あのとき言えなかった言葉、
いま言うつもりのなかった言葉




姫川竜也(25)の話


 バッタリ会った。
 久し振りに見たその長く艶やかな美しい黒髪は、数年前の学生時代には触れてみたいなどと実は思ったものだった。黒髪に白のワンピースはとてもよく映える。彼女には白の特攻服なんかよりも、こんな女らしい格好の方がよく似合う。姫川は久々に会った同じ高校の、一つ年下の邦枝に対してそう感じていた。ほんとうにたまたまの出会い。邦枝は姫川の変わらないリーゼント頭を見てすぐ解り、だが、まさかこの年になってもそのスタイルなのかとポカンとして立ち止まっていた。そんな彼女の様子を姫川は訝しく思い、よく見たら邦枝葵だったという笑い話。



「変わんないのねぇ」
「お前は…、変わったよな」
「そう?」
「ああ」
 姫川の結婚式にはレッドテイルの面々は呼ばなかった。男鹿や古市は顔を見せていたが、 思ったとおり彼女らを連れてくることはなかった。性質的に女っ気がないというか。つまり、邦枝と会ったのは卒業以来はじめてかもしれない。一度くらいは会ったかもしれないが、姫川はさすがにそこまで覚えていない。
 ジリジリと全てを焼き尽くさんばかりの夏の太陽の熱気にやられるのは嫌だと、近くでお茶でもしようと誘うと、意外にも邦枝は嫌そうな素振りも見せずにっこりと微笑んだ。彼女の微笑みは、高校生だった当時、ほのかに願ったものだったはずなのに、こんなにも簡単にだしてしまうと物足りないような気がした。結局、姫川はずぅっと何年間もないものねだりをしているのかもしれない。クーラーの効いた店内に足を踏み入れると、すぐに炎天下の汗は引っ込んだ。肌がサラリとしていくのが分かる。姫川はビールを頼んで、邦枝はアイスコーヒーを頼んだ。ランチの時間はもう過ぎていたので、言葉通り「お茶」だけになりそうである。嫁、姑ですかと言わんばかりに邦枝はブツブツと「昼間っからビールだなんて…」と口の中で小さく言ったが、姫川は分かっていてそれでも気にしなかった。意外に口うるさい女なのかもしれない。否、ただの真面目か。
「ま、久し振りなんだから堅いこというなよ。クイーン」
「その呼び方やめてよ」
 二人分のオーダーが届いてから、姫川から強引に乾杯をした。ビールとアイスコーヒーとの乾杯は、何だかちぐはぐだったが別に構いはしない。カチン、と硬いガラス同士が触れ合う音が涼しさを助長する。一口の大きさは違えど、飲み干した後の美味の溜息はそう変わらない。これこそが至福の時と言葉に出さずとも分かる喜び。姫川は一息にジョッキを空けてしまい、すぐに次を頼んだ。もちろんビールを。
「姫川。結婚、したんですって?」
「ああ、三年位前かな」
「うん、男鹿から聞いた」
「お前は?」
「私? …いやねぇ、私、そんな相手なんて、いないってば」
 運ばれて来たビールを口に含みながら、男鹿と結婚したという話は聞かないし、まあ関係がないわけでもないが思っていた以上に彼らの仲は進んでいないのだろうかと意外な気持ちで見た。途中まではそのまま飲んでいたアイスコーヒーにガムシロップを入れて、邦枝は何かをごまかすようにそれをかき混ぜる。混ざると色が変わっていくコーヒー。ベージュっぽい色に染まったコップの中身をほうっと息を吐きながら見ることで、少しだけ動きが止まる。それから軽く口に含んて飲んだ。
「子どもはなし」
 聞かれてもいないのに姫川は答えた。それには訝しげな目を向けて、何も言わないままの邦枝は僅かに、だが確かに反応した。だからといって特に言いたいこともないので、邦枝はまたコーヒーを搾取することにした。また少しカップの飲み物が減ったというだけのこと。だが、邦枝はどこか姫川の様子を窺っている。だが、言葉にうまくできないでいるらしい。それを姫川は感じ取り、居心地の悪さを感じていた。彼女の言いたいことが、姫川には伝わらない。このもどかしい感じ…。どこか懐かしいような気持ちを思い起こさせる。姫川はビールを飲みながら、それが何であるか思い出そうとしていた。
 ふと思い出す。
 言いたいけど言えない。もどかしい。相手のために、口を噤む、そんな経験が、きっと誰にでもある。姫川は思い出していた。相手の顔色を窺うことは、自分のような好き勝手やっている者にでも過去にいくらかあるものだ。そして、それを悩みとして認識することは必ず経験することだ。「欲しいものが必ず手にはいるわけではない」。それを理解したら必ず体験することだと思い出していた。懐かしい記憶だった。何かを欲しいと思うこともまた、姫川にとっては懐かしい記憶。
わざと彼女の気持ちをくすぐりたくなった。姫川はニヤッと笑って邦枝の顔を見つめる。聞き取りやすいように大きめに口を開け、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「何? なんか、俺に言いたいことでも、あんの?」
「……………」
 いう前に言われることは、居心地の悪いことだとしって、わざとそんなことを姫川はいう。言いづらいことなど無いはずなのに、どうして邦枝はそれを口にしないのか。姫川には分からなかった。言葉にしないと伝わらないことがたくさんあるのだということを、この数年で姫川は学んでいた。だが、あえて口にすることもない。自分の恵まれた環境下で、通常の少年少女たちが幼い時に学ぶ当たり前のことが、本当は学べないでいる事実など、笑われて然るべきだからだ。それをわざわざ口に出すのは沽券に関わる。
「ただ、気になってた、だけ。どうして、私たちは結婚式に呼ばれなかったんだろうって」
 やがてその思いを答えた邦枝の口からは、意外な言葉がこぼれ落ちた。そんなことを言われるとは思いもよらなかった姫川の側が言葉を失う番だ。どうして、あのクイーン邦枝葵が、意外にも、こんなことを姫川にいうのだろう? 姫川などに、微塵も興味なんてないわよという冷たい顔をして。
「…な、なによ」
 タジタジになった邦枝の顔をじっと見つめてしまう。そういえば、高校生の当時、こんなふうに彼女をまっすぐ見ることができなかった。本当は、そうしたくてたまらなかったのに。そんなことを認めたくもなかった。懐かしいひりつくような胸の疼き。姫川は、ふ、と鼻で笑った。そうするしかない。そんなくだらないことで、きっと邦枝はああでもない、こうでもない、とくそ真面目に考え込んでいたのかもしれない。少なくとも、その時は姫川のことを考えていてくれたのだろう。少なくとも、姫川ばかりが彼女のことを一方的に考えていたわけではないのだと、そう思えば数年前に密かにあった思い出も、胸のすくようなすっとした思いに変わるというものだ。態とらしく、へぇ、と言って後は言葉にしなかった。もちろん、邦枝が姫川に気があるだなんて思っていない。だが、それを匂わせるようなこんな思いはとてもむず痒くて、なぜだか愉快。実に楽しそうな様子の姫川を見て、逆に邦枝は理解ができずに不愉快になった。
「何なのよっ」
「何で俺の結婚式なんかに呼んで欲しがってんだ?って思ったんだよ」
「べ、別に、呼んで欲しがってたわけじゃ、ないわよ! ただ……」
 言葉にされると、途端にそれは忌むべきものかのように、もしくは、仕舞われておくべきものかのように、そこに存在しているのだと気づかされる。姫川は、感情論では動かない。他人を感情論に引き込んで、自分のペースに持っていって泡食う者を見てほくそ笑むタイプだ。言ってしまえば、「イヤなヤツ」だが姫川自身そんなことは百も承知である。邦枝が紡ごうとする言葉の裏には、ぐらぐらと言葉にするにはもやのかかった感情がたくさん渦巻いているはずだ。それを知って、かつ、先を促すのが姫川という男だ。
「…ただ?」
「──ただ、私たち、仲間じゃない。仲間の、幸せを祝いたかったな、って。私は、思ってたの。…ううん、思ってるの」
 まっすぐな言葉だ。
 姫川は、そう感じた。あまりにまっすぐで、眩しいくらいだ。邦枝には邪な気持ちなんてものがないのだろうか、と思う。それなのに、姫川の気持ちはなぜかぐらぐらと揺らいでいた。そんな邦枝に便乗して、甘えてしまいたいような、そんな衝動に駆られていた。穢れのない彼女に、昔の気持ちをぶちまけてしまいたいような、そんな衝動に。そんな姫川の思いとは裏腹に邦枝は微笑む。
「おめでとう、姫川。…遅くなったけど。……あ、あんたのせいだからね」
 本当に、眩しかった。姫川は堪らず目を細めた。気づかないうちに高校の頃に戻っているのが分かる。思い出はいつだって美しい。いつだって楽しい。だから、いつだって邦枝のように眩しいままそこにある。当時はくだらねえとツバを吐いて笑っていた仲間なんて言葉も、今は大事なものだと分かる。今の思いを抱いたまま、すぐに昔に戻ることができる。離したくはない。
「…クイーン」
「だからその呼び方やめ」
「邦枝」
 真剣な眼差し。姫川の鋭い眼光に射抜かれて、アイスコーヒーから僅かに離れた手首は、気づけば姫川の大きな手に掴まれていた。その姫川のもう一方の手には伝票。割り勘だなんていう必要もない相手なので、そこはさすがの邦枝も割り切ったものだ。促されるままに立ち上がる。目は逸らさない。どうして姫川は、今までこんなふうに離れない視線で見られたことなどなかったのに。やがて力を緩められた手から、慌てて邦枝は逃れた。
 促されるまま歩く外は、やはりジリジリと熱されてとても暑い。ひんやりした店内から出たせいで余計に暑い。暑い、となんとなく口から出る。もはや、生きている者ならばすべての者の共通意識なのかもしれない。暑い、寒い、痛い、そんな否定的な言葉ばかりが共通で、楽しい、嬉しい、肯定的な言葉はいつもどこかに隠れているようだ。だが、手を引く姫川の横顔はどこかいつもより真剣で、意識を感じさせない。信号待ち。日陰を選んで姫川が足を止めた。熱風が姫川と邦枝の髪をゆらゆらと揺らす。立っているだけで汗が滲んでくる。信号の音が青信号を示す。見なくても分かる便利な世の中。スタスタとスマートな足音を立てて裏道に逸れる。裏道はビル風が舞っているせいかいくらか表通りよりも涼しさを感じる。靡く髪は邪魔だが、無駄に暑いよりはいい。ホテルに雑居ビルが立ち並ぶ寂れた光景に、二人はあまりに浮いている。すれ違う人の姿もないので別に構わなかったが。
 高級ホテルの敷居を跨ぐ足がどこか急いている。グイグイ引っ張られて、邦枝はそう簡単に逃げることはできない。足早になりながらホテルのフロントは「あ」と短く言ってお辞儀だけ。自動ドアの中は楽園と呼んで差し支えない心地よさが広がっている。もちろん、姫川だけに安っぽいビジネスホテルなんかじゃない。高級ホテルの裏口だった。慣れた足取りでこうやって入る辺り、使う時は表からは入らないものなのかもしれない。と、ふとそんなことを思えば、邦枝は自分の身を守らんと心持ち袖口を締めて構える。バタバタと促されるがままに着いてきてしまったが、身の危険がないとは思えない。元よりろくな男ではない。もちろん悪い男でもないのだが。強引にフロントから見えるソファに二人で座る格好になる。
「姫川、一体何なの?!」
 力技なら姫川は到底、邦枝には及ばない。汚い手段を使う隙さえ与えなければ手篭めにされることはないだろうと思いながら身構えたまま、邦枝は声をあげる。
「お前のにぶさは、ちょっと、いや…結構ひどい」
「何の話をしてんのよ」
「本当は、ゆっくり、部屋ででも話がしたいんだが」
「変なことしそうだから嫌よ」
「イザとなったらお前には敵わねぇって。分かってるだろ」
「でも………嫌」
 そーいうの、上手く利用しそうだし。という言葉は何とか、大人の何ちゃらで飲み込んだが、邦枝は動こうとしない。だから姫川はそのままソファで話すことに決めた。分かってはいたけれど、ちょっと残念。だが、さっきの茶店よりはいくらかはマシだろう。
「邦枝、普通に考えてもみろ。好きなヤツを、結婚式に呼びたくないと思わねぇか?」
 言われたことを理解せず、目が点になっている邦枝。どこまでもにぶい女。だが、そこもいい。
「なんつー面してんだよ」
 彼女の様子なんて関係ない。姫川はそのきめ細かい肌をした頬にそぅっと優しく触れた。こうやって触れる男が、初めての男であればいいのになんて胸の中だけで思いながら。
「好きって思いながら、式挙げた」
 肌だけじゃなくて、心もきめ細かい女なのだと分かりながら、それでも慣れた手つきで小狡い男はこんな時ばかりまっすぐの言葉を吐く。
 思い出してみれば、高校生の時の方がやっぱりガキだった。今口から出た思いに嘘はないけれど、妻の顔を忘れなくてもこんなことが言えるほど大人でも、狡くもなかったはずだ。そして、好きな女に好きと言えるほど成熟してもいなかった。もっと、もっと青かった。セックスで遊べても恋では遊べなかった。大人になるということは、きっと、心でも身体でも遊べるようになるということなのだろう。本気の中に遊びも隠せるし、遊びの中に本気だって隠しておける。きっとそれが大人というものなんだろう。邦枝の視線は姫川の言葉に翻弄されてゆらゆらとぐらついている。そうなることを分かって姫川は言うのだ。
「今も好きだぜ。だから……邦枝、部屋でゆっくりしていかねぇ?」
 もちろん、どんな返事がくるかだって姫川は分かっていうのだ。


13.09.02
姫川のまたまた!不倫的お話し
しかも相手はマサカの!葵ちゃん!!!!


久々に文を打ち込んでました
お久しぶりですみなさま
ベタな展開で、どうなりますか?的な話です。尻切れじゃないです。ワザとです!


一応この話ではまだ葵ちゃんはバージンだと思ってます

まぁ、そんな彼女と上手くよろしくできたかどうかは想像にお任せ致しますが……

ポイント
・姫川って不倫願望あるの?
・思い出補正
・過去の恋の話
・学校の友達に会うと昔に戻れる
・時間差攻撃

でしょうね…。
まぁ私としてはそこまで大人ではないので恋愛うんぬんは分からんのですが、本気で遊んじゃうってのもあると思うんですよね。嘘はついてると辛いから、嘘はつかないで。まぁ、大人になるってことはズルさも覚えられるってことですよ。
ちょっと嫌かな〜〜〜


続きが読みたいです!
みたいなのあったらください。
ないと思うけどw

タイトル=爪が割れました

2013/09/02 17:05:05