※ 前に書いた♀神崎と夏目と城山の話。
※ 続いてます。


前日譚


 その日は風の冷たい日だった。風が強くごおごおと吹いていた。外で話すには大きな声でないとよく聞こえないくらいだ。声の通らない人なんかだと特に。
 夏目の長い髪が風にはためくように激しく靡いている。城山の三つ編みが靡いて顔に何度も当たる。どちらも慣れているけれど邪魔だと思う。顔にぶつかるように吹きつける風は冷たく、痛みすら伴う。夏目が目を細めて遠い空を見やる。城山は夏目に呼び出されてここに来たのだった。なにもいおうとしない夏目の様子に、城山は疑問を感じざるを得ない。黙ったまま体を動かさないでいると、寒くて仕方がない。身震いこそしないが本当は鳥肌くらい立っている。だが、それをわざわざいう必要もない。城山はゆっくりと歩いて、そして夏目と並んで立った。同じ目線ではないけれど、同じ景色をきっと見ている。そんなことを思いながら尋ねる。
「夏目。どうかしたのか」
 そんな城山の言葉に、たまらず夏目は笑う。城山という男は本当に、神崎以外にはひどく鈍感で、なんの興味もないのだと分かってしまうから。どうしてあんなことがあったのに平然と聞けるんだろう、夏目は内心呆れてもいた。流れる髪が邪魔だった。いつものきざな態度ではなく、本当に邪魔だと思いながら夏目はそのさらさらと流れるような、そして、今まで何度か付き合った女たちが口にした「その髪、うらやましい」などという戯言を脳裏に蘇らせながら掻き分けた。城山は気長だから焦れったくなるということがめったにない。夏目の行動など当然慣れてもいる。何年の付き合いだというのか。城山は夏目の方を見ていた。今回だけは呼ばれた意味がよく分からずにいた。だから問うたのだ。何かいつもと違う空気が漂っていた。だから違和感があったのだ。そんな中、風の音ですっかり掻き消されてはいたものの、夏目は静かに嗤った。唇の歪み方がどこか皮肉に映る。いつもと違う夏目の様子にまた違和感。城山はもう一度いう。
「夏目。どうかしたのか」
「くふっ…城ちゃん、相変わらず、神崎くん以外興味ないよね〜」
 そういう話か。城山は眉を寄せて黙ったままそこで止まる。城山の頭の中も、夏目の頭の中もこの間の神崎との出来事が浮かんでいた。それは、その場の空気で互いに理解することもできた。はあ、と城山は小さく溜息をついた。また惚れた腫れたの話がしたいのだろうと思ったからだ。夏目はそんな城山を見て目を細めた。認めていないわけでもないだろうに。耐えるだけが恋ではなく、忠誠でもないと彼は知っているはずなのに、どうして、何故、彼はそんなにも耐えるのか。また、どうしてそうしなくてもはならないのか。夏目には到底理解などできなかった。
 夏目はいつだってそうだった。男として、異性として、神崎の前に、否、神崎の傍に立とうとした。それは城山とは徹底的な差だ。城山にしてみれば神崎という存在についていえば、性別どうこうというより、それはある意味で神仏に近いなにかだ。ただひたすらに崇め敬う奉る。それはほんとうに存在しているのかどうか、と問われるほどにかの人の背中を、先陣を守りながら、近いのにとても遠い。そんな距離感のなかであった。夏目は城山に向き直り、真っ直ぐに彼を見据えた。その飄々と笑みをつくる表情を消すと、とたんにあたりの空気が冷え込んだように城山には感じられた。瞬時に冷え込んだ空気のなか、城山もまた真っ直ぐに夏目の目を見た。彼は視線を合わせると、わざとらしく作った笑みを浮かべた。
「こないだ、神崎くんに告ったんだよ」
 いわれている意味が理解できない。城山は目を見開く。だが、夏目の表情はそれ以上変わることはない。夏目は感情のこもらない声で続ける。
「キスして、押し倒したんだ。神崎くんがあまりに強がるから」
 城山は目の前が、言葉にならないほど急激に真っ赤に染まるのを感じた。これが、抑えられないような強い怒りか。そう感じるのだけれど、城山はその場から動けずにいた。なぜなら、動いたら、彼を殴りつけて本能の赴くまま、めちゃくちゃに踏みつけて殺してしまいそうなほどに、目の前が急に真っ赤に染まったことで、そんなことが比喩ではなく現実に、もちろんそう感じたのは城山自身だけの気のせいだとしても、そんなふうに感じてしまったということだけで、ひたすらに動けずにいた。見えない未来、そして、神崎も狼狽えるであろう未来について、勝手に踏み込むことに抵抗があったからだ。
 やがて城山の視界は開けてきた。時間にしても数十秒のことだったろう。夏目は先ほどとなんら変わりなく微笑を浮かべたままそこにいて、城山を見下しているかのように見ている。
「オンナだったよ? ノーブラだったから、チクビの感触だって───」
 がんっ、と強く殴った手の感触と、夏目が吹っ飛んだのは同時だった。城山は倒れゆく夏目の長い髪を見ていた。まるでスローモーションのようだ。こういうのって、殴った本人しか味わえないような嘘くさい感覚なんじゃないかと感じながら自分の手を見たら、ちゃぁんと拳を握りしめていた。無意識というのは恐ろしいものだ、抑えていた怒りが、いつも間にやら夏目を殴り飛ばしていたらしいということに、握りすぎて白く変色しつつある拳を見つめながら、まるで他人事のように思った。ふつふつとたぎる怒りの感情は、どうやらこの体では抑えきれないらしい。城山は諦めて夏目のほうを見やる。
「夏目」
「うん?」
 まともに食らったはずなのに、さも軽くなにごともなかったように夏目は立ち上がり、すでに足を進めているところだった。先の定位置に戻ろうと。拳の握った力はまだ、そのまま弱まらない。ほんとうは怒っているのだ。だが、城山の気持ちがその感情をなんとか押し殺す。そう、崇高なる神崎さんのために。夏目を傷つけることは冒涜に近いのではないか。それほど神崎は夏目を信用している。そして、前の夏目をす巻きにした例の事件は、まるで今となればないものとなったというのに。夏目はまた振り返そうとしているのか。
「…すまん。お前が、おかしなことをいうからつい、手が出てしまった」
 謝罪には似つかわしくない、他人のせいにするような情けない言葉しか思い浮かばない己を、いいながら城山は恥じた。だが、夏目の先にいった言葉を思い出せば、それは当然だろうという気持ちにもなる。つまりはこころのせめぎあいだった。城山はそれでも己の感情も気持ちも、なるべく外へと出さぬよう努める。夏目の顔を見てしまうと、また気持ちが沸騰してしまうかもしれない。そう思うと城山は謝罪の言葉とともに、深々と頭を下げた。もとより彼を傷つけるつもりなどないのだ。
「ねぇ城ちゃん、そうやって逃げ続けるつもり? 俺だけじゃないなんて、分かってるのに」
「なんのことだ」
「言葉にしてほしいの?」
 夏目の声は冷ややかだった。城山はそれに動じることはない。彼はいつだって、こうやって内部から抉るように、時折城山の気を逆なでするようなことを、たびたびしてきたからだ。だから城山は己にいい聞かせる。感情的になるな、神崎のもとで城山猛は、城山猛であって、城山猛ではない。城山は神崎の扱うもの。物質として役割を全うする必要があるのだと、城山自身が考えている。それを夏目はわかって、あえて意思を持つヒトとして彼を扱おうとする。それは温かに見えて、実はとても冷たく鋭い行為だ。城山はそれに耐える。先の拳は悪かった、意思などないと己にいい聞かせて。だが、夏目の言葉は拒否の意を表すためにゆるく首を横に振ることで、それを示す。今のままでいいと城山は祈っているから。
「言葉にしたら、きっと壊れるんだろうね」
 夏目はそんな城山から目を逸らし、いつもの様子で続けた。この話を続けるのは不毛だと思うけれど、それを口にすることは神崎への並々ならぬ思いを吐露するようで、城山には憚られた。そんなことをいっていられるほど、夏目は切羽詰まっているのかもしれないが。だから城山は答えることにした。ヒトとして。
「壊れるものなどない」
 夏目が振り向く気配がする。城山は構わず続けた。
「俺たちのなにが壊れるというんだ。絆というものは、そういうものじゃないだろう」
「逃げてるよ」
 風の強さに二人は目を細めていた。見るべきところがないから、意味もなく海のほうへと目をやり、遥か遠い地平線へと視線だけを送り続ける。目をそらすために。見たくないものを見ないために、人は見るはずのなかった風景に目をやる。
「聞いていい?」
 夏目の張り上げた声。もう聞いてるだろう、と低く返す城山の声は風にほとんど消されて音として弱い。答える必要すらない愚問だとも思った。どうせ聞きたいやつはいつだって勝手に投げかけてくる。そんなことは百も承知で夏目の問いを待つ。
「城ちゃんにとって、神崎くんってなんなのさ?」
「───俺に、とって?」
 考えたこともなかった。共にあるのが、あまりに当たり前になっていて、それは甘えにも似たものになっていたのかもしれない。そのなかで馴れあいになったわけでもないのだけれど。城山は常に夏目にも、神崎にも、それは個々にその幅は大きさは違うのだろうが、いいかたが適切か分からないが、壁をつくる。他人と自分との壁。他人、といういいかたで城山は納得しない。いうならば、自分と、自分じゃないだれかとのその間にある壁。見えない壁。誰にだってプライベートはあり、踏み込まれたくない部分はある。だからこそ見えないながらも、誰しもがつくるのが見えない壁のようなもの。それが、近づけば近づくほど、薄く小さくなっていくのだと。だが、城山も、城山以外のだれかも、気体ではなくて液体ではなくて、固体だ。個がある以上は、混ざりあうことはない。科学的な意味で。だから、どんなに近しくなろうとも、自分以外は別なのだ。そう感じることが当たり前なのだと思っていた。気づけば、だいぶ壁は薄くなっていたような気がする。
「神崎さんは神崎さんだ。それ以上でもそれ以下でもない。俺にとっては」
 なんでもない。他に代わりのあり得ない、神崎一という個は、城山には崇高で、なにより必要な人物だった。それ以外の答えなど必要ないと思っている。夏目は冷ややかに城山を見据えていた。
「それが、逃げだっていうんだよ」
 夏目の拳が空を切って、やがて城山の巨体を薙ぐように倒す。どさりと鈍い音を立てて、城山は視界のなかで自分の意思に反して空がぐるりと回っていくのを見ていた。その合間に夏目の変わらぬ表情がそこにあり、いつもと違っていたのはいつもは城山が見下ろす側だというのに、今は逆に見下ろされている側になっているのだということ。
「城ちゃんは神崎くんのことを好きだよね」
 夏目の言葉が突き刺さるように胸の奥に食い込む。城山はそれでも自分は神崎のものなのだと、ただの所有物であり、それは意思など持たないのだとこころのなかでそっと想い続ける。好きという言葉に惑わされるな、流されるな。好きも嫌いもない。自分は使われるものであり、使われることでしかその存在を示すことができない存在だと意識する。それしか今はできることがない。だが夏目はいう。そう思おうとしていることこそが逃げなのだと。容赦なくいいはなつ。
「ずっとずっとすごくマジメにずうっと、好きでいたのって伝わってるよ。たぶん、にぶいけど神崎くんにも」
 分かっている、夏目には。夏目だってずっと見つめ続けてきたのだ。城山もまた同じように神崎のことを。視線の先にはいつだって彼女がいた。安物だなんて思っていたわけじゃない。けれど、やはり彼女は女であり、神崎一であったのだ。城山はその事実にいつだって背を向ける。それはずるいといつだって夏目はたしなめる。そんな関係が高校に入ってからずっと続いてきた。壊そうと思えばいつだって壊すことはできた。だが、壊したくなかった。だからここまで長く、彼らは絆を培ってこられたのだ。だが今───、

「そういうことじゃない」
 城山は、熱っぽいほどの意思を持って、ようやく本音を話す。夏目はそんな彼を見下ろしていた。頭が熱で浮かされそうだ。城山はそう暑いわけでもないこの空気が重くて、逃れたかったけれどそれは今から仰向けに眠った形のまんまの体を起こすところから始めなければならないことを思うと、それだけで気が重い、そう思った。なにもかもが億劫に感じた。
「好きだ。そんなことは、当たり前だ。だが、お前とはちがう」
 上体を起こし、夏目の顔の角度が変わっていくのを見やりながら体全体を起こし、立ち上がる。好きだ、と言葉にするとなぜだろうか、こころにずしりと石を投げ込まれたように響くような気がする。城山は思う。神崎のことを。安っぽい言葉で飾ってほしくない。この思いは恋愛という安っぽいものに分類されはしない。夏目の言葉をきっぱりと否定する。心根から。
「それは違うよ。だって、城ちゃんは思ったことない? 例えば、神崎くんにさわりたいだとか、手をつなぎたいだとか、一緒にいたいだとか、褒められたいだとか、……ハグしたいとか、キスしたい、とかそういうこと」
 これまでの思いをゆっくりと巡らせる。男の浅ましい欲望に向き合うように。それでも、すくなくとも抱きあう夢を見たこともない。それほどに崇高な思いなのだと、もっと純粋に、まるで願いのようなものなのだと、城山は頑なに信じている。夏目の思いを否定はしない。神崎を愛するひとがいてくれることは、かの人の幸せにつながるのであれば素晴らしいことだと思う。だが、それに己がなることは生涯ないのだということを理解しているつもりだ。その考えを読んだかのように、夏目はニヤリと冷たく笑んだ。
「きっと、今はそういっても隠し続けきれなくなる」
 ──そう、確かに今がそうではなくても、未来は誰も見ることができないのだし、変わらないものなどないのだから。なりたいけれどなれない、ということもあるのだということを、城山も夏目も、痛いほどに解っている。言葉尻の掴みあいかのように。また、夏目の言葉を否定しきれない、弱い城山の姿がそこに佇んでいた。歩み寄りつつある、神崎の等身大の姿はきっと彼らに数年前よりも確実に近いものにしているのだから。手を伸ばせば抱き締められる立ち位置にいることができているのだから。
 好きです、とこころのなかだけでつぶやいた。この言葉にそれほどの意味など感じない。とうぜん当たり前のことだから。かの人に魂を捧ぐ。それはこれからも、遠い未来であっても。


16.06.09

かなり久しくこれの冒頭だけ書いていたものの続きをぽちぽちやりましたらこんな感じ。というか、なにも解決も答えも出ていないけどね、、、


どうしても城山推しでスミマセ、
夏目って言葉とかでちくちくねちねちと攻めるイメージがあります。それを書けてればなぁ、とw

神崎くんが女体化なので、久しく書いたら違和感しかなかったのですが、まあ神崎くんは出てこないのでそこは置いておいて〜ができたのでさくさく書けました。続きが読みたい人がいるかはわかりませんが、まあ感想とか続き希望とかあれば拍手ででもwww
とりあえず男とか女とか関係なく、城山の神様は神崎くんなんだよね、みたいな話。もちろん信仰したって、人であることは分かっているわけで、そこでどうなるかっていうのはまた別の話かなぁと思ってます。
ようやく創作意欲湧き出したなw

2016/06/09 21:39:17