蟲が。。。





また、蟲が。

ああ、『蟲』というのは『虫』というより、とてもうじゃうじゃ、気持ち悪いかんじがするから、わざと使っている。




最近、ぼくはひどく弱クなった。 だれかとつねに、いっしょにいるせいだろうか。
つねにだれかと触れ合っているから、だろうか。


ひとの気持ち、など、目にみえないし、はなれてしまえば、気持ちなんて、はなれてしまうような、はかないものなのに。



ああ。それを信じてしまうほどに、ぼくはひどく弱クなった。

また。それを信じられないほどに、ぼくはひどく弱クなった。




それは、きみのせいだろうか。ぼくのせいだろうか。





きみは、ぼくを「強い」とか「大人」と形容する。



だが。ぼくはその、どちらでもないことを、自分でわかっている。

ぼくはこどもで、とても弱い。


それを、必死にかくすくらいに、ぼくはひどくアテにされる価値のない、存在だ。




『価値』というのは、自分で決めることではなく、他人が評価することなのだ、とそれは前にきいた自分のセリフ。


だが。
自分に対しだんだん、だんだんと、自信がなくなっていくから、そんな愚かで、けれど正しいことばなんてものに、背を向けたくなる。





きっとぼくは、きみといないと不安でしかたない、ひどくちっぽけで、弱い存在なので。

ずっと胸をはってきみのとなりに、強がって立っているのでしょう。



ぼくをホメる、きみといっしょにいることは、ひどくここちいいけれど。ひどく、重圧のかかるコトなのかも、しれない。



だが、きみといる、ぼくはきらいじゃない。
けっこう、すきかも・・・しれない。




けど、いっしょにいたい、とおもう自分がきらい。

いっしょにいることで、弱さを、感じるから。




ずっと孤として。いた自分が強く
だから、
弱クなった自分が、ちょっと、きらい。

それは、自分が強い。
と、自分で思いたい。という、自分勝手な、こころのあらわれ。
愚か。自意識過剰。
嗚呼。どれだけ、自分が好きなやつだ。
嫌い。というのは、くちだけなのか。







強い自分になるためには、きみをも、つきはなさなくてはならないのだろうか。


きっと、薄れゆく記憶は、ぼくを援けるでしょう。

だから、ぼくはきみをつきはなしたとて、きっと、
どんなに寂しくても、つらくても、すがりたくても。
きっときみが、しんぱいするほどに、ぼくは平静でしょう。
きっと。
きっと。
たぶん。


記憶が、ぼくのなかで、うすれれば。











弱い自分をきらいになるほど、ぼくは強かったのか、ぼくは、それを、しらない。



ただ、甘えてすがる、自分がすこし、不安になるから、 きらい。







自分のためです。
自分の弱いところを、しりたくない、弱い自分がいるからです。

そうです、
なにをいったって、ぼくは、自分のしあわせのため、行動している。感じている。
そうです、
ぼくは、ぜったいに『いい人』などでは、ないのです。
だから、
ぼくを、いいように、解釈しなくて、いいのです。
もし、
ぼくがいい人に見えたのなら、それはきっと、ぼくがきみに、きらわれたくない、と思っている。
そんなくだらない、弱さがあるからでしょう。
ぼくは、そんな弱さを、棄ててしまいたいのです。きみにきらわれてもかまわない、そう、おもうくらいに強く、ありたいのです。
でも、
そう思えないほどに、きっと、ぼくは、きみとともにある、それに、なれてしまったのかもしれません。
なれって、こわいです。
ぼくを、弱クします。
ぼくらを、弱クします。
みんなが、弱クなります。



頭では、わかっている。
弱いのは、自分だけではない。
けれど、それでも、自分だけでも、強くありたい。
弱い自分をさらすのは、醜態以外のなにものでもない、と。
――けれど――
強がる意味は?
?ないだろうに。











だからこそ。


ぼくは。


けっして、


強クは、ない。
















いずれは、


『最強』


で、
ありますように。















願いは、



弱蟲



死んでしまえ。
…と。




2009/02/26 00:22:21