深海にて14


ひとつを知ること
それは、ほかを知ることでもある
それを、君にふれたときから知って
それはきっと、痛いほどの幸福感も伴うから
もっとと願うんだ
ひとつを知っただけで。


*****


「ったくよー」
 頭からかどこからか分からない感電からの煙を噴き出しながら男鹿は、ようやく泣き止んだベル坊をあやしていた。泣くんじゃねえと何度言っても子供は泣く。当たり前だけど勘弁してくれと思う時に限ってそうなる。邪魔されてんのかな?そんなふうに思うことすらある。男鹿はうたた寝していた。いくら慣れたとはいえ疲れることなのだ。うたた寝する男鹿の隣でヒルダはベル坊と遊んでいた。眠るその顔を見ていた。前よりは魔王の親らしくなったろうか。ヒルダは疲れた横顔を見てそんなことを思う。だが答えはないし、親らしくなったともあまり思えなかった。それでも選ばれたのだから、ヒルダはベル坊について行くのだから必然的に男鹿について行くのは当たり前だ。それに異論はない。何よりらしくなくても、これだけの力が出せるのは男鹿しかいないことも分かっている。ゼブルスペルの刻まれた手に、手を重ねた。気のせいか魔力のせいかわからないが、紋様の部位が温かく感じられる。窓の外へ目をやると、もう暗くなってきている。夕闇が迫っている。赤と青が交わる時間。黄昏時というそうだ。ヒルダはメロドラから学んだ。この時間帯の空がヒルダは好きだ。魔界に似ているから。燃え盛る赤と包む闇の色が交わる世界がどこか、人間界なのに魔界に似ている。そして夜闇は魔界に近づく時間だ。だから魔族のものは夜を好む。暮れなずむ太陽を見ていた。時間が経つのも忘れて。
 気が付くと、ニヤニヤしながら男鹿姉である美咲が二人の様子を見ていた。薄闇になってきていたので気付くのが遅れた。
「お帰り」
「なぁんか、あんた達ってお似合いだと思うんだけどね〜。まだ信じらんないよ私」
「邦枝のことか」
「そうそ、なんか残念」
 美咲がツカツカと歩み寄ってきて弟の頭を軽くはたく。だっ、とベル坊ですか的な声を出しながら男鹿は眠い目を擦ろうとしてその手が重いことに気付いてそちらを見る。ヒルダの手が乗ったままだ。その手をだるま落とし要素で抜いてから背伸びをする。そして男鹿はヒルダを見た。目が合う。間がへんだ、と思う。
「何だ、おかしなものでもついてるか」
「邦枝の夢みた」
「惚気か」
「って、うお。姉貴」
 話もそこそこに男鹿は姉美咲の姿にようやく気づく。暴力姉なので苦手といえば苦手なのだ。頭をやられたことにはまったく気づいていない。反射的に寝起きはベル坊に手を延ばすのが当たり前になっている。あくびをしながらでもベル坊を触る。どこか微笑ましいいつもの光景である。そこで美咲がまた口を出した。
「子供取り合っちゃって。新婚夫婦みたいに見える」
「取り合ってねぇよ」
 あーとかだーとか言葉にならない言葉をいうベル坊を二人でいじくりながら男鹿はベル坊にもしゃもしゃと顔を触られている。この光景だけ見れば、確かに生まれて数ヶ月の赤ん坊ににこやかにてんやわんやになっている若夫婦に見えなくもない。そういう姿が学校でも話題になって最恐夫婦だのと噂されたことが懐かしい。
「たださぁ辰巳」
「んう?」
 ベル坊に顔をいじられながらのため、男鹿の声はくぐもっている。目だけ上げて姉を見る。姉には特に表情が分からない。感情のこもった目はしていないので読めない、といったところだ。こういう時の姉はやばい。どこから決まり手が飛んでくるか分からない状態なのだ。気をつけなくてはならない。
「私から見ると、ハッキリしないんだよねぇ…。あんたの態度ってーかさ」
 姉のいっていることがよく分からない。男鹿は眉を寄せた。姉は睨んでいる。弟はこれにも勝てない、いつも目を逸らすのは先だ。
「葵ちゃんと、どーなの?」
「…フツー」
「乳繰り合っておろうが」
「アダーブー」
 風向きが完璧に姉とヒルダの方向へ向かっている。この向きはやばい。根掘り葉掘り何かを聞かれることは明白だ、そう思った。逃げる手立てはあるか。こんな時に限って古市から連絡も来ない。ケータイをチラ見したがランプの類は一切ついてる様子なし。というよりか、こんな時に古市がいたとしたら結託しそうでもある。二人に睨みつけられている。否、囲みにあっている。姉とヒルダの手がゆったりとワザとらしく伸びてくる。
「そうじゃなくてぇ、大丈夫なんでしょうね辰巳」
「姉上が心配しておるぞ辰巳」
「ダブぅ〜」
「何がだよ、大丈夫って何がだ意味わからんしもういらん」
 何がどうしてか下の名前で呼ばれまくるし、ハッキリした話がされないからイライラするし、恋人の話をワザとらしく聞かれるのも居心地が悪い。ここから逃げるために何かないかと考える。探す。と、その時、最高のタイミングともいえるその時に、着信音が流れた。曲はベル坊が喜ぶので数か月前から聖飢魔IIの『蝋人形の館』になっている。鳴るたび喜ぶ。今もそうだ。男鹿の腕の中ではしゃいでいる。電話の相手が誰かも見ずにケータイに出る。
「もし、誰……邦枝?」
 このタイミングってどうよ? ちょっと恥ずかしいタイミングではあったが、内容を聞く前に男鹿はうまく逃げ出す糸口を掴んだ。内容を聞く前に男鹿は勝手に話した。幸いベル坊は男鹿の腕の中にいる。立ち上がりながら話す。どうせ葵は泡食いながらも断らない。断られたらそれはそれでどこかでぶらつけばいいのだ。
「分かった、すぐ行く。家でいいか? 待ってろ」
 尻ポケットに財布を入れただけの着の身着のままさっさと部屋から出て行った。美咲とヒルダは冷めた笑顔を浮かべてこういった。
「…ふん、逃げたな」と。



 とりあえずベル坊を背中に背負って男鹿は葵の家へ向かった。近づくにつれ、一刀斎の姿が脳に過る。いないの希望。でもいる率高し、老人会でも行ってろと胸中穏やかでない。家の前の門の前で足踏みする。邦枝宅に近くに来るとベル坊も分かって喜び出す。こんな調子だから血がつながってるじゃないかとか周りからからかわれるのだ。男鹿が素直に表せない気持ちを子供が代弁してるんじゃないかだとか。そんなこと教えていないし、素直じゃないつもりもない。来たいから来てるんだろ、と男鹿は割と普通に感じているのだ。心の準備にと息を大きく吸って吐いて、これを×3回、そこでようやく門を押し開けて中庭へ。ここで大体一刀斎のじーさんに会う。
「どーも、じーさん」
「また貴様か」
「お邪魔っす」
「…フン」
 顔を見ないようにしてやり過ごす。これが葵がいない今だといつもよりもどちらも不器用なので、もの凄くギクシャクしている。分かっているけれど男鹿にせよ一刀斎にせよどうしようもないのだ。葵の部屋に向かいながら男鹿はふと思う。ほとんど葵の家に来ている。男鹿の家にはあまり招いていない。というか、家族もしくはヒルダがいることが多いし、頭数の問題もあり家の中に誰かがいることによっていちゃつくのも憚られるためだ。分かっているけれど、やっぱりいちゃつきたいというのが大前提にあるし仕方ないことなのかもしれない。そういうのって女は鋭いみたいだし、また面倒なことをいってきたりすることもあるんだろう。古市の入れ知恵はこんな時に意外と役立つ。さすがにたまにはあんまりいちゃつかないようにした方がいいかな、などと一刀斎からの突き刺さるような視線を受けながら男鹿は家へ上がって葵の部屋の前でノックした。背中ではベル坊が『だだだ』を下手くそに歌っている。
「男鹿。どうしたの急に」
「入っても大丈夫か」
 葵がそろそろといった調子でドアから顔だけ出すと男鹿とベル坊がそこにいだ。葵は男鹿が上がる時に必ずこう聞いてくれることで安心している。これは何度も足を運んでいるというのに変わらないところなので、おおよそちゃんと線引きをしてくれているのだと思えば安心できるのだった。ちなみに、古市の部屋に上がる際にはまったく妥協していないらしいことは古市が文句をいっていたため聞いてはいるものの、そこは男女の違いと関係の違いをちゃんとしているのだということで、女子が見るポイントとしてはかなり高いだろうと思われる。さらにいうと、こういうフェミニスト的な部分は男鹿美咲からの教育によるものであると考えられる。
「うん、大丈夫」
 男鹿を招き入れると二人で座った。否、三人か。明らかに疲弊してる感がある男鹿の表情に何かあったと想像がつく。聞かずとも男鹿は葵に話をする。本日の姉とヒルダからの囲みにあった件について。あとは男鹿少年のぼやき。念のためノムさんのぼやきではない。
「意味わかんねぇんだよなぁ…、めんどくせぇし」
「心配してるんじゃないの」
 そうかなぁ、と男鹿はボソボソいう。別に心配されるようなことじゃない。単に葵と男鹿が恋人になったよというのが学校とか周りとかでも公認になったというだけのことで、心配される何物でもないはずだ。ただ美咲と葵は確かに、レッドテイルで関係がまったく関係ないわけじゃないのも知っている。男鹿にしてみればレディースも不良もレッドテイルも何もどうでもいいと思っていたし、葵がやめようがやろうが好きにすればいいくらいの気持ちなのだ。葵がやめたといいはっている意味も分からないし、分からないことだらけだ。
「なんていえばいいかしら……えっと、こういう質問って、デリカシーないと思うかもしれないけど…その、今まで、こういうのって、なかった、でしょ?」
「こういうの?」
「……こ、こ恋人」
「…ああ、そういう意味。そーだな、ねえ」
 まだ恋人ですというのが照れる。顔が赤くなるのが分かる。男鹿はといえばあっけらかんとしている。男鹿のアッサリと答える様は、葵の心をそれだけで溶かす。もちろん葵にしてみても初めての恋人なので、どちらもそれが同じだということはすごく嬉しいことだ。男鹿はそういうことをあまり感じないのだろうかと思う。…聞くまでもない、考えなさそうだ。
「だから、その、色々心配してくれてるんじゃないかと思うのよ」
「それって本人たちの問題なんじゃねぇの」
「そうだけど…」
 不意に男鹿の手が葵の手と重なる。あれ、と思って葵が男鹿の顔を見ると、触れるようなキス。男鹿は急に何の前触れもなくこういうことをしてくる。男鹿に聞いてみれば別の事情とか前触れについて何かあるのかもしれないが、さすがにそんなことをいちいち聞くほど野暮じゃない。こういうささやかなというか、くすぐったいような、子供みたいな感じの触れ合いは好きだ。執拗に迫ってくる時もあるし、今のような時もある。すぐにさっきまでと同じようにテーブルを向いて座り直す。そして何もなかったみたいに、
「邦枝んとこのじーさんほどじゃねーぞ」
「うーん、おじいちゃんはねー…」
 ふと何かを感じ、二人揃ってドアの側に目をやる。すると、そぅっと、一刀斎がいた。幽霊のように。今まで持ってきたことのない茶菓子とお茶などを小盆に乗せて。なぜか竹刀も腰に、刀みたいにさしてあるけれど、これはいつものことなので気にしないことにしておく。だが。
「ぅおぁちゃーー!」
 男鹿にお茶が飛んできた。ちなみに、熱湯なので火傷します、気をつけろ。あと、ギャグでもシャレでもない。お茶がかかった左腕が熱くてガバッと立ち上がり、今度はその動きにビックリしてベル坊が泣き出し雷が落ちる始末。これでは葵でも助けることができない。どうやら男鹿辰巳、本日厄日というやつのようである。ベル坊が泣き止んで座れるまで、この騒動に落ち着くまで十数分ほど経過。

「お主らが付き合っているのは、知っている。だが!」
 一刀斎は明らかに怒っている。どういうわけかお寺の坊主の修行のように、男鹿と葵は道場のがらんとした空間の中、二人で正座させられていた。なぜかベル坊は一刀斎と一緒になって胸を張って仁王立ちのポーズ。もちろんフルチン。どうして一刀斎側につく。
「──せ、接吻など。接吻など!!」
 時代錯誤の一刀斎がほざく。高校生の分際で〜と続くのだが、そもそも高校生でそんなこともしていないのはハッキリいうと珍しいだろう。しかし、まさか見られていたのがまずかったのだ。そんなことをしょっちゅうしているのか、それで修行にも勉強にも身が入っていなかったのか!ときたものだ。親代わりなのだし分からなくもないが、だんだんとどうでもいいことまで絡めて話すものだから参ってしまう。男鹿が言葉を発しようとしたところ、竹刀が肩を勢いよく叩いた。なかなかにいい音も道場内に響き渡る。もちろん開きかけた口からは何も言葉にならなかった。ちゃんと効くように打ってくるのが汚い。
「おじいちゃん!!」
 さすがに黙っていられなくなって、今度は葵が立ち上がる。もちろんかわいい孫なので急に打ち込んだりしない。これは贔屓だ…男鹿は心の中で舌打ちした。だが身体はまだ痛みで痺れたようになっている。
「いい加減にして! 男鹿は何もしてないじゃない」
 男鹿は思っていた。孫のチューシーンは年寄りにはきっと刺激が強かったんだ、そう思うことにしておけばいいんじゃないかと。どうでもいいところは、とてつもなく心の広い男っぷりを心の中だけで発揮していた。単に幸せなので許してやろうとかその類だったかもしれない。口に出さなければ何の意味もないのだが。
「しておったろうが!」
 一刀斎の怒号は道場が揺れる。一瞬、葵は怯む。だが、それには慣れてもいた。否、孫には弱いのだということを幼い時から葵は知っているのだ。大事にされてきただけに。
「あ、あれはいいのよ。それに、普通のことじゃない、何が気に入らないっていうのおじいちゃんは!」
「葵、お前も最近たるんでおるぞ」
「う……」
「好きだのなんだのといって修行も勉強もおろそかなんじゃないのか?ん?だから早いというんじゃ、学生のうちにどうのこうのというのは」
「ジジイ」
「ぬ?」
 パッと男鹿が葵の手を取って立ち上がる。
「モーロクしてんじゃねえよ。学生なんだからよ、好きなら好きなだけ、好きでいいじゃねえか」
 そこからは早かった。男鹿&葵の二人のツープラトン攻撃がまともにヒットして一刀斎が倒れた。完璧に伸びていたらしい。一刀斎が起き上がった時には二人と魔王の赤子の姿はなく、葵の部屋からも人の気配はしなかった。そのままの態勢でしばらく動けなかった。口からは溜息しか出ない。



 二人は攻撃ののち、すぐに家から逃げ出したのだ。男鹿家からも逃げて、邦枝家からも逃げた。行くあてもないけれどそれでも構わなかった。なぜか笑が止まらなかったし。おかしくてしかたない。今日のこの日にあったことがすべて。きっとそういうことなんだろう。うまくいかない日があっても、うまくいく日があっても。ずっと手を握ったままで走ってきて、寒い季節なのに身体はポカポカしていた。笑っていたせいもある。
 行くあてがないので走ってきた先はなぜか学校だった。不良学校なので部活をしている生徒もなく、学校はがらんどうになっているはずだ。テストの時期なら答え合わせのために出勤してくる教師などもいるかもしれないが、そういう時期でもない。門は登って飛び越えた。玄関周りはうろついてみたけれど特に開いていないらしい。それもまたおかしくて笑えてくる。何こんな意味ないことしてんだよ、と笑えるのだ。
「でも、夜どうしよ」
「いいんじゃねえの?帰れば」
「自分のことじゃないからって」
「他に帰るとこねえだろ」
 一刀斎の気持ちがまったく分からないわけではない。もちろん人の親になったことはないのでちゃんと気持ちが分かるわけでもないが、別に一刀斎が邪魔をしたいだけじゃなかったのは理解できた。だからこそ、今まで何も言わないでいてくれたのだ。だが、逆上してしまったのだ。思いがけないものを見せられて。見せたわけじゃないのだが、いちゃつくのは本当に難しいと感じるばかりだ。
「なら、早めに帰った方がいいんだよ」
「そりゃそうだけど…」
「悪いことしてるわけじゃねえし。殴んなくてもよかったかもしんねえけど」
「んー、でもおじいちゃんが」
「ま、いっか。だろ」
 二人でいると何でもおもしろくなる。笑えることに変わる。いつもなら、他の誰かと同じことをしてもきっと。こういうことなんだろう、理屈じゃなくて。
 日が暮れてきたので、帰ることにした。何だかんだと理由をつけては悩む顔をする葵にそのつど「まぁいっか」「べつにいいだろ」をいった。唱えるみたいに。きっとこういうことなんだろう、という意味でだ。今日はいつもよりもよく話をした。葵の手を離しながら男鹿はいう。
「なかなかゆっくりできねぇなー、ベル坊もいっし。でもこいつで、落ち着くような気がする」
「これぇ?」
「ベル坊も好きだぞ」
 つないだ手を離すと、物足りない。今日見た夢のことを思い出す。葵の夢を見た。覚えていないけれど、たぶん楽しかった夢。夢の中でも手をつないでいた。


14.01.26

申し訳ございません…!
途中で若干ブレました…。
男鹿くんの厄日の回って感じかな?

でも、なんだかんだでラブラブです
しかもエッチくないのが、なんか自分好きですよ。


いろんなキャラと絡むようにしていく展開を入れ込んでみました。
深海にてを応援してくださるみなさん、いつもありがとう。まだしばらく終わらないのでぼちぼちいきます。
気長に応援してください。
あ、もちろん応援するのは、お二人さんのこと!
ネギのことじゃねっすよー。

2014/01/26 19:16:22