※ 初詣ひめかわ夫妻


ふわふわふわ、り



 大晦日がカウントダウンとともに終わった。暗い空を窓から眺めながら、竜也と潮の信念が幕を開けた。忘年会は先月の早いうちに終わらせていたので、家でのんびりと迎えていた。ここ数年ではあり得ないことだった。仲間内に飯を食わせて酒を飲ませて…。そんなことをやって終わることがほとんどだった。だが、今年は潮が「一緒の年越し、そういえばしてないと思わないか?」とぼそりというものだから、竜也は妻を武器にしてうまく仕事納めを早めにしたのだった。仕事納めのあとに忘年会をしたいと騒ぐ仕事仲間をうまくあしらうのはたいへんだったが、なんとかおさめて晦日からは夫婦水入らずで過ごしている。これだけ静かに暮らしたのは、子供の頃から思い出してみてもなかったことだ。ゆったりと二人でいると、まだ潮が男だと偽っていたときのことを思い出す。タラタラとオンラインゲームをしながら、これからやってみたいことやらを他愛なく語っていたことが懐かしい。今はもうすべてそれらを叶えてしまって、やってみたいことなんてもうなくなってしまったように思える。除夜の鐘はテレビから聞こえる。今年は暖冬だから初詣もいいかもしれない。竜也は隣にいる潮に目をやりながらそんなことを考えた。初詣にいくのは初めてのことではないが、潮といったことがなかったのだと今さらながらにふと思い出す。だから声を出してみた。
「元朝参り、いくか?」
 そこで見たのは、驚きと、輝く目のキラメキ。期待が表情にでている。そんな様子を見たのは、もしかしたらガキの頃以来のことかもしれない。時計は夜中をさしているが、どこにいくべきか頭のなかはすでに初詣へのシミュレーションが始まっている。どこの神社に行くかによってルート、時間、すべて違うのだ。乃木坂神社あたりが妥当か。潮の答えなど待っていない。どうせ喜ぶに決まっている。目を合わせたらニコリと笑って頷いた。混みそうだが、たぶん地元アイドルに気を取られてこちらには気付かれにくいかもしれない。リーゼントにしなければ竜也は気付かれないだろうが、潮はどうやっても気付かれる。
「朝にいくのか? 私はそういうの、初めてなんだ!」
 もう潮は早くもモードに入っている。早いやつらはもうすでに初詣に行っているだろう。そういうことすらも知らないような不自由な人生を送ってきたのだろう。そういう意味でも、当たり前に連れていってやりたい、そういう気持ちが生まれていた。
「乃木坂神社にいこうと思ってる。タクシーでも呼ぶか。出かけるならまだ先だ。そうだ、その前に初日の出でも拝みにいくか?」
 もちろん、と深々と頷いた潮はとても幸せそうに映った。初日の出を見るのは竜也としてもかなり久し振りの話だ。形だけの大学時代にダチといいあったなかのやつらといったのが最後だった、と認識している。ばか騒ぎして、飲み慣れない酒を飲んで。そんな青臭い思い出など、きっと潮にはないのだろう。それはすこし寂しいだろう、そう思ったが、もともと知らないことを寂しがることなどできないことなど、竜也もよく知っている。目をキラキラさせた妻の姿を見て軽く頷くだけの返事ではあまりに素っ気ないかもしれない。けれど、夫婦というものはきっとそれで構わないのだ。どこか、口で伝わるものよりもどこかもっと深いところでつながっているものだから。それができると信じて男と女は、きっと結婚するのだろう。そこまで考えた過去などないが。
「何時頃いくつもりだ?」
 すぐにいくと思っていたらしい潮の質問はどこか愉快。姫川らがいるここは青山なのでかなり神社については近場なのであるが、初日の出を見に行くともなると、すこし遠出をしなければなるまい。だが日の出の時間が分からなかったので竜也はネットで調べることにした。すぐにヒットする。これがネット社会の楽さだ。
「日の出は6時50分…か。じゃ、ん?」
 このマンションは高いところにあるのだし、もしかしたらこの部屋から日の出は拝めるのかもしれないなとふと思う。そんな折、潮と竜也はまるで溶け合うように視線が合う。ああ、やっぱり海の初日の出をみたいと願うものなのだろうか。だから聞いてみることにした。竜也だけの意見ならばわざわざ外に出ることがわずらわしいと思う。けれど、色々と事情があり外出が減っている潮はイベントのときは外に出たいと最近はいうようになった。ウンザリするかと思っていたが、意外にもそうでもないことを知ったのは竜也のほうだった。不思議なものだ、目の前にいる相手が誰であるか、それによって気持ちがこうも変わるのかと、それだけのことに気づくのに三十年余りかかってしまった、ということになる。…笑えない。
「ここからも見えると思うけど、……海からの初日の出とか、山からの初日の出とか。そういうの、好きなやつもいるって聞くな」
 これが竜也からの、贈る言葉。お前に見せてやりたい。そんなことは、今の時代、実際に見るよりも家のテレビで見た方がきれいかもしれない時代、いうつもりの生まれない言葉だと思っている。だが、空気感というものが、それを凌ぐのだと分かって、それでも、竜也は聞くのだった。それを知らない彼女は、きっとどこか物足りないものしか知らないから。そしてバチバチと火花飛び散るみたいに混ざり合う視線はどこか熱くて、冷たい。…と思うのは、気のせいだろうか。そんな気持ちをどうでもいいといわんばかりに潮は凛とした視線を向けて竜也にいう。
「そうか。きっと、…海で見るのが一番いいんだろうな。でも、それを最初に見てしまうと、きっと…、感動が減ってしまうのだろうな…。だったら、今年はここから見て、一度感動してみたいな」
 ここまで、気持ちのおおらかな女だとはこれまで感じたことはない。どう考えても、長い未来のことなんて考える夫婦は数少ないだろうと思う。なぜなら、それほどに愛が薄くなったわけでもないのだろうに、夫婦と名のついた二人に関して別れた話があまりに多すぎる。幸せとはなんだろうかと思うほどに、みんなきれいさっぱり別れてしまうのだと、いつしかそれが当たり前に感じられたから。だからこそ、竜也もそれが珍しいことだなんて、思わなかったのだ。
「じゃあ、ここから見えるか…──ググってみる。一応」
 竜也は手慣れた仕草でスマホをタップしてネットの世界に入りこむ。今の時代は便利だ。なにかあればこいつが教えてくれる。人の気持ち以外のことならば。標高が高い場所ではないが、ここからも見えるだろうとあたりをつけた、というのが竜也の答えになったのだった。その間、潮は写真撮ろう写真撮ろうと勢い込んでデジカメのチェックに余念がない。いつだって彼らの手元にあるのは、最新式のものばかりだ。スポンサーらからサンプルとして最新のものをもらうことが多いので、手元に残すのは3個くらいまでと決めておいてある。そんななか潮のお気に入りがニコンの最新型デジカメだ。たまに記念撮影と称したどうにもいたたまれない写真撮影会を開くときがある。しかも、裸の写真だ。ふつう、女というものはそういうの嫌がるもんなんじゃないのか? リベンジポルノ問題とかもあったのだし。いつも竜也は思うのだが、撮るのも楽しい──自分が映るのは勘弁してほしいとも思うので、複雑な心境ではある。──ので、なにもいわずに撮ってやることにしている。こんなことはもちろん夫婦のなかの秘めごとであって、他の誰にも知られることはない。もし知られたのならば、それはへんたい夫婦扱いされそうで、当然いえるはずもない。
「6時くらいまで寝るか」
 時計に目をやり0時半を回ったことを確認すると竜也はそんな艶のないことをいう。30日から休みだったがゆったりしていただけで、特にこれということもなにもしていない。だらだらと過ごしただけのことだ。仕事の疲れもあって寝てるだけで一日経ち、二日経った。気づけばテレビと除夜の鐘と、元旦という現実だけ。こうして無作為に過ぎてゆくときについて、こんなふうに考えたのは生まれて初めてのことだったというのに。
「なんだ、しないのか?」
「なにを?」
 潮の誘いはかるくかわす。そもそもそんなに元気がない。夫婦の性生活はそこそこだったが、それでいいと竜也は思っている。排卵日がどうだとか、せっせとそんなものを計りながらやるつもりはない。子供をつくるためだけに、セックスをするだなんて嫌だと感じる。竜也はそのままソファで横になり目を閉じる。ふ、と仕方ないなと逸らされたことに対して溜息をゆるく吐いた音がする。潮の今の世界は前に比べてとても狭いから、竜也しかないのだということもわかっている。けれど、広く世界を見据える竜也からしてみれば、それはどうにも寂しいものだと思った。まどろんだと思ったら、夢の泥に沈んでいった。大丈夫、目覚ましはセット済みだから。



 まどろみから醒めたのは、目覚ましの音だった。隣に潮の姿はなくて、目を開けてすぐにきょろきょろとした。キッチン側から戻ってきた彼女の手にはココアカップが握られていた。竜也は寝たまま声をかけた。
「おはよう。寝てなかったのか」
「楽しみすぎて、眠れなくなってしまった。竜也と出掛けるの、楽しみで」
 寝起きでだるい体を起こしながら竜也が面倒くさそうに出掛ける準備をする。窓の外はまだ暗い。当たり前か、日の出まであと小一時間ほどあるのだ。しばらくソファでボーッとしたくて早めに起きただけのことだ。元々、竜也はそんなに寝起きがいいほうではないし。半分以上眠ったまま覚醒しない脳みそで竜也は聞く。
「どんな格好していくんだ? おまえ、バレるぞたぶん」
「え? なにが?」
「なにが、って。元朝参りって、みんな拝んでるとこにいくんだから」
 なにも知らない潮に、当たり前のことを教えてやるのは当たり前のことが当たり前に分かっているわけではない竜也の役目なのだった。できないことを積み重ねて一緒に歩くのがきっと、姫川の道なのだろう。
「大丈夫だよ、たぶん。私は芸能人じゃないんだから」
 甘い。甘くみている。今まではお付きのものがすべてやってくれていたのだが、今日は完璧なオフだ。いつもみたいに守ってくれる誰かはいない。呼べばくるだろうけど、それだって竜也にしろ潮にしろ見張られているみたいで好きじゃない。気持ちがわからなくはないが、テーブルにココアを置きながら潮は竜也を見た。
「のむか?」
 頷くと潮はまたキッチンに戻っていった。6時10分。まだ暗い空をぼんやりと見上げる。今年は暖冬だ、暖冬だとよくいわれているが、ほんとうにそうだ。朝はさすがに冷えるけれど、それでも例年のような冷えはない。ココアを飲めば動き出すのも容易だろう。と、そんなことを考えていたら潮がココアを準備してきた。コトリと乾いた音とともに出されるココアは甘くて美味しそうな匂いを出していた。すぐカップに手をつける。香りを楽しんでから口をつける。やわらかな甘みと熱さが同時に竜也の口のなかに広がる。しあわせな熱と甘さだ。ほう、と息を吐き出すと、それはわずかに白かった。温かいといっても、やはり冬なのだ。
「変装までしなくてもいいけど、ニット帽とマスクぐらいはしていけよ」
 それだけいうと、時計に目をやる。もはや20分に差し掛かろうという時間だ。まもなく日の出が拝める。今年初めての、初日の出というやつを結婚生活で初めてみることになる。あたたかな年になるといいな、と思う。身も、心も。今までいろんなことがあったけれど、それも踏まえて今年について、心のなかだけでそっと祈る。誰に向けてではない。ただ望みだけをしずかに祈るだけ。
 明るくなる兆しがまだ見えない空を、ココアを飲みながら眺める。甘いとか他愛ない話をしながら、空に目をやっている時間。こんなゆったりした時間は仕事を始めてからというもの、ない。欲しかったものがここにあるような気がする。竜也はタバコを咥え火をつけた。禁煙は口だけでやめる気なんてさらさらないが、潮には吸うなと何度も釘を刺してある。吸うなといういいかたでは誰もが反目するので、竜也はときに頭をつかう。
「タバコを吸うオンナは好きじゃねぇ」
 この程度の言葉でもうじゅうぶんだ。潮は竜也バカなのでこれだけでいいのだった。単純で扱いやすいうえに美人。それもこう何年も連れ添うと、美女であることすら忘れてしまうのだったが。時計に目をやりながら、徐々に明けゆく空を肩を並べて見つめた。ここから海は見えないけれど、高い位置にいるからうまくいけば日の出を見下ろせる。神の視点みたいなものだと竜也は潮に簡単に説明した。
「神の視点で日の出を見てから、神の社に行くだなんて、よくよく考えてみればおかしな風習だな」
 潮がもっともなぼけをいう。こういった冷めた視点は実に竜也も潮も通じるものがある。タバコの煙が清浄機によって浄化されて流れていくのは分かるけれど、現実問題、病気のリスクだなんだというけれど、死ぬときは人は死ぬ。そして、死なない人はいない。それだけのことだとしか思えない。少しでも生きるときを延ばすより、好きなことを好きなようにやって逝きたい。そう思うのが彼らだった。闇の空は少しずつ色づき始めた。夜が明ける。窓のカーテンをハデに開けてそのときを待ち構える。日の出を心待ちにする日が来るとは思わなかった。竜也にとって、夜が明けることはくだらない時間の始まりだったからだ。いつの間にか、大人になっていたのだろう。タバコを揉み消した。明るくなることが、いつの間にか始まりと捉えるようになっていた。うす紫のような色の空の奥で、赤々と燃える太陽が目に眩しかった。白にも見える。光とは不思議なものだ。なに色と問われても、ひとことなんかじゃいい表せられない。忘れていた。始まることは、いつだって目映いのだった。
「きれい…」
 潮の口には隠しきれない笑みが乗っていた。それも朝陽に照らされて、いつもより眩しい。竜也は目を細めた。

 日の出を見つめながら竜也は一人、そっと神社で祈ることを思っていた。これから起こることについて、今までにあったことについて、すべてをブッ飛ばして、声をは出さず、ひたすらにただしずかに、隣にいる彼女の安産祈願。それだけを神に祈ってみようと。朝やけ眩しいなか、二人はコートを着て発つのだった。



16.01.04

明けましておめでとうございます〜!
今年初めてのはひめかわ夫妻で初詣の話でした。今年は初詣いきたかったけど、いかなかったのでこんなの書いたw
本当は昨日アップする予定だったのですが、小ネタのはずが普通に長めになったので時間がすこしかかりました。6,000文字こえとる……
本当は神社までいくはずだったけど、なにを祈るのかわかればいいかな、と思ったので書きませんでした。
ちなみに、久我山は姫川の幸せだけを願うに決まってる。だから、姫川の分だけかけばいいやってなりました。

ただの雰囲気だけのもので、ストーリーなんてねぇよ。。
これと対の話も書くか書かないか迷い中。もちろん姫川さんの姫始めの話。見たい人いたら声かけてやってください。滾りますww

しかし今年は仕事始めがはやいなあ。4日からみんな仕事ですもんね…
今年はちょっとオフザケというか、遊び心のあるものをアップしていきたいと思っております。なので、更新速度は遅くなるかもです。。


どうでもいいネタ
元朝参りって茨城弁とネットで書いてたので「えっ?!」となった。古臭いいいかたをわざといわせてみたのだけど、こんな姫川いやだ!って人いたらごめんぬ。
あと、この話を書きながらどこに住んでんだろ?とか考えてやっぱり青山あたりじゃないかと勝手にあたりつけて書いてました。地元じゃないからイメージだけだけど、乃木坂神社は青山から近いみたいだし。ネットで姫川竜也くんといっしょにぼくが探してましたw


さらにどうでもいい話
最近読みやすさを重視してひらがなを増やしています。漢字ばっかりだと逆にバカっぽくも見えるからなぁ。もう少しその辺の細かいとこ安定させたい。


おだい:青春

2016/01/04 19:59:38