おてんばちゃんが泣いている



 魔界と人間界が綯い交ぜになった世界。最終的には、男鹿とべるぜバブ4世が統合するまでにかかった時間は、わずか一年半。まだ男鹿は高校生のままで、だが魔王と融合した男。少なくとも人間ではない。物理的に説明しろと言われても、あり得ない現実なのだからこれ以上の言葉はない。ただ、一年前に比べてとても平和になったと感じる。悪魔もいるけれど、人間もいて。魔力なんてものはなくなって、悪魔は人間みたいなもので、人間も悪魔のようなものとなっていた。人間は悪魔の存在に驚き、悪魔は人間の汚さに驚いていた。これから統率されていき、悪魔は人間化し、人間が悪魔化していくのは肌で感じることだ。これは男鹿たちの仕事になるのだろうが、そんなことを男鹿がするわけがない。しばらくの間、二つの相容れないはずだった世界がごちゃつくのは目に見えている。男鹿はめちゃくちゃだ。こんなふうに世界を統合しておきながら、それを放っておくような男だ。世界は男鹿がいたから変わった。けれど、男鹿はそれに気づかないふりをして、悪魔のように人間のように、そして、魔王のように生きていくのだ。そんな男鹿を昔から知っている古市は、どうすることもできずにため息をついた。

 そんな混沌とした時から数年の時が経った。もう人間は人間で、悪魔も人間のようなものだった。魔力というものはすべて魔王によって吸収され、その魔王の存在はどこか彼方へ消えてしまったようだ。本当は存在していることを、石矢魔にいるいくつかの人間たちは知っていた。そして、悪魔の一部も知っているものがいた。けれど、知っていたところでだから何だというのだ。魔王もまた人間なのだということをも彼らはよく知っている。当たり前のように一人の青年として、ただ普通に暮らしているだけの男だ。男鹿辰巳、古市貴之、どちらもハタチを超えていた。普通に、ごく普通に成人式を終え、就職浪人の一人とし暮らしている、ただの人間だ。そのすべてを知っている古市はまたため息をついた。

「男鹿。イタメル来るんだけど」
「出会い系登録したのか?」
 よくある週末の光景。男鹿は古市の部屋でだらけていた。見せられたメールは文字化けしていて難解漢字と記号の羅列、来ているのはPCメールアドレスだろうか、見たことのないアドレスから届いているらしい。こんなメールが近頃頻発しているのだというのだが、こんなメールを見せられても何もしようがない。男鹿はすぐに古市のケータイから目を離す。興味も持てない。態度からも明らかである。
「してねーよ。出会い系いくほど飢えてると思うか」
「思う。」
 男鹿は本当のことを言ってくれるので、たまに、慣れている古市でも、さすがに傷つく。また、古市はため息をついた。

 雪が降る日だった。とても寒い。はあ、吐く息は白く、宙に舞って溶けるように消えていった。古市はここのところのバタバタの収まった空気の中、どこかやりきれない気持ちを感じ出していた。けれど、それがなんなのか分からなくて、言葉にもできなくて。そんなだから想いは胸の中でモヤモヤしているだけでずっとくすぶっていた。アルバイトをしている間だけは、仕事に集中していたから忘れることができた。だが、ふとした時に思うのだ。何を、と言われてもそれは言葉にならないのだけれど、言えることはなんだか物足りなくて、やりきれないような、虚しさに似た気持ち。そんな気持ちを忘れたいがために、誰かと一緒にいて、他愛もない話を望んだ。できれば可愛い女の子相手がよかったけれど、そんなに世の中うまくはいかない。男同士でくだらない話に花を咲かせよう。少し前に男鹿に話したイタメルについて話すことにした。それを見せたらバイト仲間は、「字化けじゃん」といったきりでそんなの知ってるよ! としか思えない古市は見えないようにため息をついた。

 バイトの帰り道は暗い。バイト時間は7時までなので、夏だと明るい日もあるが冬ではもう真っ暗だ。べつに構わないけれど、どうせ帰ってテレビかゲーム、あと寝るだけだし。朝から降る雪が足元に積もって、スニーカーではかなり歩きづらい。さくさくという新しい雪の音が耳にやさしいような、つらいような。家の近くにいくにつれ、電灯の数が減っていく。つまり、田舎になっていくということだ。道は暗いが雪の灯りが明るく感じる。にのみやけんじかよ、と独りごちた。誰もいない夜道は冷えるだけで何の得も訪れない。さくさく。ざくざく。足をとられる。雪に足を奪われる。ぼすっと音立てて、古市は割と派手に転ぶ。雪のせいでケガもないが、地面から攻撃されたんだ、痛くないわけもない。かっこ悪いがこんな夜だ、誰も見ていないだろう。古市は悪態づきながら立ち上がる。膝が笑っている。ちぇ。顔を上げる前に、笑い声が聞こえた。しかも、女の子の笑う声。
「アッハハハハ、ドジだねーっ」
「そんなに笑うことないだ、ろ…」
 顔を上げながらその声の主を見ると、そこには懐かしいピンクの髪が揺れる美少女がそこにいた。もう何年も会っていない。そう、男鹿がベル坊と融合した時に、魔界に帰ったはずだった。そして、魔界は無くなって、でもどうなったか分からない。存在そのものが消えたのかもしれなかったし、本当は悪魔たちとの過去なんてあったかと思うほどに、音沙汰なかったのだ。
「……ら、ラミア?」
 古市の声は上ずって、震えていた。寒いからではない。目の前にラミアがいることが信じられなかったのだ。魔界の生き物すべてが生存しているとは限らなかった。だが、彼女は無事だったらしい。まだ幼い顔をしているが、だいぶ前に比べれば大人っぽくなったように見える。が、暗いせいもあるかもしれない。だが、すぐに子供っぽく膨れたような表情になった。ラミアらしいといえばラミアらしいと感じる。
「何よぅその顔。メールだって何回か送ったのに、返事もよこさないで」
 合点がいった。あのイタメルはラミアからのものだったのだと。どうして文字化けしていたのかなんて後から聞けばいい。どこか薄ら寒い風が吹いていた心の中に、温かな風が流れ込んできたのを感じる。そうか、俺、もしかしたら…思ってたよりラミアたちのことを心配してたのかもしれないな。そんなふうに思いながら古市はゆっくりとラミアの方へ歩を進める。
「寒いだろ。俺、今から帰るとこだからさ、うち来れば?」
「……うん!」
 ラミアがはにかむみたいに笑った。古市はため息混じりに困ったように笑った。

 思ったとおりメールは、ラミアからのものだった。だが、大半はラミアじゃなくてアランドロンからのメールも多かったようだ。アランドロンは元気にしているらしい。今は娘のアンジェリカと一緒にいるとか。へぇ、とちょっと意外に思ったりもする。フォルカス先生は今、人間の医者らとともにてんやわんやしているらしい。魔界では指折りの医者なので、そちらの第一人者として動くことになるようで、ラミアもしばらく会っていないのだそうだ。悲しそうに目を伏せてラミアは語る。魔界の空気の濃いところから送ったせいで字化けがあったのかもしれないとラミアは推測している。古市にしてみればどちらでもいいけれど。どんな内容のメールをよこしたのかと聞いたら、拗ねたような表情をして顔を背けてしまった。内容なんて聞かなくても分かる。近況とか、今日戻ってくると決まったのならその予定だとか、そういった報告業務的なものだろう。勝手にツンツンしているラミアが懐かしくて、古市はからかいたくなってしまう。
「古市好き好き〜。会いたくてたまんないー。とかそういうメールくれた? 俺そういうメールならいつでもオッケー」
「…バカっ!!」
 冗談でいったのに、急にラミアが大声で叫んで、そして泣き出した。これはどうしたことだ。古市は驚きに目を見開いたまま、ただその様子を見ていた。ボロボロと流れる涙が、ラミアの頬を伝ってこぼれ落ちた。なぜ急に泣き出すのか。そして、できる限りのやさしさでラミアの髪を撫ぜた。まだまだ子供なのだろう。展開にまったくついていけなくて古市は盛大にため息をついた。

 ラミアが気が済むまで泣いてもらった。というか、そうするしかないだろ。なんで泣いてるのかとか、とりあえず泣き止むまで待つしか聞きようがない。ピンクの髪がとても懐かしい。高校時代のことを思い出す。悪魔も人間ももう大差なくなってしまったこの世界で、ラミアやアランドロンやヒルダや、他の悪魔たちはどんなふうに感じているんだろう。ラミアがぐずぐずいうのを聞きながら古市はそんなことをぼんやりと思った。
「大変だったの。フォルカス先生は大学?とかってとこに缶詰だし。アタシ、どうすればいいか…わかんなくてっ、不安で」
 話を聞けば聞くほど大変なことになっているようだ。ベヘモットのうち頭脳派の数人が人間界と魔界の統率とかそういったことに動いていたらしく、フォルカスはその最たる人物となり医療関係もそうだが、法律などの関係の魔界側の一人者として人間界とのつながりがとても深くなってしまったのだそうだ。もちろんラミアはそんな先生に近寄ることもできなくなってしまったが、医療関係については助手ということでいくらか関わることもできたのだそうだ。しかし、フォルカスは手の届かない遠いところに行ってしまい、どうすればよいか分からず、ヒルダやヨルダなどとはまったく連絡の取れない状態で、来るのは焔王からの意味不明なラブコールばかりで不安は一層募っていたのだという。その焔王はといえば、今は保護されているため自由はままならないというし、ベルぜバブ3世、つまりベル坊のオヤジは行方不明だとか。分からないことが多すぎると焔王もこぼしているということだ。
「焔王のとこに行こうとかは思わなかったの?」
「バカ市っ!」
 また大声を出された。古市は思う。焔王のところへいけば、少なくとも不安は解消されるのではないかと思ったのだ。さっきも少し叩かれたが、またポカリと胸を叩かれた。ポカポカポカ。なんだか恋人同士のじゃれあいみたいなくすぐったさがあるが、黙っておこうと思った。もうラミアも昔みたいな少女じゃないのだから。顔を上げたラミアの目は再び濡れていた。その圧倒的な視線に気圧される。
「アタシだって、考えたよ? 焔王は、苦手だけど、でも、って」
「うん?」
 ラミアが大人しくなった。古市の胸に手をついたまま心臓の音が聞かれそうな位置で俯いたままだ。この体制って抱き合う感じの位置関係だよなぁ、と古市はふと思う。甘える相手がいなくて、探した結果ここに来ることにしたのかもしれない。ラミアが唸るような声を発しているが、ほとんど言葉になっていない。落ち着くまでこのまま待つしかないだろう。
「でも、そういうとき……る市を、思い出して…っ」
「うん。そうだよな……、急に、保護者もいなくなって、不安だよな…。魔界もなくなっちまうし、人間界と魔界ぐちゃぐちゃになっちまうし」
 またラミアがぐずぐずいいだした。泣くヒマもなかったのかもしれない。しょうがない、今日はとことん付き合ってやるか。ラミアは妹のようなものだから。妹のほのかよりももっと、心配の多い子だから。周りのヤツらからはロリコン呼ばわりされて、勘違いされてたけど。
「焔王のとこは、安全かもしんないけど、…でも…、古市、いないしっ」
「あ?」
「…古市の、とこがいい」
 古市は、言葉の意味を素直に考えた。素直に捉えようとした。だが、どう考えても、古市は煩悩の塊なので。穿った意味に捉えてしまうようで。見上げるその縋るような涙目が、とても女っぽくなったな、なんて思えてきてしまうのだ。
「古市のとこがいい……」
 聞こえているだろう。古市の心音がドカドカと鳴りはじめているのを。それを聞いておかしな勘違いをしませんようにと、古市はラミアの髪の分け目を見下ろしながら、抱き締めたい衝動を必死で押さえていた。これが『フラグ立った状態』なら幸せなんだけれど。そんなことを思いながら、古市は胸の奥でまた一つ、ため息をついたのだった。


14.02.09

今まで書いたことなかった古市とラミア
古市とため息というのが、今回のテーマ
しかも、べるぜの近未来っすw

(さすがにこの設定ねぇだろって思うんだけども、、)


これが多分バレンタインネタに一番近い何かかと。バレンタインとか関係ないけどねw

ここから進むのか、変わらないのかは、ラミア次第かなぁと思います。
つづ、かない。
と思われ。

題、おどろ
2014/02/09 14:40:17