君がいた永遠
 水沫に消えた の番外編として書いたもの。


番外―――水沫に消えた    




 あの日、忍の修行をしながら潜んでいる小屋に戻り、もう帰ってきた師匠をみて、二人で苦笑を浮かべた。
 払っても落ちない橋から落ちたその汚れをみて、呆れたように溜息をついた。
「ガキかおまえらは」
「童心にもどった、っていってほしぃな〜。ししょぉ」
 佐助はいつものとおり、おどけてみせるものだし、かすがは先立って風呂を沸かし勝手に入ってしまうし。
 修業といっても、もはやその過程は終えている二人であるし、もはや自由にちかいものだった。上下関係はあるものの、同居人、といったほうが近い。
 あとは互いの仕える主をみつけるか、それとも、このまま細々と忍の仕事で、悪い言葉だが凌いでいくかは、師の知ることではない。


 かすがは、夜も深くなり自室に戻りひと息ついていると、気配もなく音もなく、ふとみた鏡に映る師匠の姿があるではないか!
「…っ!」
 ぱぁん!!
 音高らかに、頬を平手打ち。
「……見事。前触れなく、殺気なくうつとは」
 などと弟子を褒める始末。かすがははぁはぁ、と肩をいからせながら師匠の徐々に腫れていく頬をみて、逆に冷静さを取り戻していく。
「何を、しに、きたん、ですか、っ」
 このエロジジィ、という言葉を押し殺したせいで、深みがある言い方になってしまったが、その意図を問う。
 過去にこのジジィ、師匠であることにかこつけて風呂は覗くわ、わざとらしく体の線がでるような服をもってくるわで、たまに許せない時がある。
 今日は、どうやら違うようだ。痛さを抑えようと自分の頬を撫でながら、眼は真剣なものにみえる。
「今日は、何をしてきた?」

 質問は、意外だった。
 帰りが遅かったからか。否、あの服の汚れに尋常じゃない何かを、師として、感じたのかも知れない。
 ふざけたジジィだが、たまには師らしい顔をみせるものである。
「今日は、むかしわたしたちが修行に使っていた遊具で、遊んできました」
「…は?」
 この答えは、想定内。
「転びました」
「転んだ?」
 口数が少なすぎたか、とかすがは説明するのがちょっと面倒に思っていた。
「転んだって傷じゃなかろうが」
「………傷?」
 今度は、かすがが聞き返す番だった。
「べつに怪我してません。…あ、手はかるく擦りむきましたが」
 着地の時を思い出しながら、かすがは皮の剥けた手を差し出し、そして、…



―――佐助は、かすがを庇って、かすがの下敷き、クッションとなってかすがは無事に着地したのだった。
   落ちた時の衝撃のかるさに、逆にびっくりしたくらいであった。
   そして佐助は重い、とくちにしてはならないことをくちにしていたのも思い出してしまった。
   だがかすがは、自分で認める持前の優しさによりその言葉を聞こえなかったことにしてやり、放心したような佐助と休息をとり帰路についたのだった。――――



「佐助……?」
「なんだ、わかっとらんかったのか」
 意外そうに師匠はかすがをみている。そんな師匠の話は、こうであった。


佐助の埃っぽい体からは、血の匂いがしていた。
だからなにかあったか、と聞いたのだという。だが佐助はいつもどおりにのらりくらりと師匠の問いをかわすものだから、こらしめるつもりで金縛りの術――といっても忍には長持ちはしない――をかけて押し倒した。
数秒の間で状況が逆転してしまった佐助は、さすがに勝ち目もないしやりあう気など当然ないものだから、すぐに降参したという。
「ちょっとどじっちゃいまして」
どこか逃げのような答えに、実は賭けに負けて帰ってきたという師匠は、当たり口という意味も込めて馬乗りのまま服を剥いだ。
 ――余談だが、この話はさすがのかすがでも、佐助が不憫に思えて仕方がなかった。――
出てきたのは、随分と擦りむき赤に染まっている惨めな背中だったそうだ。もう一度聞いたら、
「どじっちまいましたよ」と、もう一度笑ったのだという。
そして、鬼のような師匠はそんな佐助に、風呂に入るよう半ば命令的に薦めたのだという。もちろん、自分が浸かった後、じっくりと熱く温めた風呂の後で。


「………鬼」
 もはや仏頂面となったかすがは、不快感をあらわに師匠に告げていた。
「おまえさんをかばってできた傷だろうに」
 手当てしてこい、とは決して口にはせぬが、そう言っているような気がして、ムカッ腹がたつ。たまにこのジジィのニヤニヤとわらうツラが腹立たしい。
 そこまで言われ、それは黙って知らぬふりをするほど冷たい人間ではない。そして、相手は同郷の修行仲間なのだ。知らぬ相手でもあるまい。
 師匠にはおかまいなしに、彼の腹たつツラにばふっ、と思いきり枕を投げつけ、部屋を飛び出した。



 ひたひた…、歩く音。
 カツコツ。ノックの後。
 わざと答えなかったのを無視して、かすがは佐助の部屋の木の扉を、遠慮がちにひらく。
 わけがわからない。
 確かに足音の感じはかすがだった。だが、ノックに応えない相手を押してくるようなかすがではない。
 おもわず、寝たふりをしていた。意図が知りたかった。
 呼吸はわざとらしくないだろうか。相手から顔をかくすために、慌てて寝返りをうった真似をする。かすがに背を向けて。
「………佐助、」
 まだ佐助が起きているのか、寝ているのか、計っている、そんな調子の声だった。それをもう一度、繰り返した。だが、佐助は寝息をたてているのみ。
 なんとなく、ほっとしたように――気のせいかも知れないが――かすがは息を吐く。「……寝た、のか」
 そしてそのまま、立ち去ることなくそこに留まっているらしい。
 意味がわからない。なぜ、なぜだ。
 それを理解したいというのと、その緊張のせいで、佐助の鼓動はどくどくと鳴る。
 ああ、寝息なのに、呼吸が乱れてしまう。寝たふりなのが、ばれてしまう。そう思えば思うほどに、心臓は高鳴る。緊張は、敵。かすがは、まだ佐助を見下ろしている。
 そんなに寝たふりの演技が、へただったろうか。だったら性悪、寝たフリなのはバレているぞ、くらい悪態づきやがれ。などと頭が駆け巡る。それとも自分から「じゃ〜ん☆」とおどけるべきか…
 そんな考えが頭のなかぐるぐると回っている、そのなかでかすがが呼吸を潜めつつ、そっと、佐助の背にふれた。
 声はあげなかったが、ピリッ、と走る痛み、という感触。
 ひと皮剥けた、いまは弱い背中に、かすがは手を添えている。服が擦れて、実はさらに痛みを増している。血が滲んでも、血は闇に紛れる色だからばれることはないだろうな。などと思いながら、与えられる痛みを耐える。
 すぅ、っと、やさしく、だが、それでも痛みを増す背中がうらめしい。体が、ビクッと反応してしまったかも知れない。
「…ごめんな」
 かすがは、佐助が起きていることを承知でそれを言ったのだろうか。
 だが、それを覆すように、ひた、と静かに静かに、その背に身を寄せ、痛みを治めるように寄り添ったのだった。
 不思議なものだ。かすがの体温が感じられると、さきほどまでの痛みは和らいだような気がした。もちろん、痛みがひいたわけではないのだけれど。
「さす、け」
 かすかに呼ぶ声。
 少しだけ、重みを増した背中。
 さらに感じる、かすがの体温。
 と、同時に相手に両手差し伸べたい衝動。
 常にある、鼓動の激しさ。伝わりはしないか、伝わりはしないか。
 相反する気持ち。ふれてほしいが、ふれてほしくない。
 だが、同時に安心感に伴う、眠気。疲れた体。
 よくわからない、そのうちに、……考える、間もなく。



 朝。
 朝日が差し込む、おんぼろな小屋の窓の薄い布が、佐助を起こしてくれた。
 昨日の“あれ”が何なのか、などわかるはずもなく。夢かと見紛うほど、いたという形跡なし。
 だが、背中のビリッ、とくる痛みはそのままに、数日間を過ごすことになるのであった。


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水沫に消えた【番外 - 君がいた永遠】としてつづってみたモンです。



後日談だし、続きとしてはいいデキではない。
(あくまで、オマケ要素)

長くなりすぎたのは、かすがのせいです!(いいきり)


本当は、詩的文章ノリで、短く短く終わる予定だったのに。


2009/02/26 10:14:38