かの大地震からもう3年経つ。被災地の近くはまだ瓦礫が片付いてはおらず、抜け殻のようになった町並みを見ると、ヤのつく家業の代名詞である神崎もまたそれらを見て少なからず胸を痛めたのは確かだ。もしかしたら自分たちもそんな目に遭うことだって考えられる。それもどこか遠くの出来事としてしか捉えられないまま3年も経ってしまった。目の当たりにしてもまだ理解できないことはたくさんある。ニュースでしか見られなかった光景が目の前に広がっている。積み上げられたゴミ袋。この中に泥に塗れた放射能の塊が入っている。空気はどこか澱んでいる。人の気持ちが落ち込むのもこのせいなのだろう。ぼうぼうに伸びた雑草を片付けるところから仕事は始まった。この仕事をやり出してから数ヶ月経った。いずれ神崎も放射性物質がどうたらこうたらとガンがどうとか、そんな身体になるのかもしれない。だが、そんなことなど気にしていられる余裕はなかった。仕事をさっさと見つけて大森寧々の家から出る必要があった。ずっと迷惑をかけているわけにはいかない。その思いだけで見つけた仕事だったが、体を動かす以外に神崎にできることはなかった。頭の悪さは当人も認めるところだ。もちろん家のことは内緒にした。東北という田舎までは神崎組の名前は浸透していなかったのは、神崎にとって救いだ。それを踏まえて来たのは大森も分かっていたのか、一度仕事の話になって「大丈夫?」といったきりで深入りしてこないのも救いだ。大森自身、そういう思いがあったから、何とかしたいと思ったからこの寒い地に腰を落ち着けたのだ。彼女がどうこういえる立場でないのも分かっているのだろう。その日はまだ秋の深まりを感じるような陽射しはポカポカした日だったのが懐かしい。その日から、神崎は数日に一度大森宅に帰ることはあるが、ほとんど家に寄り付かなくなった。被災地入りすると、仕事は数日に渡って行われるからだ。大抵は短いスパンで雇われた男どもが集まる。たまに神崎のように長期的に雇われた者もいるのかもしれないが、ほとんど日雇いのような仕事だ。後腐れがなくて良いともいえる。立場を偽る者としては深いつながりが生まれないことは安心でもあり、不安でもあった。こんな気持ちを味わうことになるだなんて、ガキの頃は思いもしなかったな、などと寝る前にぼんやりと考えたりすることはある。それをいつだったか口にしたら、大森が笑っていった。
「意外と、センチメンタルになってんじゃない」
 バカにされたみたいで面白くなかった神崎は黙って睨んだが、あまり気にならなかった。そもそもセンチメンタルの意味すらわからないからだ。大森宅に帰る前にはちゃんと電話を入れる。彼氏とか友達とか、大森にも大森なりの生活があるのだ。それだけは迷惑にならないようにしなければならない。そう最初に彼女に向けて公言したのだ。筋を通す必要がある。男として、人として。今日は5日ぶりに戻るので電話をした。
「いいけど、…ああ、ちょっと待って。できれば遅めに、できない?」
「分かった」
 大森が若干言葉を濁すので、近くに彼氏がいるのだと思った。まあ神崎という男が周りをウロチョロしているのが、しかも同じ屋根の下にいるだなんて聞いたら、彼氏としては心配になるだろう。事実は何もないのだが。何となく合った休みの日にケータイの画像で見た男の顔は大したことがなかったのが衝撃的だった。大森寧々は控えめにいっても美人だと神崎は思っている。そんな話を高校時代に夏目たちとしたと思う。もちろん「好みじゃねえけど」というセリフは忘れてはいない。念のため。本当に好みのタイプとは違うので発している。どちらかといえば神崎は清楚っぽいのが好みだ。ベタだからあまり口にはしないが。ヤンキー女は論外、そう思っている。
 城山とはたまに電話で話をしていた。勝手にかけてくるし、周りには何も言っていないなどといっているが、おおよそ組に話はいっているはずだ。そうでなければ無理矢理にでも連れ戻そうとするはずなのだ。ヤクザの鼻の利き具合を舐めてはならない。どうやってでも嗅ぎ分けて目の前に現れる。そういうものなのだ。だから抗争とか何とかで死人が出たりするという話が流れるのだ。あれはドラマの中だけの嘘っぱちなんかじゃない。それを肌で知っている神崎は、面倒ごとのすべてを恐れつつも飛び出したのだった。頼んだわけでもないが、こういう時の城山のおせっかいは助かる。そのうち、メシでも奢ってやるか。そんなことを思いながら久々の帰路についた。夜遅めの方が好ましそうだったので小さなバーに寄ってから大森宅に向かった。バーで出された肉料理が実に美味かった。仕事仲間らと飲む機会なんかもあるので、前よりは少し飲めるようになったかもしれない。それでも神崎は酒には飲まれる口なのでほとんど飲めない。酒よりもヨーグルッチの方が美味いと思うのはガキの頃から相変わらずだ。渡された合鍵をチャリチャリ鳴らしながら、まだ電気の付いたままの大森宅アパートへ足を踏み入れた。東北では確かに大森のところが神崎の家になっている。たまにしか帰らないが、生活感がある場所はとても落ち着く。開けてから、はたと気づく。男と、大森が話をしている。ん、マズったか…。そう思ったが酒によりいつもよりも回転の悪い脳みそは物音を聞いて現れた二人によって、さらに回転速度を落とすのだった。からからから…。カラの脳みそだから、カラの音がするんですかい。どうでもいいこと。間。大森の顔。その隣に男。冴えない。実に普通っぽい男。驚いた顔をしている。酔いが醒める感覚と、寒さ。苦渋ののちにようやく開いた口は、何とも間抜けな言葉を吐き出した。
「こんばんは。おとうとです」
 こんなおとうとがいるか。


*****



 数日後、連休ののちにまた仕事で数日家を空けた末に帰ってきた神崎は、大森と久々に話す機会があった。大森は特に何ということもなさそうにボソリといった。
「別れたの」
 唐突すぎて意味が分からずにいたが、すぐに理解して一気に冷や汗をかいた。これじゃあ迷惑しかかけていない。やばい。追い出されても行くあても金もない。それに、まだ自分の話もしていない。神崎には焦りだけがあった。この状況をどうすべきか。打破は難しいだろう。とりあえず、素直に頭を下げた。
「お、俺のせいか!…御免、わ、悪かった」
「違うわよ」
「気にすんなって。アレだろ、この前の」
「あの時のは、きっかけ。うまくいってなかったの。その前から」
 嘘だ。頻繁に会っていたくせに。うまくいかないんなら会わないはずだ。神崎に気を遣わせないよう嘘を言っているのだ。そういうところがやたらと女性的な優しさを感じる。そういうところがあるのだと初めて知った。今まで見えなかった大森が分かるのは、こんなところまでノコノコやってきたお陰だというべきか。神崎は深く頭を下げた。男と住んでましただなんて分かったら、神崎が恋人であっても怒るだろう。あの男は彼氏として当然のことを思っただけのことなのだ。あいつを責めてはならないと思う。ちゃんと説明すべきだとも思う。だが、大森の表情はごく普通だった。あまりに普段通りだから、ドッキリにもならない冗談をいっているみたいだと感じた。
「元から釣り合わないって思ってたし。あたしはもっと男らしい人の方が好きだったりするんだけどね」
「悪ぃ、ごめんな……」
 強がっているのだと思う。そんな健気ともいえる大森に、何ともいえない気持ちが湧き上がる。この雰囲気のまま抱き締めたいような、そういう感じ。安物のメロドラマみたいなことを考えては内心恥じた。次にいうべき言葉を探していたが見つからない。神崎はどうすればよいかわからず途方に暮れた。男は星の数ほどいるけれど、大森が選ぶのは一握りなのは当たり前のことだからだ。ありきたりな言葉をかけてやるほど、安っぽくもバカでもないつもりだ。出て行くべきだな、と本気で考え始めた。まず城山に当たるのもいいかもしれない。そういう時の城山の存在はとても都合が良いので。
「はやく、住むとこ見つけるように動くわ。大森に甘えてここに居させてもらったけどよ、悪かった」
 だからといって逃げるだけでは何にもならないのだ。神崎は腹を括った。そうすべきだ。気持ちの切り替えなどとっくにできている。離れて考えても、家に戻る気にはまだなれない。いずれ戻るにしても、こっちは足掻いてもいいだろう。親父のことなど知らん。神崎の必死な目を見て、大森は短く「まあ、そうよね」と当たり前の返した。今はルームシェア状態だが、神崎のような男と一緒に住むこと自体がムチャクチャなのだ。確かに、家賃+光熱費等については一人で払わなくていい分、ここのところ助かってはいたのだが。
「ところでさ、あんたは結局何で家から逃げてきたのよ? 長いこと世話してやったんだから、それくらい教えなさいよ」
 世話してやった、ときたもんだ。神崎は露骨に嫌そうな目を向けたが、大森がそんなことにへこたれるはずもなく、真っすぐな視線をぶつけてくる。というか、そもそも、神崎ごときの眼光になど慣れている。見上げながら見下す様は二人ともよくやる芸当で、もしかしたら似通った性質なのかもしれない。
「兄貴がいなくなったからだ…っていつも思ってた」
 神崎組の夏目辺りから聞いたのだったか、大森はボンヤリと当時のことを思い出す。確か兄がどうのと話をしていた。一という名前なのに長男じゃないのかとからかったような記憶が蘇る。そうしたら「イチローだってそうだ」と強がった。お前とイチローは月とスッポンにも及ばないだろう、と嗤った。その兄は家にはいない。卒業後すぐに飛び出した。家など寄りつかなかったが、二葉がそれを覆した。子は鎹。親子の絆もそこで蘇ったとかいうお涙頂戴の話に発展して、正直、意外だと思ったものだ。その時、神崎は兄のことを悪くなど一言もいっていなかった。ただ、出て行った。二葉が生まれた。そんな単純な話しかしていないはずだ。神崎は腹の底で思いを温めていたのか。今度も不思議な気持ちで彼を見守った。次の言葉を静かに待った。
「ヤクザが嫌なんじゃねえ。筋だの任侠だのという世界に、ドップリ浸かり込めるほどニンゲン古くねえってぇ話だ。筋がどうのこうのという割に、やってることは筋違いで無茶苦茶だ。クソバカどもの茶番だってことが、ここ何年も見てきてよぉ〜っく分かった。そういうこった」
 地域の底に根付く、優しいヤクザのことを描くようなドラマがたまに放映する。あれはやっぱり嘘の姿なのだろう。古き良き作り物の世界に憧れた。だがやっぱり違うのだ。実際の世界は国家権力のイヌと戦う悪者でもない。それより奥のバックボーンは確かに、政治とカネの問題も孕んでいる。要するに、神崎のような大バカ者には理解などできない深くて汚い世界なのだという。ヤクザも、暴力団も、政治屋も、警察も、全てが嫌になってぶん投げたい気持ちで駆け出してきたのだという。きっと城山は理解しているだろうが、自分だって足を突っ込んだ世界だ。そう簡単に寝返ることなどできないのが城山というヤツなのだと付け加えた。
「…なぁんか、あまちゃんよねえ」
「じぇじぇ?!」
「見てたのかよ」
「BSで毎週見て、総集編も全部観たわバーカ」
 軽口が気持ちを軽くする。こんなところがあるから一緒にいても疲れないのだ。へんに気を遣わなくてもお互いに背中を合わせていられる、そんな不思議な連帯感は高校の時からあったような気がする。言葉にしなかっただけで。
「なんてゆーかさ、……そういう、古き良き時代のドラマみたいないいヤクザに憧れてたわけじゃない。神崎はさ」
 言葉にされると引いてしまいそうだ。神崎はまた嫌な顔をした。大森のいっていることは間違っていない、念のため。
「だったら、あんたが作ればいいじゃない。地域に根付くような、漢気溢れる?組?ってヤツをさ」
 どうしてだろうか、大森の表情は晴れやかだ。ニコリと珍しく邪気のない笑みを見せて。大森の言葉の意味を理解できない。表情の意味も。
「あたしだって見てみたいもん。そういう……、ヤクザ?」
 要は、これ………励ましか。神崎はようやくその意図を理解する。無理なことを口にするよな。夢を見るのは自由だけど投げっぱなしかよ。そう思うと笑えてきた。そんな夢があってもいいのかもしれない。今はそんなことを思えた。前向きな態度は元気が湧いてくるものなのだ。ヤクザでいいじゃん。大森がいうと、ヤクザでない誰かがいってくれるのを待ち望んでいたのかもしれない。どうせ逃げられないヤクザ家業なら、ヤクザでもいいじゃん。いいヤクザ作りゃいいじゃん。前向きで、明るくて、それでもヤクザでも何でもいいじゃん。世の中そんなものじゃないといいながら、それでもいいじゃんと笑う。こんなお気楽さがきっと神崎には必要だったのだろうと思う。くだらない悩みみたいなものを、大森に話してよかったと、本気でそう感じた。ヤクザの概念を変えられる立場に置かれる寸前、逃げ出した見習いヤクザ。それを覆して変えてやるヤクザになるのもまた道なのかもしれない。だが、また弱気になる時がくる。そんな時はどうすればいいのだろう。不安要素なんて常に山のように聳え立っているのだ。
「大森。じつはな…、俺」
 神崎の声が沈んだ。一度笑ったはずの顔からは笑顔は消えていた。両手を組んでどこかここではないどこかを見ている目。
「お前に会いに来たんだ、あん時」
「急に……何?」
「電話したろ。こっち来る前に」
「話遡ったね、急にね」
「あの時は嘘言ったけど、本当は……会いたかったから電話したんだよ」
「はっ?そうなの?」
 それは数カ月も前にのぼる。急に電話が来た。神崎から。お前今どこ、東北。じゃいくわ、みたいな簡素な会話からゴタゴタとルームメイトになっている。思い出してみればおかしな縁だと思う。それは偶然じゃなくて必然だったということか。ならば不自然で然るべきと言えるだろう。
「今とか色々言ったの、全部嘘なんかじゃねえ。でも、襲名なんてする前に、会いてえとかって思うじゃねえか、堅気のうちに。好きな女に」
 えっ…なんでそういう話に? 大森は口をアホっぽく開けたままだった。マジですか。そんな色気のある背景があったのですか。それでいて、手を出してくるわけでもなく、彼氏が来ては身を隠して謝辞すら述べて。健気な態度で接していた神崎を思うと、恋心について理解できないわけではない大森は、堪らずいたたまれない気持ちに陥る。だが、そんな彼をいじめたい気持ちも生まれてくる。
「じゃあさ、さっき……別れたっていったとき喜んだ?」
「……別に喜びゃしねえよ」
「嘘」
「オトコがいるって聞いた時は、そりゃガッカリしたけどよ。…でも、分かるから。好きなの、分かるから。いなくなれって思いながら、応援もしたくなるんだよ。いみ、わかんねぇよな」
 何となく神崎の言いたいことは理解できる。好きな相手がいる気持ちは、恋をする自分としては励ましたくなるもので。だからといって嫉妬の気持ちがないわけではない。複雑な心境であることは容易に想像がつく。そんな気持ちでずっとここにいたと思うと、大森も何とも言えない気持ちになった。神崎が目を合わしては困ったような顔をした。
「ずっと、たぶん、好きだった」
 たぶん、て。思わず文句をいいそうになったが、きっとその言葉の照れ隠しが入っているのだろうと思えば、大森は出かかった言葉を飲み込んで「ありがと」とだけ返した。どこまでも不器用な男だと思う。そこはとても愛いところだ。
「早めに、住むとこ探すから、よ」
 急に話が現実に戻った。あれ、と大森も感じないはずもない。視線が合うと、目を伏せるのはやはり神崎がいつも先だ。そして今回も。当然だ、好きな相手の目を見ていたいと思うけれど、恥ずかしくて逸らすのはいつも男だ。
 大森は不思議で堪らない。確かに、神崎が奥手なのは分かる。けれど、こうして目の前に好きな相手がいるというのに、手を伸ばしてもこないだなんて男としてどうなのだろうか、と。今時らしく草食系なのかよ? とツッコミたくもなるが、それではまるで自分ががっついているみたいであんまりだ。単に不思議に思ったというだけなのに。それをサクッと聞けない立場がどこかもどかしいと思ったのだった。素直に聞けない代わりに、別の言葉を探す。きっと、いい言葉なんて見つからないだろうけれど。なぜなら、遠回しの言葉なんて神崎には通用しないだろうから。そこまで賢いヤツじゃない。そんな風に思える。
「あたしに会って、それで……あんたはどうするつもりだったわけ?」
 思っていたよりも低く、冷たい声色をたたえた声が辺りに響く。大森自身も実はビビった。感情の感じられない声は不気味だ。だが、追い詰めることでしか神崎の本音などきっと暴くことはできないだろう。恋とかそういうことに慣れていない彼は、それだけできっと腰が引けてしまっている。してしまったこと、感じてしまったことに関しては引っ込みがつかないのは誰もが一緒。それを認めて受け容れて悩んでどうすればいいか考えて、諦めずに答えを探していくのが人生というものなのかもしれない。強張ったような硬い表情の神崎を見て、どうしてだろうか大森はそんな無関係なことを思った。
「なんだろうな……ただ、むしょうに、会いにいくって、それだけ決めてた。その先、なんて考えてなかった。家に帰るつもりだけはなかったけど、別に大森んとこに泊まるとか、最初っから思ってたわけじゃねぇんだ」
 ところどころ日本語がおかしいのは気にしないことにする。どうせ神崎の話だ、頭が賢いわけもない。要するにノリが悪ノリになったというだけの話。それが持ち前の超がつくほどの奥手な神崎らしく、色っぽいことなど一切なくて数ヶ月が過ぎたのだ。据え膳食わぬは男の恥とかいうけれど、純情を貫き通す方が彼にはきっと深い意味があるのだろう。だからといって大森は手を差し伸べてやるつもりもない。大森は神崎の思いを聞いて、確かに驚きはしたけれど気持ちが揺らいでしまうほど乙女でもない。色恋のいいも悪いもある程度は分かっている、神崎に比べれば歳は一つ下だけれど、大人だ。別れたばかりの男は勝手だった。神崎の存在を見ては手の平を返したみたいに怒り出した。まあ分からないでもないが。大森の言葉も聞かずに二股扱いをしだした。まあ分からないでもないが。だが、最初に言いよってきたのもお前の方だろう、話ぐらい聞けと頭に来た。思ったよりも子供のような男だった。今までかっこつけていただけだったのか。百年の恋も冷めたように大森は何も考えられなくなった。裏切りにあった気分だ。これは勝手な思いだと分かっている。それでも、言葉は悪いが幻滅するには充分すぎるのだった。別れ話を切り出された時は、安心さえしていた。不思議だ。過去には抱き締められることに確かに喜びを感じていた瞬間もあったというのに。人の気持ちなんて本当に、自分自身でさえもコントロールできないものなのだと感じた。自分が冷淡な人間みたいで少し嫌だったけれど、そう思ってしまった気持ちに歯止めなんてきかない。そう認めるしかないのだった。
「で? 今は、どうしたいのよ」
 いつまでたっても何がいいたいのかハッキリしない神崎に焦れたのは大森の方。
「どう、って…………」
 なぜお前が困るのだ。大森は張り手をカマしたくなったが何とか堪えた。本当に考えなしのバカ男である。呆れを通り越して、ただのバカだ。
「振ってほしいの?」
 質問が支離滅裂だ。神崎は慌てて首を横に振る。振られたくはないらしい。
「なら、もうちょっと飾らないかっこよさっていうかさ、スマートなとこ見せなよ。神崎、あんた全ッ然ダメ。」
 小気味好いダメ出しだ。大森らしくて一切傷つかない。神崎は複雑に笑った。できることなら付き合ったりデートしたりしたいけれど、それもきっとまだ遠いのだ。もっと意志の堅いイイ男にならなければならない。大森は悪どい笑みで返した。惚れた方の負け、いつも時代もそう。惚れられた方は王冠がつく。
「でもさ、どうして帰りたくないの? ヤクザが嫌なのは分かったけど。さっきもいったでしょ、嫌ならあんたが変えなよ。逃げる勇気もないくせに」
 言葉に棘がブツブツと刺さってゆく。心が針で抉られる感覚。その箇所から冷えた空気が入り込むみたいだ。神崎は眉根を寄せた。締まらない自分のここ数ヶ月の行動を突き刺す。こうしてほしかったのかもしれない。結局、大森寧々はいつでもピンポイントで励ましとも呼べない言葉を投げつける。いつでもこうして、優しくない優しさをくれる。きっと、こういう空気も好きなのだ。
「…じゃ、ちゃんとやりてえことをまとめとかねぇと。今回みたいに、グダグダんなっちまう……だろ?」
 希望なんて見えないヤクザ家業に、いとも簡単に光明を見せてくれる。そんな大森寧々のことが、神崎は好きだ。夢物語と笑われたって構わない。ドラマの中にある、地域に根付く縁の下の力持ち。法も犯すが仁義にゃ熱い。きっとこれなら城山も、兄でさえも賛成するかもしれない。そんなことを思った。ちゃん腹が決まったら帰る。そう決めて、神崎の恋とか大森の恋とかそういうものとは程遠い話を、その夜かけてたくさん話した。



 結局、日雇いではないので辞めるといってもすぐにというわけにはいかないだろうとか、城山を通して組の様子がどうだとか、いろんな絡みがあって神崎が家に帰る段取りがついたのは一ヶ月も先のことだった。結局、ずっと二人は暮らしたままですれ違っていて、たまに話をした。あとは神崎がバタバタして、大森が普通に暮らしいていただけだ。物置に使うにも、余っていた部屋を神崎が寝るためだけに間借りしていたというだけのこと。色気のある展開は一切なし。そんな日々も、もう終わる。
「見せてくれんでしょ?」
 駅前は吹きざらしで相変わらずよく冷えている。こんなところではそういえばホームレスも見ない。それは、生きていくだけのことがあんまり困難だからだ。大森の声に視線だけを向けた。
「カッコいいヤクザになりなよ」
「簡単にいうよな、おめーはよ」
「言ったからには、叶えない限りフッてあげる。何度でも、フッてあげる」
 振る宣言ってどうなんだ。神崎は内心複雑ではあったが、大森はいつも彼を勇気付けてくれる。それがわかるから、きっとずっと思っていられるのだ。ヤクザだろうが何だろうが神崎は神崎だ、と大森はいっている。それは変わらない。ヤクザだからと引いたり構えたりしない、大森は大森なのだ。言葉を裏返せば、ドラマみたいなヤクザになれば大森は振り向いてくれるのかもしれない。まあここまでいくと、いいように捉えすぎともいえるが。
「またな」
 別れの言葉はない。きっとまた会う。遠くであっても会いに行く。離れても近づいていく。結局、手も握らずにローカル線に乗った。最後に見た大森は神崎に向けて手を振っていた。長い髪が風になびいていつでも邪魔そう。悲しそうな顔も、嬉しそうな顔もしない。ごく当たり前の短い別れみたいな光景で、神崎はそれがとてもせつなかった。大森の姿が米粒みたいになるまで、ずっと電車の中から身を乗り出して見ていた。未練がましいとは分かっていたけれど、どうしようもなかったのだ。



 戻った後で、城山が犬みたいに迎えに来ていた。別に呼んではいない。車で帰りましょう、といった。車に乗り込みシートベルトをしながら城山がいう。
「神崎さんは、ずっと大森寧々のことが好きだったですよね。…今も、でしょうけど」
 城山がしみじみとそんなことをいう。ばれていた。やっぱり。何年か越しの思いでもばれていたのだと感じると恥ずかしくて堪らない気持ちになる。珍しく、関東にも雪がちらついていた。東北に比べると、寒くなかった。町がクリスマスの模様に彩られていて、ペカペカと派手なデコレーションをされていた。ああ、そうか。クリスマスだっけ。車の中からそんな光景を見つめた。忙しさにかまけてすっかり忘れていた。しかも、戻る場所はヤクザの家元と来たもんだ。色気も素っ気もない。それがあまりに神崎らしくて、どうしようもない。笑うしかない。夢物語を話すのは、一晩寝てからでもいいか、車のシートに寄りかかって神崎は居眠りを始めたのだった。

道無き道に茨在り・下




13.12.25

クリスマス文にするつもりはなかったけど、寒い時期だし、雪も今年は東北以外が降ったりするし、つうか今日だし、ラストのラストでまさかの!絡めてみた。


これは神崎君が寧々を追っかけていく震災ネタの話でした。
前々から考えてたけど、細かいとこまでは考えなしだったのでたぶん違うんだろうけど。ちゃんと書き切ってからアップしよう!と思ったのさ


なんか「いいヤクザ」目指す神崎くんなら読みたいなあ〜と人ごとレベルでは感じます。あくまで、人ごとレベルなんだけど。
つうか、いつも神崎×寧々の話は寧々に恋人がいたりしますねw これじゃ神崎くん報われねぇ…www

ハタチ超えたヤツらの話とは思えないよね。大人っぽさがない。青い。
これって、書いてるヤツがガキだからか。いや、歳に不足はねえ!悲しいけど、、


関係ないけど、テンポのいい会話文ならいいね!LOVE!
あまちゃんの辺りが私的にお気に入り。ただし見てた人しか通じない…倍返しか〜。。。

テンポいいと会話風景が頭に浮かぶんですよ。で、流れるように会話が進んで。たまにそういう小説があると気持ちいいです。
まぁ私の文は会話を減らしてるのでそんなん、ならんけどね。

coffee J elly

2013/12/25 22:29:53