理不尽な自由



 ケータイを何台持っていても不思議はない時代。ケータイの必要性だけは頭の中に重く強くのしかかるものだけれど、何台持っていても、それは用途によるものなんだよね、という一言で足りるこの時代だから、面倒はほとんどない。何台も持つ意味なんて、殆どきっと無いのだろうけど。意味を感じることすら、意味なんてきっとないこの時代だから、感じることすら無意味なんだろう。だが、それを誰が口にできるだろう。きっと、誰しもしたくてもできない気持ちなんだろう。もやついた思いを抱えながら、姫川はパクッとケータイを閉じた。二つ折りのケータイはいつしか、「ガラケー」なんて言われていて、ガラパゴスってなに?と聞く間もなく、ただぼんやりとウィキペディアのページを見ながら納得したりしていた。もちろん、それについては姫川は誰かに口外したことも無い。でもきっと、急に流行り出した言葉にウィキペディアに頼るのは成人だけじゃなくて、姫川らのような未成年らもきっとそうなのだろう。きっちり答えることができる脳を持って、それをないがしろにしている。物が溢れる時代はいつだってそうだ。
 一つは女に教える番号。一つは仲間内、とはいっても姫川には認めた仲間というのはほとんどおらず、取り巻きらに教えているだけといったところ。もう一つはゲーム用、ゲーム友達に教える番号もこれ。さらに一つは仕事用、姫川財閥として必要な番号だった。そして、どれも要らないといえば要らないと思えた。今のところ、四台のケータイをジャラジャラと持って歩くのは面倒で、億劫であった。だが、要るといえば要るのだ。と、その時高らかに姫川のケータイが音を奏でた。どれだろうと思えば、女の一人からだった。姫川の好きなクラシックの曲が流れている。ケータイに出るも出ないも、自由だった。女がケータイを鳴らせば、それだけ心地好い音楽に身を浸していられる。窓から射し込む光りがやさしく温かだったので、そんなことをうっかり思ってしまう。その曲は、その昔姫川がヴァイオリンを習っていた時に、初恋だったかもしれない、淡い想いを抱いていたヴァイオリンの先生から褒められた曲だった。彼女に褒められたくて、当時姫川少年は文字通り「頑張って」ヴァイオリンを習い、練習したものだった。そんな淡く懐かしい思い出に、姫川は一人苦笑を洩らしてしまう。彼女の言葉が脳に蘇る。彼女の微笑みが胸をちり、とうつ気がした。彼女はいった。
「竜也くん、どんどん上手くなるのね。すごい」
 やがて、クラシックの着信音は止んだ。ふと姫川が顔を上げると、教室にいたクラスメイトらと目が合う。どうしてケータイに出ないんだ、と不思議がっている様子だ。あれだけ長く、鳴らされたというのにどうして出ないのか。ケータイは出るのがマナーだし、メールは返すのが当然と思っている彼ら。そうしなくてはならないという、観念に囚われているということにすら気づけない彼らの姿は、時に野暮ったいもののように姫川の目には映る。電話は出なければならないものなんかじゃない。女は用事がなくてもかけてくる。声を聞きたかったから、とかなんとか無駄な時間を押し売りしてくることもあるのだと、姫川自身も最近ようやく気付いた。それから姫川は自分の思い出の曲に、着メロを変更したのだった。煩わしい着信音は、懐かしいよき思い出への道しるべのように変わった。変えようと思えば、環境は姫川の望むように変わるものなのだ。だから、取捨選択もまた姫川の好きにできる。要らないものは捨てていいのだし、欲しいものだけを手にいれておけばいい。そうやって自分の好きにやっていけることは、この上なく気楽で、とても幸せなことだろう。周りの誰もがそう感じている。欲しいものなどすべて手にいれてきた。金の力はどんなものをも手に入れる力だ。人の生き死に以外のほぼすべてが金で解決できた。心だって買える。堅実な考えなどバカバカしいだけ。そんなことを考えていた時、フワリとよい香りと共に、長く流れるような刺さるほど黒い髪が姫川の目前をよぎる。ハッとする。よく目に入ってしまうのは、その存在を気にしているからだろうか。着崩さないスタイルの石矢魔の制服は目に新しい。特攻服よりもよく似合っていると姫川は感じていた。そう言ってやるべきだろうか。
「クイーン」
 本当に口にするつもりなどなかったのに。思わず声をかけてしまったことに、姫川自身の声の優しさに、姫川は少し後悔してもいた。呼ばれて邦枝が足を止める、ゆっくりと振り向く、サラリと流れる眩しいほどの黒髪、凛とした強気の表情、強い視線。そこで再び姫川の手の中にあるケータイが音を奏でる。先と同じお気に入りのクラシックの曲が高らかに鳴る。
「鳴ってるわよ」
 邦枝が冷たく言う。姫川はくだらない女などどうでもいいと思った。今、言いたいのはこんな女のことじゃない。昔想ったヴァイオリン教師のことでもない。邦枝が振り向きかけて、そしてやめる。再び彼女はどこかへ向かおうとする。まだ着メロは鳴り止まない。バカな女はしつこくて、気が短いのだった。姫川は鳴り止まないケータイを持つ手に力を込めた。どうしてだろうか苛々した。ぐ、と力を強めると、ケータイが軋んだような気がした。もっと力を強めたら? 一体どうなるのか? それよりもっと、手っ取り早い方法が姫川の脳裏には生まれていた。かけてきている女の顔はどんなだったろうか? そもそも、どの女が電話をよこしているのかすら、姫川は確認もしていないのだが、たいして気にもならないのだった。どの女であっても───。
 姫川は何も言わず、ただその場にケータイを叩きつけた。教室じゅうに響き渡る破壊音に、邦枝でなくともみんなが振り返った。と同時に、クラッシックの音は鳴り止んで、姫川のケータイはただの塵となった。バリバリに砕けたケータイの残骸に、クラスじゅうのみんなが息を飲んで姫川の様子を見つめることしかできない。姫川はそれでよかった。邦枝の視線が、壊れたケータイと姫川の間を何度も行ったり来たりしている。それが可笑しくて姫川は笑った。姫川のケータイが粉々に砕けた、砕いたのは姫川、慌てているのは邦枝、そんなのってないじゃねぇか、おかしいじゃねぇか、俺が気にしてるわけでもねぇのにおかしいだろ? 人のものがなんだってんだ。ものは容易く壊れる。壊すのも人、使うのも人、作るのも人。──棄てるのも人。
「ようやく…、こっち見たな」
 邦枝の目が驚きに見開かれる。とても愉快だった。しんとした教室に姫川の高めの声が響く。
「その制服、似合ってる」
 会話の邪魔になるケータイは始末したけれど、それでも、まだあと何台もケータイは、姫川の懐にあるわけで。やりたいようにやる、嫌な時はしない、飽きたらやめる、すべて言葉の上でのことだった。結局、姫川は何一つ捨ててはいないし、捨てられないのだった。口では自由をのたまっていながら、どこかで縛りつけられている。選ぶ自由など、とうに棄てている。ただ、その事実から目を背け続けているだけだ。捨てられない不自由の中で自由を語るなんて、あまりに理不尽じゃねぇか。だが、そんな中で姫川は、ただ一つ形に囚われぬ自由を唱えた。
「特攻服より、ずっと似合ってる」


13.04.07

お題ったーシリーズでございます。

屈折してます。

姫川ってこういうイメージです。
硬派じゃないんだけど、結局は坊ちゃん野郎なんですよって印象。
打たれ弱そうだし、ワガママ放題だし。

でも自信が持てない部分が実は、密かにあってそれがコンプレックスになってるというか。それもコンプレックスだから、自分では気づいてないし、気づきたくもないし、気づきが怖いっていうのもある。それのぜんぶを認める気もないし、本当にワガママな子どもって感じ

それを感じさせるのが邦枝で、わずかな抵抗を示せるのも彼女にだけ。だから、気づかせられるのもきっと邦枝だけなんでしょう。


意外にも、ケータイはいいアイテムになりましたね。
私的にケータイは嫌いです
いっぱい持ってるヤツも嫌い
まぁ、あれば便利なのも分かるんですがね、、、

2013/04/17 15:39:09