静かな夜だけを待ち焦がれる


 遠い所から呼ばれている。ずっと前から何度も呼ばれているが、身体が動かない。
 痛みは無い。むしろ、身体は守られているようにあたたかだ。
 ぼんやりしていたり、うとうとしていたりすると、また呼ばれる。
 寝かせないつもりだろうか。本当にうざったい野郎だ、   。
 あれ、誰だっけ、名前のところだけ抜けた。寝ぼけてるのかもしれない。
 殴ってやった方がよさそうだ。でも、またぼんやりしたい…
 …アッ、熱い!痛い!熱痛い!痛い!痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛



 気が付くと、見た事もないのに何故か懐かしい丸太小屋にいた。木の匂いと酒の匂いと精の臭いで充満したその部屋は、酷く狭く見えた。蝋燭が木でできた台の上に置かれているのが、せめてもの光。どうやら外は夜のようだ。それ以外に解る事は特にない。ぽかんとした儘、男は身体を起こした。どうやら自分は裸体らしい。最低限眠れるようにと薄手の布はかけてある。だが、上等な布団ではないようだ。その証拠に、実に軽い。
 誰か、―――いる。
 背恰好から、男のようである。見慣れた長髪。顔を見ずともそれが誰だか、遠目ですら解る。
 どうして解るかって? 当然だろう、数年連れ添った同門の男の姿以外、何物でもない。


「幻十郎ッ」
 気合いを入れて、腹から声を出してみた。それでも彼の声は、彼の意思によって出されるのは久々だった為、掠れたものとなってしまった。一度胸を叩いてから、軽く咳込んでもう一度。
「幻十郎ォッ!」
 がばっ。と衣擦れと息遣い。表情は解らない。だが、それでも幻十郎が驚いている事等手に取るように解る。押し殺すような息遣い。自分が驚いていないという事を示したいがために、息を押し殺すのだ。だが、こちらは丸わかりだ、阿呆ゥが。といつものように頭をどついてやりたい気分だ。
「あ〜〜〜〜ほ。ビビッてんじゃねえよ」
 この小屋にいる理由は解らない。だが、幻十郎は何かに警戒しているようだ。それだけは解った。だから、そんな幻十郎を落ち着かせなければ話にはなるまいと悟った。すぐに頭に血がのぼるタイプなのだ。
 幻十郎の動きが、押し殺した息遣いが止まった。ほんの一瞬の、間を置いて衣擦れの音。歩み寄る音。
「は、…覇王丸…ッ、貴様…!」
 幻十郎は間近。顔を見ていないが気配で解る。嗅ぎ慣れた幻十郎の匂いと、部屋の様々なにおいが混じって頭がくらくらする。決して嫌なにおいではないのに、まるで噂に聞く阿片のように脳内を侵す。
 幻十郎は手慣れた動作で覇王丸の顎を掴み、彼の顔を向き合うようにさせる。それによって、望む望まないに関わらず合う視線。久しく見ていなかった幻十郎の顔。切れ長の射るような瞳が覇王丸を見ている。いつものように覇王丸の一挙一動を見逃すまいと、眼を皿のようにして見ている。だが、殺意は感じ取れない。
 その瞬間、覇王丸は顔から火が出るのではないかと思う程に、何故か、この男に見られる事が恥ずかしいと思ってしまった。思わず、幻十郎から眼を逸らして俯いてしまう。どうして『恥ずかしい』のだろう?
「――…戻った、のか…?」
 顎を掴まれた儘、幻十郎は謎のなぞかけ。幻十郎はどんな顔で見ているのか、覇王丸は彼の方を見返す事が出来なかった。どうしてか、幻十郎の顔を正面から見返すには、もう少し時間が要るだろうと感じたのだ。しかし、そんな思いとは裏腹に幻十郎はじろじろと覇王丸の顔を覗き込むし、顔から熱はどんどん胸をも浸食して、身体全体がカッカと熱くなった。見るな、と怒鳴りつけてやりたくなる。
「覇王丸! 間違いねえって。だから手を離せっての」
 ど さり。
 音を立てて覇王丸の身体は転がった。それを見て幻十郎が息を呑んだのが聞こえた。どうして、殺ス殺スとがなっている野郎が息を呑むのだろうか。あまり理解はできないが、自分は心配されているのだろうと思えば、僅かにこの訳の分からない状況にも光明が見えた気がした。覇王丸はそんな僅かな安心の儘、眼を閉じた。
「幻十郎、…殺スんじゃなかったのか?」
「………今の貴様は、何時でも殺せる。それではつまらん。早く戻って来い、覇王丸」
 忌々しい筈の幻十郎の声が、まるで子守唄のように聞こえた。今までずっと聞き続けてきた子守唄のように。だから安心できた。眼を閉じた儘、幻十郎の存在を感じていた。



題:静かな夜だけを待ち焦がれる/滄海
ふ、と。
ここに自分の身体があるのだから、存在しているのは当たり前。
ショウキもキョウキもどうでもいい。
けれどもそれだけでは足りない、と言うのだ。何と迷惑な男だろうか。

そう思いながらも、勝手な事を言う相手の存在、そのものに感謝している。
それは、何故だろう?

2011/02/23 23:34:18