翡翠に溶ける


 日々、それは『仕事』として私情を挟まず、時に命の危機に遭いつつも、それを打破してきたのは、勿論己の力だけではないことを、知っているつもりではあるが、やはり、実力がまったく無い訳ではない者としてそれを認める訳にいかぬ、己の精神の弱さは腹立たしくもあり…そんな状況が続いていたある日のこと。


 修行仲間である佐助はその時、別の任務に向かい傍にいない状況下であった。かすがは一人、己はどうして選ばれなかったのか、と悶々とした気持ちのまま、鍛錬を積みながら待っていた時のことである。
 師匠が声をかけてきた。
「かすが。お武家さんからの依頼だ。此処に向かえ」
 短く返事し、渡された地図を受け取る。それなりに細かい地図であることを見ると、そこは華やかな場所なのだろう。そう思いつつその地図をよく見てみると、それはある城の内部の地図であった。それを悟ったかすがは、見事さに声も出ない。そして、誰がこのように内部を告発できるほどに知っている者なのだろうか、と知りたかった。
 それを懐にしまうために丸め始めている最中、さらに師が手に別の書を置く。
「それが、今回の依頼内容だ」
 無言のまま頷いた師の姿に、いつものとおり一度目を通したら焼却せよ、という任もまた、己に課せられたものであると理解できる。目で頷いてからそれに目を通し、しばらく見入ってから、再び師に目を遣る。だが、師は答えも感想もよこさない。それが『お前の仕事だ』という無言の圧力であった。
 その書をくしゃり、と手のなか丸め、立ち上がる。これを燃やし消してから課せられた任務へと向かうために。
 そして、その任は今までにない、さらには同じように修行を積んできた忍の佐助ですら、受けたことのないような重大な任務であった。
 書を燃やし決意の眼差しを向け、師に頭を下げる。
「…かすが、行って参ります」
「……………」
 師が、かすがを見て悲しげに笑った。ような、気がした。かすがの思い過ごしだったのかも知れない。それほどにかすがは気負っていた。それまでにない大物を仕留める役目を仰せつかったのだから。
「…行って、参ります」
 かすがは師を思い、もう一度だけそう告げた。そう、わたしは、かならずここに、生きて帰るのだと。そう告げたのだった。



 場所は分かっていた。
 詳しい場所は、今回の指示により初めて知ったのだが、すぐ城の在り処は分かった。お偉い様などと言われても、忍の情報網にかかればいちころなのである。
 電車もバスもない時代、数日という時間をかけその城の立つ場所まで辿り着く。
 実を言うと、それだけで達成感というものはかなりある。忍とあろうものが。だが、忍といってもかすが、彼女はまだ新米である。それで舞い上がってしまうのはいたしかたのないこととも言えよう。
 そこは冬に雪深い場所であった。かすがが常いる場所とは違っているのはそこだけであった。山々が聳え立つ場所であるのは一緒なのに、雪の深さは違っている。そう聞き及んでいたのだが、まださして雪が積もっている様子はない。それにはほっと胸をなで下ろす。さすがの忍と言えど、慣れぬものにはできるだけ関わりたくはない。
 だが、いつ降ったか分からぬが、数日前に降った雪だろうか。それは道々の端に残っていた。固まった雪の残骸が。…それだけで、見て寒い。
 ―――はぁ。
 吐く息は白く、その気温の低さは、温度計のないかすがには詳しくは分かりかねたが、人間が防寒具なしに住める状況でない、ということは分かった。負けず嫌いのかすがはそれを感じ、血がたぎるばかりである。実に攻略しがいのある仕事である、と。

 
 聳え立つ城のその姿は、実に見事なものであった。
 だが、己が生まれ出でて初めて目にしたそれよりはまだ小さな代物でもあった。かすがはその新しくきれいだが、それ以上でもそれ以下でもない城を見て一人、ほくそ笑む。
「この程度、わたしとて、…軽い」
 笑いながら城内の地図を頭に浮かべる。
 忍は、掟として証拠を何一つ残さない。つまり、地図を渡されようが何をしようが、現地に行く前に頭に叩き込み渡された資料に関しては焼却処分を施す。要するに相手方――つまり依頼主のことである――に見つかっては不利な証拠は残さない。むろん、かすがの頭に叩き込んだ城内の地図はかすがの脳内にしか、もうない。
 かすがは己が覚えたその情報のひとつひとつ、記憶の糸を手繰り寄せるようにして脳裏に浮かべてから城内へと進入していく。
 ――また話は脱線してしまうのだが、忍はただ地図を頭に叩き込む、だけではない。それと同時にまるでそれが現実のことのように、言うなれば、イメージトレーニングを積み、向かう先を把握してから向かうのである。――
 城にそろそろと入っていく。その前に面倒を避けるためひとつ、細工を施してから先へと進んでいく。
 時間も時間、見張りはいるが平穏な時であったとの噂は実話だったらしく、番の役を成さぬ者が見張り番をしているようであった。気を抜いたように眠りこけるその姿、実に滑稽そのもの。むろん、細工は彼らが眠りこける姿晒すためのそれだったのだけれど。
 拍子抜けなほどに静かな廊下をひたひた、一人歩く。
 脳内に描いていた地図とそう違いはない。だが距離は尺と畳で表わされているため、思っていたよりも城はやはり、広い。頭のなかよりも少しだけ歩を進めつつ、指定の場所へと向かう。それは、城主の個室のその場所。ふと思う。
(任務…―――こんなに簡単でよいのだろうか?)
 それほどに軽く、その部屋の前まで辿り着いてしまった。
 だが、部屋の前に立ち、何故にその地図が詳細なものであったのかが理解できた。
 もはや丑三つ時であるこの時間帯にも関わらず、部屋の明かりは煌々としたものであった。むろんそれはカムフラージュかもしれない。だが、本当に起きているかもしれない。そしてそれは、部屋に足を踏み入れるか、覗き込むことでしか分かりえない情報なのであった。
 かすがは一人、ごくり、と微かな音をたて、いつの間にか溜まっていた口のなかの唾液を飲み込む。それは緊張によるものである。
 脳内はと言えば、屋根裏から忍び込むべきか、それとも…このまま部屋の扉から入り込むべきか…。そればかりを考えていた。それを決めるには、相手の様子を知ることが先決であった。望みは薄いが南京錠のかかった相手の部屋を覗き込むに限る。そう考えが決まった時、カツ、カツ、…と、静かながらも、誰かの足音が耳に入る。
「っ……!」
 聴力を鍛えるのは鍛練ではない。元々もっているものである。同郷の佐助、彼はかすがよりも数倍、それに優れていた。だからこそかすがよりも遅く修行を受け、かすがよりも早く厳しい段階へと進んでいったのである。
 そんなかすがにでも聞こえるほどの足音である。距離はそう遠くはない。かすがははっとしてその場から立ち去り、屋根裏から忍び込む、そう決めたのであった。…覗き込む前に。



(急ぎすぎて、足音を聞かれなかっただろうか)
 忍らしからぬ思いを胸に抱えながら、その場を後にしふと気付く。事後の出来事である。
 かすがは己でも分かっていた。自分がまっすぐになりやすい性質である、ということも。だが、それは持って生まれた性質、というものである。どうしようもない。感情を殺す以外に道はない。
 そんなことを気にしている暇はなかった。任務は残っている。仄かな明かりでも見える、修行によって研ぎ澄まされた夜目の利く眼で再び地図を見る。
 早くも、かすがは屋根裏に訪れていた。ここから地図を頼りにたぐってたぐって、狙った部屋に忍び込む。という寸法である。
 屋根裏は、忍び込むには格好の場所であった。それは何度も使った手ではあったのだけれど、今回はひどく緊張する。
 ……ぎし…、ぎし……。
 嫌な音である。地が軋む音、それは安定感を失う音である、と初めて知った。そして、気づく。―――…誰か、いる。
 ほんの静かな、呼吸音。生きている者のみがもつ、温かみ、とは違うが、それと似たようなもの『生』。
(…いつだ? いつから………一人?…)
 かすがの背につぅ、と冷たい汗が流れおちる。それを受ける前から寒気を感じていたが、嫌な汗はさらにぞくぞく感を与えるものである。
 相手方の出方を窺うため、かすがは息を潜め辺りの様子を見る。相手もまた己のようにそうであると、ふたたび気づく。

 退屈ではない。だが、揺らぐことなき時間のようなものを、感じる。
 己の息を潜めなければ見えない世界がそこに広がっている。先ほど感じた“人間”の呼吸のようなものは、実はひとつだけではないようだ。どこ、とは言えない、目に見えぬ空間で、壁に区切られてかすがは見張られいる! そう気づいた。
 探している。生き物は一つ屋根の下、胎動している。蠢いている。潜んでいる。否、潜んでいた。
 そのさまは、気づいてしまえば己も含めたすべての密かに息づく存在たちが、敵から逃げつつ目立たぬように泳ぐ魚であったかのような、そんな印象さえ受ける。
(………魚、か)
 そう考えることで、焦りは落ち着きと帰す。
 落ち着きを取り戻し、一尾の魚がこちらの場所を嗅ぎつけたことに気づく。今までどおり、息を潜めながらもかすがのもとへそれは、向かってくる。
(…ッ、厄介な!)
 舌打ちしたいのを堪え、周りに気を配る。だがその一尾以外は向かってくる様子はない。だが、おかしな動きがあればすべての魚は群がってくるはず…。特に、血の匂いには敏感だ。奴らは肉食なのだから…
 一人になら勝てる自信はある。並の修行ではなかったと自負している。師もまた、それを讃えた上での今回の仕事だろう。
 しかし――この微かな気配しかしない者たちはきっと、同業であろうことはすぐに分かった。同業の恐ろしいところは、殺気というものには、実に敏感な生き物であるところが厄介なのだ。
 ならば―――殺す気などない。わたしは……―――この場を逃げ、やりすごす!
 意思は固まった。迎え撃つ気はない。削ぐのみ。相手の気配は近づいている。
 時間にすれば、ほんの一瞬。
 かすがは向かってきた相手のほうへと走り寄る。寄るという行為は死を意味する。むろん相手はかすががクナイのひとつでも携えているだろうと予測するが、かすがはそのまま走りぬけた。相手に触れることなく。
 勝負に、ならなかった。そして、持前のかすがの速さは、向かってきた者より優れていた。



 やりすごした、だけだった。
 危険な状態は一向に抜け出せていない。任は果たしていない。
 迷いが生じる。
(…今、でなければ。だが……気取られた)
 見られてしまった。どうやらこの城には忍の類の者がわんさかといるらしい。そう考えれば二度目はないだろう。
 脳内に叩き込んだ地図を広げる。気づけば任を果たすべき場所は近い。
 周りに潜む魚どもの息遣いは、気づけば荒いものとなっている。かすがの居場所は掴みきれていないものの、かすがではなく、向かってきた者の殺気により、感づかれてしまった! 時間の問題だろう。
 外に逃げるのも、城主のもとへ向かうのも、そう時間は変わらない。……ならば!


 今までの仕事は成功してきた。
 師もよかったのだろう。昔は名の売れた忍であったと言っていた。まぁ本人の自慢話だ、アテにはならないが。
 そして同じく修行している佐助。かすがよりも後に師のもとにきたはずだが、めきめきと頭角を現していた。そして化けるのが実にうまい。男だということもある。かすがは苦渋を味わうことばかりであった。だが、なついてくるそのさまは嫌いではなかった。
 師のもとにちょくちょく訪れるエロオヤジみたいな師の友人。人の体を舐めるように見る気持ち悪いジジィだが、あの身のこなしや気配については、師よりもずっと切れ者なのではないかと思われるのが実に悔しい。気さくだから嫌いではないが、スケベなところは大嫌いだ。
 師が定期的に頼んでいる酒屋の娘。かすがとそう歳の変わらぬ女性らしい物腰の柔らかな感じ。かすがとよく比べられそれだけは腹立たしい。本人は悪くないのだが。
 その娘さんの父である、酒屋の主。ひどい酒乱のくせに、よくもまぁ酒屋などという店をもっている。あれは嫌いだ。
 修業中の身ではあまり他人と深く付き合う暇もないが、そろそろ修行の期間は終わりだ、と師は言っていた。
 広い山奥で、狭い人間関係を思う。
(これではまるで、わたしが死ぬみたいではないか)
 人間は最期のときに走馬灯のように思い出が脳裏を過ぎるという。
 だが、不思議なことに幼い頃の記憶、父母は思い浮かんでこなかった。
 なんの確証もないけれど、それならば大丈夫。死にはしない。そう、強く感じた。



 仕事は佳境に差し掛かっていた。
 城主の部屋の、丁度真上に今、かすがは息を潜めている。
 まだ部屋の明かりは落ちていなかった。時間は遅い。夜明けは近く、周りにはかすがを狙う魚どもがウヨウヨとしている。
 ここまで来たからには、道は他にない!
 素早く静かに屋根裏の板を外し、うえから音もなく降り立つ。
「お命、頂戴!」
 城主にクナイを向け、はっきりとした殺気を放ちながら。
 だが、それは、カシャカシャ、と金属音も高く、かすがの指先から落ちてしまう。目の前にいた、その人の存在にあまりの驚きに。
 相手もまた、驚いた顔をしていた。城の忍どもからはまだ情報が入っていなかったと見える。
「…あ、なたは、」
 城主は、なにかを言いかけたが言葉は詰まってそれ以上言葉にならない。
 お互いに驚いていた。


 こんなに美しい人がいるのか、と。



 明かりに照らされた、城主の眼の色は翡翠のような澄んだ色。

 翡翠に映った自分の姿。



 命を狙った相手は、今かすがを見ている。殺気はない。
 ただそこにあるのは、驚きと喜びのような感情だけ。



 だが、ここにいれば周りの者に命をつけ狙われる!
 いくらか正常に動きだした頭を無理に動かし、かすがは窓を破り、賊と言われることを思い浮かべながら、その場を後にした。

 誰も、追いつけないほどの速さで。





 …気のせい、だったろうか。



 ガシャーン。

 音高く窓を破ってその場から逃げだしたかすがのすぐ後ろで、透き通るような声を聞いた…



「…なんと、うつくしい……」

 …気がした。



 密かに耳に届いた、その呟きもまた、翡翠のようであった。




**************


長っ!!
…とか言わないの〜(姫ちゃんふう)

さすがシリーズ その5です〜〜


まぁ名前をださないっていう意味不明さは相変わらず。でもバレバレっていうね…

今回は場内をうろつくかすがと、翡翠のような目、っていう表現をつかいたかっただけで書いてみた。だから無茶振り。
これはBASARAキャラを扱ってますが、城内の様子を思い浮かべるときは、戦国無双の感じを浮かべてました。
ちょくちょく入る比喩は、おれ的に書いてて楽しかったんですが…読んで楽しいかどうかは別、って話
もうね、最初に書こう!と思った翡翠のような目、なんてほとんどミソカスでしたね。もう最後らへんは別に要らない感じでもあった。ただ、最後がないとオチない(汗)

しかも別に同人っぽくイチャイチャしてるわけでも、だからっていがみ合いがあるわけでもない。
たぶん読んでいるひとはつまらないだろうし、ただ思ったように打ち込んでるっていうだらしないスタイルだから、読みづらいことこのうえないでしょう?
推敲するつもりは、もちろん面倒だからないしね。おれってばそういうヤツなんです。

忍だからって、軽々暗殺してるわけじゃないってことが伝われば、いいかなぁ…。


同人で暗殺ネタっていうのも見ないけど、時代劇だと軽〜〜く殺っちゃうじゃない?
でもお武家さんなら自分の忍ももってるはずなのに、どうして主役ばっかり強いんだろう?って根本を疑ってしまうわけ。もちろん、単純な時代劇って好きなんだけれど。

だからって、失敗したらだいたい捕らわれる、ってパターン
これもさ、抜けるプロだしね忍は。捕まったら自分から死ぬかもしれないのに、そういうこともないから覆してみたかった。
猿も木から落ちる、っていうヤツか。要は

2009/02/20 10:11:25