※ ♀神崎なので嫌いな方はバックプリーズ



 俺は男だ。
 こんな職は男じゃねえとハクがねぇし、俺は男じゃねぇとダメなんだ。俺はずっと男の中で、男として生きて来た。
 ああ、でも信じて来たお前が、なんで、俺を女って言うんだ。

 この世界じゃ、男じゃいけねぇからって俺は、ずっと男だって……そう思ってきたのに。



 銃を片手に、神崎が冷めた表情で突っ立っている。その傍に夏目が両腕を縛られた格好で椅子に座っていて、諦めたような困ったような表情を浮かべている。冷めた表情の神崎の顔が、急にくしゃりと歪む。泣きそうなくらいにくしゃりと歪む。どうすればいいのか分からないというような、泣きそうな顔をして神崎がそこで動きを止める。ただ、隣の夏目は涼しい顔をしたまま後ろ手に縛られた格好のままそこにいる。神崎は泣きそうな顔をしたまま、夏目に銃を向ける。銃を持ったその手はなぜか分からないがぶるぶると震えている。夏目と目を合わせたくないらしい神崎は目を伏せたままでいる。まだ銃を持つ手は震えたままだ。神崎の手は、神崎の目は、夏目のことをうちたくない、狙いたくもないと言っている。それを汲み取ったように、黙ったままで気配を消していた、だがその巨体は確かに神崎の傍らで存在感を持ち、確かにそこにいたはずだったのだが神崎以外の誰かには気付かないほど静かに佇んでいた城山が、万を時したかのように低く声を発する。神崎さん、と小さいながらもいつものように呼んで、そして、
「いいんです。アナタは無理をしなくて」
 すべてを悟っているかのような言葉を口にする。いつもそうだ、城山は言葉にしないことでもまるで分かっているとばかりに神崎に向けて諭すことが多々あった。それを神崎は煙たいと感じることもあったし、勿論口にはしないのだけれど助かると思うこともあった。それを分かっているからこそ城山は神崎にどんなに虐げられようとも、諭し続けるのだろう。夏目は、先の神崎の同じような諦めたよう表情を浮かべ溜息を吐いた。まだ後ろ手に縛られ体は自由にならぬままそこにいる。夏目が足を動かすと、椅子がカタカタと鳴り耳障りな音が静かな室内に響いた。それを気にするものはここにはいない。夏目は変わらず口を開かずにただ黙ったまま神崎と城山の様子を交互に見つめていた。やがて、神崎の手から銃が転がり落ちるように離され、静かな空間を打ち破るように地面に落ちる。急に耳に届いた硬いものが落ちる音は不快感を誘う。落とした神崎に悪気はないが、もう少し静かに落とせないものかなぁなどと、どこか場違いなことを夏目は思ってしまう。そしてやっと気付く。自分の身を脅かすものはこれでようやく失くなったのだと。神崎の手から滑り落ちていったそれを見下ろしながら、神崎と城山との息遣いを感じた。この場所には自分の言葉も、存在すらも今は不要なのだとなんとなく思った。だが、夏目は未だに椅子に括られた格好のままであり、ここから去ることは許されない。ならば、このまま顛末を見守るしかないではないか。夏目はゆっくりと視線を上げた。再び映る神崎と城山の姿は、先程見たものと寸分の違いもないようだった。


 神崎、夏目、城山との出会いは高校時代にまで遡る。まさかこの当時は、こうして内輪揉めだの組だのエンコ詰めろだのと、こんなにバカバカしくてこんなに暑苦しい世界に三人一緒に足を踏み入れることになるだなんて、誰もが予想していなかったのだけれど。そんなヤクザな世界は神崎組の長女として生まれついた一だけが巻き込まれて行く。いや、女として生まれた以上はそれはなくて、早ければ高校卒業後にすぐにでもヤンママにでもなって嫁に貰われる…なんて夢物語の方がいくらか現実的だったかもしれない。ただ一つ、神崎家に生まれた長男・零がヤクザな道から逃げ出したことが全てを分けた。十歳以上も歳の違う兄妹は、物心ついた時点で妹からすれば兄はひたすらおとなへの階段を登っていた。眩しいほどおとなに近づいていく彼を、神崎一はただ目で追っていた。ただ、彼のようになりたかった。父の背中には憧れを抱かなかったが、兄の背中には追いつきたいと切に願った。いちばん近くにいる力強くて頼りがいのある背中だと思ったからだ。だが、それが裏切られたのは突然。
 父の跡を継ぐとばかり思われていた兄が、それは絶対にないと言い切り癇癪のように騒いで家を出て行った。確かに今までだって温厚に、それはヤクザとは無縁なように普通の暮らしをしてきていたけれど、ケンカだってしたことがないようなナヨっちぃ兄ではなかったし、キレると怖いという噂はそこかしこにあったのだから伝説の事件なんてものも存在するらしい。妹と歳がかなり違うためあまり詳細な噂は耳にしないが、バイクを乗り回したりしていたあたり、そこそこのワルだったことは想像に難くない。とどのつまり、ヤクザ家業を継ぐには十分な資質のある青年だったということだ。
 妹はまだ小学校に上がったばかりで、そんな荒くれ者のいる環境に育った手前、女の子女の子しているはずもなく、元より男勝りといった感じは否めなかったが、可愛がられ、それこそちゃあんと娘として育てられていた。それを拒んだのは彼女自身だ。赤いランドセルはすぐに捨ててしまった。学校指定外の兄からのお下がりのカバン、それを肩からぶら下げるのがカッコいいんだと信じて疑わなかった。もちろんランドセルを捨てたことに関してはしっかり兄からも父からも絞られたけれど、最終的に周囲は笑って受け流していた。家がこんなものだから、そういうふうに走るのもおかしくないのだと。
 妹が学校から帰ったある日のこと。ぐちゃぐちゃになった家の中で、殴られたような痣のある父がぼんやりした様子でただどこか一点を見て、口の中だけでぶつぶつ言っている。たまにある黒服のおじさんたちがどうのというのとはわけが違っていた。父の友達のおじさんたちも、いつもは駆け寄っていくというのにその日はどうしてか父に近寄れずにオタオタしている。一は聞いた。
「親父、誰になぐられたの?」
 父は答えない。
「ケンカしたの?」
 父は答えない。
「なんでへや、ぐちゃぐちゃなの」
 父は答えない。
 その日、兄が神崎家から消えた。詳しい事情は小学校に上がったばかりの妹には分からない。ただ、彼女の胸に残ったのは兄の代わりにならなきゃということと、カッコいいはずの兄が自分や父を捨ててどこかに消えたということだった。ひどく傷付いていた。兄に捨てられたのだと思った。また、父も深く傷付いていた。
 あの日から、一はヤクザとして、男として生きてきた。そうして生きいくうちに出会ったのが夏目と城山だ。つるむ仲間は彼らだけではなかった。神崎をヤクザの家系と知りながらゴマをすってくるヤツなど腐るほどいた。もちろん、裏世界のなんたるかをまだまだ知らない神崎は最初は悪い気もしていなかったが、徐々に知っていく。ヤクザたるやなんであるか、周りのヤツらの気持ちたるやなんなのか。腹の底から悔しかったり、憎かったりしたこともある。世界のいろいろを知ることは、ヤクザのキタナさを知ることでもあった。それを理解してもなお、夏目と城山は神崎の元から去ろうとはしなかった。どちらも前々からそんなこと分かってましたと言わんばかりにさも当たり前のように側にいて、そして……
「覚えてるか?高校時代…」
 なんだか全てが懐かしかった。神崎は目を細めた。神崎は高校時代、二度ほど嫌というほど女であることを深く恥じている。それは恥ずべきことではなかったが、今まですべて投げ打ってきたさまざまなもののことを思えば、やはり今さら女ですなどと認められなかったからだ。
 一度目のこと。高校に入って不良どもを潰していた。神崎らのいた石矢魔高校は名だたる不良どもが集まる、いわゆるバカ学校だったのだがそれだけに勢力争いも絶えなかった。教師は教師の意味をなしておらず、ただ形だけそこにある生き物だった。そこにリーゼントの気持ち悪い男が編入してきた。そもそも編入してくるという時点でおかしいのだが、金持ち坊ちゃんだと聞いていたのにおかしなもんだと思ったものだ。神崎はやがてその男・姫川と対立することとなる。彼が瞬く間に勢力争いに駆け上がってきたからだ。その頃はまだ夏目、城山とつるんではいなかったが、神崎派・姫川派に二分するほど互いの勢力は増していた。そうなればどちらが上か示す必要があると分かっていた。周りの空気もそんな派閥争いのようになってしまい、結局顔を付き合わせることになるまでに、そう時間はかからなかった。そもそもが争いごとが好きな人種なのだ。不良とかバカとか呼ばれる神崎や姫川のような生き物は。対立しないワケがない。
「なぁ〜んだ、ヤクザの長男坊って聞いてたからてっきり俺は………」
 メンチ切りもそこそこに、姫川は神崎を舐め回すように見やりながらぬめっとした笑みを浮かべた。その時神崎は当然「キモッ」と思った。まあ普通の反応だと思う。人として。そして目を見てこういった。
「オッパイも無ぇジャリか。まぁ、でも可愛い顔してんのな」
 と挨拶がわりに胸にタッチされたのだった。その時に堪らず上げた悲鳴はたしかに女のそれで、全てが信じられなかった。今起こったことは何かと。顔は真っ赤にほてり上がって火を吹く寸前ほど熱い。自分が女だと認めたくなくて、その場は姫川をぶん殴ったけれどギャアギャア喚いたりしたことこそが女のそれだろうと自己嫌悪した。あれからというもの、姫川は神崎の大っ嫌いのうちの一人である。もちろん、対立するといっても向こうが女相手にハハハといった調子で取り合わず、時には太ももを撫でたり腰に手をやったり、うなじを触ったりとひたすらにセクハラとしか呼びようのないことをしてくるものであまり近寄りたくはなくなった。お陰で派閥争いなどあまりなくなってしまった。この話が元で楽しそうだとやってきた夏目がいて、そのあとか何かにまったく別の理由で城山が神崎を慕って来たのだったが、これは神崎にしてみれば嫌な思い出だった。だがこの出来事は二人ともその場所で見ていたという。その時も顔が真っ赤になって神崎は自分が嫌になったのだったが。
 そして二度めの女を感じたこと。これも高校時代だった。姫川の事件よりもだいぶ後になってからで、石矢魔高校の三年になってからのことだった。東邦神姫などと呼ばれるようになってだいぶ経ってからの話だが、一年に男鹿というガキが入ってきた。そいつに一発で負けた時のことだ。仲間にしてくれというから城山を倒せ、その倒した城山を窓から捨てろと言った神崎に何のためらいもなく顔面にパンチ、しかも窓から落とされたのは神崎自身で。女であることをもしかしたら、これまでずっと武器にして来たのは自分の方だったんじゃないかと入院しながら神崎は考えた。殴られながら、ほんとうはすごくショックだったのだ。あんなふうにストレートに殴られたことは今までなかったから。もしかしたら、女であるから手加減してもらえてるのは当たり前だとかそんなことを、本当はちょっぴり武器にしていたのかもしれない。姫川の時とはあまりに対照的で、どうしたらよいかわからない。実はちょっと泣いた。情けないから誰にも言っていないが、女々しくも一人でメソメソした。男とか女とか関係ないと言いながら、一番こだわっていたのは自分だったんじゃないかと神崎は深く考え込んでしまった。ひどくみじめだと思った。
 そんなこともあったが、ずっと神崎はやっぱり、どうしても女であることを肯定してこなかった。神崎組の看板が肩に乗せられて早くも数年経っている。それには男でないと困るのだ。そのために夏目にも、城山にも汚れ仕事をやってもらったし、尽力してくれた。彼らには感謝してもしきれない。性別や家柄など関係なく側にいて、時に突き放したり怒ったりすることもあったけれど、いいも悪いも認め合って築ける関係があることを神崎は知った。結局、いいことだけで人はやってはいけない。悪いこともあってはじめて人は支え合える。そんな当たり前のことを、知ることができたのも彼らとの関係のお陰だ。

 今回のことは、夏目が起こした出来事だ。まだ夏目は椅子の上で後ろ手に縛られたまま動けずにいる。彼を責めるのは神崎としても当然のことだった。今、ノリに乗っている神崎組に対する冒涜を、夏目はやってのけたのだから。しかしそれは、神崎の父にとっては願ってもないことだったのが、神崎一にしてみれば運のツキだったのだが。
 ある晴れたお日柄もよい日。夏目は若頭の右腕として神崎の父に会いに行った。もちろん仕事の話だ。昨日回ってきた用心棒をしている店の様子や、みかじめ金についての回収率、商店街の話などしのぎをけずる者の話だった。そんな話の流れでどうしてそんなことが言えるのか、夏目は唐突に「話があるんですけど」といつもの軽い調子で言った。だから父は普通に聞くだろう。そしたら、その内容というのがこれだ。
「実はぼく、神崎くんのこと好きなんですが、結婚させるとかって考えてないんですか?」などと聞いたものだ。しかも優男のうつくしい笑顔が長い髪を揺らして踊っている。その様子はさながら気取った洋画の世界のようで、父も面食らって気付けばこう答えていた。
「あのおてんば娘のこと、…ワシだって一の子どもの顔が見たくないわけないじゃないか」
 何より父は、孫の可愛さをすでに知っている。生意気な孫娘・二葉の存在があるのだし。だから男として生きようとしている我が娘のことを、そして、それをさせた兄・零がどんな気持ちで父に反目したか、その顛末のすべてを知る父であったからこそ、一には言えないこともあるのだった。ムリに女であることを捨てることなんてできやしないと言ってやれなかったのは、男親である以外にも理由はあったのだ。理由はあるにしろ、元の性に抗って生きてほしいと感じる親はいないだろう。性同一性障害という言葉はあるが、そんなしゃれたもののことなど昔気質のやくざ家業の親父様に通じるわけもない。じゃじゃうま娘だと思っていたそれを好きだという、しかも人柄もよく知っていてやくざの世界にも足を踏み入れている男だ。願ったり叶ったりだと思うのもムリはない。そこから一には結婚させるとかなんとかという話が持ち出されたのだった。あれよあれよという間に夏目をあてがわれるようにして二人きりにされた神崎は、どうすればよいかわからなかった。
「俺、結婚とかオトコとか…関係ねえってずっと言ってきて、そんなのする気なんかぜんぜんねえのに、それで、」
 その後の言葉は続かなかった。夏目の唇で神崎の唇は塞がれたのだ。好きだ、と夏目は静かに耳元で囁いた。
「俺は、神崎くんのことがずっと好きだった」
 何年も本当はそう思っていたのだと、デートスポットの海の堤防の上で夏目がいう。
「そうでもなきゃ、こんな仕事を一緒にやろうなんて普通は思わないよ。少なくとも、痛かったり怖かったりする世界だ。忠誠とか仁義とか、そんなことだけでずっとなんて、まともな神経じゃむりだ」
 夏目の告白は残酷だった。結局、男と女は色恋の気持ちがなければ一緒にいられないみたいじゃないか、と神崎は思う。では今までの絆や誓いは何だったというのか。頭の中がぐちゃぐちゃになっておかしくなりそうだった。夏目から離れたばかりの唇が、顔が熱い。火照ってまともな考えなんかじゃいられない。だけど、それを冷やしてくれるかのように冷たい海風が夏目と神崎の二人の間にさらさらと流れていく。少しは冷めた頭で城山の顔を思い浮かべて神崎は叫ぶようにいう。
「だったら城山はどうなんだよ?!」
「城ちゃんだって同じだよ、俺と。ただ俺の方が、辛抱強くなかっただけの話でさ。分かるんだ…同じ気持ちの仲間なんだし。そういうのは、言わなくても」
 頭がくらくらした。好きだと思われるのは神崎としても嫌な気持ちのはずはない。でもそういう気持ちでずっと隣にいたのかと思うと裏切られたかのような思いで胸がいっぱいになった。騙されていたような、そんな気持ちだった。そこで立ってるのがやっとで、どこかで休みたかった。頭に手をやってふらつく足を進めると、抱きしめるような格好で夏目が神崎の体を支えた。「さわんな」とはいったものの体にはほとんど力が入っておらずあまり意味がなかった。夏目は有無を言わさず強引に神崎の肩を抱いて歩き出した。家は近いのだからどこかでワザとらしく休むことともない。それでもただ引っ張られるままに歩かされて、ようやく慣れ親しむ自分の部屋に着いた神崎を部屋のソファに座らせて、夏目が困ったように笑った。
「俺のこと、きらい?」
 傷付いたような表情をしていた。別に嫌いではないと神崎は思う。そういうことではないのだ。愛とか恋とか、男とか女とか、好きとか嫌いとか、いいとか悪いとか、そういうことではなくて、人間として一緒にいたのではなかったのかと悲しく思った。じゃあ、今までのいろんなことは何だったのかと。あまりにどうしようもなくて、それを言葉にすらできないもどかしさで頭がどうにかなりそうだった。なんていったらよいか分からなかった。ただ鼻がツンと痛んだ。こんな所で、しかも夏目が見ているというのに、このままでは子どもみたいに泣いてしまう。なにか別のことに意識を集中させて、胸の奥から湧き上がってくる涙をどこかへ散らせたいと思う。だけど、端整な顔で心配そうに見つめてくるこの男以外、この部屋には神崎の心に入り込んでくるものはなかった。
「い、いやだ」
 何がいやなのか、いろんな意味のいやが混じったそれは涙声に彩られていた。夏目が頭を撫でながら神崎の体を抱き締める。ただ触れ合っている所がどくどくとへんに脈打っているみたいに熱を放っている。しばらく二人はそのまま抱き合っていた。神崎が落ち着きを取り戻すまで、夏目はずっとそうして朝まででもいてやろうと思っていた。何度か神崎がいやだ、とかそんなのちがう、とかあまり意味のない言葉を発する以外は特に音がなくて、静かな夜だった。触れ合うにはもってこいのいい夜だと夏目は感じていた。神崎の薄い胸が心臓の音を高鳴らせているのを感じる。ここまでの距離にもってこれたのだ。すぐに焦って手を出せば神崎は必死で逃げるだろう。だから追わずに、ずっといたのだと夏目は思う。だが、一度垣根を超えてしまえば流れるのは容易い。それを抑えることの方がずっとずっとたいへんなのだ。夏目は夜明けを待たずに神崎の体を布団の上に押し倒した。

2013/02/05 10:52:30