透明の彩色






「……遼」
 呂布が、珍しく考え込んだ様子で話しかける。呼ばれた張遼はつと彼に目を向け、その続きを待つ。珍しく、彼はいいづらそうにもじもじしている。
「あの女の子、カワイイな」
 ちょっと呂布の頬が染まった。その様子は、少しだけ彼が「ヒト」であることを示しているかのようだ。呂布が顎をしゃくって例の「女の子」を指す。
「舞姫だね。最近来たばかりだそうじゃないか。名前は〜………なんていったかな」
 読み手の方々にはバレバレであるが、貂蝉、その人である。
 彼女の持つ独特の「美しい」とされる風格、優雅な身のこなし、品のある笑顔、行動、言動、そのすべてに、ありとあらゆる「美」が見え隠れしている。只者ではないことが、誰の目にも明らかだった。
「董卓殿の、お気に入りじゃないか」
 董卓の隣に座り、笑顔を振りまく彼女は、伝説の「天女」さながらに、そこに存在している。呂布はじぃーっとその人を見つめ、意を決したようにいう。
「あんなカスに、美人はもったいない」
 張遼は、その呂布の様子を見て、クスリ密かに笑い問う。
「じゃ、奪うのかい?」



「奉先様」
 彼女は、いつの時もこれ以上ない優雅さで、彼女がいる空間は彼女以外のすべてが、その色を失った。当然、奉先様こと、呂布がその光に目を奪われないはずもなく、彼女の何もかもにこころを捧げ投げ打って、二人密かに永久の愛を誓い合う。そこまで辿り着くのに、大した時間は要らなかった。
 想いを告げるまで、少々呂布もてこずっていたらしいが、ひとたび想いを告げてしまうと、呂布はもう周りの目などお構いなし。さっそく「俺の美人な彼女」宣言をして回る、という暴挙。董卓との関係が崩れるかもしれない危機感など、少しも持たず。
 揺らぐのは、貂蝉のほうだ。

 しかし、意外にも董卓は特にそのことには触れず、そのまま黙認していたらしい。彼の割り切った性格からして、「舞妓とはそういうもの」という観念があったから、別に自分の相手を今までどおりしていれば問題はない、といったサバサバした考えの持ち主なのだ。
 逆に、呂布のほうがウルサイ。貂蝉が董卓と寝ないわけがない、という事実をしった時、彼はその場の怒りに任せて、その時立っていた、木の床を叩き壊してしまった。
「嫌だろう、あんな、豚は嫌だろう?」
「そんなこと…私は、董卓様に逆らうことはできません。だって…私は董卓様に雇われた身ですもの」
 そういいながら涙を流す彼女を、呂布は思わず抱き締めて、
「なら、奴を、あの豚を、殺せばいい」
 と、彼の「野獣」と呼ばれる本能を剥き出しにして、またひとつ、新たに誓った。
 呂布の不思議なところは、そんな話をしていたにも関わらず、頭を切り替えたのか、そればっかり考えているのか何なのか、すぐに事に取り掛かろうとして服を脱がせ始めるところだ。この辺りも、立派に「野獣」である。

 首筋に唇を落とし、自らの痕をつけながら、彼女を両の腕で抱き締める野獣の姿を、どうしてか冷静な目で見つめる貂蝉がいた。
 呂布の送り込む律動に身を任せながら、小さく喘ぐが、目はどこか遠くの何かを想っている。何を想っている。
 そしてそれに、呂布はまったく気付かない。気付く由もない。
 野獣は、彼女の前ではネコになる。そう、ゴロゴロと喉を鳴らすだけ。

 確かに、話に聞く呂布のその「野獣」である姿を感じ、それが自分の元で揺らぎ、ヒトとしての感情を露わにした姿は、とても愛らしく、何ものにも替え難いかけがえのないもののように感じられる。
 それは、彼女にもまた、いとおしいという感情を植えつけるのに、充分だった。
 しかし、彼女の目の先には、輝く星空が舞っている。耳元には呂布の吐く、荒い呼吸がこだまする。そして自分の頭の中は、冴え渡った空に向けられている。何だか、呂布という男が、あまりに滑稽だった。彼女は思わずその広い背中に腕を回した。彼女にしてみれば、力いっぱい。
 滑稽な男は、それを自分の与えた悦びのためだと、誤理解しながら、歓喜に打ち震え、己の欲を吐き出すのだ。それが、滑稽でなくて、何であろう。
 しかし、その脱力して、隣で眠る呂布を感じることは、彼女にとっての悦びだが、けれどもその反面、彼女は冷静な頭でどこかを見つめている。それは、呂布ではない。

 確かに、その間じゅう、呂布の腕の中にその身を沈ませている間じゅう、彼女は安心している。この大陸一、いや、きっと、世界一の強さを誇る、男の腕に抱かれて、喜ばない者はいない。そして、安心感の湧かない者もいない。
 貂蝉は安心しきって、その身を任せていながらも、何か胸につかえる想いを、ずっと、抱えていた。頼りきれる者がいるということは、とても心強くあるものだ。
 何が足りないのか。愛情の深さは、彼女がその身をもって感じている。彼女のために、義理の父を殺すといった、彼の瞳は決して、嘘を吐いてはいない。常に彼女の前では、本気の瞳。覚悟を決めた、大切なものを護る、という男の瞳だ。
 それでいて彼は、貂蝉にはこういうのだ。
「そこにいるだけでいい。俺の傍を離れるな」
 と。彼の強さのすべてを誇示するように、戟を手にして。
 貂蝉はただ、男のいうとおりにその傍で、微笑んでいるだけで、病魔以外の危機からその身を無条件で守ることができよう。その安心感は、何物にも替え難い。
 それを感じた時、確かに心の底から貂蝉は、呂布に向けてふわり、とやさしく微笑むことができるのだ。



「けれどもきっと『愛』と『恋』がちがうように、きっと奉先様を想う気持ちは、恋人に感じるような気持ちとは、何かがちがっているような気がするのです……」
 貂蝉は目の前にいる人の前で、寂しげに目を伏せた。
「…そうか。でもね、フッくんはキミのことだけを、想っているよ」
 もともと細い目を、張遼は一層細めて貂蝉の言葉に反応する。
「驚いたよ、正直。キミたちは本当に倖せそうだと感じていたから。誰が見ても仲睦まじい、そんなふうにしか見えないからさ」
 少し残念そうに、けれどもどこか愉しげに口許を歪ませ、張遼は驚きを示す。
「私は………奉先様に心を奪われている、と思い込もうとしていたのではないか、そう思うのです。今となっては」
 張遼は、貂蝉の言葉に、珍しく首を傾げる。
「よく、分からないな。……他に、想い人でもいるのかい?」
 張遼の問いに、小さく首を縦に振ることで、貂蝉は答える。その俯いた顔はどことなく頬も赤く染められて、常の美しさとはまたちがった、新たな初々しさが彼女の容姿を輝かせている。長い睫毛が、そよぐ風にゆらりと揺れた。なんだか涙が零れ落ちそうにも見えるほどに、瑞々しい。その翳りの射す表情を見下ろしながら、張遼はいう。
「別に、その相手が誰か、なんて訊かないよ。想ってしまったのなら、きっと仕方ないのだからね。だけど、フッくんのことは、どう想っているのか、私はしりたい」
 貂蝉は、その顔を少しだけ上げ、張遼の目を見つめる。無言のまま。
「嫌いじゃないんだろう?」
 その張遼の問いに頷き、複雑で、悲痛な笑みを浮かべる。彼女は、何かを思案している。しかし、それを口にすることは、躊躇われて仕方がないらしい。しかし、黙っていても何にもならないと踏んだのか、貂蝉はか細く小さい声で、先を紡ぐ。意を決するのにかかった時間は、会話にしては短い時間。しかし、沈黙にしては長い時間。
「奉先様は、たいせつな、方です。けれど………一生を、夫婦として共にする、といった愛情が私には、湧かなかったのです。それには、それにはきっと、何かが足りない。…私は、我儘でしょうか」
 最後のほうの声は、消え入りそうなほどに小さくなり、聞き取りにくかったが、静かなその部屋は、貂蝉の心の叫びの灯を、消さずに灯したまま張遼の耳に届ける。その張遼は、珍しく言葉を失っていた。
 張遼は、女性の『現実を見る目』に圧倒されてしまった。


「呂布」、その存在はひじょうに大きく、そして強いものだ。味方に就けば安心を植えつけ、敵に回れば生命の危機を感じる源のような、そんな「絶対的」な存在。
 しかし、それは表向きだけのことだ。呂布という男は、実はとても子どものように無邪気でちっぽけで、人間として発展途上、そんな男だ。もしかしたら、本当の意味での恋なんて、実は初めてなのかもしれない。それとも、これもまた見かけだけの恋愛に、今だけの熱情を、美しい貂蝉に注いでいるのかもしれない。
 呂布は子どものようなその、浅ましいとさえ映る考えで、自分のすべてを何の臆面もなく、心許した相手に曝け出すものだから、懐かれたほうだって当然、悪い気はしない。けれども、そこで生まれるのが恋愛の情かどうかは、まったく別問題だろう。
 張遼は何度も、呂布とその想い人との恋愛事情を見てきた。呂布はその熱い想い冷めるまで、必死に相手を追い求め、抱き締め続けようと躍起になる、そんなタイプ。実に飾りのない分かりやすい男だ。けれども相手のほうはといわれれば、それはどうも母親が子どもに捧げる、いや、飼い主がペットを想うような、そんな想いではなかったか。
 寄って来たウサギに、「カワイイね、イイ子だね」といいながら頭をやさしく撫で、抱き締め微笑みかけてあげる。そんな愛情ではなかったか。そんな、どこか薄情な愛情。
 貂蝉も、またそのような愛情を胸に持ち続けていたのだろうか。彼女が語らない以上、それをしる術は、他の誰にもない。


「文遠様。私は、あなた様に訊いてほしかった。誰を想っているのか、と」
 貂蝉は、急によく分からないことをいった。
「キミが望むのなら、私は訊こう。訊いちゃダメかと思ったものだからね。…だって、私は、フッくんの友人だ。…では訊くよ? キミの想い人は、誰なんだい?」
 目の前でどこか困ったように俯きがちな貂蝉の、望むものは何であるのか、張遼は諮りきれずに彼女の望むまま、先ほど呑み込んだ問いを投げかける。
 その言葉を聞いた途端、長い睫毛の下で水分を含んで揺れる瞳に、生気が戻ったように見えた。顔を上げ張遼を見据える瞳には、どこかしら鉄の決意を固めたかのような、強い炎が浮かんでいた。しかしその炎は、攻撃的ではなく、どこか保守的な、不思議な光を持つ炎。
 その瞳に射抜かれた瞬間、思った。
 彼女は、きっと強い。
 張遼の頭のどこかに咄嗟に浮かんだ、確信染みた予感だった。


 小さく桜色に彩られた、やわらかそうな唇が、静かに言葉を紡ぐ。
「文遠様。あなた様を、私はお慕いしております…」
 微笑みの形で、唇は動きを止めていた。

「えっ」
 さすがの張遼も、予想外の答えだった。まさか自分の名が、こんなところで出てくるとは思ってもみなかった。反射的に驚きの反応を示す。
 とはいっても、従来の細い目を少し大きめに開いた、というだけのこと。彼の顔色からは、その胸の奥に隠れる心情を、窺い知ることはできない。そうやって目を見開いていたのも束の間、すぐに余裕すら感じるほど呆気なく、貂蝉のほうに向き直り、ワザとらしく困ったように笑んで、
「それは……ややこしいことになってしまったなぁ」
 と、否定とも肯定ともとれない、曖昧な言葉を口にする。
「フッくんは、これをしったらきっと、悲しむだろうね」
 どっかりと貂蝉の隣に腰を落ち着けて、窓の外の景色に目を向ける。
「キミと私が、もし通じたなら、フッくんは私を斬るだろうか…それとも」
 夜の闇が、静かにふたりを包む。静けさは木々のざわめきを呼び覚ます。
「キミを斬るだろうか。もしくは………周りの者を斬り裂くだろうか」
 貂蝉が、ほんとうの、自分の気持ちを告げた夜、その相手には、切なる想いを聞き入れてはもらえなかった。


 そんなこともあり、彼女は、張遼に特別何をも求めなかった。呂布と、今までの関係を続けていくうちに、呂布はどんどん義父である董卓を討ち果たす、という想いを強くしていく様が、手に取るように分かる。
 そんな日々が続いていた。それは、平穏なようでいて、決して平穏ではない日々。彼女の心は、どこか重苦しい。その小さな変化に気付くことができたのは、皮肉にも彼女の気持ちを理解している、張遼のみだったけれど。




「文遠、様…」
 男にしては細い身体を薄い布で覆い、寒さを凌ぎながら歩いていく張遼の姿を、貂蝉は目で追いながら呼びかける。急に声をかけられ、少々驚いたらしく張遼が素早く振り向く。
「ややっ」
 何だか、思わず上げてしまった声にユーモアが効き過ぎていて、貂蝉は可笑しくなり、思わず声を上げて笑ってしまう。そうはいっても彼女は口許を軽く袖で隠し、ふふ、とやさしげに笑うのだ。決して、近所のオバンがガハガハ笑うような、下品な様ではない。
「やぁ驚いた。こんなところにいたのかい」
「ええ。たまたま通りかかっただけですけれど」
 驚いていた顔など、どこ吹く風。何も気にしていない様子で、貂蝉に問いかける。
「それなら…もっと、驚くかと思っていたけれど、キミは案外、驚いてはいないね。しっていたのか、前から。私と、フッくんの関係を」
 貂蝉は、その言葉の意味をすぐに理解し、その表情に翳を落としながらも小さく、頷いた。そこには、それまでの笑顔など消え去っていた。
 貂蝉のその表情を見て、張遼は彼女を見下ろしながらその細い腕を掴み、
「ちょっと、行こうか。解っているのなら、話したいことは、あるよ。私は」
 張遼の顔が、燈篭の灯りに照らされて、能面のように光る。その瞳は貂蝉ではなく、行こうとしている場所に向けられているようだ。珍しく、彼の言葉には熱がこもっているように思えた。
「行く…ってどちらに行かれるつもりでしょう?」
 張遼の細い瞳が、彼女の目を見据えた。もしかしたら、これが初めてではないだろうか。見つめるもののすべてを射抜くかのような、氷の瞳に思えた。
「私の自室に、行こう」
 握られた手は熱っぽく、その体温の高さを思わせる。
 その熱のある手とは裏腹に、熱のなさそうな表情に目を奪われる。その前に、張遼は彼女の手を握って向かうところへ歩を進めだす。

「どうぞ。ゆっくりして」
 こともなげに張遼はいうと、向き合うように座り粗茶を淹れる。このようなことは初めてで、逆に緊張してしまう。この異様な感じに思わず身を固め、貂蝉はどことなく構えてしまっている。
 茶を前に出しながら、何ごともないような顔をして、張遼は問う。
「不思議なヒトだね…どうして私たちのことをしりながら、私を想ったのか」
 動くたびに張遼が纏う布がふわふわと浮き上がり、その間から彼の白い肌が露出する。服は着ていない。それはジロジロと見るわけでなくとも、容易に理解できた。
「今日だって、さっきまで私は、フッくんとエッチしてたんだから」
 特に相手に気を遣うでもなく、張遼はいいづらいことをいとも簡単に口にした。前からしっていたのだから、別にどうってことはないだろう、そんな口振りだ。
 前から彼らは肉体関係があった。呂布は気に入ったものをお手つきにする、それだけのことだ。そして、張遼もその寵愛を受けるのは嫌ではなかった。ある意味ではふたりは合意していた、それだけのことだ。彼らの不思議な割り切ったといえるのかどうか分からない、そんな付き合いは、彼らの間柄を『友達以上恋人未満、けれども親友以上かもしれない』…そんな煮え切らない関係に仕立て上げている。
「まぁ別に隠してるわけじゃないけど。ただ、しらない人はしらない、ってだけで」
 貂蝉が、何とも思わなかったわけがない。けれども、それ以上に自分ではどうすることもできないとしっていたから、それほどにショックを受けたわけではなかった。
「最初は、驚きました…。そういうものなのかと思った、それだけです…。私のような身分の卑しい者が、どうこういう問題ではありませんもの…」
「別にキミの身分が卑しいとは、私は思わないけれどね。どちらかといえば、私の身分のほうが、卑しいと思う。私は、自分の本来の姓すら名乗れない、そんな身分なのだから」
 貂蝉が、その言葉を聞いてハッとしたように張遼を見つめる。彼はいつもどおりの平然とした様子でそこにいる。言葉は痛烈に響いたのに、そこにある顔は日常。彼の心を、誰もがしりたい、と願うことだろう。
「そんな大袈裟な話ではないけど、『張』姓はもともと母上のものでね。本来の姓を名乗ると、地域柄、身の危険があるから避けた、というだけの話さ」
「……お辛い日々を、送られてきたのでしょう」
 貂蝉のやさしい言葉が、しとやかな口調で降ってくる。それは、とても心地好い感覚を芽生えさせる。貂蝉の手が、彼の頬を触れるか触れないか、ギリギリの線でそれを撫でるように動く。
その手を何とも思わないかのように、その場で顔を逸らしてふふっ、と笑う。
「キミは、ほんとうに慈愛に満ちているね。…フッくんが、オチるわけだ」
 話題のすり替えのような反応に、貂蝉はたじろぐ。
「フッくんは、実はあれで、愛情ってものに、すごく餓えてるからね。…勿論、そんな難しいこと、本人は全然分かってないんだけど、付き合いもそれなりに長くなってきたから、見てれば分かるし」
 そのあとも、張遼は何を思ってか、貂蝉に呂布の話をした。たくさんの、呂布の話を。
 呂布という男は実は極度のフェミニストで、『女性』と見れば「やさしくしなくてはならない」と思っているということ。戦場では誰にも敵わない強さを誇っているけれども、ひと皮剥けば実は、子どもと大差ないという話。そんな話を、張遼はおもしろおかしく話すのだ。
 その中には、貂蝉でさえもしりえなかった、張遼と呂布の積年の付き合いでなければ理解できなかったであろう、様々な情報がたっぷりと、愉快に溢れている。しかし、ひとことで表すのが容易なほどに、その情報の内容は薄っぺらだ。
 呂布は、ただのガキ大将。
 このひとことで、すべての内容は片付いてしまうほどに、呂布という男には、何もなかった。ひたすら圧倒的な強さ。それだけで、ここまでこの乱世を生き抜いてきた、野生の狼のような生物だと、思わず実感し直してしまう。

 愉しい時間が過ぎてゆく。夜は深まる。そして張遼が笑う。
「今日はたくさん話してしまった。でも、よく考えてみれば、フッくんの話ばかりだ」
「…愛して、いらっしゃるのですか」
「キミなら、そう私に訊くだろうと思った。ほんとうに博愛主義だね」
 張遼は笑って貂蝉を見る。
「私はきっと、多くを語ることのできない、そんな道を歩んできたのかもしれない。だって、自分のことで語れることなど、これっぽっちも思い浮かばない」
 そういう張遼の声が、沈んだ気がした。ハッとして貂蝉が顔を上げるが、その表情からは特に変わった感情の動きを掴むことはできなかった。彼はいつもどおり。
 問いの答えはもらえないままに部屋を出、別れる。
 貂蝉が想いを告げてから、張遼は何も答えないで、応えない。望んではならないと、心のどこかでそればかりが引っ掛かっているように、彼女は感じているのだ。

 それなのに、どうしてか貂蝉はその胸の奥底で、張遼を恋い慕う。
 張遼と別れ、董卓に与えられた自室に戻り、闇に包まれた部屋の中で、自分はどうして呂布ではなく、その愛人なのか親友なのか、よく分からない関係である、張遼なのか。よくよく今さらながら考えてみることにした。
 目を瞑って完全な闇の中で考えてみる。
 目を開いて暗闇の中、視線彷徨わせながら考えてみる。
 たくさんたくさん、考えてみるのだが、呂布と張遼。このふたりはどう足掻いたって比べようもない。彼らは一緒にいるが、驚くほどにまったく違ったタイプだ。
 同じだと思う部分でも、彼らは比べられない。ふたりが同じと思う部分はあまりないが、『血の臭いがするところ』はきっと一緒ではないか。戦場をともに駆け回り、その武勇を見せつけるかのように長物を振り、多くの敵を薙ぎ倒していくうちに、ふたりはいつの間にやら血の臭いを染みつかせている。それは、戦友であるが故の共通点だ。
 同じことを行い、同じように血を浴び、同じ数の骸を見、それでも何故かふたりを比べることはできない。同じ立場にあり、まったく違うふたり。だからこそ彼女は惹かれたのか。その差は、確かにお互いの魅力を高める要因になっているのかもしれない。
 同じように危険な香りがするはずなのに、どうしてか危険度は張遼の方が上のように思えてならない。
 張遼の話からは、呂布という男の本当の姿は、子どものように脆くて、実は、弱さすら感じられる。内面から物を見れば、彼の天下無双とまでいわしめる力の源は、いったいどこにあるのか。それがまったく解せない。本当に彼は強いのか、それが信じられないほどに呂布という男は、危うい存在に思える。
 そして張遼は一切が謎に包まれたまま、霧に包まれたような怪しげな雰囲気の中、その姿を彷徨わせている。そのミステリアスな印象は、彼女にとってきっと、これ以上ないほどに魅力的に感じたのだろう。不思議な、相手の魅力の取り憑かれ、彼女は望まれない恋に身を焦がす。張遼はハッキリと否定はしないが、しかしそれでも彼の言葉は、貂蝉の胸の内に冷たく鋭い針を刺す。



 つかず離れず、焦れったいような、何ともいいがたいような、そんな関係はずっと続いていき、気付けば日にちは花が芽吹く時期に差しかかっていた。
 そんなある日、張遼は貂蝉から、呂布の話を聞いた。呂布に戯れる、董卓の姿は、それは末恐ろしいものであったと。そしておぞましいものであったと、彼女は言葉少なに、その見てしまった恐怖を、きっとそれを言葉にするまでに何度も悩んだことだろう。顔は青白く、唇を小さく小刻みに震わせながら、見てしまった恐怖について、消え入りそうな声で語る。もちろん、恐ろしくて多くを語ることはできない。
「それで…フッくんは様子が、おかしいのか。私も、それはしらなかった」
 張遼でさえ、何とか、といった感じで言葉を捻り出し、驚いた表情を隠せずに動揺している。そして張遼は呂布もまた悩んでいるのだと、確信する。
「教えてくれて、ありがとう。きっと、フッくんは苦しんでいる」
「…いえ。御礼申し上げられるようなこと、私は……」
 言葉を詰まらせる貂蝉を見下ろしながら、張遼は考える。思ってもみなかった事態だ。董卓の狂いっぷりは、これ以上ないほどになっていることを、ひしひしと感じる。
「このままじゃいけないだろう。董卓殿の下に、このまま留まっていては!」
 貂蝉が顔を上げ、目の前に立つ張遼のことを眺める。珍しく、気合の入った表情で、どこか遠くを眺めているようだった。

「何があろうとも、私もご一緒してよろしいですか?」
 虚空を見つめる張遼の目に視点を合わせ、貂蝉がハッキリした口調で訊く。
 その珍しい強い口調に気圧されたのか、少々呆気に取られたかのように彼女の顔を見つめ、しばらく声を発さなかった張遼だったがやがて、
「どこに行こうが、何をしようが、董卓殿がいなければ、キミは自由の身だ。…来たいのならば、おいで」
 張遼は、彼女に向かってやさしく微笑んだ。









†後書†
昼ドラ呂布軍その2です。
テーマ曲はairというLIVの曲。
しっとりしている雰囲気の場所と、激しい箇所が入り混じった雰囲気を出したいなァと思っていたのですが、少々筆の乗りが悪く、煮え切らない感じになってしまいました。
実は、貂蝉にスポットを当てて、彼女の死までを描こうとしていたのですが、書ききれなかった、というのが実際のトコロ。
その書ききれなかった部分は、またこのシリーズで当然書ききりますけど(そうしないと煮え切らない)一本にまとめきらんかったのがちょっとムカつく。
(2006.03.05)



ちと補足。
最後の張遼の言葉が「希望を持たせるような言葉」という意味で、透明なのかな、と思ってこの題にしました。分かりづらいね自分(苦笑)




(2010.9.16補足)▼
押尾学ってど〜〜よ?(笑)


2006/03/05 08:43:16