背負うは傷か、迷い子か



 可笑しなものだ、と牙神は思う。
 理由等解らない。何故、覇王丸を助けようと思ったのか。
 そして、和狆の声にしなかった言葉が耳を離れない。


 覇王丸は三日三晩、意識を取り戻さなかった。次の昼頃、覇王丸は身体を起こしていた。
 だが、その瞳は何物をも映していなかった。ただ、ぼぅっとそこに在るだけの存在。
「どこを見ているッ?!」
 その異様な光景に、思わず常のように手が出る。近寄るや否や牙神は、ばしん、と音を立てて覇王丸の頬を張った。その一発だけでそのまま横になった。眼はぼんやりと開けたまま。意思を持たぬ人形のようである。
 人形のようではあるが、血の通った人間である。すぐに頬は熱をもって腫れあがってきた。それでも痛そうな素振りは見せない。なかなか薄気味悪いものである。
 そのまま放っておこう、そう思い牙神は正にそのようにした。倒れた儘の男を放って、その傍らで酒を用意し杯に注いで飲み出す始末。そうしてしばらくすると、今度は寝息が聞こえ出した。どっちもどっち、である。
 眉を顰めて覇王丸の方を見てみれば、間違いなく倒れたままの格好で寝腐っているではないか!
 全く何という男だ。少し面白くなくなった牙神は、悪戯心丸出しで覇王丸の斬り痕残る身体へ少量の酒をかけてやった。さっきは頬を張っても何という事もなかったのだ、今回もそうだろう、と。
 しかし、牙神の読みは外れた。
 酒が傷口に染みれば覇王丸は飛び上がって痛みを訴える。ひぃひぃ涙目でそこを抑えて転がる。があ、等と無意味な言葉にならない音を吐く。どうやら意識は戻ったようである。暴れる元気もあるようだ。
「覇王丸ッ、貴様……」
 痛みにうずくまる男の服を乱暴に掴んで、強引に自分の方を向かせる。

 違和感。
 それは、眼付きであろうか。
 感情や何かを何処かに置き忘れたかのような、空に近い眼。痛みを感じているはずなのに、それ以上の何物をも覇王丸の瞳は映していない。勿論、眼前の牙神の姿さえも。
 意識はある。だが、意思はない。
 痛みを訴えたのは、脳。感情というものが欠落している。喜怒哀楽。覇王丸らしさというものが全て。
「何を、……何を泣く―――?」
 覇王丸の眼から零れ落ちた涙に、牙神は慌てた。こんな顔の覇王丸は見た事がない。ふと思い出せば痛みのあまり零れた反射的な涙だったのだという事に気付く。この男は本当に…、意識がなくとも牙神を驚かせる事ばかりするものだ、と驚かされた牙神自身が呆れてしまう。
 常の気丈な顔を思い出す。目の前の男を見る。どちらも腑抜けだ、どちらも覇王丸だ。
 牙神はその場にからん、と杯を投げ置き、覇王丸の顎を掴む。己の方へぐいと寄せ、流れる涙を舐める。涙の味はしょっぱい。意識の有無等、此処には関係ないのかもしれない。と牙神は思う。
 此処はきっと、『本能』に支配されている場所なのだ。


 その儘の流れで、牙神は何の抵抗もしない覇王丸の顔を舐め、唇を舐め、首や胸を舐め、服を脱がせ組み敷いた。ただ単に、舐めているうちに自分で勝手に気分が乗ってしまった、という奴である。まさか抜け殻のようになった、その上ライバルであるこの覇王丸という男に欲情する等とは思っていなかったが。
 抜け殻だが、死んでいる訳ではない。痛いも苦しいも気持ちいいも、全て解るのだ。その反応の全てが、牙神を喜ばせた。
「ククッ…、こいつ自身も知らぬ性感帯が解るかも知れんな……」
 いつ覇王丸の眼に光が宿るのかは解らない。斬りかかってくるそれまで、この男を玩ぶのも愉しいかもしれない。首筋をつぅと舌でナゾると鳥肌を立てながら声を上げて反応する。こんな反応をする事自体が今まで考えた事もない愉悦。傷は優しく舐めてやる。痛い時は身体を強張らせ、気持ちの良い時は快楽の儘身を任せている。
 覇王丸を支配する。
 それも牙神が求めた事の一つだったのかもしれない。身体が喜びにうち震える。死合う時もそうだった。殺すという事は、支配の果てにある事なのだから。


 殺し甲斐がある。
 が、
 支配し甲斐がある。
 になりつつあるのだという事。
 牙神にも間もなく理解できるだろう。



 凌辱の限りを尽くしたとして、その時にもし、覇王丸が意思を取り戻したとしたら――― その時の姿を見てみたくて、牙神は最初は優しく、徐々に己の本能の儘、覇王丸を何度も、何度も抱いた。覇王丸の身体で見た事のない場所など無い程に見回し、舐め回し、吸い尽くして、



題:背負うは傷か、迷い子か/ひよこ屋


どうして。
覇王丸自身には決して答えなかった、本当の想い。

結局、覇王丸がどう想ったか、そればかりが気になって。
それに加えて牙神自身も快楽には弱いから。それだけ。深い意味なんてない。
殺すことと支配すること。そう遠くない……だから。


2011/02/23 23:33:11