ああ、これか





 仇討ち。
 弔い合戦。

 なんでもいい。戦って、許される理由が、必要だった。
 孫策亡き今の、頼りなき幼い主君の下では。


 その理由を得る、取っ掛かりになったのは甘寧の投降がきっかけ。

 甘寧の投降は、現君主の孫権にとってはあまり好ましいものではなかった。
 というか、孫権は渋ったのだ。
 最終的には呂蒙含む周りの者もあり、なんとか説得はしたものの。

 孫権引継ぎの呉――この国――では、急死した兄・孫策との引継ぎも不完全なままにあたふたしていた事実。
 落ち着かない国の内情に他国に降る者も相次いでいた。
 基盤は、緩みつつあったが、投降したばかりの甘寧が言った言葉で、状況は一転した。


「俺の前の上官の黄祖の上に、劉表ってエラいヤツがいるんだ。
 確か……孫家の敵だったよな?」

 劉表。

 忘れもしない、孫権の父・孫堅の仇。
 かの人の命を奪った、憎き相手の名。
 兄・孫策の話によれば、彼もまたひどい仕打ちにあったことがあるらしい。

 甘寧は、劉表軍の情報を少なからず持っていた。

 甘寧の話と、何度かの会議の末、数日のうちに戦の段取りは瞬く間に決まった。


 出陣。
 父を、悔いなく天へ導くための、遅れてしまった弔い合戦だ。





 合戦の段取りを聞き、いまいち気乗りのしないような浮かない表情を浮かべながら、溜息を噛み殺す一人の武人。
 孫策の重臣…友人と呼ぶべきか、太史慈。

 浮かない顔だったのは、まだここにいることへの迷いがあるから。
 自分が慕った孫策はもういない。この世にすら。
 ここにいる意味が、あまりに乏しかった。
 友人になった周瑜には、たしなめられてはいたものの、彼のように孫家の昔馴染でもない自分は……道を見失うばかり。

 彼は国がどうのということではない、その人についていくと決めたからついていくのみ。
 直進しかできない、不器用な男。
 確かにその人が興す国を見てみたいと思ったからこそ、身を呈してまで側に行ったのだが…。

 不意に消えた、命の灯に、行く先をなくし彷徨う生者。


 そんな思いを胸に秘め、自分自身に何度も問い掛けていた。
「こんな俺が……ここにいていいのか?」

 答えをくれる者がいないから、気付いたら劉表討の布石になる一部隊を任されるハメになっていた。
 隠密に、相手の様子を探ってこいという任。
 彼はもともと、そうしてスパイ行動中に孫策に出会い、一騎打ちをした元敵仲なのだ。
 幸か不幸か、彼のスパイ能力を見込まれて、今回の任を頼まれたというわけらしい。

 胸にしこりを残しつつも、与えられた責を全うするために立ち上がる。
 友のいない、この地で。

 自分の価値は『武』以外では示せぬと己の胸に言い聞かせながら。



 馬に乗るのは苦手だった。
 彼の長身がそれを邪魔し、馬がへたばるのはそれだけ早い。食料、水、他の者が遠駆けするより多大な消費。
 他の足はないものかと考えあぐねいた末、答えは出ずに結局馬。考えるだけ、無駄な時間を過ごしたようだ。








 劉ヨウ軍にいた頃。
 袁術軍…いや、孫策軍の内部に迫るため、彼は見に行った。もちろんそれは相手に自分たちの動きを読まれないよう、ほんとうに最低限の少数精鋭。太史慈以外は普通の一般兵卒。たったの4人。
 どこまで近づけるか。ぎりぎりの選択。
 この時も馬を走らせていた。兵卒たちの馬は弱っていないのに、太史慈の乗る馬だけが、その重さに疲労の色を滲ませる。
 ああ、これでは潜り込む前にへばってしまうな…。
 そう思い、彼が単独行動に出たのはその時だ。

「馬を休ませる。馬用の水もなくなってきた。取ってくる」
 そう言い、当時孫策が根城にしていた、奪われた劉ヨウ軍の城だった場所に駆け出す。悪いが、その時は嘘を吐いたわけだ。
 孫策その人にばったり出会ってしまったのは運が悪かったとしか言いようが無いが、なにをどう足掻いても勝ち目がない戦だったことは今となっては明白。
 言い訳がましいが、孫策に負けたわけではない。孫策の率いる軍に負けた。



 その時の記憶が、少人数で馬を走らせるこの状況と酷似していて、思い起こさせる。
 やはり今回もまた……馬は、彼が乗っている馬だけが弱っていく。これでも大きめな馬に乗ってきたはずなのに。やはり鎧が重過ぎるのか、と人知れず溜息を吐く。
「…馬を休ませよう」

 今回は前とは違い、6、7人ほどの兵らを連れてはいるが、やはり隠密行動ゆえの少人数での行動。
 ほんとうは行く前に何度も「せめて15人ほどは連れていけ」という話も出ていたのだが、6、7人という人数に抑えたのは、軍馬をそこまでおおっぴらに使うことは憚られると感じたためだ。

 数年も前のことを、やはり何度も何度も…思い出してしまう。
 今自分の身に起こっていることが、なんだか遠い出来事のようだ。どうも昔の記憶の方が、その鮮明さを保っているように感ぜられる。不思議な感覚だ。

 あの時は、もっと緊迫していた。今回と一番違うところは、立ち向かう相手の存在そのもの。
 相手の戦略に脅かされる心配など、今回はない。兵力・武力ともに、自軍の方が上。恐れるものはない。それに伴う、どことなく緩んだ空気は余裕のムードを醸し出している。
 そのふわりふわりとした空気そのものが、緊迫した戦場にいた彼にとっては、どうしても夢現のように思えてしまう。…今も夢の中で浮かんでいる思い。

 馬が十分に休息を取ったところで、再び歩みを進め始める。この一歩一歩が、劉表に近づく重い一歩のはずなのに、なぜかその重みはほとんど感じない。
 劉表。その人に会ったら、どうだろうか。と、ふと思う。
 孫策が相手の時は、それを思う余裕などこれっぽっちもなかったはずなのに。
 馬の蹄の音が、心地好い音楽のように彼らの耳に響く。馬が走る時に伝わる振動が、体全体でリズムをとり、駆けること自体がまるで、音を奏でているかのようだ。

 劉表は確かに、孫策の父・孫堅を死に至らしめた人物でこそあるが、彼の話を聞く限り、あまり戦向けであるとは思い難いもの。
 優柔不断で、側近・参謀を含めた自分の周りにいる者の意見がなければ、彼は動くことができないという評判はよく耳にするところだ。その参謀たちに脅されている、という噂すら聞く。
 要は、恐れるところなど何一つない、そんなちいさな人物なのだろう。
 孫策はどうだった?
 会ったことのない孫策に、初めて会ったはずなのに、それがなぜだか彼だと分かったのは、頭の中で描いていた孫策像、そのままだったからだろう。…思っていたよりは若かったけれど。


「……気を入れろ。あそこが、劉表の居城だ」
 気がついたら、もうだいぶ近くまで来ていた。
 太史慈の低い声が兵卒たちの耳に届くと、兵の間に今までよりピリッとした空気が流れだした。

 ひどく、興奮したのを覚えている。
 身体じゅうの血が逆流しそうなほど、それはたぎった。
 孫策は彼をまっすぐと見つめてきて、ただ「やろうぜ」という目を向けた。
 あの時のような興奮などあるはずがない、と頭では分かっていながらも、どこか胸の奥で期待している自分がいる。…そういえば、あれ以来自らの武を振るったことはなかったはずだ。
 どうしてこんな気持ちになるのか。
 それは、やはりこの状況が前のそれに、あまりに似ているためだろう。

 一人の漢として、自分の身一つで、どこまでできるか、できるところまでやってみたいという、単純な思い。
 それが打ち砕かれるか、それとも相手のそれを打ち砕くか、二つに一つ。
 そのぎりぎりの均衡の中で闘うことなど、まず軍に従事している中では有り得ないことだ。彼がその機会に恵まれたことは、偶然に偶然を重ねた、幸せだったという他ない。
 その時の状況とあまりに似ている現況は、偶然ではなく必然ではないかと思い違いをしてしまうほどに。



「お前たちは待っていろ。俺が一人で、もう少し近づいてみる」
 一人で?と、兵たちは顔を見合わせるような素振り。
「なぁに、大丈夫だ。様子を見るだけだ」
 彼の自信ありそうな、威厳ある眉毛に気圧されてハイと頷くのみ。まぁこの人なら…孫策との一騎打ちの話も、みんなのしるところだ。
 兵が頷くや否や、そのまま馬を走らせて駆けていってしまった。兵がハッとして止める前に、さっさと行ってしまおうという了見だ。
 まだ真っ暗ではない。しかし日暮れの冷たい空気と、朱に染まった空がこれから始まる闇を告げている。


 孫策と会ったのは、昼間だった。森の茂みで馬を休ませている時に、馬に乗った孫策が何食わぬ顔で現れたのだ。
 初めて見たのだから、一瞬で孫策だとは分からなかった。
 孫策は彼の顔を見てすぐに「あっ」という顔をし、臨戦態勢を取った。だから彼も「孫策だ」と分かった。


 空は藤色に染まっていき、訪れる夜に備え、灯火があがる頃。
 劉表の居城が見える。目と鼻の先。
 太史慈は、馬を降りて手で引きゆるゆると歩を進める。
 薄暗さに霞む城を見つめていると、自分が前に仕えていた劉ヨウの城の形と似ているな、と思った。地域の風土により建物は形状を変え、人間のその頭脳を思い知らされる。
 懐かしい感じに目を細め、そのなかですこしだけぼうっとした。

 ……ガサリ。
 木々の揺れが違和感。落ちた小枝がパキパキと重みを乗せた音を立てる。
 人だ!
 気づいて音の鳴る方に向き直ると、そこに人影があった。今回の失態は、まさに気の抜けていた太史慈自身に問題があった。瞬時にそれを悟る。

 紳士がいた。歳はいい歳。50も過ぎた頃だろうか。結い上げた髪には白いものが交じっている。
 その紳士と、目が、合った。
 …劉表だ。
 太史慈は、直感的に感じた。
 距離はある程度離れている。相手は木になる実をもいでいたようで、それを手に持っていた。その紳士の後ろでガサガサと音が聞こえる。どうやらお付きの者も一緒らしい。形勢は不利。なんだか、この状況すら孫策の時のそれと酷似している。
 相手から目が離せないところも、前のそれとなんら変わりはない。

 音も立てず、一定の距離を置いたまま、二人は見合う。
 別に恐ろしいわけではない。劉表の体つきを考えてみても、武人のそれではない。飛び掛っていけば、太史慈に負ける要素はない。
 だが、不思議だ。身体には痺れるような感覚があって、そのまま動けずにいる。
 劉表が彼の顔から目を離さずに、なにを思ったのかニィ、と笑い舌なめずりした。なにかを確信したかのような、勝ち誇った笑いだ。むろん理由は分からない。彼はその場から動く様子など微塵も見えず。
 笑われた太史慈はと言えば、その笑みに追い詰められたような気持ちになって、心臓は跳ね上がらんばかりにバクバクと鼓動を刻み、冷たい汗が背を伝っていく。

 草食動物をいたぶる時の、肉食動物の目に似ている。
 小さき者を、嬲る楽しみに出てしまった笑みのようだ。
 目で殺す、と言っているわけではない。ただ単に劉表は、あやしげな光をその瞳の奥にたたえているだけだ。その光は、夕闇にひどく映える。
 その目を見ていると、ざわざわとして気が落ち着かなくなってしまう。鎧に隠れて見えないが、首筋も、腕も、鳥肌が立っていた。光線を放っているわけでもあるまいに、痺れた感覚が目から骨にまで伝うように。そしてそれが最後には臍の下まで這っていく感じ。そこに残るむず痒さは甘さを感じさせる。

 きっと劉表は、捕らえた者をなんの容赦もなしに拷問にかけるような男だ。
 爪を剥ぐ。膝や肘の皿を割る。最初は浅く、鋭利な刃物は使わない。斬れない刃物で浅く傷つけていって、だんだん叩きつけるよう、乱雑に斬っていく。刃こぼれのひどいぎざぎざの刃物で。
 血を浴びるのは気にしない。劉表はたぶん転がる拷問相手に冷ややかな熱視線を注いで、とどめの一撃はなかなか許されない。
 ビチビチと這い回るそれが楽しいから、自分ではとどめなんてさしてやらない。だからといって、瀕死のそれが自ら命を絶つことかなわず、息絶えるその時まで苦悶は続く。その様が楽しくて仕方ない。
 実に楽しそうに微笑みながら、死ぬ様を見届けるだろう。

 どうしてかは分からないが、太史慈は劉表の視線にそれを感じ、立ち止まったまま。
 時間にしてほんの数十秒間の睨み合い。
「そろそろ戻りましょう」
 紳士の後ろから声が聞こえて、やがて彼は姿を消した。どうやら部下のようだが、太史慈の存在には気付かずにいたようだ。そして、なぜか劉表も彼の存在を教えてはいないようだ。
 それを不思議に思いながらも、見逃さない。彼の口元には微笑が張りついていたことを。





「…っ、はぁ……っ…」
 浅く荒い呼吸に喘ぎ、全身の奇妙な汗に今更気付く。喉も渇いている。
 持ったままの馬の手綱が汗で滑るので、足の重い身体をなんとか動かし木に括りつけてべたり、そのまま地べたに腰下ろす。

 孫策と会った時も、身の毛のよだつような感覚はあった。ひしひしと流れ込んできたのは『闘気』ってヤツか。
 それに触発されて、身体は温まる。今のように。
 だが…今回のは、それとはまた違う。
 身体の変化に、自己嫌悪に陥りそうだ。
 足が震えている。恐怖に打ちひしがれてのものではない。
 大きく息を吐いた。誰もついてこなくてよかった、と思った。


 ……勃起している。
 鎧でパッと目には見えないだろうとは思うが、その下で痛いくらいに。
 弱き者を弄し、侵食し尽くすその瞳に射抜かれて。
 感じていた。
 ―――どうしてかは分からない。
 だがしかし、劉表にはバレていた。だからこそ彼は太史慈に微笑を残した…

(辞退しよう。今回の劉表攻めの話は)
 もう二度と、あの目で睨み付けられてはならない。
 肉食獣に「次」はない。狙い定められたら最後…侵される。病原菌のように。
(俺では、…勝てんな)
 視線を合わせている時の、言いようのない高揚感と、ぐにゃり捻じ曲がった空間にいるような浮遊感。
 それを思い出しただけでも、冷めかけた熱が臍の辺りをくすぐるかのようだ。
 魅入られたがもう遅い。ずるずると引きずりこまれよう。

 履き物に対する不快感に、少々不機嫌に眉を寄せる。
 冷たい夜風に当たり、身体の熱が冷めるまでもうしばらく待って、兵たちの元に帰ろう。
 この後、太史慈が辞退する時に「気をつけるべき相手だ」と口添えしたのは、もちろんのこと。





 このことへの戒めか、彼はそれ以来表舞台から姿を消す。劉表はあっさりと孫権軍に打ち破られたその後も、太史慈の華々しい活躍は見られない。
 なんの因果か彼らは同じ年に天に召される。
 あの世で「獲物」を捕まえたか、劉表。






*う〜わ〜なーんーだーこーれー。意味わからんと?!俺もわからんと(自分で言った爆)
いわゆる 視 姦 ですよ(爆バカヤロオ)書けてませんか。そうですか…
書きたかった割に、前フリの方が断然長いっていうか…あぅ。
劉表は鬼畜間違いなし!優柔不断の奥に隠されたサディスティックな本性。
ちなみにマジで劉表と太史慈は208年にそれぞれ病死しています(正史)書きながら発覚。笑った…
まぁ歴史とこれは関係ないけどさ(当たり前だ!)

どうでもいいことだけど、最後の最後まで孫策に見られて〜どう思っていたか、がひじょうに迷っていました。
目で犯す、つもりはないけどそう感じた……ってのも全然アリだったけど、やっぱり普通に友情ってことで、ナシにしました。カプではないんだよぉ。そんなありきたりなカプ、わざわざ書かねえさ(天邪鬼/つかそのシチュエーションはないだろ)
エロでもエロくもないけど、プレイなしでSMっぽい感じにしてみたかった。それが究極のエロと信じて。
……失敗したぁ〜やっぱ文才ないわ(06.11.11 鮭漁完了後/11.15 加筆)



*(090411足し)
究極のエロの考え方、だけは変わっていないことにビビる。おれってば、ちゃぁんとイカレた脳みそだけはデキあがってたのな。。うへぁ


タイトルは今つけた。だって無題だったから。
お題サイトより。→Fascinating


2006/11/11 08:23:14