深海にて12

※ まだつづく骨休み回


■ 男鹿一家のある日

 青タンになっている頬からは、ずくずくと鈍い痛みが襲う。だが、だからといってなんなのだ、ケンカをしていればこんなもの痛くはない。何も感じない。だって、ケンカは痛いのが当たり前だから歯を食いしばってでも、その痛みなど気にしないようにできる。だが、ケンカではなくてただ一方的に殴られ、そして、やり返すことなど到底できないというこの痛みについてはどうすればよいのだろうか。男鹿はそればかりを考えていた。だって、腑に落ちない。けれども、相手のパンチの理由は分からないでもない、勘違いなのだが。男鹿は黙ったまま頬の腫れを冷やしていた。と、その時、父がソロソロと足音もなしに近づいてきて、ノックをする。もちろんノックは形ばかりだ。ドアは開いていたから。ヘコヘコした態度はいつもと変わらない。ただ、メガネのキラリ具合がいつもよりも輝かしい。そう思うのは気のせいだろうか。男鹿は、息子として父を拒否しなかった。

「大丈夫か」
「……ああ」
 隣に座った父は辰巳にまずは怪我の具合を尋ねる。腫れた頬はケンカの時よりだいぶズキズキしたけれど、いずれなくなる痛みなので気にしないようにした。辰巳はできても父はそんなことはできないらしいことは、小学校の時から知っている。気持ちの分かり合えないだろう父子だけれど、そうとばかりは限らない。ケンカについて分からなくても、それ以外で伝うことはあるのかもしれない。
「ええと、辰巳……。お前の恋人は、邦枝ちゃんで、いいんだよな…?」
 わざわざ、んなことを確かめに来たのかよ。辰巳はそう思ったけれど、それをあえて言い返しはしなかった。なぜなら、父ならこっちが喋る余裕はくれる人だと分かっているからだ。父の答えに頷いて返事を返す。もちろん、そうだ、という肯定の意味である。

 男鹿の両親は勘違いをしていた。ずっと。マカオから来たヒルダと付き合って、子供まで作ったのだと思っていた。だから一緒に住むのは当然だと。だが結果は違った。マカオから来たヒルダの連れ子と男鹿との関係性は不明。どうやら男鹿の子供ではないらしいが、育てることを承諾した。ヒルダとの恋人の関係はないらしく、実際は葵と恋仲になって今はよろしくやっている。だが、ヒルダはどうするのだ。ベル坊は? 理解に苦しむ要素はたくさんある割には、揉めてもいない。だから男鹿家の女連中が立ち上がったのである。男鹿父の必殺技が土下座、超必殺技はスライディング土下座となったのは、暴力女衆に勝てないためである。口より先に手が出たのは公然の事実といえよう。

 葵からは悪魔の話や魔王の話は家族にはしない方がいいと口止めされていたけれど、辰巳少年は父に話した。父の はすべてを信じたり理解したりしたわけではないだろうが、おかしな反応をした。両手を叩いてなぜだか嬉しそうだ。よく分からない父親である。辰巳は訝しがりつつ父を見やる。
「いやあ、僕は弱いから、昔っから悪役の方が好きでさ! ウルトラマンより怪獣派っていうか。要は、天使より悪魔の方が好きだ、っていう」
 何か言ってる…。息子は内心、頭を抱えていた。我が親といえど、おかしなオヤジだ。頭が痛んだ。ランランと目を輝かせる父のハゲ頭が眩しかった。物理的な意味と、比喩的な意味で。
「まあ、ヒルダは……違うからよ」
「小悪魔的な雰囲気あると思ってたんだよ父さんは」
 母はどうしてこのハゲ男と結婚したんだろう。男鹿少年は不安が募っていた。しばらく男鹿父の好きな悪役キャラクターの話になった。色の変わった頬がズキズキと傷んだ。
 ひととおり父親の話が終わると、辰巳少年は頬を冷やすアイスノンの向きを変えた。まだ熱は収まっていない。
「で、オヤジは何しにきたんだよ?」
 父はあっというような顔をしてから決まり悪そうにハゲ頭をかいた。忘れてたのかよ。男鹿はイラついた。痛みのせいもあるし、この父親というおっさんが気が弱いせいもある。すぐ土下座するし。
「邦枝ちゃんのことはどう思って、その、ヒルダちゃんじゃなくて、選んだのかなあと思って」
「今までの話、聞いてたのかよ」
「もちろん」
 話した上でこの質問はないだろう。息子はまた溜息をついた。父を買いかぶっていたのかも。



■ 邦枝葵とコマちゃん

「近頃どないなってますのん? ワイの出番なくて寂しい思ってんけど」
「どこ見ていってんのよ…」
 葵につく悪魔の類の一種である狛犬のコマちゃんが不意に表れた。コマちゃんが注目しているのは葵の胸元である。こいつ、絶対隠れて見ている。何を? ──ナニを。とりあえず恥ずかしがる葵を見るのも喜びそうなので、葵はツッコミを入れないでおく。言葉にはしないが読んでくれてる人にも伝わるだろうと思うので割愛する。
「ワイの能力で分かるんやで」
 どうせ碌な話じゃないことはわかっていた。ならば頭にくると分かっていて聞く必要はない。葵はあえて聞かなかった。というか聞きたくなかった、だいたい想像つくし。コマちゃんの魔力がずズズッと音を立てるみたいに増していく。葵は驚きの目を向けた。前に感じた時よりその勢いを増している。葵はそんなふうに感じた。見上げると、コマちゃんが覚醒したというべきか、本来の姿でそこに立っていた。黒いオーラを纏って。下級悪魔の一種とヒルダにいわれた何らかの魔物だ。コマちゃんは葵を黒いオーラでくるむようにしつつ後ろからくっついた。禍々しい姿で笑っている。神のようで、悪魔のようだと葵は思う。やがて黒いオーラは葵を抱き締めるようにその身体をぐるぐるとまとわりつく。胸をやさしく揉むような動きをする。やっ、と葵は身を捩った。
「オッパイ、ちょーーと大っきくなったみたいやでえ、あんガキに揉まれ吸われたからやろ? どないや? 男もエエやろ?」

 もちろん、葵は黒いオーラをすばやく振り払い、裏拳をするとちゃあんとコマちゃんにクリーンヒットした。痛みに弱いらしくいつものふざけた姿に戻りながら鼻血を垂らしていた。ティッシュで鼻血を拭き拭き、しきりに痛い痛いと何度もごちている。
「葵ちゃん、あんさんはこれからもっともっといい女ンなるで」
 口には出さなかったが、オッパイも大きくなったし感度はイイようだし、すごく濡れ易いし、無意識で寝てる時にオ×コ触ってるしetcエトセトラ…。口に出すと殴られるので止まらぬ血のせいで鼻に詰めものをしながら、愛らしい笑みが消えなかった。そうしたら、何も言っていないのに葵からキックが来た。どうせ食らうんなら、言った方が良かっただろうか。コマちゃんは吹き飛びながら悲しみにくれていた。葵が言うには、
「どうせスケベなこと考えてるんでしょう」
 口に出さなくて正解。出したら最後、地獄にも行かれへん。顔にも、出さないように気をつけないといけないのだとコマちゃんは思ったのだった。



■ 男鹿辰巳と古市貴之の電話

「はい男鹿。あ、何だ古市か」
 最近の俺の扱いひどいよな、と古市は悲しく思いながら何だはないだろと文句を言う。
「邦枝先輩なら良かったかよ」
 そういう話には慣れているので男鹿は取り合わない。古市がいうことももっともなのだし。古市よりも恋人から電話がくるほうが心が踊る。当たり前だ。古市に恋人ができたなら顕著にそれを出すだろうことは、簡単に予測できる。
「何か用か?」
「冷たくねえ? 最近、お前から連絡こないから気になってんだよ。邦枝先輩とうまくやってんのか、って」
「ボチボチだ」
「短けぇ」
「……姉貴に殴られた」
「はあ?」
 ことの顛末を話した。父親とのことも。どうせ男鹿姉から古市場聞き出すだろうから先にいっておいたほうがよさそうだという狙いもあった。だからちょっと声こもってる感じなのか、と頬の腫れた珍しい姿の男鹿のことを古市は想像した。意外と愉快だぞ。結構、鬼畜なことも思っていた。
「まぁ勘違いするよなぁ…みんな信じ切ってたわけだし。美咲さんはどうなんだろな? ヒルダさんとも邦枝先輩とも仲いいだろ」
「浮気、っていわれても……勘違いだからな」
 父親のこともぼやいた。わかってるのかわかってないのか分からん親父である。溜息ばかりがでる。男鹿の返答はどうだったのかと古市は聞いた。男鹿は恋愛ごとに積極的な方でもないし、考え方としては古風な方だ。だからまさかこんなに早くエッチしてしまうなんて思ってもなかった。それはどんなふうに思っているからやったのか、男鹿の口から聞いてみたくもあった。
「好きだから付き合ったとかそういうことじゃなくて、付き合ってから好きになった感じだけど、今はすげえだいじだっていう話は、した」
 古市は少し寂しくもあった。
 いつまでもガキのようなケンカバカのこの男が、こんなことをいうなんて。大人になったなあって気もするし、だんだん離れていくなぁって感じもした。複雑だけれど、もうやさしい気持ちしかない。はあ、と大きく息を吐いた。
「お前から、そんなセリフを聞くことになるとは…」
「「女の人って偉大だねえ」」
 カブった。古市が息を飲んだ。
「オヤジがいったんだよ。お前もか」

 古市はケータイをテーブルに置いて、それをボンヤリと眺めていた。通話が終わってからも、しばらく遠い目のままだった。本当に思う。女の人は偉大だ、とても。だって、あんな男鹿をこんなふうに人間らしく、男らしく変化させてしまうのだから。



■ 男鹿と早乙女禅十郎

「よう、良かったかじゃねぇかクソッタレ」
 何を。といおうとしたが、そのニヤニヤ面と握り拳の中指と人差し指に親指を挟み込むポーズをするものだから、ウブな男鹿でもすぐに意味がわかった。なぜ、どうして、男鹿と葵との関係が誰にも彼にも明らかにされているというのだ。しかも、教師にまで。男鹿は堪らず真っ赤になった。これでは葵のことをバカにすることもできない。
「不順異性交遊? だっけ、ンなこたぁいわねえよ。少なくとも俺はな。ま、てめえのケツの拭けねぇことだけは、すんなってこった」
 男鹿は何と答えれば良いか、むしろ、まともに早乙女の顔など見れるはずもない。恥ずかしくて堪らない。しかし、この石矢魔という場所にはプライベートというものが存在しないのだろうか。すべての情報が垂れ流しになっているような気がしてならない。嫌な顔をしていたのはさすがに早乙女の目に留まったらしく、早乙女はバカにしたような見下した笑みで見返してくる。
「で、ちっとお前さんの力を見せちゃあくれねぇか?」
「…あ?」
 伝説のスペルマスターは、ノーモーションから手を軽く掲げるとその手元には見覚えのある紋章が浮かんだ。どうして急にケンカを売ってくるのか、さすがの男鹿にも理解できず、そのまま窓の外へ吹き飛ばされた。ちゃんと狙ったらしく、校舎は壊れず窓ガラスだけが割れただけで済んだ。ガシャアァン、と鋭い音が辺りに響いた。男鹿を追って早乙女は窓から飛び降りた。二人の黒っぽい男が窓から落ちてゆく様に、気づいた人たちはあっと声をかけるまでもなく、その落ちる前の空中の攻防戦を眺めることとなった。数々の紋章が辺りを照らしていた。まるで、悪魔だ────そう呟いた生徒の言葉はあながち間違ってはいない。それは、なんという巡り合わせだろうか。ほぼ同時に二人が校庭に着地すると、男鹿の身体が紋章で包まれ、動けなくなった。早乙女が構えたところで、何もしていないはずなのに早乙女が門の方まで吹き飛ばされた。一人芝居のように見えたが実は違う。男鹿も早乙女も、地面にトラップを仕掛けていたのだ。発動の時間が若干違っていたというだけのことだ。やがて男鹿の紋章がスルスルと解けてゆく。早乙女は両手を軽く上げながら首を横に振った。降参の証である。これ以上ここでやったら、また校舎が壊れてしまうだろう。これ以上は避けたい。
「悪りぃ悪りぃ、ちっと見させて欲しかっただけだよ。しっかし驚いたな、修行もしねえでこんだけ魔力が上がるたあな…」
「たりめーだ」
 バキッ。
 魔力などない。男鹿はツカツカ早乙女へ寄って行き、一発パンチを入れた。それは気持ち良く決まった。たぶん一番よくヒットしただろう。手がじぃんとするくらいにはちゃんと手応えがあった。握っていた拳から力を抜いて少し吹き飛んだ早乙女を追う。
「わけわかんねぇことすんじゃねえ」
「ったくおめーはよ、殴るこたあねえだろうがよ」
 男鹿は姉から食らったパンチで、早乙女は男鹿から食らったパンチで、それぞれ頬を腫らしていた。なんだか滑稽だ。どちらからともなく笑った。
「ま、何にせよ良かったぜ。おめーでも女に腑抜けにされんじゃねえかって、心配してたんだぜ? 俺ぁよ」
「んなワケあっか」
 それでも、葵のことを思い出すだけで身体が熱くなるような気がした。背中に背負っているベル坊も、連動するみたいに喜んでいる。ウキウキして、ドキドキしている。腑抜けになるくらい、本当は思っている。だが、それを痛みとケンカは忘れさせてくれて、男鹿を男鹿らしく在らせてくれるのだ。


14.01.19

お疲れ様です。

今まであんまり出てないキャラと、男鹿と葵ちゃんと絡ませてみました。ちょっと原作があっての〜ってところも意識してます

あと、入れる予定のなかった男鹿と早乙女
や、動きのあるものを久々に書けてよかったです。こういうバトル文は滾ります。もっと長くすることもできますけど、さすがにバトる場面でもないのでやめておきました。


深海にてはいろんなキャラが絡ませられてるっていう意味では、かなりよかったなぁと思ってます
しばらく男鹿と葵ちゃんが幸せに暮らしてくれればいいよ!
ただし山あれば谷もある、何かが起こらないはずもないんだけどね、きっと。

2014/01/19 16:12:03