純粋破壊




 洋平は月に一度は風邪をひいて学校を休む。だから三日くらい休んでいてもあまり気にならなかった。だから三日ぶりに顔を見せたいつも細いその体がさらにやつれて残念な感じになっていて、もしかしたらいつもの休みとは違うものだったのではないかとおれは慌てた。だから洋平にすぐに声をかけた。ガキの歳だというのに、まだおれたちは中学生だから、一般的にはガキと呼ばれる。本当は分かってるけどおれたちは認めていない。洋平だってきっとそうだ。だが、ガキのくせに洋平はおれよりも一歩大人になったみたいな疲れた顔をしていた。いつもより少し近寄りがたい。
「よう、洋平。どうしたんだ? 風邪でもひいたのか」
「…おお、おはよ。うんにゃ、取り調べだ」
 急におかしなことをいうものだから、おれは洋平のいうことについていけずに言葉を詰まらせた。取り調べだ、という言葉を同級生から初めて聞いた。むしろ、普通に学校生活送っててそんな言葉聞くことってないだろ。洋平はもう一度おれにいった。
「風邪じゃねーよ。取り調べってやつ、受けてた」
 そんな危ないことでもしたんだろうか。心配と不安と恐怖がごちゃまぜになって、おれは続きの言葉が出せなかった。だが、洋平は勝手に話した。そしてすぐに分かった。言葉通り、警察からの取り調べを受けていたというここ数日の心労について。そして、悪いことをしたのは洋平じゃなかったということも。


 三日前。奈須家に警察がやって来た。きたのは歳のいったおっさんと、それよりは若いおっさんの二人。中学生って歳から見れば大人ってレッテル貼られてる人たちはみんなおっさんとおばちゃんで、にいさんねえさんになるのは高校生と大学生という人たちだけなんだと思う。単純にいうと。話は逸れたが、おっさんはドラマみたいに警察手帳を見せて洋平の母親に、洋平の兄の居所を聞いた。時間は早朝。洋平の兄の名前はツヨシといった。奈須兄弟は二人で、どっちも男。仲のいい家族だけど父親はいない。洋平が小学生のときに離婚してると聞いたけど、それにショックを受けるほど今の子供たちはデリケートじゃない。というか、親の離婚は当たり前にあることだから「そんなもんか」と軽く流せる出来事。洋平が気にしてる様子もなかった。実際詳しいこと聞いたわけじゃないからおれはよく分からないけど。
 洋平の兄貴はそこそこ頭がいいから高校もそこそこの公立に行って、最近は大学に上がったばかり。そんな兄貴と自分はあんまり似てないのだと洋平はよく話してた。洋平はスポーツも勉強も最初から興味ないっていってやる気がさっぱりなかった。不まじめな生徒だってことで学校ではだらだらしてるイメージがあるから、よく生徒指導の先生から呼び出しされてるのはおれも見てる。どんな話をしてるのかは知らないけど。そんな弟に、そうじゃない兄がいる。それくらいしか奈須家のことはおれは知らない。
 で、話を戻すけど、奈須ツヨシは早朝呼ばれても、部屋から出てこなかったので母が迎えに行ったのだけど、そこで発覚したのは、昨夜、どうやら夜中に出かけたらしいということ。つまり、部屋はもぬけの殻になっていた。いないことを初めて知って、母親も弟も、当然慌てふためいた。その様子を見てなにも分からないと分かった警察は優しく接してくれた。支えるようにあたたかな言葉をかけながら。けれど、ツヨシのやったことは犯罪なのだと知らされるたび、母も弟も、がっくりと肩を落とすことになっていく。そんな姿、知りたくなかったから。

「オレオレ詐欺、ってやつの、主犯格、ってケーサツが」
 洋平はおれにだけそれをいってくれた。それは友達だと信じてくれているからだろうと分かって、おれは嬉しかった。母親が泣いたり、ばあちゃんも泣いたり、ケーサツがウロウロしたり、家のなかをいじくられたり、知らないことをいろいろと聞かれたり。そうして、休みじゃないはずの休みの日が過ぎていったのだと、洋平はいった。話がめちゃめちゃだ、とおれは思ったけど、きっと洋平もわけがわからなくなっているからなんだろう。おれは黙って洋平の話を聞くことにした。



 奈須洋平、中学生。家族構成は、母親、兄ツヨシ(大学一年)、母方の母。つまり洋平のばあちゃん。以上の四人で暮らしている。ペットは洋平がたびたび捕まえてくる小鳥だとかトカゲだとかコオロギだとか。そして気づいたらいなくなっていたり、死んだりしている。よくある家族の感じで特に変わったことはない。特に悪いこともしないし、よいことだってしない普通の学生。時折万引きだとか、ケンカだとか問題はあるけれど、それが大事になるようなことは今までになかった。
 ツヨシと洋平は特に仲の悪い兄弟ではなかった。たまにガキの頃はとっくみあいのケンカもしたけれど、今になってそんなことはなくなった。実際、中学生と大学生では生活リズムも違うし、接点がない。中学生ではバイトをすることもないし、夜あまり遅いと母だって文句をいう。そうされたくなかったから、洋平は夜9時前には家にいた。今は中学2年だが、友達と放課後にゲームをしたり塾がどうのとやっていれば、そのくらいの時間にはなってしまうものだ。そんな弟をあざ笑うように、ツヨシは日を跨いでから帰宅する。洋平は中学に上がってからケータイをもたせてもらっているので、寝たフリをしながらケータイをいじっていることも多かった。だから静かに、半ば隠れるように帰ってくる兄の足音に合わせて、わざと部屋から飛び出しておどけてみせた。昔からこの家の道化は、洋平であると決まっていた。
「おはよ、兄き」
「夜だよ、寝てろ」
「オレもこの時間まで遊びてぇーよ」
「…バイトだよ」
 まるで自分一人でオトナになったようなことをいう。そういうところだけは洋平は気に食わなかった。でも、嫌いなわけじゃなかった。洋平はそう感じていた。だから今回、警察に逮捕されることになったことを、そう簡単に認められるはずもない。
 兄ツヨシは取り立てて目立ったところのない男である。もちろん、悪いところもない。いやないいかたをすれば、個性があまりない子どもだった。目立たない子どもだった。だが、それはそれで、それなりに幸せな生活を送ってきた。…はずだった。それに比べて、洋平は線の細い子どもであることは一緒だったが、次男であることも手伝ってか、周りの空気を読んで道化役を買って出ていた。そのことを分かっていた家族たちは、いつの間にかそのことを忘れていて、洋平が道化を演じることはあくまでも当たり前のことになってしまっていた。確かに、洋平は道化役を楽しんでもいた。けれど、時にそれを不快にも感じたし、楽だとも感じた。人の気持ちなんてものは、ほんとうに勝手なものだ。おどけることがどれだけ場を和ませなきゃならないのか。そして、それができたことに対する対価の安っぽさ。けれど、その時の空気感。全部が道化役にピッタリななにかなのだろう。そんな格好をしながらも、洋平は来年のことを思うと気が重かった。
 なぜなら、元から苦手な勉強という、おどけることもできないガチな世界で点数をつけられて、その上それで向かう学校だとか、そういうものを割り振りされるのだ。受験制度なんて死ねばいい。日本語としておかしいのは承知の上でそう思った。受験制度なんて死ねばいいのだ。その思いは洋平の不安となり、モヤモヤとしたなにかになった。縋りたい。道化役を演じていても、結局は心の育ちきっていない子どもだ。楽な方へと流れたがるのが人の道というもの。そして、それを選んだものはあまりいい方向へ向くことはない。選ぶことができる立場であって易い方を選ぶことの、未来への影響なんて、当人は考えたりしないものなのだ。総じて。

 気づくと、自分というものがどこかへいっていた。それが悪いというわけではない。不安要素すらなかったから、むしろ、感じるだけならば洋平自身にも悪いことはなかったろう。けれど、その思いが兄という肉親の与えるものであったから、どこか歪んでしまったのだということに、気づけるはずもない。兄が、捕まってしまった。それは兄の初めての、家族への裏切りというものだったから。
 兄がいない。あにがいない。アニがいない。それをどこへ向けたらよいのか、それが分からなかった。いないことなんて、日々の生活ではごく当たり前にあったことだというのに。洋平は兄をそこまで慕っていたつもりもなかった。けれど、ならばどうしてここまで気持ちが塞ぎ込んでしまうのか。その理由を見つけるにはあまりに深層心理とかいうわけのわからないものに手出ししなければならないかのような、そんな不安感ばかりが募る。洋平は頭のなかで何度も何度も反芻する。兄ツヨシの罪状について。犯行について。涙が出たって構わない。ただ、考える。思う。感じる。それだけのこと。



 200X年、それは頻発した。
 今でこそさも当たり前な言葉となり、我々の耳に届いている『オレオレ詐欺』というもの。うまい言葉で騙して、主に年寄り相手に息子などを装い金をせしめる、そんな悪どい商売。それのリーダー格であったツヨシは、どんなことを思っていたのだろうか。それは当人でなければ、想像でしかない。だが、洋平はそれをガキの頭でしかないのに、想像しつづけた。それは時に頭の中身をぐちゃぐちゃにかき回すようなことだった。
 電話を契約するのにも、いわゆる名義人ドロンを前提とした「飛ばし携帯」。名義人と使うものは全く別。使える期間も限られている。飛ばし携帯を作るもの、それを使うもの、それぞれに金を与えても、詐欺にひっかかるものさえいればお釣りがくるほどだ。武器は、声と電話帳だけでいい。かけ専の釣り役は、電話をかける時給と、実際に客を捕まえた時の歩合給でいい。飛ばし携帯を作るには誰でもいい、大人の名義だけがあれば。そいつには一台につき一万くらいやれば喜ぶようなゴロツキをキャッチすればいい。関東の街中であればそんなことは容易にできた。あとはアパートの一室があればそこででも電話をかけさせればよかった。時給と歩合の部隊がうまくカモを捕まえてやれば大袈裟に褒め称えればいい。金の受け取りは上役だが、仲介のそれこそツヨシのようなものが行なった。だからこそ捕まることとなったわけだが、この手で荒稼ぎできたのは長期休みというものが重なったからだ。
 まさか、と思いながらやったことで、実際に現金を見せられる。途端にツヨシは脳内が揺れた。平然となんてしていられない。確かにサボろうとするガキども(とはいえ自分と同じくらいの歳のやつらだ)相手に目を光らせるのも仕事の一つだった。この仕事と現金を見ていると、現実のバカバカしさだとか、感覚が麻痺してゆく。浮世と今いるここはどこも違わないというのに、自分だけが崇高な空間にいるみたいな錯覚のなかで漂っているみたいな気持ちになっていく。そのままずるずると、内臓も脳みそまで崇高になっていく錯覚に侵食される。抜け出られないこれは、麻薬みたいなものだ、と思った。



 冬の日だった。はらはらと雪が舞っていて、震えるからだを洋平はぎゅっと抱き締めた。こんな時期に、この時彼は中学二年生で、来年の今頃は高校受験の真っ只中にいることが容易に分かるというのに。見上げた高い壁は、果てのない空を隠そうとしているみたいだった。身元を引き取りに来た。オレオレ詐欺とはいえど大元の誰それのことも見事に吐いて、洋平の兄のツヨシは保護観察処分が確定したのだった。今日はその迎えだ。これからまた少し前のように一緒に暮らすのだ。ただし、今までのようにはきっといかないのだろうが。
「さむいね」
 母はツヨシを怒らなかった。もはや怒る気力もないといった感じだった。建物に入る前に母は息子の肩に乗った薄い雪を払った。音もなく落ちる白いものは、すぐに空に溶けた。儚い、というのはこういうことをいうのだろう。そして、洋平は道化役を演じるのをやめた。あの日から。この兄のもとにいる以上、手負いの獣を見るような目で見られるんだと分かっていた。ほんとうの獣が、この小さなからだに棲んでいるとしたら、他人はどうするのだろうか。母は。兄は。祖母は。
 ツヨシはなにもいわなかった。黙って車のなかで洋平と、母と一緒に揺れていた。近所の人の目から隠れるために引っ越しがしたかったけれど、そのお金もなかった。ただ、他人の目を避けるように引きこもる日々が始まった。
 なんでおまえのせいで、と洋平は思う。転校なんてしたくなかったけど、みんなと顔をあわせるのがやりづらい。ぜんぶこいつのせいだ、と彼は思う。こいつがオレオレ詐欺なんてチャチィ真似をしやがったから。そして、学校では来年の受験の話なんてくだらない授業をやる。どうせ、勉強なんてやりたくもねえ。そんな息するのもツラい世界でガキは生きなきゃならない。



 ツヨシと口を聞いたのはしばらくぶりのことだった。大学生というのは大人に限りなく近い子どもだ。だからほっとくとヒゲが生えたり、まゆ毛がつながったりして、かっこ悪いことになる。久しぶりに見た兄の顔がそんなものになっていたから、思わず驚いて声をかけてしまったのだ。ほんとうのところは口を利く気もなかったのだが。
「あ。なに、そのツラ」
「生まれつきだバァカ」
 仲の悪い兄弟じゃなかったはずだ。けど、こうして今、話さないことがデフォルトになっている。その理由はお前にあると思って攻めて。洋平は鼻を鳴らす。ヒゲとか髪とか、そういうものだと告げて笑う。──そうか、他人にあわないっていうのは、きっとそういうことなんだ。鏡の前でツヨシが声を上げている。だいじょうぶ、話せる。前科者だろうが、ろくでなしだろうが、オレは話せる。そう感じた。

 慌てて兄が外に行った。戻ってきた彼の髪は小ざっぱりしていて、ヒゲもまゆ毛もちゃんと整えられていた。
「おっさんくさくなくなった。大学生にみえる、たぶん」といった。
「大学は辞めたんだから関係ねーよ」
 いつの間にか吸っているタバコを吹かしながら面白くもなさそうに兄はいう。その顔を見ていると、洋平は不思議だった。まるで、鏡を見ているみたいによく見ているのだ。目の前の兄は、詐欺をしたクズなのに、とても自分とよく似ていた。ヒゲはあったほうがよかった、と思った。それを口に出したら「切ったばっかだしおまえがいったんだろ」と当然の否定を返された。当たり前のことがグニャリと曲がった気がする。兄と、よく似ている。気づかなかったのか、気づいていても知らないふりをしていたのか。




 洋平が小学生の時のドラマの再放送を観ていた。昔のやつなのに、今見てもかっこいい。こんなイケてる空気になりたい。道化を演じる主人公の親友役を、心のなかでそっと崇拝した。ドラマは現実逃避にもってこいだった。
 ついさっき、兄を訪ねて人が来た。保護観察官のおじさんではない、見たことのない、いかにも怪しいやつだった。それでも家も顔を割れてる以上はシラを切ることもできなかった。兄がずっと恐れていたことが、ここに来てつながった。オレオレ詐欺集団の元締めの暴力団のやつだと直感でわかった。でも、洋平にはなすすべがなかった。止められるはずもない。オレはまだ、体もヒョロヒョロだしちっぽけな、ガキだ。来年は受験もしなきゃならないし、暴力団に太刀打ちなんてできるわけがないと分かっていた。だから、その人たちを家のなかに通してドラマを馬鹿みたいに見ている。
 音量を上げる。破壊するみたいな音も聞こえなくなった。ドラマのなかでも主役はチンピラにかかっていく。洋平の好きなその準主役的なギャングの頭が出てきておどける。主役は鼻血垂らしてたって関係ねぇよ、みたいな顔をして、すぐにノしていく。
「ハハハ、っ、カッケェ…ハハッ」
 洋平は大音量にしたそのアクションシーンで盛り上がって手を叩いて喜ぶ。だから、周りの音は聞こえない。ツヨシの部屋でどんな暴虐があったとしても、聞こえない。ギャングの頭は細い体なのにアクロバティックな格闘術を使ってすぐにザコをなぎ倒した。とはいっても主役が苦戦してた相手だからザコではなかったのだが。そして手を取る。
「ねぇマコっちゃ〜ん、弱くなっちゃったぁ〜?」
 どこまでも道化。返り血が白のタンクトップと金髪に染められた頭によく映える。こうして、やわこく生きていきたい。そう思って1分も経たないうちに、ツヨシの部屋は血まみれに染まった。血は赤くなんかない。どちらかというと、黒い。どす黒い。たまに紅。

 部屋のなかには二人だけしかいなくなっていた。気づくと、押しかけてきたはずの男が慌てて逃げていった。テレビの大音量のなか、洋平は台所から包丁を持ち出した。道化のように包丁を持って舞ってみたら、男は最初の威勢はどこへやら、慌てて家から飛び出していった。近所迷惑になりそうな音量でテレビがCMを流している。そのまま放っておいたから、明日には怒鳴られるかもしれない。だが、今の洋平には関係などなかった。部屋にぶん投げたままの包丁にはわずかにあの男の血が付いている。あいつも押しかけた身だ、警察に泣きつくなんてことはできないだろう。そう思うと、笑いすらこみ上げてくる。
「なぁ、兄き」
 ツヨシは答えない。どこか遠くの方を見ている。どこでもないどこかへ視線を漂わせて、今の現実を見ないようにしているみたいに。そんなこと洋平はどうだってよかった。返事をしてくれなくったって。
「兄き。あいつにいわれてやったんだろ? もしもし〜って、オレオレって」
 指で電話を作っておどけた。久しぶりの道化。どこかスカッとするような気がした。
「なぁ? なんでだろな? オレ、ぜんぶ見たみたいに、兄きがやったこと、覚えてんだ」
 まるで、自分でやったみたいに、兄がやったことがよくわかる。おかしな記憶だった。想像のはずなのに、覚えているだなんてことがあるのだろうか。おかしなものだった。
「あれ、やったの、兄きだよな? オレじゃないよな? 電話、オレオレって」
 つとめて明るくいった。ツヨシは笑わなかった。目を合わせようとしていないのが不思議だった。おかしなことだらけで、笑えた。今日はおかしな日だ。そう思った。実際にやったやつが笑えるはずがない。実際に保護観察だってついているのだし。それは学生だから、という社会の甘さだった。そういうところも含めて、洋平はどうでもいい、そう思った。目があうと、兄は慌てて洋平からそらした。よく似た顔をしているのが、怖いみたいに。
 そうだ、そうなんだ。きっと。
「ねぇ? なんでオレが覚えてんだろ? オレがやった? んなワケ、ないのに?」
 兄ツヨシは固まった様子で、それでも答えない。目はあわされてそらせずにいるままで。なにかに怯えているみたいに見えた。気のせいかもしれない。そうだといいな、みたいな思いがもしかしたら、洋平のなかにあるのかもしれなかった。だから、そう見えたのかもしれない。
「なあ、兄き。オレが、…オレがやったのかなあ? もう、わかんねぇよ…」
 そこにあるのは、さっき暴れた時についた血が目立つ包丁と、兄の怯えたような強張った顔と、オレと、兄の携帯電話が、足元にあって、それを見た途端、スゥッと冷めたみたいな気持ちになって、それを手に取った。中学のガキの洋平はそれを好きなように扱ったことがない。それを手にした途端、どうしてだか分からないが、保護観察官のおじさんの顔が浮かんだ。洋平が留置所に入れられたワケじゃないというのに。どうして、この記憶は一致してるみたいに時折、いろんな色を浮かべて洋平のなかに現れるのだろう。
 目の前にいる兄のツヨシを見た。大学生だった。高校生だった過去も、中学生だった過去も、エロ本を隠してた過去も、洋平は弟として、知っている。それらは洋平の網膜を通して、事実としてあったはずだ。だのに。だのに、ケータイを通した会話は、網膜を通してなんてない。それなのに、見て知っているような、そんな気持ちになっている。まるでそれが現実みたいに。まるで自分が行なった事実かのように。──誰か。誰か、この記憶が塗り替えられたウソだと、誰かいってはくれないか。気の迷いだとか、なんでもいいから。目の前で恐怖の形にゆらゆらと揺れるその瞳が、今の洋平の存在を、いかにも否定しているみたいに、見えるから。そんな目を、しないでほしい。そう、つよく思う。しかし、またそんな目をするのは、自分なんかじゃないと思える自分自身があることも、また本当だった。洋平はいった。
「兄き…。オレたち、ドッペルゲンガー、みてえじゃねえ?」
 年が離れているのに。髪を切ったり、ヒゲを剃ったりしなければ、似てるという印象は薄かったのかもしれないのに。よく似た兄弟は、ほんとうはどちらがどちらかの真似をすれば、生みの親以外は見破ることができないのかもしれない。それならば、どちらかわ死ねばいいのか、どちらが生きていていいのか。それは、あまりに明白で────吐き気がする。

 洋平は、包丁をすぐに洗っていつもの流し台に、何事もなかったみたいに置いて、テレビの音も小さくした。そう、ほら。いつもの毎日が始まる。なにかに迷った日なんて、すぐ過去になるいつもの時に…。
 ただし、──その日、奈須家では一人が死に、近い日には引越しが行われた。──洋平は、兄がいなくとも、変わらず家の中でも、否、その日からというもの、洋平はまた道化を演じ始めた。それは、過去をなぞるように。そして、味わえなかった過去を舐めるように。



15.12.08

タイトルはクロエ(お題サイト)からです。ありがとうございます。


意味がわからないものになりました、申し訳ございません。しかも!
暗っっっ!!!!!
この最後はどうかとも思ったんですが、ぼかして終わるのは、決めてました。まぁ私の(書き手)なかでは決まってますけど、これこれこう、みたいな意見もある意味思って欲しかったのであえて。。。



詐欺をして捕まる、っていうのは決めてました。
でもここまで精神世界というか、意味わかんなくね?みたいな感じにするっていうのは、自分が迷走してるからかもしれないですね……。
そこからの肉付けは、後からしてます。というか、見て分かる通り、行き当たりばったり申し訳マジでねえわぃや。

某ドラマにリスペクトされたのは、原作まんまなのでいじられても、そうなりーって返すのでよろw
実は人が傷ついたり死んだりしてる奈須家でしたッ!なんだか……すみません。。
2015/12/08 22:37:34