員が着席するため、彼女の席は一番前で、更に一九一センチある宮地からは特によく彼女の姿が見えた。最後まで背筋を伸ばした女生徒は、キレイな姿勢を保ったまま着席する。と、不釣合なくらいパイプ椅子が泣いた。同時にあちこちで椅子がギギギと泣き声を上げる。宮地の椅子も、例外ではなかった。

証書の授与が終わると校長の式辞、来賓の祝辞が待っていた。卒業式を幾度もなく体験してきたが、何度聞いても相変わらず話しが長い。人は老いると自然、話しが長くなるのだろうか。やなもんだ。如何せん椅子が古いものだから、そろそろ尻が痛いのだが。早く終われと、その場にいる殆どが思ったろう。けれど十二回目の式辞と祝辞は、どこか今までより短く感じた。祝辞が終われば送辞がある。現生徒会長である二年の、確か、柔道部だったろうか。体格の良い男子生徒が演台に立ち、聞き取りやすい声で送辞を読み上げる。当たり障りのない内容の中に部内での先輩はこうであったというエピソードを織り交ぜる。初めて全内容を聞く送辞は共感する部分も多くあり、部活というのはどこも似た雰囲気を持っているのかもしれないなと聞き入った。まぁ、ウチほど偏屈な後輩エースがいる部なんて、そうないと思うが。そう宮地は口角だけで笑った。
ご卒業おめでとうございますと送辞を締めた彼は、在校生代表と自身の名を告げて一礼し、降壇していった。さて、と宮地は気を引き締める。秀徳の答辞は卒業生の中での成績優秀者や部活動の功績などから選ばれるらしく、そうして今年度の代表に選ばれたのは宮地だった。面倒だとも思ったが、如何せんどうにも真面目な気質だったので断ることなどできず、引き受けてしまった。全体練習のときに初めて登壇したあとは、随分例の後輩に信じられないと言われたものだ。「いい加減にしねえと轢くぞお前ら」と笑顔で脅せば黙ったが、目は相変わらず訝しんでいた。
「答辞。卒業生代表、宮地清志」
機械を通して名を呼ばれて、先ほどと同じようにはいと返事し、起立した。またしてもパイプ椅子は鈍い音を上げたが宮地は気にすることもなく、赤い絨毯を辿って登壇した。一礼し、マイクの位置を調整する。在校生代表もなかなかに高身長であったが、それでも宮地とは十センチ以上は差があった。
「答辞。…梅の花が綻び、春の息吹を感じられるこのよき日に、私達卒業生のためにこのような盛大な卒業式を開いていただき、まことにありがとうございます」
マイクを通じて自分の声が体育館中に届く。演台の前に立つのはこれが初めてではないが、やはり全校生徒に全教員、来賓、保護者という大勢の視線を一身に浴びると流石に緊張した。これ以上の視線を宮地はバスケの試合会場で浴びてきたが、その時は喧騒と、そしてチームメイトが四人、相手チームが五人、その場にいた。宮地だけに視線が注がれていたわけでもないし、そもそもそんな視線など気にする舞台ではなかった。ただ、目の前のボールを追いかけていたのだ。仲間と一緒に。宮地はその手に持つ紙の文字を追いながら、この三年間を思い出して、ああと嘆息した。色鮮やかに心に残っていたのはどれもこれもバスケのことばかりだ。
……宮地は、紙を見るのをやめた。答辞の内容は完全に覚えてしまっていた(秀徳の授業内容を思えばこんなものを覚えることなどどうとでもない)。前を向けば、卒業生のひとりひとりと目が合うように感じた。話したこともない生徒もいたが、こいつらと三年を過ごしてきたのかと思えばなんだか友人のように思えた。なんて、ああ、卒業式の空気に呑まれている。その中でバスケ部の面子を見つけるたび、こいつはこうだった、あいつとはこんなことをしたと記憶が勝手によみがえる。その中でも木村を見れば、思い出は溢れて、こぼれてしまいそうだった。慌てて視線を泳がせた宮地の視界に今度は大坪が入った。彼には短気を宥められることが多かった。「お前ってあんまり怒んねーよな」と、いつかの宮地が言えば「お前が先に怒るもんだから、タイミングを逃すんだよ」と苦笑気味に返されて返答に困ったものだ。
胸に詰まるものを感じて宮地は同級生らから視線を外した。卒業生のすぐ後ろに在校生が着席していて、その中でも特に目立つ頭髪の野郎を発見した。緑間だ。在校生、いや、卒業生以上にぴんと背筋を伸ばして、真っ直ぐこちらを見ている。宮地よりも四センチほど背の高い緑間は随分と後方に追いやられ、さらに端の方に座らされていた。そこが何かのポイントであるかのようでなんだか面白い。宮地は吹き出しそうになるのを必死に堪えた。何度見てもあの一角は笑える、くそ、こんな時まで目立ちやがって轢くぞ、緑間。それ以上耐えられる気がせず、宮地は特別腹の立つ後輩から目を逸した。在校生全員の中からバスケ部全員を見つけることはできなかったが、それでも多くを見つけることは出来た。
チラリと視界にもうひとり、いつもへらへら笑っていた後輩の姿が写ったが、すぐに逸した。あいつの、…高尾の目には、一体どこまで宮地の姿が見えているのだろう。視線や口の動きのひとつひとつすら見えるのだろうか。考えて、すぐやめた。鷹の目というのがどんな風に世界を写すものなのかは、本人にしか分からないのだ。気になりはしたが、高尾のパスは他の誰のパスより取りやすいもんだったから、宮地は、それでいいかと完結させた。あれは、何月のことだったろうか。そう忘れたフリをして、宮地は紙へと視線を戻した。締めの言葉はこうだ。
「卒業生を代表し、ここで改めて心から感謝を申し上げ、答辞とさせていただきます。……卒業生代表、宮地清志」
ほとんど見ることのなかった紙を折りたたみ、演台に置いた。一歩下がり頭を下げると同時に、隠れてほっと一息ついた。頭を上げれば視界のど真ん中に高尾の頭を捉えて、瞬間座礼し終わったつり目と目が合った。気がした。

答辞を終えた宮地は錆び付いた椅子に再び腰掛けた。心臓は今頃になって鼓動を大きくしている。どくどく、どくどく。耳で鳴る脈拍が鬱陶しい。最後の最後に高尾なんかと目が合ったからだ。くっそアイツ轢く。はぁ、と誰にも聞こえないように息を吐いた。
「式歌斉唱。在校生、起立」
後方で大勢がガタガタ立ち上がる音がする。数秒の間をおいて始まった演奏は、卒業ソングとしてはあまりにも定番の曲であり、去年と一昨年、宮地も歌ったものだ。古めかしい歌詞に宮地は感情を込めることができなかったので、きっと歌われる側になってもなにも訴えては来ないだろうと、思っていた。

宮地の椅子がまだ在校生と同じ木と鉄でできた椅子だった頃。宮地の座席は在校生と近いところに配置されていた。一、二学年と合同で練習をした際にふと後ろから「あー、宮地サンだ」との聞き慣れた声に振り向けば高尾のへらりとした顔が見えた。
「近えな、おい」
「そっすね。オレ、1年のテノールなんで前なんすよ。出席番号も関係してますけど」
「ふーん、あそう。そういや在校生は声の高さで並ぶんだったな。緑間は?あいつはバスか」
「あったり!バスで、あと背もデケェってんで後ろの方っすねー」
そう指したのは随分向こうで、人の頭の間(正確には上)から緑間と思しき緑髪が見える。その一角は学年関係なく背の高い面子で固められているのか、緑間と周囲の高さはほぼ同じくらいだった。
「なぁんかあそこ、威圧感半端ねえっすよね。宮地サンもあそこだったんですか?」
「オレはお前の列の後ろだよ。大坪があっちだったかな」
「木村サンは」
「木村はバスの真ん中ちょい後ろだった」
「へーー。宮地サンよく覚えてますね」
「優秀だからな」
「ブッ、そ、そすか」
「おいなんで笑ったお前」
「すんません!」

そんな、十数日前の会話を思い出した。あれから式歌練習に入るたび、高尾の歌う声がよく聞こえてきていた。今も、勿論。どんなに聞き慣れた古びたメロディーでもなぜか高尾が歌うとどこかきらめいて、息を吹き返すかのようだった。やっぱこいつ、上手いなぁ、歌。まっすぐ前を見ながら耳だけはそちらへと傾けていた。卒業生の式歌を挾んだあとの校歌斉唱も高尾の歌声だけがどうしてか近くて耳にそっと入り込んでくる。瞼をゆっくり閉じれば世界に高尾の声だけが残った。じんわり、目が熱い。
宮地の卒業式は、高尾の声で幕を下ろした。

[newpage]
「いや〜〜〜〜。宮地の答辞、やられたわ」
最後のHRは担任のその一言から始まった。それに同意する女子と茶化す男子の声に囲まれるも宮地はただ「はぁ」と気のない返事をする。クラスメイトの誰かから「宮地照れんなよ〜」だなんて言われてしまい、さすがに黙っている気にはなれず「ははー、誰がだよ」と、ニッコリ返した。そうして一通り笑いが起こったあと徐々にまたあの、卒業の空気に変わっていき、教室は涙に濡れていった。宮地はぼんやりと窓越しに膨らんだつぼみを見ていた。あと一ヶ月もしないでこの花はきっと咲き始めるだろう。見ることは、たぶんない。そうしている内にHRが終わり、宮地は教室を出た。廊下は泣きながら友人と最後のおしゃべりをする女子や、後輩から花束や色紙を受け取る生徒で溢れていた。その光景を眺め、ふと思うことがあり、宮地は階段を下りていった。

まだひんやりした三月の空気を纏った一階のその廊下には誰もいなくて、宮地だけが歩いていた。はずだが、後方からバタバタと走る音が聞こえて、しかもだんだん近づいてくる。なんだろうと振り返る手前で「宮地サーン!」と呼ばれ、背後から勢いよく抱きつかれた。振り返らずともその声は部活のたびに聞いていたし、つい先ほども聞いた声だった。その声の主は、左腕と体の間からひょっこり顔を覗かせ、えへへーと笑う。
「……高尾、お前なにしてんの?」
「うわ、超イヤそう」
ケラケラ笑いながら高尾の体が離れ、宮地の横に並んだ。
「向こうの校舎の窓から宮地サンがここ歩いてンの見えたんで、来ちゃいました」
「ハートつけてんな。気色わりい」
「うひゃー、宮地サンひっでーの」
十五センチ下からまた笑い声が聞こえる。うるさい。チラリと下を見ても、宮地からは高尾のド頭しか見えない。歩くのに合わせて高尾のアホ毛がひょこひょこと上下するのをそのまま見ていると高尾がこちらに意味ありげな視線を寄越した。口角はにやり、上がっている。
「なんすかセンパーイ。そんなに見つめられたらハズカシーのだよ?」
「うわーーー、うっぜ。お前ほんとうぜーわ、轢かれてえの?」
バスケットボールを掴むかのように頭を鷲掴みにすると高尾は「いだだだ!縮むっ、縮む!」と叫んだ。ギャーギャーとうるさかったので仕方なく離してやれば「いってー!もう!宮地サンほんとツンギレ勘弁してくださいよ!」とワケの分からないことを言ってきた。なんだ、ツンギレって。
「で、宮地サンはどこ向かってんですか」
「お前ホントに秀徳生か?こっちにゃ体育館しかねえだろが」
「だからっすよ。体育館行ってどーすんです」
「さあ」
そう短く答えるとえっと驚き混じりに声が上がる。それに対し「行ってから考える」と付け足すと「ふぅん」とだけ返ってきた。
「…つか、なに。お前、付いて来る気?」
「え?はい」
何言ってんすか、当たり前でしょ?と見上げてくる高尾に、今度は宮地がはぁぁ?と驚きの声が出る。
「なんで付いてくんだよ」
「えーー!いーじゃないすかぁ!今日で最後なんだしぃ、オレとの思い出作りましょっ」
「わーー。すげー要らなーい」
「照れちゃってぇ」
「だからハートつけんなっつの」
もう一度また頭を鷲掴んでやると「だだだ!すいませんって!」と叫び声が廊下に反響した。

体育館への入口である大きな引き戸を、宮地は少し力を込めてスライドさせる。元々の木の重みと歴史のやたらとあるレールのせいで、ここの扉はかなり重い。力のある男子や男性教諭ならいざ知らず、華奢な女子や歳のいった教員には辛いものがあった。そういえば宮地がまだ一年生の頃、教師の一人が腰をやられて三ヶ月の休養を取っていたような。
扉を開けると紅白幕が揺れる。宮地と高尾はそれをヒョイと避け、体育館に侵入した。扉は高尾に閉めさせて、宮地は先に数歩進んだ。つい一時間前まで多くの人がいた体育館に今は自分たち以外誰もおらず、ひどく静かだった。さて、と宮地は顎に指を添える。体育館まで来たはいいが、別段何かをしたかったわけではない。なんとなく、来たかっただけ。だ。
「さすがに誰もいねっすねー!なんかすげー」
ぼんやり突っ立ていた宮地のすぐ横を、高尾が走り抜けた。バタバタバタバタ。ただの上履きなのでバッシュのような小気味いい音はしない。……高尾のやろう、踵、潰してんじゃねえか。今更ながらに気付いた宮地は、道理でやたらとうるさいわけだとひとり納得した。
「宮地サーンっ。宮地サンの席って、ここでしたっけ?」
卒業式の形を未だ残したパイプ椅子の群れの中で、高尾は一つの椅子を指し示す。一、二、三……。列を数え、ああと頷いた。へーーと間延びした返事をし、高尾は数秒そこを見つめて腰掛けた。ガッタン、ギギギィー。なにしてんだ、アイツ。ため息を落としながらそこへと向かう宮地を高尾は振り返って、何も言わず前へと視線を戻した。
「なにしてんの、お前」
「んー。どんな景色なのかなあって」
景色、宮地は口の中で繰り返す。高尾はまだ真っ直ぐ、ステージを見ている。
「数メートル先と、後ろで、なにか違うのかと思ったんですけど、…あんまっすね」
あー、コイツ、何だか面倒なこと考えてやがる。なんとなく軽くとてもイラッとしたので形の後頭部を平手で打った。パシーーン!といい音がし、高尾が思い切り前のめりになる。
「ッてーーー?!?!なに、えぇ?!宮地サンひどくねっすか?!」
「チッ。うっせーな」
「はぁっ?宮地サンオレが怒らない人種だとでも思ってんの?!和成プンプンっすよ!」
「んだよそれ、轢かれたいの?」
「むしろオレが轢いてーっすよ!」
「うっっるせーよ!」
もう一度叩こうと手を振りかざすも「見え見えだぜ!」と高尾はその手を見事に回避し、宮地の右手は空を切る。くそ、鷹の目潰す。むふふと気色悪い笑みを浮かべる高尾の頭をそのままわしゃわしゃと撫で回せば、デレた!と叫んだ。
「高尾お前よー、そうやって茶化すのは緑間だけにしとけよ」
「いや、宮地サンのツンデレっぷりもなかなか…」
「だからうるせえって」
「いてて。宮地サン痛いっす。ちょ、マジ縮むんで…ッ」
「つーか、そこから見える景色がどうのなんて、どうせあと二年したら分かるんだ。それまで楽しみに取っとけ」
その言葉に高尾は暫し無言で宮地を見つめた。その後「へーい」と、随分軽い返事が返ってきて、まったく、と宮地はため息をひとつ落とす。どうしてこう、我が部の一年レギュラー共は揃いも揃って面倒な生き物なのか。本当に、面倒だ。やはり木村青果店の軽トラで一度轢かねばならない。そう決断していた時、高尾が急に立ち上がり、その反射で頭に置いていた手をどけた。そのまま高尾はパイプ椅子の列をすいすい通り抜け、ステージへと向かっていく。何をする気だと首を傾げながら、高尾が卒業式の形を残したままのステージに上がるのを、等間隔に並んだパイプ椅子の間から見上げていた。演台に回り込んだ高尾は、そこに備えられたままのマイクを自分の高さに合うよう調節し、そしてニコリと笑ってみせた。
「送辞ー!在校生代表、高尾和成!」
「あ?おい何してんだ」
「卒業生の宮地サン!本日は、ご卒業、おめでとうございます!」
「てめ、聞いてんのか。つかホントうるっせーよ!いい加減にしろ、シメるぞ」
マイクはオフにしたままなのか、それとも放送室の機材の電源自体が落とされているのか、高尾の声は機械を介すことなく宮地へと届いた。紅白の幕に覆われた体育館には宮地と目の前の後輩以外誰もいないので、高尾のやや張り上げたその声はやたら響いて、それが宮地を少しばかり驚かせた。
「…なんて、言うと思いましたか」
一瞬だけ低く聞こえた高尾の言葉に「は?」と反応する前に、また高尾のやけに明るい声が体育館に響く。
「四月!オレは、ここ、秀徳に入学しました。すぐにバスケ部に入って、そこであんたに会いました。んまぁ正直先輩方より先に真ちゃんに意識全部いってたんで、最初の記憶はユニホーム貰ってからなんすけど」
そう言って高尾はけらりけらり笑った。…ああー、そうだ、この後輩は、誰より周りを見ているくせに、誰より自分を見せないで、隠してしまうのだ。高尾はひと呼吸置き、また話し出す。
「大坪サンも木村サンも、厳しかったっすけど、その中でもやっぱ宮地サンがいっちばん厳しかったっすね。怒鳴るしすぐキレるし、言うことほんっと不穏で。せっかく顔カワイーのに!」
「あぁ?轢かれてえのか高尾ォ…」
「それ!それっすよ!もー、マジで勿体ねえっつーか…」
「ははー、お前何が言いてーの?轢くわ」
「うげ!確定しちゃった!」
壇上で盛大に笑う高尾を見ながら宮地は心底呆れていた。なんで、どうしてこんな馬鹿みたいなヤツを。分からない。理由がわかったとしても、それで、どうできるものでもなかったが。
ひぃひぃ喘いでいた高尾は未だ苦しそうにしながらも「話を戻して、」と口を開く。呼吸を整えるよう深く息を吐き、真っ直ぐ、赤い絨毯の上に立つ宮地を見た。その視線の強さはまるで試合中のそれで、ドキリとさせた。
「最初はただ、宮地さんのこと、ダントツで怖い先輩だと思ってました。練習だろうが試合だろうが、宮地さんってばお口悪かったですし。でも、オレ達に厳しいのと同じくらい…それ以上に、宮地さんは宮地さんに厳しかったことを知りました。髪の色明るいクセして根っこは笑えねーくらい真面目で、努力家だと知りました。真ちゃんが、すげーなって思うくらい、先輩はすげー人でした」
高尾の。高尾のこんな表情を、見たことがあったろうか。いつものへらへらとしているコイツはどこにいったんだよ。いっそ、びーびー泣いてくれた方が楽だった。
「…卒業生の、宮地サン。いろいろ、先輩に言いたいことがあります。なんで、卒業、しちまうんですか。オレ、オレもっと、あんたとバスケがしたい。したいよ。話したいことだって聞きたいことだって見せたいものだって、知りたいこととか、マジでオレいっぱいあっ、てっ……」
そこで言葉が急に途切れる。代わりに聞こえるのは詰まった呼吸音。込み上げるものを押さえつけるように俯いて、幾度も深く息を吐き、吸い、また吐いた。肩がそれに合わせて上下して、コイツが泣いているところを見るのは、洛山戦以来だなと頭の遠くで思った。けれど上げた顔には涙なんてなくて、いつもの笑顔で、いや、随分とへったくそでブサイクな、泣き顔だ。
「オレ、オレね、先輩……、……だ、たんすよ、」
表情筋に次いで、そのよく動く舌さえもうまく動かなくなったのか。なんといったのか聞き取れなかった。聞き返すように首を傾げれば、高尾は、今度こそキレイに笑って見せながら鼻を一度大きく啜って、こう告げた。
「先輩。オレ、先輩のこと、好きだったんすよ」
「……、は、」
「えへー、言っちゃった。…へへ、告白って超ドキドキしますね」
言いながら高尾は鼓動を確かめるように自身の胸に手を当てる。宮地はというと、思考が完全に停止しかけていた。高尾の発した二文字がぐるぐると頭を駆け巡る。キャパオーバーになりかけながらも意味を理解しようと奮闘していたが、どうやら無理なようで宮地の口からは「は?すき?…は?」と間抜けな単語しか出てこなかった。
「宮地サンのキョトン顔!ぶはははは超カワイー!写真写真」
「撮んじゃねーよ刺すぞ!!」
「お茶目なジョーダンじゃないすかぁ」
「てめ、マジふざけんな!」
「先輩、オレ、本気っすよ」
「なにマジ声で言ってんだよ携帯破壊すっぞ!」
「そっちじゃなくてっ」
高尾が小さく叫ぶ。目がどうかと懇願していた。そんな、初めて見せる顔ばかりしてくれるなと、宮地は眉根を寄せる。どうしたらいいのか、どんどんどんどん分からなくなっていく。
「オレ、そういう意味で、好きでした、宮地サンのこと」
「……区切ってなんよ…恥ずかしいなお前…」
そこで一瞬の沈黙が訪れる。あまりにも静かで、それは、宮地が自分の心臓の音が高尾にまで届くのではと思ってしまうほどだった。数秒の沈黙を破ったのはお喋りの得意な後輩で、その声は体育館と同じように、しんとしていた。
「一番言いたかったの、これだったんすよ。やっぱりどうしても、伝えたかった」
言う高尾の顔はどこかすっきりとしている。こちとら悶々としているのにこんにゃろ、やっぱ轢く。そう宮地が思う間も、高尾は言葉を吐き続ける。
「結構、迷ったんすよ。言わないでおいたらきっと、いつか思い出したとき、憧れで済ませられるような気がして。でも、でも嫌なんすよ、後悔すんの。オレ、きっと今日を逃したらもうずっと一生好きだって言えないと思って。ほら、言うじゃないですか。やった後悔よりやらなかった後悔の方がでかいって。だから、すんません、言っちゃいました」
「…全然、わりーとか思ってねえくせに謝ってんじゃねえよ」
「あれぇ?バレました?」
当たり前だばぁか、そう悪態つくと高尾はギャハハと短く笑った。やっと落ち着きを取り戻した宮地は、お前は緑間が好きなんだと思っていたとぽつり漏らす。それを聞いた高尾は、宮地の予想通り吹き出した。
「ブハ!あは、ハハハハハ!ま、マジすか、ちょ、うは!そんな気はしてましたけど…!違いますよ。はーっはは、は、…緑間、好きっすけど、違いますよ、ほんと…。…あ、信じてないでしょ」
「…ったりまえだろ……」
お前ら仲良すぎなんだよと頭を少し抱えながら呆れた調子で言えば、高尾は演台に肘を付いて「むしろ今日言えって背中押してくれたの真ちゃんなんですよねー」とカラカラ笑った。マジかよ緑間、そう小さく零せばいやに真剣な声で、マジです緑間、と返ってきた。
「やーもうね、相棒様には逆らえませんよ。……てわけで…すません、オレ、宮地さんが」
高尾の次の言葉を遮るように宮地はあー!と声を上げる。高尾はびくりと動作を止めて、開いた口を閉じた。宮地は焦る。そんな顔を、させるつもりじゃなかったんだ。声を発しようと何度も喘ぐが、口がただパクパク動くだけで言葉は一つも出てこない。そうしている内に高尾がはは、と軽く笑う。
「はは、マジすいません。せっかくの卒業式だってのに…。忘れてもいーですよ。ぜんぶ」
「…嘘つけよ、轢くぞ…」
「……はは…」
結局出てきたのはいつもの脅しで、宮地は自分に心底呆れてしまった。この口は少しだって心に思っていることを告げてはくれない。
高尾は一瞬笑うも力なくすぐに止み、きゅっと口を結んだ。けれどそれもさっと取り繕って「じゃ、次、宮地サンの番!」と声高に宣言した。突然のことにはぁっ?と声を上げる宮地を尻目に高尾は「以上在校生の高尾和成くんでした〜!」と締めてしまう。なんて勝手な!
「な、に言って、はぁッ?」
「えー?宮地サンこそなに言ってんすか。送辞の次は答辞っしょー?」
宮地が心底嫌そうな顔を浮かべればイタズラ大成功とでもいった顔で高尾が笑う。返事をする機会でも作ったつもりか。そう気づいたと同時にもともと短い宮地の導火線に火が点いた。瞬間爆ぜる。ダン、と大きな足音が響いて、ニコーという効果音が付きそうなほど笑顔を作れば、ステージ上の高尾の頬がひくついた。そのままズンズン歩を進めステージに上がり、演台越しに高尾の前に立つ。
「あの、宮地サン。顔、超コワいんすけど…」
「ははー何言ってんの?スッゲー優しそうな笑顔だろうが、よく見ような〜高尾くん?」
言いながら高尾の胸ぐらを掴み引き寄せれば、バランスを崩した高尾の体が演台と接触してガタガタと音がした
「っ、く、いってえ…!宮地サンそんな怒ってんすか?!ほんっとすみませ、んて…!」
「………答辞、」
「へっ…」
素っ頓狂な声を上げた高尾なんてシカトして卒業生宮地清志と続ける。何をする気かすぐさま気づいた高尾は慌てたように宮地サン!と叫んで自身を掴む手を振りほどこうと藻掻く。逃さないように揺さぶって、そしてぐっと顔の距離を近くした。高尾の随分間抜けな顔が視界を埋める。
「次はオレの番だっつったのお前だろーが。逃げようとしてんな。投げるぞ」
「…でっ、も!」
「でもじゃねえよ。あーー、っと。なんだっけ」
「い、っすよ!あーーーー!も、早くフッてください、マジで…」
らしくもなく小さな声で高尾がそう漏らす。なんだよ、それ。こちらはまだ何も言っていないのに…どうして、そんな風に確定事項のように言うの。同性が好き同士になる可能性なんて、それはそれはまあ低いんだろう。だから。高尾はぎゅうっと強く瞳を閉じていた。それがなんだか宣告を待つ被告人のようで。(だとしたら自分はさしずめ裁判官だ。)…そんなに強く瞼を閉じていたら、そのなんでも見透かしてしまえそうな瞳には、なにも映らないじゃないか。いいや。高尾には、最初からきっとなにも見えてなどいない。見えちゃいないんだ、宮地の気持ちなんて。ムカつく。ムカつく。ムカつく!

がぶり。そんな表現が合いそうだと、頭のどこか冷静な部分が思う。あんなに強く閉じられていた瞳は一瞬にして大きく開かれ、今、視線はかち合っている。
ゼロから少し距離を取り戻せば、文字通り目の前でどんどん高尾の顔が赤色になっていく。
「な、あ、あ、え」
言葉も紡げないほど口をあわあわとさせる高尾がひどく面白くて宮地は思わず吹き出してしまう。それに高尾は「な!ちょ、なに笑ってんの宮地サン!」と憤慨するが、あまりに赤いのでまったく怖くない。そもそも高尾の時点で怖いワケがなかった。結局高尾は宮地より十五センチも背の低くて二つ下の目が人よりいい、ただのクソガキなのだ。そんなクソガキにうっかり惚れてしまったのは紛れもない自分であり、惚れた相手も自分を好きだと言うのだから、怖いことなんて、今は何もなかった。
「ハハハハハ」
「ハハハじゃねーっすよ!もっ…、からかってんすか……!」
今度こそ宮地の手を振り払って高尾は二歩三歩と後ずさった。手の甲で口元を抑える様が妙に初々しくて可愛い。くそ可愛い。ツン?知るかってんだ。宮地の口角が意地悪く上がるのを高尾はじとりと赤く潤む目で見る。まったく、エロカワ。
「…ニヤニヤしないでくださいよ」
「やだ」
高尾はキッと宮地を睨むが十五センチの高低差と、一向に引く様子のない、むしろ増す一方の頬の赤みのせいでちっとも怖くなかった。素直に心底可愛いと思う。もう一度言う。かわいい。口から出てしまわぬようその気持ちを押し込めながら宮地は口を開く。
「…あー、そうだな。どうせもう分かってんだろ」
「………。…わかんねっす」
「ハーー?フザケンナ。いたずらで男にキスすると思うか?オレが?あぁ?」
「じゃあ言いますけど!先輩の口から聞きてーなって後輩の気持ち汲んでください!」
「好きだよ」
「だから、て、う、ふえぇっ?!」
またしても高尾は素っ頓狂な声を上げる。さっきよりも大げさで、宮地を指差し金魚のように口を開けたり閉めたりして再び「ええ?!」と叫んだ。宮地は仁王立ちでハハハとそれを眺める。こんなにも狼狽える高尾を見るのは初めてで、ひどく楽しかった。
「正直、今気分がいい」
「でしょうね!」
うわーんと泣き真似をしたあと、消えてしまいそうな声で「もう、今日なんなんだよ……」と吐き出してへなへなその場にしゃがみこんだ。あーだのうーだの唸ってちくしょうとボヤく。
「真ちゃんが言ってた通りかよ…ありえねー…」
「緑間?緑間がなんだって?」
「真ちゃんが、先輩、オレのこと好きだって…」
その言葉に宮地は大きく吹き出した。高尾にはまったく伝わっていなかったというのに、何がどうして緑間には伝わっていたのか。変な汗が額に溢れてくるのを感じながら本当であるかを高尾に問う。妙に真剣な声でホントですよと小さく回答する高尾は両手を顔に当てている。宮地の位置からギリギリ覗けた耳は真っ赤で、今度は宮地が写真を撮りたい衝動に駆られた。うわーっうわーっと声を上げながら、突然プッと吹き出す。あ。これは来る。宮地の経験がいう。そして高尾はケラケラケラケラ笑い出した。ほらな、やっぱり。
「ねえ先輩、もっかい好きって言って!」
「やだ」
「いけず!」
[newpage]
ややあってようやくステージから降りると、高尾が、ねえねえ、と思い切り甘えた声で宮地に話しかける。なんだよという風に視線を向ければ「バスケ、しーましょ!」とニコリと言った。
「は?なんでだよ」
「最近宮地サンとバスケしてねーし?いいじゃん、思い出ください」
「やったろうが。キ」
「やめてそれ以上言わないで」
思い出したのか、高尾の頬に赤みが戻ってくる。こいつ絶対童貞だ。宮地がニヤリ笑ったのを見て、誤魔化すように高尾はステージとは反対側にある体育館倉庫へと走っていった。
「マジでするのかよ」
実際は高尾の提案がまんざらでもなかった宮地はそのあとを歩いて追いかける。倉庫前に着いた高尾は扉の取っ手に手をかけるがガタガタと音がして、左右の扉の間に、僅かな隙間ができただけだった。
「鍵かかってますね」
「そりゃそうだろうよ」
鍵がかかっていては、と仕方なしに諦めろと宮地が告げると高尾はえーーっと不満げに声を上げ、キョロキョロ床を見回した。何をしているのかと尋ねれば、ヘアピンか何か落ちてねえかなって思いまして、と答えが返ってくる。
「ピン?そんなもんどーすんだよ」
「どうって…あ!あった!」
数メートル先へ駆け、偶然にも落ちていたヘアピンを拾った。へへーん、運命なのだよと嬉しそうに言いながら戻ってきた。ドヤ顔である。
「はいはい運命運命」
「宮地サンノリ悪ぃなー」
「そんなとこも好きだろ」
「あー。へえへえ」
適当に返しやがった黒髪を睨みつける。そんな睨まないでくださいよ〜と言う高尾の視線はヘアピンに注がれている。今でこそ驚きはしないが、最初の頃はこのことにどうにも慣れずにいたものだ。
ヘアピンをいじっていた高尾がおもむろに屈んで、鍵穴に差した。なにって、ピンを。そのままガチャガチャとピンを動かす高尾に開くわけないだろうと言えば、案外開いちゃうかもしれないですよ、と楽しげに返された。瞬間ガシャン、錠の落ちる音がする。
「やり〜開いた!」
「え、開いた?マジかよ…」
「すげーっしょオレ」
「こえーわお前。どこでそんなモン覚えたんだよ」
えー、と笑って誤魔化しながら高尾は扉を開け、倉庫内に侵入した。宮地は生来の真面目さが出て、中に入るのは躊躇われた。覗き込めば体育用のバスケットボールが収められているカゴから一つボールを取り、張り具合を確かめている高尾が目に入る。どうやらイマイチだったようでカゴに戻し、違うボールを手に取る。今度はちょうど良かったようでその場で二、三回ドリブルをつき、こちらへと戻ってくる。
倉庫から出ると同時にゴールに向かって走り出した。卒業式をしていたので、備え付けられていたゴールは壁にくっつくように閉じられている。距離を測るようにドリブルをして、白のライン上を超えた辺りで踏み切る。タン、タンと跳ね、高尾のまっすぐ伸びた右手からボールが離れる。一度ボードにぶつかってから、ボールはゴールの中をくぐり抜けた。
高尾が着地した後にダーンとボールも着地する。もう一度だけバウンドしたボールを高尾がキャッチすると、倉庫前にまだいた宮地を振り返り、ニコリ、笑顔を向けてきた。
「在校生から卒業生へ、愛の贈呈で〜〜すっ」
宮地はブッと思い切り吹き出し吃りながらも「何言ってんだばかじゃねーのッ?」と罵倒する。しかし高尾は今更そんなものを気にする様子もなく、ただ微笑ってパスをする体勢を取る。
「受け取ってくれます?」
そう聞かれて宮地は言葉に詰まる。なぜだか妙に恥ずかしくなって、「…あーー」と口ごもる。それを見て高尾は体勢を崩し、指先でくるくるボールを回した。
「そっかぁ、要らねンすね。…じゃあ真ちゃんに捧げようかな」
「おいコラ寄越せよ」
「ブハ!宮地サン、ちょろ!」
回すのを止め、即座に胸元にボールを構えた高尾に向かって「うるせー」と叫びながら受け取ったパスはやっぱりどんなヤツのパスよりも受け取りやすくて、宮地はくしゃり、笑った。









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