ふたつの欠陥品002


joy


 十四、五歳。青春時代真っただ中。そんな時。もう二十年程も前の話である。
「彼女とうまくいってんのか?バレット」
 ダインは付き合っていた女と別れたばかりだった。スレンダーで二枚目な彼はよく女にモテた。バレットはゴツイ容姿のせいであまりモテなかったが、ダインよりも流行のファッションや流行りに精通していたため、捕まえた彼女をなかなか離さないタイプだったのである。
「ドコまでいった?A?B?はたまた、…C?」
 マッタク…。ダインはこんな話を聞いてどうするというのだろう。今夜のオカズにでもするつもりなのだろうか。ニヤニヤとイヤラシイ笑みを浮かべる親友に隠れて小さく溜息を吐く。逆の立場であったのなら、バレットも同じ質問をあてつけにしたのかもしれない。そう思えばこそ、隠れて溜息を吐くべきだと思ったのだ。
「前に言ったじゃあねえか」
 そうバレットが答えてから、しばらくの間があった。
 ダインは思い出していた。目の前の親友が自分と同じ思いを共有していた事を。
 キスまではこぎつけた。それはもう、必死に。相手も厭じゃないかとか、逃げられたらどうしようとか、色々な事を悪い方向に考えながら考えながら…。そこまでいったのはいいけど、そこでお互いの唇は離れてしまって、…それからどうすればよいのか、皆目見当もつかないなんて、どちらも同じ悩みを抱えていたのだとういう事を。
「オトナ…ってよ、その後、っつーのを本とかで勉強するんだろ?」
 見た事がないのでお互いに知らないのだった。
 炭坑の町・コレルは貧しく小さな町なのである。生活に最低限必要なもの、そして、富裕層にだけ与えられる娯楽物。ビニ本と呼ばれるものは十代の若者には手の届かないものだったのである。むろん、ここにはテレビはあってもビデオはない――あったとしても、そんな高価なものは買えるはずもない――。そんな場所に生まれた少年たちはどうやって性を学ぶのかと言えば、それは‘ノゾキ’以外では殆どなかった。
 それを知らないダインとバレットは、そんなアヤシイ本を探すため粗大ゴミ置場に数週間通い始めたのだった。今となってはよい思い出である…。

 彼らの運が良かったのは、しばらくゴミ捨て場に通っていた事で、お目当ての【イヤラシイ本】が捨てられていたのを発見できた事である。

 それを見つけてからというもの、二人の行動は怒涛のように突き進んだ。
 二人は本を抱きかかえて、部屋でひっそりとそれを開く。そこにある官能の妄想記録は彼らの脳を痺れさせるのには十分な刺激があった。
 開くページには毛深い男と、特に毛深くない男が深く舌を絡ませ合い、睦み合うシーンが掲載されていた。二人は息をのみながらページをめくる。文章には足を開く毛深い男が懇願するように「ケツマンコ気持ちいい」と何度も喘ぐ描写があった。そのシーンの後に毛深い男はケツマンコを弄られて射精する描写がなされている。
 マンコが女の性器である事はバレットもダインも知っていた。だから本に載っている言葉が造語である事もすぐ分かった。しかしその本を見て深く理解できたのは、その【マンコにチンポを入れる】事であった。それがC…セックスなのか、と現代・日本人で十代後半に分からないはずもない事由をまじまじと、熱を帯びたように顔を赤らめながら感じていたのであった。
 男同士の性行為には、違和感こそあれど嫌悪はない。それはここが炭坑の町である事が深く関係している。炭坑夫が多いとあれば女性は少ない。結果、ゲイやバイセクシュアルが増えている地でもあったためだ。だからそれは日常であったし、嫌悪の対象にはなりえなかった。たまたまこの青年二人はそういった嗜好を考えた事もなかった。それが一致していただけの事だったのである。
 その本は暫くの間、彼女を失ったばかりのダインが持っていた。
 バレットは彼女と肉体関係を持つ暇もなく、数か月の期間を恋人と過ごしていた。この間勉強したセックスのやり方は付き合いには全く活かされる事もなく。

「なあ?」
 炭坑の仕事が一段落ついてから、しばらくぶりにゆっくりとダインの部屋でだらだら過ごす休日。久し振りの連休に二人はくつろぎモードだ。ダベリも落ち着いた頃、意を決したようにダインが声を掛ける。「ん?」バレットも短く返事を返す。
「最近彼女とはどうだ?」
「忙しかったから…あんまり会ってねえが、変わんねえよ」
 特に仲が進行するわけでも、後退するわけでもない。元より炭坑の町に住む娘なのだ。稼ぎ時に稼いでおくべき、という生活スタイルは熟知しているはずである。何よりバレットの方から一言「これから忙しくなるからあまり頻繁に会えない」と言えばそれで済む問題だ。会わなかったからと言って、別れる理由になりはしない。
「ところでコレ、…覚えてっか?」
 ダインがおもむろに出したのは、前に二人で見つけたヤラシイ本である。元からゴミ捨て場の物だったので、ボロボロの度合いは変わっていないように見える。
「俺は勉強した。だから……練習しねえか?バレットは彼女のために。オレは…未来の彼女のために」
 十代の若者らしい、極めて単純な意見をダインはぶつけてきたのだ。
 興味のある盛り。それはとても刺激的な誘いだったから、バカバカしいと思いながらも、抗えるわけもない。


 二人の間にツゥ、とつながる唾液の糸は切れもせずに間に存在していた。その糸を何も考えるまでもなくバレットが手で拭ってしまった。その手を口元に運んだ姿を見て、ダインは思わず「おい……何してんだよ」と声を掛けてしまう。バレットはそれに答えを詰まらせる。勢いというか、特に考えるでもなくしてしまった行動だったのだ。本能のような。
「…そういうの、エロいな」ダインは答えない親友にぽつりと溢す。何だかそれだけの短い言葉にバレットは、ひどく狼狽しどう返してよいか分からなくなってしまう。
 練習とやらを続ける。そんな言葉は一言も無しにダインはまたバレットの眼前にその精悍な顔を寄せた。まだお互いに呼吸も整っていない。お互いだから関係ない、とでも言わんばかりにまた目の前の親友の唇を咥える。何度口を吸ってもそれはダインからの行動だ。
 ダインの薄い唇が、バレットの厚い唇を軽く甘噛みしつつ吸う。ちゅ、と音を立ててから薄く開いた唇の内に、先程初めてその感触を味わった舌をまた味わい愉しむように挿し入れる。受け入れる側のバレットの舌は、そのダインの舌から逃げるように丸められたままだ。それをほぐすかのようにダインの舌は中で蠢く。異物の感覚は二度目であってもやはり慣れはしない。常は閉じている扉をこじ開けようとするかのような、しかしそれは優しい動き。力の入ったままの丸まった舌を優しく撫で上げ、そして内側の形を確かめるようにソフトタッチで撫ぜていく。そうしていくとゆっくりと内側から開いていくような感覚で、互いの舌が触れあう。どちらともなく絡み合うのには、そう時間は掛からない。
 それから数分経った。再び親友の間には二人分の唾液が絡み合う粘っこい汁がつながっていた。
 その行為はまたあと数回にも及んだ。まるで恋人のように。


‘口吸い事件’からしばらく経ったある日、お互いの仕事の休みの日など、同じ職の二人は知る事などそれこそ火を見るより明らかであったので、休みの前日にダインが連絡をしてきた。
 しかし、休日に恋人と会う約束をしていたバレットはそれには応じなかったのである。



 そして、現在…。
 その昔、ダインが座っていた場所…。そして、バレットが住んでいた家。その場所は焼き払われ、そして…建て直す事もなくただ、朽ちようとしている建物たちがそこらに並んでいるだけ。古い建物らが並ぶ貧しい炭坑の町。そして現在、炭坑など流行りはしない事など、魔坑炉の登場によって明白。どこでダインが、そしてバレット――自分自身がどこに住み、そこで何をしてどう生活してきたのか、などまるで昨日の事のように思い出す事が出来る。
 それほどに、コレルでの思い出たちはバレットの心の中にこびり付いており、そして、元の自分の生活の場所に行きたくて仕方がなかった。
 もちろん、それは友人を決して忘れたくないからだ……!


 バレットはダインを思いながら強くある種の高揚を覚えていた。
 そう、ここはバレットとダインが意味も分からず唇を吸い合った場所、…の地べたである。だが今はガレキの塵と砂ぼこりばかりが舞っている。あとは排気ガスや、数年経っても消えない燃えカスのような臭いは、不快にも未だに消えていないようである。反射的に鼻をひくつかせると余計に焦げ臭さは伝わってきた。
 だが、それ以上にダインと共にいたこの場所を想うと、更に高揚するのだった。
 その激しい動悸に胸を押さえ、複雑な気持ちを抑える。今こうやって「死神」扱いされる場所と「親友ダインとの思い出」の場所。これらを対象にするのは非常に難しいが、このどくどくと高鳴る胸はそれを望んでいるようにも思えた。
「思い出は美化する………そりゃあ本当のコト、かもしれねえ…。が、」
 バレットは言葉を切り、十年以上前の事に思いを馳せた。親友を悪者にしたくなどない、その一心で。