深海にて5


気持ちは伝う。
行動は、時に言葉よりも確かに、想いを伝う。
彼のために、
彼女のために。



***



 愛とか恋とか、そんなことは問題ではなかった。惚れるとかそんなことを思う前に近づきすぎていた。おかしいだろう、と友人は笑うかもしれないけれど、それでも彼は──男鹿は──、恋愛ごとについて、これまた驚くほどに興味も何もなかったのだから気づくことなどできなかった。さらには男鹿自身の持ち前の性格もまた恋とかそんな甘っちょろいことに対して邪魔をしている。男鹿は思っているから。愛だとか恋だとか、そんなこと言っているヒマがあるのだとしたらそれはお門違いだろう、と。もとより興味ない者にそれを求めることこそが時間の無駄だろうと。
 それでも、手をつなげば、より深く近づきたくなる。キスの味は甘い。抱き合えば満たされる。言葉より行動は確かに互いの思いを伝う。愛とか恋とか、言葉では何とも言えないことでも伝えてしまう。ひと文字やふた文字なんかでどうこうできない想いも確かに。

 何かにつけて、触れていたいと気づいたのはたまに見られる邦枝の物欲しそうな眼差しに気づいてからのことだった。そんなのお前の気のせいだろう、と男鹿も最初は思ったのだが、そんな目をする時は抱き寄せても、キスをしてもいつもより逃げないというか、拒否の動きは薄いのだ。もちろん拒否されるのは他人の足音がドタバタとしたとか、背中のベル坊が起きたのではないかと思った時など。別に嫌なわけではないが、「恥ずかしい」といったところか。そんな邦枝がたまに物欲しそうな顔をする時がある。どんな時なのかは分からないが、本人はきっと分かっていないだろう。男鹿としても、自分の前だけでそういう顔をするのだろうと思ってはいるものの、当人にそういった意識がない以上、みんなの見てる前でそんな目をしないとも限らない。そのくらい不器用なのが邦枝という女性ではないか。そんな彼女が求めているのならば応えないのはどうなのか。気づいてしまった以上は応えたい。っていうか、ぶっちゃけ、キスだけで満足するほどガキでもない。
 そう思ってつい最近、男鹿の部屋に邦枝が来た時に思い切ってベッドに押し倒してキスをしてみた。男鹿にしてみれば、生まれて初めてかなり頑張ってみた。ケンカ以外のことで。邦枝はベッドに押し倒されたままとろんと蕩けたような目をして、それを拒まなかった。それを見ればいくら男鹿でも気づくだろう。少なくとも、抱き合いたいと思うのは男の側だけではないのだということを。むろん邦枝が口にするわけもないし、誘ってこれるとも思えない。ここは男鹿の男の見せ所と思って、さらに頑張って、今度は制服の上からだが胸に触ってみた。よく考えたら光太もベル坊もこれに触っているのだ。何だか年齢を重ねると不公平なこともあるものだと、今更ながらに男鹿は気づく。そこかよ。
 男鹿が頑張ってみたのは、そこまで。あと一歩踏み出すのには、何か言葉をかけなければならないような気がして、何度か胸を揉むところまでは踏み込んだのだったが、それ以上の大人の世界にはなかなか踏み出せずにいる。どうすればいいのかだなんて、理性がぶっ飛んでしまったらきっと本能のままになるのだろうし、あまり飾っても仕方ないだろうと思えばこそすれ、分かっていても構えてしまうのだ。男鹿にせよ邦枝にせよ、こういう経験も想いも初めてのことなのだし。ただ一つ、男鹿が気になることがあった。それは、そういう雰囲気になると、邦枝は身を任せるようにしてくれているのだが、顔を離した時、彼女はいつも頬を紅潮させ目にはこぼれ落ちそう、というほどではないが結構な量の涙を浮かべて、何かに耐えるみたいにしている様子であるからである。嫌がってはいないのだろうが、さすがの男鹿もその邦枝の様子には心配してしまうが、どう声をかけたらよいものか分からない。そこで、胸をはだけさせることもなく、そこでとどまってしまうというわけだ。何で泣きそうになっているのか、当人に聞くわけにもいかず、もちろん姉や古市に聞くわけにもいくまい。さてどうしたものだろうかと考えたところ、特にいい思いはひとつも浮かばないのだった。
 話はそれだけではない。他にも男鹿には気づいたことがある。それは、邦枝に服の上からだろうが何だろうが、触れると気持ちがよいということ。気のせいかとも思ったが、気の持ちようでそうなるであろうことは想像に難くない。つまりは、そういうものなんだろう。勝手に理解することにした──「恋人同士で触れ合うのは、気持ちのよいこと」。こんなことは思っても誰にも言えないが──。邦枝がそう思っているかどうかは口に出して聞いたわけでもないので分からない。潤んだ瞳がそう言っているような気もするし、嫌ではないが怖いとか、そういった複雑な感情を物語っているのかもしれないと思えば、足踏みを続けるしかないのだった。そのとどまるかどうかのタイミングで、しっかりと誰かからの邪魔が入ったりもするのだが──古市から着信が入ったり、姉に呼ばれたり、一刀斎から声をかけられたり、隣の部屋で光太とベル坊がケンカしだしたり、はたまたヒルダが不躾に部屋をノックもせずに開け放って「すまん、乳繰り合っていたのだな」などと言ってムードをぶち壊したりなど──。もし、そういった邪魔が入らないとしたら? ここのところの男鹿の心の中にはその疑問符が浮かび始めていた。いくら考えても答えはないし、男鹿の方から聞くこともないため何も変わらない。
 邪魔が入らない時もなく、秘められた邦枝と男鹿との恋人同士の触れ合いは、まるで子どものママゴトのように数を重ねていった。ただ、もっと深く触れることを願っても、それを叶えようとは動かなかった。タイミングのものだし、焦る必要もないと男鹿はどこか冷めた気持ちで思っていたのが大きいだろう。クラスメイトの中にはラブホで発見されたツワモノの噂もあり、そんな噂になるのも嫌だと思ったのもある。だが、決まって古市はそんな噂を聞くと寂しそうに「いいな…」と囁き声で言うのだった。さすがに男鹿は賛同しない。



 その日はベル坊も普通に起きていたし、いちゃつくつもりなんてなかった。男鹿にしても邦枝にしても。ただ、たまたま光太は一刀斎に連れられて留守中の時に邦枝家に行ったのだった。その時、男鹿の背中で男鹿と邦枝が静かに触れ合うのは見ていただろう。それについて何かを抗議したりするわけではなくて、邪魔するわけでもなくて。ベル坊はただ、その行為を助長するように邦枝の胸元にぺたりとくっついて、それを引き剥がそうとした男鹿の腕に引っ付いたまま半眠りになっていた。そんな状態の邦枝に目を移したところ、どうやらうまい具合にベル坊は邦枝のブラウスのボタンを半端に外していたのだろうか、薄い色のブラジャーがあらわになった姿の邦枝がそこにいた。その傍らでベル坊は眠っている。光太はおらず、一刀斎もいない。彼らがどうこうというのは、男鹿にしてみれば後付けだ。邦枝の下着姿を見て興奮してしまいました、というのがたぶん一番正しくて言い訳にもならない事実だろう、きっと。
 そんな経緯だから、ベル坊には感謝しなくてはならないだろう。だが、そういう気になれないのは、邪魔された回数の方が明らかに多いためだろう。ベル坊がいなければ邦枝と男鹿が、敵対するものとして以外の出会いがあったかどうかは怪しいものだが、そんなことは事実の後のifでは何の意味もない。
 男鹿は見下ろした格好のまま、邦枝の下着を見て、そして、無遠慮にもごくりと喉を鳴らした。それは意図した行動ではないのは明白だ。邦枝はそんな男鹿を見て、だが、それでも嫌だなどとは思わなかった。ただ、どうするものか分からずそこでそのままとどまった。それだけことだ。傍らではやはり変わらずベル坊は眠ったまま。寝息はよく寝ているせいか、うるさめ。そんなことはどうでもよいのだ。逃げない邦枝のすぐ脇に手をついて、じぃっと見つめる男鹿の冷たそうな濃い瞳に、邦枝は目を奪われた。キスなら何度も重ねたはずなのに、こんな近くで彼の目を見たのは初めてな気がした。そして、そんな男鹿の目が何かを訴えている。そんな風に邦枝には思えたから──それが何を言おうとしている目なのか。それについては何であるか、邦枝には分からないのだけれど。それでも邦枝はいいと思えた──。男鹿の目に吸い込まれてしまっても、構わないとすら思った。もちろんそんなことがあるはずもないのだけれど、オーバーに思えば何でも、許してしまえるような気持ちで邦枝は男鹿を愛おしく見つめたのだった。それに返してくる男鹿の目は冷たさの中に温かさを秘めていて、抱きしめて欲しいと思わせる何かがあった。邦枝はそんなことを胸中にしまいながら言葉を出さないように唇を噛み締めた。男鹿の手が、邦枝の髪を、顔を、頬を、唇を、首筋を。そして、やさしくブラウスのボタンを外していてもなお。むしろ、それを内心では望んでドギマギしていて。
「……ん、ふっ」
 いつもよりもだいぶ高くて掠れた声が邦枝の耳に届いたのは、男鹿の唇と邦枝の唇とが離れてから一分と経たない時だったと思う。下着姿の邦枝の胸に顔を寄せる男鹿が僅かに顔を上げた。邦枝の様子を伺おうと、それだけのために。そこで音を立てるように邦枝と男鹿は視線が合う。それは、この状態であればとても恥ずかしいことだ。男鹿が胸に顔を埋めていたのだということを感じてしまうから。どくどくと高鳴る心音は間違いなく男鹿には届いているだろう。男鹿の視線はいつものように歪む。いつもはここまで深く触れ合ったことなどなかったけれど、それでも男鹿はいつもと変わらない。邦枝はそれがとても、実は言葉に出せずにいるけれど、とても、もどかしいとすら思っている。男鹿は、やっぱり淡白で、そしてケンカバカな少年のような男なのだった。それが少しだけ物足りないと、そう思った。女として触れられる喜びを、ほんの少しだけ感じてしまったから。男鹿の揺らぐ視線があまりにも、もどかしくもあり、とても愛おしくもあった。だから、邦枝はこんな時であるにもかかわらず初めて彼の名を読んだ。もしかしたら、物足りないと媚びた響きになっていたかもしれない。そうでないことを望むが、そんな想いがまったくなかったわけではないのだから、きっとそんな心配をしてしまうのだ。鼻にかかったような甘えた声が、喉にかかる。
「…んっ、お、男鹿……」
 男鹿の目が、炎が灯ったみたいに見えたのは気のせいではなかったと邦枝は思っている。ぐらり、音を立てるように男鹿の視線は感情ではない何かによって瞬時に歪んで。その後に邦枝は男鹿の黒髪と、息遣いと、何とも言えない心地に揺さぶられていた。あとはビリビリと痺れるような気持ち良さの中で何かを言ったかもしれない。だが
、何を会話したのかなどまったく男鹿も邦枝も覚えていないのだった。それだけ、会話の内容など体のふれあいに比べればどうでもよいことなのだろうか。それはおかしなことのような気がしたので、男鹿も邦枝もそんなことは口にしない。ただ、思わず声が漏れてしまうくらいの激しい感覚に、身を任せたいと思いながらも互いに触れることで何とか気持ちを保った。わけがわからないうちに時が、夕暮れ時を二人に示すから身体を離すしかなかった。ベル坊が泣く前の今のうちに。ただ、ベタベタしていただけだったのだろうか、と口にできないまま、男鹿は一度静かに邦枝の額に口づけを落とした。意味はなかったが、こうしたほうがいいような気がした。燻る熱は発散できないままだったけれど、軽く邦枝の長い髪を梳いてからすぐに身体を離した。どうしてか、このまま離れられなくなるような気がして、それは幸せかもしれないけれど恐ろしいことであるとも思えたから、男鹿はそれだけで身を引くことができたのだった。
「邦枝。」
 ブラウスの前を閉じてやる。とはいってもボタンをしてやるわけではないので、先に寄せた下着はまだ覗ける状態だけれど。汲み取った邦枝が慌ててボタンを閉めるために細長い指を動かす。やっぱり今日も泣きそうな顔をしている。だが、彼女は確かに拒否していない。潤んだ目がボタンをかけ終えると再び男鹿を見上げた。こんな目をして邦枝が思うことは何なのだろう。男鹿にはそんなこと分かりっこない。やはり、聞くしかないだろう。男鹿はようやく重く、不器用な口を開いた。なぜなら、聞かなければ答えてもらえないからだ。
「泣くんじゃねぇよ」
 聞いたつもりだったのに男鹿は、疑問形にすらなっていない。口をついた言葉にハッとして、困った気持ちで邦枝を見ると、邦枝はそれを理解して恥ずかしそうな視線を、だが逸らさずに返した。それだけのことで、何かが進んだような気持ちになるのは不思議だ。
「泣いてなんか、ないわよ。…ただ………、男鹿と、一緒の時は、なんか、おかしいのよ。気が昂ぶるっていうか…。私だってよく分かんないの。だから…、仕方ないじゃない。どうしようもないんだから。…男鹿のばか」
 いじめたわけじゃない。その意味を汲み取って邦枝は、男鹿にそんなことを言った。そして男鹿は、そんなことを言うだろうと、どこか心の中で思っていたことに気づいた。ばかだろうが何だろうが、今が幸せな気がする。邦枝が逃げようとしないのを分かって、男鹿はその身体を抱き寄せて、できる限り優しく抱きしめた。邦枝は何も言わずに身を任せていた。これを待っていたと言わんばかりに。そしてまた、指が、腕が、身体が、彼女と触れられることによろこびを訴えている。こんな気持ちを何と呼ぶのだろう。どちらともなく、もっともっと、今までよりも深く、そして強く触れ合いたい。そんなことを願うのだった。そんな望みがどれだけ幸せなのかも分からずに。



13.10.28

まさかの!
甘々な展開なりました。

深海にてのシリーズがここまで甘くなるのは、実は予想外でした。マァぼちぼち好ましくない展開もあるのでしょうけど……(嫌われる??)
しかも展開の遅さも、まさにネギらしいと言えばそうでしょうね。段階を踏む、というダラダラ感がパネぇっす。このままではエッチまでいかんがなw


男鹿の想いと、葵ちゃんの乙女思考がゴタゴタしてて読みづらいかも。一人称にしてないんだから、って逃げてますけどね。とりあえずその辺りでの文句は今のところきてないのですが、今回のは、どうかね……
や、視点を定めないと読みづらいんですよ。自分の(書き手)本位というか。わかってる…分かってんだ…。

まぁ、この話の場合、視点を定めないことで同じような想いがあるんですよっていう意味合いをだそうともしてんですけど………たぶん伝わらないwww



甘さだけで話が進まないこのシリーズ、続いてしまいますよっ!
では。

2013/10/28 22:16:29