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「いま、なんて、言ったの…………?」
手に持っていたカップを落としそうになったが、なんとか寸前で止めて持ち直した。
平然を装い、微かに震える手をカップを持つことで少し誤魔化す。
そうでもしない限り、動揺した姿を目の前の男に見せてしまいそうだから。
なまえはもう一度、年配の執事に問い掛けた。
「家庭教師は都合により、今日から別の者になります」
「それは聞いたわ、私が言いたいのはなぜ代わったのかってことよ」
「それはなまえ様が気になさることではありません、今までと同じく、いえ、なまえ様の成長に合わせて内容も教える側も代えていきます」
事務的に淡々と答える執事に苛立ちを覚える。
聞きたい答えはそれではない。
明らかに何かを隠していて、彼が言っていることに少しだけ違和感を感じた。
「双熾、さんは………」
「ただの家庭教師、なまえ様のような方が気になさることはありません」
彼の言っていることに反論が出来なかった。
御狐神双熾はあくまで家庭教師、それ以上でもそれ以下でもない。
彼がいなくなったところで支障があるわけでなく、彼の代わりはたくさんいる。
今までだって使用人が出たり入ったりしても別になにも感じることはなかった。
(っ、)
どうしようもなく、胸が痛い。
双熾がもう家庭教師ではないという事実が、自分の胸を苦しめる。
なぜ、なぜ彼がいなくなるというだけでこんなに苦しいのだろうか。
なぜ…………
「午後には新しい家庭教師がお見えになります、準備のほどお願い致します」
「…………わかったわ」
なまえの答えを聞いて、執事は一礼して部屋を出ていく。
パタンとドアが閉まる音がやけに大きく響いた。
ドアの向こうでは結界が再び張られる音が聞こえたが、今はそんなことを考えてる余裕はない。
「っ、」
胸の上に手を置いて、ぎゅっと拳を握り締めた。
痛い、痛い。
胸が痛くて苦しい、
こんな痛みは初めてだ。
両親が来ないこと、実の妹に会えないこと、ここに閉じ込められてること。
数えきれないほど痛みはあった。
だけど、こんなに痛く苦しいことは初めてだった。
「双熾さん………」
ぽつりと呟いた名前は、無機質の冷たい部屋の中で溶けるように消えていった。
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