どちらも生きている




「相談、乗ってくんねえ?」
 そんな言葉がまさか、この男から出るなんて。辟易したところで追い込みに「頼むわ」と軽く両手を合わせられればあまりのしおらしさに時の流れを感じるしかないと思うばかりだ。目の前の男がむしろ何年も前と変わらずに口にピアスをしていることですら、どうしてかと疑ってしまうくらいに姫川は狼狽していた。それだけ相談という言葉が彼──神崎──に似合わなかったからだ。できる限りのポーカーフェースをしたつもりだったが、やはり姫川としても動揺は顔にも態度にも出てしまっていた。そしてそれは、目の前の神崎にも伝わっていた。面白くなさそうな顔をした神崎がじと見て何か言いたげな顔をしている。それすら知らないふりをしたかった。なぜなら、姫川の記憶の中にいる神崎という男は、感情を露わにする時はこんな時ではなかったはずだからだ。思い違いでなければ、だが。見た目は確かに神崎であるのだが、中身がまるで別人のように思えて気持ち悪いとすら感じた。何も答えぬ姫川に焦れた神崎がもう一度問うた。もちろん神崎としても軽々しく口になどしたいと思わない言葉だ。
「姫川。相談……あんだけどよぉ、」


***


 時の流れというものはとても残酷なものだと姫川は思う。高校時代の神崎という頭の悪い、ヤのつく家系に甘んじたガキ。姫川ほど坊ちゃんでもなく、人を人とも思わず窓から突き落とし、冷たく悪魔のように嗤う。しかし時にあり得ぬほどの人情にひた走る。意外にも子どもの扱いが上手かったり、結局はどれも神崎というヤツは、王サマゴッコがしたかっただけのガキだったのかもしれない、などとどうでも良いことを姫川はゆっくりと思い出す。

 だが、姫川だってそうだ。前に、青天の霹靂というべきか、ある女が‘女’として急に姫川の目の前に現れた時のこと。狼狽えてどうしようもなくなった時に神崎がフラリと現れた。たまたまだったということだが、助けられたと思う。口に出したことはこれっぽっちもないが。それは久我山が『姫川の婚約者』としてしっかりと女の姿で現れた時のこと。まっすぐに姫川を見つめて久我山は、照らいもなくこう言ったのだ。
「私は、姫川竜也。君のことが好きだ…! 婚約者だから好きになったわけじゃない。たまたま婚約者になった男に恋をしたというだけのことだ」
 ここ、外だしみんな歩いてますけど?
 歩いてる方々、みんな見てますけど?
 っていうか、倒れそうですけど。何ですか、このラブラブな展開ぃ??
 急に現れたと思ったら、宇宙にでも飛ばされたかと思うほどの急展開。姫川は口をパクパクさせるだけで声を出せなかった。時を止めた姫川を揺すったのは神崎だった。
「聞ーてやれば」
「はっ?」
「聞いてやれって。話」
「何言ってんだテメェ、人の事だと思って…」
「いいじゃねえか、美女だし。彼女」
「テメェにやるよ」
「ナメんな、クソリーゼント。行け」
 半ば強引に背中を押された時は、こんな忌々しいクソヤローが何でいるものかと頭にきたものだったが、時は大抵のことを解決してしまうものだ。姫川が思い出してみれば、こうして喜ばしくもないことに神崎が背中を押してくれたお陰で現在、姫川は望んだはずではない結婚を今、している。まだ子どもはいないが、何と無くどちらの親からも孫が見たいかのような雰囲気はぷんぷんとにおってきている。もちろん姫川は子どもが苦手であるし、久我山もそうなので同じ想いを共にした姫川夫婦は知らないふりを決め込んでいる。だが、それもいつまで持つのかは不明である。あと五年もすれば姫川家を継ぐであろう子どもが生まれているのかもしれない。姫川としては考えたくないことだったが。

***

「珍しいな。相談だぁ?」
 姫川は片側の口角だけを上げて嫌味な笑みを浮かべた。神崎にしてみれば見慣れた笑みだった。これこそが姫川だ、というような笑い方。だから懐かしいと思いこそすれ、嫌だとは思わなかった。神崎はその様子を気にすることなく頷いた。
「言いづれぇから、ゆっくりメシでも」
「…飲めねえの?」
「下戸じゃあねぇぞ、俺ぁ」
 言い出したのは神崎だったのに、言いづらいなどと我儘を言い出す始末。本当に珍しいことだと姫川は意外に思った。今日は何か良いことでもあるんだろうか、などと勝手なことを想像する。

 神崎はやっぱり神崎である。
 姫川の行き慣れた、美味しいお酒も飲めるし、ディナーも出来るレストランなどアッサリと鼻で嗤ってくれる。だったら最初から自分で連れて行けばいいだろうがと姫川は文句も言ったが、それも神崎らしいと久々の顔合わせならば笑って済ませられると思った。姫川自身もまた良い意味で変わったのだった。結局、神崎のよく行く安っぽい居酒屋へ連れて行かれる形になった。姫川としてはあまり座りたくない座布団の上に腰下ろすように促される。埃っぽいこんな居酒屋で飲むなど、嫌な気分しかしない。金もあるのにこんな小汚い店に入らなくてはならないのかとブツブツと文句を言ったが、神崎はそれを咎めはせずにドヤ顔で見ている。なんだその面、と文句を言ったものの、理由はすぐに解った。小鉢のお通しも、軽い感じで神崎が頼んだおつまみも、すべて美味だと感じる。飲み物はそこそこレベル。これは高級で確かな味を知っている姫川ならではそう思うのだし、日本酒や焼酎の類は飲み慣れていないのもある。何より酒は人の手で味を付けるものではないのだから、しかたない。だが、食べ物は確かに美味いのだった。
「成る程なぁ」
「美味ぇだろ?」
 姫川としては、こんなボロい居酒屋ごときに屈するのは情けなくもあったが、そんなことをああだこうだとカッコつける歳でもない。素直に頷くと、神崎が目を大きく見開いた。素直な態度を取るのが、そんなに珍しいのかよ。とわざと不機嫌そうに言うと、ニヤニヤと笑った。神崎の人相の悪さは歳を重ねてさらに上がったように思える。顔の傷もそれを助長している。チンピラの類にしか見えない、なるべくして生まれた家だったのかもしれない。そんなことをぼんやりと思った。だが、チビチビと酒を飲む様を見ていると、浅はかなガキのようにも見えてくるのが、姫川は不思議だった。
 酒が三杯めに差し掛かる頃、ようやく神崎は重い口を開いた。下らなかったり、他愛なかったりすることならばダラダラとこれまで話してきたというのに、核心はなかなか見せない男。気づけばテーブルの上はつまみの空の皿がドンドンと積み重なっていた。神崎はあまり飲まずに食べてばかりいたようだ。元より酒が弱いようだし、抑え気味に飲んでいるのは見て取れた。そして姫川は飲み慣れぬ酒に、少しだけほろ酔い気分だった。癖の強い酒は効き目が早いなどと言った。ほろ酔いはそう悪くはない。さっきまで気になっていた汚れた座布団と畳がもう気にならなくなっていた。
 いつになく真剣な顔をした神崎が真っ直ぐに、姫川を見つめている。高校時代につるんだ何ヶ月間であっても、こんなふうに見られたことなどなかったのではないか。姫川はそんなことを感じた。目の前にいるこの単純明快なはずのノータリンな男の気持ちが分からなかった。冷たく乾いたいつもの視線ではなかった。熱を帯びた視線の力に、姫川はそういえばこんな目ヂカラには久しく見られていなかったな、と冷静にも感じていた。ただ、感じるのは神崎の決心の重さというもの、それだけをずっしりと感じた。冷たく刺すような視線なのに、そこには確かな熱が込められていた。これを冷静に流せるのは酒の力だと姫川は思った。シラフでこんな眼で見られれば、ただごとじゃないと受け流せなかったかもしれない。
「相談……っつーより、おめぇにしか頼めねえことだ」
「………早くいえ」
「……頼む。」「ずっと待ってる」
 短い言葉が連なるようにつながった。なんだこれ、気味悪ぃ。愛の告白の瞬間とかかよ。どちらともがそう感じたが、特に姫川はヒいていた。昔では考えられないシチュエーションに、酒でほんのりと酔っても居心地の悪さは拭えない。またおかしな言葉が連なるのが嫌で、口を出さないことに決めた。早くいえ、本当はそう急かしたかったけれど。
「姫川。……まじ、悪いけど」
 何がだよ。用件も言わずに伝わるはずもない。本気で殴りたいほど、姫川は煮え切らない態度の神崎を殴りつけたい衝動に駆られ始めていた。苛々は顔にも出ているはずだが、神崎はそれを気にする素振りも見せない。こんなちっぽけな店で大の男が二人で暴れたのなら、大ごとになってしまうし金で解決するといっても面倒ごとは御免である。姫川は神崎を睨みつけるだけで我慢する。
「金、貸してくんね?」
 …ん?
 意外な、そして現金な言葉だった。まさか神崎が金に困っているとは思えないのだが。神崎が、深々と頭を下げた。どうやら、他人にものを頼む態度はここ数年で勉強したらしかった。生意気な態度が改められていたのはこういった事情だったのか、と姫川はニヤつきを隠せない。だが、神崎組が解散したとか、金回りがキツいだとかそんなことなど一言も聞いたことがない。同じ町に住んでいて知らないはずがない。神崎の望みは理解ができない。
「てめえが金に困ってるワケねえだろ。組だって上手くいってるって話、」
「俺は、……足を洗う」
「…あん?」
「親父の代で、神崎組は終いだ。」
 何かを決めた、悟った眼をしている。何かあったに違いない。そして、それは神崎を変えたのだ。そんな神崎を、眩しいとさえ姫川は感じた。堪らず目を細めていた。馬鹿馬鹿しいと思ったが、反射はどうにもならないものだ。
 変わっていく。
 久我山が変わったように。神崎が変わったように。姫川は相変わらずだと自分では思っている。時間が変えていくかもしれない。だが、彼らほど自分が変わるとは思えない。何もかもが変わっていく中で、姫川は自分だけまごついているみたいだ、と一人思う。そんな気を紛らわすために、答えるより先に煙草に火を点けた。その音で、ようやく神崎が顔を上げた。どこか意外なものを見つけたような顔をしている。
「お前、変わったな。昔なら絶対なんでだって聞いてたろうがよ」
「……ハッ」
 笑うしかない。自分というものは気づかないものなのかもしれない。いつでも向き合えるから、いつも向き合わないで逃げているのかもしれない。他人を通してしか自分を見られない生き物たち。器用そうな顔をして、不器用にしか生きられない、そんなのは自分たちらしくて笑えてしまう。
 生きている。ただそれだけのことなのに、どんどんと変わっていく。昔の同級生と飲んだだけのことなのに、新しい思いさえ生まれて、驚くくらいに変わっていく。
「兄貴も俺も、別の道を歩く。今時ヤクザとか暴力団とか政治家とかよ、しょーもねぇって。で、何かやっかなーって」
「長くなりそうだな。…朝まで飲むか」
「お前こそ、穏やかになりやがって。ちゃぁんと嫁に言ったのか?」
「ああ? 何をだよ」
「『愛してる』とかよ。素直じゃねぇ姫川竜也くんよぉ」
 始まったばかりの夜は長くなりそうだった。神崎の考えを聞きながら、そういえば一度くらい愛のセリフくらい言ってやるべきだろうか、なんてぼんやり考えながら強めのアルコールを煽った。つうか、早く結婚しろよ神崎。まだそんなことに考えも及ばない、懸命に生きる男を見ながら、姫川はそんなことを思った。


13.06.02

神崎と姫川の友情ものです。
しかも姫川視点だとか!

長い上に展開は開かないし、つまらなかったかもしれませんね…。

気になる所で終わってますが、実はこれ、とある企画ものの内容と被りそうだったので。つい…逃げてしまいました。


自分としては、もうちょっと動きのあるものを書く予定だったんですが、なかなかそうもいかず…。
でも、変わった感じなったんじゃないかと思います。で、今までにないくらいアダルティな内容というか!しかもエロスな意味ではなくて。

成長ものって呼べるほど著しいわけでもなくて、何気無い日常の中の変わった部分を、たまに会った友人に気づかされて、それで人は変わってくこともあるんだな。みたいな

そんなに仲良しだったわけでもないのに、なんとなく。いやでも、的空気とか、出てればいいなぁと思う

他にも、シリーズものではおとなになるってことを、書いていきたい気持ちです。最近、そんな子供みたいなことを考えるから。
おとなになることのすばらしさと、虚しさがなんか、あるんですよね。最近。気のせいかなあ……

お題:

2013/06/02 21:23:44