網膜に刻んだ白い、



 覇王丸が刀を構える。何時振りに見ただろう。真剣な眼差し。
 この男が闘意を見せるのは中々に珍しい事である。
 常々、覇王丸はこんな調子であった。



「まァた来たのか幻十郎。ハイハイわぁったわぁった、お前サンの方が強いよ強い。だから今日は勘弁してくれやあ」
 全くこの男と来たら…。牙神も負けてはいないが、ふらふらと都をウロつきながら酒を流し込む様子を見る事の方が多いという。
 牙神は、時に「下げた得物は鈍か」と態と聞いた事があった。覇王丸は怒る節もなくへらへらと笑って己の得物、鞘に収めたまま手にして見つめてこう言った。
「へっへ…、コイツでちょいと演技を見せりゃあ町の人、おひねりくれたりするんだぜ?」
 と、呆れた事にその場で粗末な“演技”をご披露。刀を上空に回転させながら投げて、落ちた所は鞘の中…という昔からやっていた所謂、―――勝利ポーズのアレ―――子供騙しである。
「悪い奴をトッちめてくれ、なんてお願いが俺ンとこに来る事もあらァ。飯代で請け負うなんてカッコイイだろ?」
 無精ヒゲをみすぼらしく生やした儘、かっこいいのカッコ悪いのという話をする事自体が間違っている気がするのだが。
 何だかんだと話を闘いから逸らすのだけは天下逸品絶妙な上手さであった。

 とある日など、はち合わせた賭博場でぶつかった。
 周りの者達は侍同士の賭博とあって、まるで見世物小屋のようになってしまう有様。その上覇王丸は人を呼び寄せる空気を持っているし、自分から見世物になってしまうと言うのだから可笑しな男である。
「俺等は元々同門って奴でねぇ、俗に言う腐れ縁の悪友って関係だ。俺達は俺達の命を賭ける。だからお前サン等は俺達に一丁、値を張ってやらねえかィ?」
等と自分自身を賭けの道具にする始末。それには周りの荒くれ共もわぁわぁと乗り気で集まって来た。
 阿呆ゥが、と牙神は吐き棄てたが、勝負は勝負。何より花札で彼に敵う者はいないであろうと自負している。にやりと不敵に笑う覇王丸と眼が合う。この男はどうして、
「イカサマの手口なんざァ、この覇王丸様がお見通しだぜ! 修業時代に随分苦湯呑まされたモンだからな。札を切るのも配るのも、こっちの姐サンにでもやってもらおうかねェ…」
 かっかっかっ、と声を上げて男は笑った。厭味も無い。欲の無い笑み。牙神は目を細めた。
 まるで、お天道様を見上げているかのように。

 札を切って場八、手八で各々に札は配られる。
 覇王丸が選んだ娘は、あまり賭博は解らぬらしく周りで騒々しい親爺共に教えられながら、たどたどしい手で札を配ってゆく。その様を見て覇王丸は一言、和むなあと牙神に同意を得ようと声を掛けた。答えはふん、と鼻を鳴らしただけ。それで十分だった。
 各々の命を賭けた花札は始まった。イカサマの無い全く白紙の頭脳勝負。
「ほらよ、赤タンだ」
「雨四光ッ!」
「カスで六文たぁ戴きだぜ」
「松桐坊主ッ」
「チェッ、勝負つかず、ねェ」
「……………おい、覇王丸」
「ん、あ? 空が、白んでら」
「何番勝負だった?」
「ふわぁ、…寝る。」
「ッ…! おいッ!」
 牙神は覇王丸の頬を打って起こそうとしたが、どうしても彼は起きようとしない。
 この勝負はうやむやの儘、気付けばどうしてかあれだけ騒々しかった親爺共も、札を配っていたはずの娘も、その殆どが姿を消していた。ただ、周りには夥しい程に転がる徳利の数が眼を惹く。後は覇王丸の鼾が実に耳障りだった。
 早く起きろ、起きてどちらが命を奪う側なのか、決めたいと思った。
 だからもう一度覇王丸に向かって声を荒げる。牙神はそこで自分の声が枯れている事を知った。何だというのか。喉を軽く揉む仕草をしながら、覇王丸の邪魔臭い髪を引っ張り上げ、間抜けにも眠りこけている男の頬を再び打つ。よく見れば男の目の下には立派に黒っぽく縁取られていた。更に見てみれば無精ヒゲも濃くなり、口の回りを青黒く覆ってだらしなさは何時もよりも増しているようだ。
 もう一度、外に眼を向けた。覇王丸によく似た光が辺りを覆っていた。
 朝である。そうか、と呟く。おおよそ三日程寝ずに勝負に明け暮れていたのだ。
 覇王丸はその三日という時間、ずっと牙神に付き合って花札に興じてくれていたのだ。
 精神は実に疲れていた。牙神もその場に横になった。丁度いい、覇王丸を枕にしてやろう。殺せなかった代償である。そして、勝負をうやむやにした罰でもある。
 酒臭い部屋からは、鼾の重奏が木霊していただろう…。



題:網膜に刻んだ白い、/L-ion
眠るまでお前に付き合ってやる。だから、
阿呆みたいにやり合った日。しかも数日に渡ってた。阿呆みたいな二人。
アルイミこの時って最高に幸せだったのでは?牙神が(笑)。
んで、覇王丸はうまく逃げ切ったけど、やっぱそんなに簡単じゃなかったんだよ、って。
いつも殺伐としてるけど、それは牙神だけですよってな。覇王丸は別に殺すとか殺されるとか、そんな気持ちがない。さらっと流しながらうまくやってるんじゃないかって思うから。重いだけでは長年やってらんないよ。

2011/02/23 23:27:46