快適だった。
久しぶりの車は、おもっていた以上に運転しやすくて、スピードもおもったより出る。
すこし踏み込むだけで、結構上がるスピードだが、軽のくせに車体がズッシリしている気がして、ついつい踏み込みすぎてしまいがち。
カーステレオが奏でる歌に聞き惚れながら、見通しのいい道を波に乗って突き進む。
前はよくこんなことをしていたようにおもう。
日々に追われて、運転すらする時間がなかったのだとおもうと、なんだか財布に残る通帳の残高の数だけ、やっぱり時間を捨てているような気がしてしまうのは、自分の未来に自信がないからだろうか。
今日が晴天で、よかった。
かわいた空気に、晴れ渡る空。青さが目にまぶしい。だが快適だ。
用事を済ませて、帰路に着く。
帰り道はカーステレオの音は消しておいた。頭のなかに流れる、こころの音楽だけで充分だったからだ。
久々の休みを満喫しなかったわけではない。楽しくなかったわけでもない。
だが、―――思い出していた。それは、前に流行ったことだった。
何から始まったのだったか、それすらしらないが、ニュースをにぎわすひとつとして、数年前に『自殺』というものがあった。
もちろん自殺のニュースは現在だって流行病のように増加しているようにおもえる。今は派遣切りによる自殺や犯罪というニュースがトップに躍り出ているようにおもうのだが…
だがある自殺の仕方が、その時期すばやく出回った、ようにおもう。それは、
『練炭自殺』。
一酸化炭素中毒死。
これを聞いて、しばらくした冬の寒い日。ひとり車を運転しながらおもっていた。
―――安らぎ。
求めていた。飢えていた。欲していた。
練炭を買っておいて、車に積んでおくだけで、ひどく安心するような気がしていた。
―――買おうか。
そればかり、考えている時期があった。
だが、誰が乗るか分からない車に、それを積んでおくのはおかしい気がした。
だから、そのときは、買わなかった。
そして今、忘れていた薄れた記憶がこの胸に蘇ってきた。
あのときのような気分だったのだろうか。…忘れてしまったけれど。
あのとき、買わなかったのは、ただこうして永らえるためだったのだろうか。
また、考え出す。
思い出したのは何のためか。今度こそ、買うべきか。
安心して、生きたくないって強く思ったときに使えばいいだろうか。
いつでも使えるようにしておけば、自分はひどく安心するだろう。
いや違う。
前は『買わないこと』を「選んだ」のだ。
だから、きっと今回も、『生きること』を「選ぶ」のだろうと、ふと、おもった。
2009/02/04 21:34:40