※高校3年生の男鹿たち

「何してんのお前」
 魔王騒動がなくなってからの石矢魔はとても平穏だ。あれからもう二年も経っていた。相変わらずこの近辺は不良が多いけれど、それもあまり関係ないことだ。そもそも男鹿が近くにいれば不良などものの数に入るはずもない。古市はシャーペン回しをして、テキストと睨めっこをしていた。それにつまらなさそうに声を掛けるのは男鹿だ。見れば分かるだろ、と古市は思う。どう見てもテキストの問いの解答を考えている以外、何に見えるというのか。勉強からも学校からも遠い男鹿には理解ができないらしい。
「勉強だよ、受験勉強」
 男鹿が珍しく驚いた様子で目を見開いた。「は。」と息を吐くような声を出す。何が言いたいのか分からないのは男鹿のほうである。思い出してみれば、確かに古市は男鹿に大学受験の話などしていなかったことに、はたと気づく。いつも一緒のことが多かった。まるで家族みたいに。分かっているものだと勝手に勘違いしていたみたいだ。そうだ、人間は言葉でないと伝わらないこともたくさんある。古市はやる気を削がれ、ため息をついてからテキストを閉じた。今の男鹿には悪気がなかったのだから邪魔にするのはよしてやろうと思ったのだ。
「俺、大学受けることにした」
「…まじか」
「ああ、東京行く」
 男鹿はひどく驚いている。こんなに感情を露わにする男鹿を見たのが久し振りで、古市も負けないくらい驚いていた。どうしてこんなに驚くことがあるのかが分からない。大学受験くらい、確かに「石矢魔高校の生徒が受ける」と言えば驚愕に値するのかもしれないが、これは特に驚くべきではない。二年前、姫川が大学に行くことになった。金で行ったというのがもっぱらの噂だが、まず間違いなく事実だろう。例に漏れず彼は卒業後、坊ちゃん学校へ入学したのだ。そして去年、邦枝が大学受験をし、失敗した。だから古市は三人目の大学受験者なのである。もはや年に一人くらいは受験する者もいる、と見るべきで驚くようなことではない。
「一応勉強しとかないと。石矢魔じゃあ推薦してもらえるかも分かんないし。推薦通ればラッキーぐらいで考えとかないと」
「…そうか。東京行って、なにすんだ?」
「キャンパスライフ。あと、可愛い女の子と恋愛もしたいしさ。石矢魔じゃあガラが悪すぎる」
 なんとも古市らしい回答だった。男鹿は呆れた表情で古市を見ていた。古市もさすがに居心地が悪くなったのでテキスト類を片付け始めた。いつもみたいに男鹿と連れだって帰ろう。まだ太陽の位置は高めだったが、勉強の意欲はすっかりなくなっていた。カバンを持ったところで顔を上げると、男鹿はすでに歩き出していた。「おい、待てよ!」と男鹿に声を掛けながら古市も続く。こんな日常も、あと数カ月のことなんだな、とぼんやり思った。物足りないような気がしていた。



 べつの日も男鹿と古市は連れだって帰った。放課後、勉強をやめようかと思う頃、ふらりと男鹿は迎えにくるみたいに教室や、図書室や視聴覚室なんかにやってくる。どちらからともなく帰る。どうせ家は近所なのだ。誰と帰っても構わなかった。だが、男鹿にとっては古市が、古市にとっては男鹿が、やはり隣にいるのは「ごく当たり前」の日常なのだった。それが失われる日が近づいているのだろうかと、どちらも信じられない気持ちであった。だが、それについては二人とも口裏を合わせるでもなく語ることはなかった。

 古市は勉強をしている時、つらそうではない。それは昔から男鹿は思っていたことだった。「勉強なんか好きなヤツはいない」と古市自身も言っていたが、そう感じているとはとてもじゃないが思えなかった。もちろん、そう感じる男鹿が勉強とケンカして負かしてやりたいと強く願っているからかもしれない。そもそも勉強とケンカ、という考えが実に男鹿らしいが、そのくらいの気持ちなのだった。古市の銀の髪が光に透けて消えそうだった。眩しくて目を細めた。この空間には古市の手が動く音だけが低く、小さく響くだけでとても静かだ。子どもがいないと手持ち無沙汰になってしまう。この思いは随分時間が経っても変わらない。ベル坊がいなくなってから、男鹿は前より古市が近くなったような気がしていた。どのように、と聞かれると答えようがないのだが、そんなふうに感じていたのだった。ふと古市が目を上げると男鹿と目があった。
「何見てるんだよ」
「べつに」
「減るから見んな」
「嘘つけ」
 去年も同じように男鹿は、しかし去年は邦枝が勉強する様を見ていたはずだった。その時、男鹿は邦枝は楽しくなさそうだと思っていた。古市はあの時の邦枝とまったく違う。どこか楽しそうに学んでいるように見えた。勉強が苦にならないヤツもいるのかと驚くばかりだ。今まで、思ってもみなかったが確かに古市はここで終わってはならないのかもしれない。せっかく、自分の将来を拓ける頭があるというのに。
「好きそうにやるよな」
「なにいってんのお前?」
「──…勉強。」
 古市は意味わかんねーと笑ったけど、端からみれば分かるのだ。古市は勉強から好かれているのだと。だから、嫌いではないし苦しくはないのだと。男鹿はそんな古市を、会ってから初めて、すごく遠くに感じた。近くに感じたり、遠くに感じたり、勝手なものだとは思ったけれど、思いなどその時の気分なのでどうしようもない。その日も一緒に帰った。

 土曜はオンラインでドラクエをやる。ルームには古市が既に待機していた。しかし、応答がないので寝落ちかもしれないな、と男鹿は思う。電話をして起こしてやろうかとも思ったが、きっと受験勉強の疲れなんかもあって寝こけてしまったのだろう。それまでは携帯ゲーム機で時間でも潰そう。男鹿はPSPを手にした。
 その週から徐々に古市とのゲームの時間も減って行った。男鹿はつまらなかった。だが、そんなことは言ってはいられない。受験勉強に身を入れると古市は言ったのだ。その時、男鹿は冷たく言った。
「邦枝みたいに落ちるワケにいかねーもんな」
 男鹿と言えど、邦枝がそこにいなかったから言えることだ。さすがにこれは本人には言えない。





 冬。古市は学校でも進路相談をしていた。一月になると、いつもと変わらない様子で手にはプリントを持って男鹿のところへやってきた。プリントが弱々しくヒラヒラしている。そういえば男鹿が最初に古市に受けた印象はこんな感じだった。ヒラヒラした白いプリントは古市にどこか似ている。そんなことを男鹿が考えているなどと古市は知る由もなく勝手に話をしだした。
「男鹿。土・日空いてるか?」
「…寒ぃから家でゲーム」
「俺も混ぜろよ。たまにはやりたいしさ」
「勉強は?」
「聞いて驚け。これ見ろよ」
 推薦合格の通知書だった。古市は親より先に男鹿にこれを見せたいと思って、もったいつけて見せたのだった。小さい字で書いてあるのは、確かに合格を知らせるめでたい文面だった。男鹿は小難しい文章に興味はないので、すぐに目を離した。古市はそんな男鹿を見て困ったような顔をして、それでも仕方ないな、と小さく言って笑った。分かっているのだ。男鹿のことなど。男鹿の思いなど。
「喜べよ」
 男鹿はなにも言わない。なにを言えばよいのか分からず、思考を停止させているのだ。その男鹿の気持ちは、古市のほうがきっとよく分かっている。これは不思議なものだ。男鹿が喜ばないことを分かって、それでも言ってしまう。そして、それを男鹿がうまく表現できないであろうことも。
「俺は、大学に行きたいんだぜ。喜んでくれてもいいだろ? なぁ、男鹿」
 それでも、男鹿は不快とも愉快とも言えない表情を浮かべたままで、古市は別の意味で不安になった。男鹿が喜ばないこととは別の意味を考えられる自分が、まさに社交的に表に向かっているのだと感じる。男鹿より確かに表に向かっていることを。そして、男鹿はどうして思考を停止させているのかを思う。友人が自分よりもすぐれた脳みそを武器に舞台に向かうのだ。喜ぶべきではないか。そう古市は思った。そして、男鹿はいつもそうだ。羨んでいるわけじゃなく、妬んでいるわけじゃなく、ただ単に感情を表に出すのが苦手なだけなのだった。もしかしたら、男鹿はそんな感情だということすら分かっていないのかもしれない。代わりに言ってやるべきだろうか。古市はどうすべきか頭を働かせた。
 相手は男鹿である。余計な飾りや駆け引きは不要だった。まっすぐに直球でいかなければこいつは理解などできないだろう。気持ちがよいほどに男鹿自身はひねくれたところのないか男だ。不良のくせによく分からないと言えばそうなのだが。古市は仏頂面のままの男鹿に言う。
「寂しくなんかねーよ。東京なんて、すぐ近くだ」
 男鹿が驚いたような顔をした。寂しいなどという単語が出てくるとは思わなかったのだ。古市には分かっている。自分だって寂しくないはずもないし、不安がないはずもない。家族や友だちから離れて一人、別の暮らしを始めるのだ。思わないわけもない。だが、実際に寂しがっているのは男鹿だ。古市はと言うと、もちろん感じないわけではないが、それよりも彼女ができるんじゃないか、とか、俺実はモテちゃうかもしんないな、とか、不良とか面倒なのとオサラバできるしなー、とか、不安よりも希望が先行しているので、楽しみのほうが強いのだった。そんなことを言うと罵詈雑言が聞こえそうなので、あえて言わない。この辺りが智将たる所以と言えよう。だが、男鹿は素直なくらい気落ちしている。古市はわかっていた。男鹿は寂しいのだ。本人は絶対に認めないだろうけど。
「長い休みの時とかは、帰るしさ。余裕があればオンゲーもしようぜ。あと、メールもするし」
 分かってしまう自分のことを、なんだか普通にいいヤツだよなぁと自画自賛しながら古市ははにかむ。男鹿はなにも言わない。メールという言葉を聞いて自分のケータイに視線を落とした。離れてもつながっていられるのは確かだ。そう考えると、この小さな機械はたいした能力を持っているのだなぁと思わざるを得ない。
「だから、寂しくないよ。男鹿」
 男鹿は仏頂面のまま。彼としては面白くないのだろう。どうしたって古市は去ってしまうのだ。面白いはずもない。小学五年からの腐れ縁で、高校までずっと離れない。けれど、いつかやってくるその別れの日のために彼らは、他の誰かと出会いと別れを繰り返して練習してきたのだ。寂しくない別れの練習を。
「…ガキかよ」
 男鹿が笑う。本当にガキなのは男鹿なのだ。それを汲んで古市も笑う。
 変わっていくもの、変わらないでいてほしいもの。だが、時間も刻々と過ぎてゆくし、状況も人も思いも、なにもかもすべて変わってゆくものなのだ。その変化についてゆくのが人であり、大人というものなのではないだろうか。変わらないものに固執するだけでは生きてゆけない。願っても叶わないものがあると知るのが、きっと生きるということの一部だ。
 古市は合格通知をしまいこみながらカバンを持って立ち上がる。今日は古市の動きがいつもより機敏だ。受かったせいもあるだろう。
「男鹿、いつもありがとな。今日も一緒に帰ろうぜ。で、土日のドラクエの相談をしよう」
 そういえば、男鹿と一緒に帰れるのはあと少しだ。それまでは仲良く帰るのもいいのかもしれない。古市はようやく男鹿の寂しさが少しだけ理解できたような気がした。当事者なのになぜか一番現実味を感じられないのが不思議だった。


変わらない日々に満足していた



13.11.18

男鹿と古市の友情ものでした。
思っていたよりもかなーり長くなりました…申し訳ない。読みづらいよね
でも、こういう感じのがすきですw

でも、ホモいネタしか見ませんね……この二人のやつは。
古市は女好きにしか見えないのでこういう感じがいいと思ってます
で、この二人のベタベタしない距離感が好き、というか、自分もそういう人なんですよ。必要以上にはべたつかないというか。
まぁ苦手なんです、ある程度はいいんですけど、あんまり深みにはいりこまれたくもないし。だから自分からガンガンいかないし。意味は違うけど奥手っていうのでほぼ間違いないかと思います。


自分の話はいいや、
で、この話なんですが、この流れは実は神崎君でやろうとしていたんですが、先に男鹿と古市で書いてしまいましたね…最近そんなんばっかだ。
まぁ別れの話は神崎君でも書くような気がします。おんなじ話にはなんないし。。


うまく書けてるかなあ?
男鹿は認めないし、認められないんだけど、代わりに古市が口に出して。まるで自分が寂しくてしかたないみたいな役回りになっちゃっても、全然それは構わないんだよ。なんていう、
これはやさしさっていう類のものというよりかは、単純に「理解」なんだと思ってるんですけどね、、

理解するって、すごいことじゃないですか!
自分以外の誰かを分かれるなんて、すごいことだしシアワセだって思うんですよね。エゴかもしんないけど。

タイトル、彼女の為に泣いた
2013/11/18 15:49:42