恋をしている君は誰よりも美しく誰よりも僕に残酷だ 9




 こいびと、というレッテルを貼られてから1年以上の時間が過ぎていた。それは長いようで短いようで。いろんなことがあったのならきっと一言にはしえない、そんな1年という長さ。
 雪はもう溶けた。でも、吹く風はまだまだ寒い。震えると隣にいてくれる哀場が肩を抱いてくれる。彼の方が西から来たから寒がりだと思うけれど、寒さに慣れてるみたいな顔をして薄着で割と平気そうにしている。それが不思議で何度か聞いたけれど、彼はそういう体質らしかった。あまり気にすることでもないようだ。
 そんなどうでもよくて、ちぐはぐなまんま1年という時が過ぎた。兄妹で暮らす哀場家にいって座っていたら、千代がテコテコと歩いてきてこましゃくれたことをいう。
「あなたさまは、あにじゃとどうなりたいのです?」
 こいびとというレッテルがこの時ほど重いと思える時はなかった。園児の目はまっすぐに葵を見据えていて、その揺らぐ胸の内の一皮一枚いちまいを見透かしてしまうのではないかと、そう思えるほどに澄んでいたから。葵は瞬間、目を伏せた。それを哀場猪蔵は恥じらいと呼んで、哀場千代は逃げと唱えた。きっと、こんなことはこれからも数多くあるのだろう。この成熟した幼い娘は、多くのことを葵らに気づかせてくれるのだろう。それが好ましくなくて、とても怖かった。だからといって非難もできないのだった。
 だから、目を逸らして考えたのは哀場猪蔵とのこと。私は、彼とどうなりたいのだろう? そんなことを1年も前に思ってみるべきだったはずなのに。それでも気長に待ってくれている彼のことが、とても好ましく感じた。だが、それはまだ恋じゃない。好きであっても、それがぜんぶすべて恋だなんて、幼い子供でも思わないだろう。その判別を、何と呼べばいいのか葵はわからなかった。だから、答えを探した。

 私は彼と、どういう未来を見たいのだろう?

 誰と、ということはない。誰とだって、平和で明るい未来を見たい。それはきっと平和ボケした日本人たちならみんなそう思うだろうことで、特別ななにかではないということは確かだった。
 葵と千代の間に流れる空気は、哀場猪蔵が来ると、途端にやわらぐ。彼は葵に麦茶を出しながらへらへらといつものように気の抜けた笑いを振りまくのだ。きっと、さっきの千代の言葉は隣の台所から聞こえていただろうけれど、それもなかったことにしてしまう笑い。それがありがたいのか、それとも重いのか。葵にはそれが分からなかった。
 出された麦茶を啜りながらまた考える。わたしは、彼とどうなりたいのかな。どう、という意味が測りかねていた。他人から好かれることは悪いことじゃない。少なくとも嫌じゃないし、ありがたいとも思える。熱意に押し負けることもあるけれど、そんな熱も心地いいと思えることもある。よくよく考えてみれば人の気持ちというものは、どこまでも自分勝手なものだ。嫌じゃないと思えるのは、少なくとも哀場猪蔵のことを嫌いじゃないせいだし、めげずによくしてもらっているからだということに行きつく。もしかしたら、自分という存在は最低なのかもしれない。そんなことを思ってしまうと自己嫌悪に陥りそうだった。頭を抱えた。ただの一言がこんなにも重くのしかかるだなんて。

「葵?」
 彼が葵を覗き込むその表情はあまりに心配そうで、はたと気づく。何かあったのだろうか、と。葵が言葉にする前に、むりに笑顔を作って哀場猪蔵はいう。
「や、なんか具合悪そうだったからよ」
 いつもお前を見ているし、いつもお前を想ってる。お前のことしか恋しく思わないし、いつだって、むりにじゃなくて、しぜんに笑っててほしいんだ。できればその笑顔は俺に向いててほしい。それが過ぎた願いだとしても、それだけは願わずにはいられない。なんで、ってそりゃ簡単、好きだからだろ。大事だからだろ。単純なことさ。
 いつも笑ってくれている哀場猪蔵の微笑みがどこか痛い。やさしい彼は重い。そう思うのはどこか別に蟠りがあるから。分かっていた、最初から。それに蓋をして知らない顔をしていただけのこと。それが罪なのか過失なのかは、葵にも哀場猪蔵にも千代にもわからないのだけれど。好きの意味を、時が経つにつれて葵は失っていく。彼から向けられる好きに十二分に身を浸していても、自分から与える好きがどこに行ったのか、それがどこに向かっているのか分からなくて。それでも、好きの便利さとしあわせさと、やさしさと強さ。ぜんぶ知っているから思い出したくて縋りたいと思う。それは狡いことなのかな。
「ん、大丈夫」
 葵はなんともないふうを装って、彼に笑いかけた。彼が笑いかけるよりももっと、揺らいだ精神力で。


15.04.07

すみません、寝る前のなんとはない小ネタです。
千代ちゃんがいいのか悪いのかブレーキですw


葵ちゃんが、哀場でいいのかとうだうだするだけの話
嫌いじゃないから迷うんだよねって話


つまらん話でゴメン!!

2015/04/07 23:26:06