※ このシリーズの逹海は既婚者
※ おじさんとムスメさんのあれこれ的な話


我がままの人道的許容範囲・3



「……んっ、」
 押し殺したような女の高い声が部屋の中に響く。他には、アパートの一室の前を通り過ぎる車の走り去る音と、水を舌で弄ぶような音と、普通の人間よりも獣じみた男の呼吸の音と、室内を快適にするための換気扇の稼働音と、弾むような女の呼吸音と。闇に染まった部屋の中で、女は声を抑えながら喘ぐ。それは獣のような男の行為によるもの。暗くよく見えぬ室内で行われるのはあまりに官能的で淫らな行為。そして、彼女にとっては初めての行為。彼以外の誰にも見せたことのない態度を、ここで示してしまっている。否、彼以外に、なんて見せたくもない。見せるはずもない。彼以外の誰にこんな淫らな姿を見せてやるものか。遠い未来は別として。
 ショーツに手を掛けられると、やはり身構えるのは子を産める体だという自覚があるからだろう。だが、誰の子供も産むつもりなんてないのに、本能というものは生まれる前からきっと備わっているものなのだ。だが、彼の手が優しいことは分かっている。彼は傷付けたりしない。そう信じているからこそ、ずるりと下げられたショーツの下にあるのはありのままの、生まれたままの女の姿があるだけだ。決してキレイだとは彼女自身は思っていない。もちろん、彼とこうなってしまう前よりは身なりにも気遣い始めたけれど、あんまり意識しすぎるのも恥ずかしいし、周りに気取られるのはもっと恥ずかしい。普段見えない部分の手入れは怠らないようにして、見える部分はそう変わらないように気をつける。恋をすると変わる、それは嘘ではなく本当だったのだと、二十代も半ばに差し掛かろうという時になってようやく気づくなんてガキだとしか言いようがないだろう。彼がいつの間にか潜り込むようにして、由里の足と足の間に割って入っていた。そこに頭を付けて、ぴちゃぴちゃと卑猥な音を立てる。ああ、濡れている。気持ちいい、と由里は思うけれど、素直に声を出せるほど恥ずかしさが拭えない。理性はそこまで飛んていないみたいだ。声を出さないようにして鼻で息をする。は、は、と短い呼吸になっている。達海の舌が核心に触れるたびにひくひくと身体全体で応えてしまう。声が洩れそうになる。何とか恥ずかしいので声だけは押さえながら震える。きっと、この行動こそが彼を愉快にさせる。喜ばせてしまう。ひくひくと震えながら、浅い呼吸を繰り返していたのは覚えている。でも、この日も由里は飲んでいたし、途中で記憶の糸はぷっつりと切れてしまった。忘れたかったわけじゃないが、忘れることで少しでも今までの関係を保つことは確かにできる、そう思ったから意識なんて消えてしまったのかもしれない。分からない。でも、わずかに残る記憶はただただシアワセで、女に生まれてよかったと思うものばかりだった。







 あのことがあってからというもの、由里は確かに達海の家に行くことなどないだろうと感じていた。だが、実際には違っていた。不思議なものだ。達海は確かに由里に言った。
「俺のこと、嫌っていいよ」
 由里は、憧れのプレイヤーでもあり、ETU監督であり、周りからなかなか理解されない彼のことを嫌いになどなれないだろうし、嫌いになってしまっては一緒に働くということもやりづらくなるだろうと思っていたから、嫌う理由なんてこれっぽっちもないと感じていた。だからそれについてはイエスもノーも答えなかったし、答える必要がないと思った。もちろん、あんなことがあったのだから嫌っても構わないのだろうが、不思議と由里には確信があった。
“私が達海さんを嫌うという選択肢はない”
 ただのお人好しで括るには、強い確信だった。達海という人の魅力は、人生経験の浅い彼女の心の奥底まで響いていたから。帰り道、正常じゃない頭で考えていたのはバカみたいなことばかりだ。ショックじゃなかったといえば嘘になる。本当にショックで、どうすればいいか分からなかった。頭がグルグルと目が回ったようになっている。涙すら出ない。おかしなことを思う。どうしてあんなことになってしまったのだろう? 達海はわけの分からない子供に手を出すような男ではなかったはずだ。それに、まだ結婚したばかりの奥さんもいたはずである。その奥さんは今きっとイングランドかどこかにいて、達海の帰りを待っているはずだ。そんな達海の誘いでノコノコと着いていったのは由里の落ち度。お門違いだとは分かっているが、どうして間取りを聞かなかったんだろう、とベッドの中で布団に包まりながら何度も思う。間取りを聞いておけば、達海の家なんかに行かなかったのに。言い訳を頭の中で何度も反芻する。たが、由里自身も理解している。間取りを聞いたところで、未来は何も変わらなかっただろうと。だが、なかった未来について、強がってみたいだけなのだ。過去に戻れない何かにしがみついていたいだけなのだ。ただ、達海を恨む真似をしたかっただけなのだ。そんなことを分かり切っている。できる・できないの問題ですらないのだ。その証拠に、泣くほど嫌でもない。そして、彼のために流す涙はないらしかった。別れの時以外には。だが、ウダウダと思い悩んだ。由里の落ち度、達海がどうして手を出したのか。分からないことだらけだった。そう思い悩みながらも、こんなことがあったのだ。彼は由里が無事に家に帰ったか心配しているのではないか、などと都合のいいことを思った。むしろ、心配の一つもしてくれて当然だろうくらいに。少なくとも達海は由里を傷付けたのは事実だ。由里は傷付いている。分からないことだらけで、まだ傷の痛みも感じられないほどに擦り切れていたけれど、それでも達海は由里よりもずぅっと大人なのだから、そう思って然るべきだと。だから、気乗りはしなかったがメールだけはうっておいた。内容は簡単なもの、無事帰宅メール。それを送ったと同時に、今度は自分自身を責め始めた。どうしてノコノコ着いていったんだよ、と。まるっきりの子供じゃないんだから、そんなことはスマートに断れるはずだ。ただ何も知らない脳みそでしたなんて、ハタチを何年も過ぎれば理解されるはずもない。分かっていても、今さらどうすることもできやしない。だが、達海はその数日後から用事があるといってGM後藤に断って一週間ほど行方をくらませた。その期間は、由里にとってはとても大切なもので、頭の中をクールダウンする必要な時間だったのだと今になって、由里は思っている。
 達海が戻って来てから数日後、彼から映画でも行く? と軽々しいメールが届いた。どうしてか分からない。見たい映画でもあるのだろうか、と首を傾げながら返信した。別に構わないと思ったからだ。映画に行くことに後ろめたさなんてない。ただ、映画に行くだけなのだし、映画行く前に腹減ってるからランチでも。という内容だったけど、それだけの話だし、そんなことなら友達同士だってすることだし、何の意図もないだろうなと思ったけれど、数日前に名前と詳細な状況を伏せて友人に本音を吐いた由里としては、とても複雑なものだった。
「好きなんでしょ」
 友人は由里にお構いなしにそう言う。まさか、と由里は全力で否定した。好きなはずなんてない。襲われたのだし、嫌だと思った。やめてほしいと思った。嫌いにはなれないけれど、好きと言うには違うだろうと。好きになる理由なんてない。達海が言う通り嫌いになる方があくまで自然だろう。由里はそう感じていた。でも嫌いになるという選択肢はその時もまだない。嫌いになんてなれない。達海は素晴らしい監督で、人柄には問題もあるが、とても頼り甲斐がある。そしてプライベートで一緒にいても楽しいし、優しい所もあるんだと何度も感じた。理解されるまで時間がかかるから一人ぽつねんとしているけど、分かってしまえば驚くほどに魅力的な部分の多い男なのだった。どうしてそんなふうに思うのか、なんて由里は考えたこともない。ただ、思うのは簡単に友人は好きだなどと言うけれど、そんな簡単に割り切れるような気持ちなんかじゃないということ。
「違う。嫌いじゃないよ、でも、そういう意味じゃなくて、」
「違わない。由里、あんたは好きなんだよ。達海さんのこと」
 伏せていたはずの名前はいつの間にかバレバレで、そう見えるのかと怖かった。由里は受話器を手にしたまま微かに震えた。達海のことばかり考えてしまうのは、あんなことがあったのだから当たり前だと思う。だけどそれ以上ではないし、それ以下でもないと感じている。理由なんて言葉にすればまどろっこしいものだ。好きになってしまえばそれはそれで、同じ所で監督とマネージャーとして共にいる以上やりづらくなってしまうし、嫌いになってしまっても然り、だ。嫌いな人と同じことなんてしていたくない。だから由里は嫌いになるという選択肢が存在しないと思ったのだ。そんなことばかり悶々と考えていながらも、達海にメールを返信することはやめられない。彼のメールはいつも優しくて、どこか心地いい。長いものではなかったが、達海らしいユーモアに溢れていた。いつしか映画行く? という話になっていて、どうしてか弾む心を抑えられなくなっていた。どうして達海は由里を映画に誘ったんだろう? 由里はまったく理解できない。映画は嫌いではないが、なんとなく一人で入るには敷居の高い場所で、行くとしたらいつも友達や家族と一緒だった由里は、丁度いいくらいの気持ちでオッケーした。その頃にはもう自覚するしかなった。好きだと思わなければ、由里自身今の気持ちに踏ん切りもつけられそうにない。好きなんだと思えばこそ、心の中のもやもやはいつしか晴れていった。今まで色々と理由付けをしてきたけれど、そんなこと何の意味もなかったんだ。理由なんて好きになることに、もしかしたら必要ないのかもしれない。ただ、好きだという事実だけがそこにある。胸が痛むこともない。気付いたというだけのことだ。ぼやけていた背景がクリアになっていくような不思議な感覚。
 やがて映画の日がきて、二人で密やかに映画に行く。映画の前に腹拵えしてぇ、と言う達海に任せて二人でパスタで遅めの昼食を摂る。パスタだなんて十分なムードがあるけれど、実際はそんなものなんてなかった。出されたフォークでスパゲッティを巻こうとしながら四苦八苦していると、くっくっと達海が笑う。
「箸、頼めばいいじゃん」
 見透かされた。恥ずかしいが仕方ない。ナンダカンダ言う達海もまた、イングランドにいたくせにうまくフォークを使えないらしく、いかにも日本人といった調子でパスタの麺をズルズルとすすっている。蕎麦じゃないんだから、と思ったけど由里自身も似たようなものだ。でもすするのはどうかと思い、麺に齧りつくような格好で麺を口に入れる。喉を低く鳴らしながら飲み下す。味はそう悪くないけど、食べることで手一杯になってしまう。そんなことなど気にしないで達海はズルズル蕎麦みたいにパスタを食べていった。安いランチ。お似合いでも、恋愛関係でもない二人にはピッタリなランチ。
 映画は適当にコメディタッチのものを選んで、淡いラブシーンにドギマギしたが、隣で見ている達海は小さく寝息を立てている。小さく、といっても寝息にしてはちょっとうるさいぐらいの代物。思いきり顔を引っつかんで起こしてやろうかとも思ったが、そんなことをして大声を出されてもかなわない。由里は降参して自重した。仕事、仕事で達海が疲弊しているのも解っているから。隣のヤツが寝ている映画館は微妙な空気だし、慣れない環境は疲れたが、内容は上々。映画が終わって伸びをしながら立ち上がる達海にはさすがに呆れたような顔を向けてやる。
「三分の一ぐらいは寝てたかな〜」
 何しにきたんだよ。思わず由里はツッコんだ。お前が映画を見たかったんじゃないのか。観る映画を決める時にもそう聞いたけど、達海はいつもはぐらかすようにしか答えない。達海は映画など見なくてよかったのだ。じゃあどうして? 由里はわけが分からなかった。自分だって特別見たいものもなかったのに。達海の考えはいつもよく分からない。コーヒーでも飲むか、と近くの店に入った。達海はブレンド、由里はアメリカンを頼んだ。ミルクもシュガーも入れずにそのまま味わう。達海はタバコ吸いてぇと文句を言ったが、その店は禁煙だったらしく灰皿が出てこないのでぶつぶつ言っていたが、あまり気にした様子はない。
 コーヒーを飲みながらダベった後、アウトレットに向かい、達海はダウンコートを買うと言って店内をウロウロした。場違いな高価な店に由里は溜息しか出ない。監督という商売は予想以上に儲かるのだろうか。それとも、選手時代のお金がまだ残っているから贅沢ができるというだけのことなのだろうか。確かに達海は一流のJリーガーで、やがてETUから、否、日本から姿を消し世界へ羽ばたいていって、そして……そんな男だった。足の故障を聞いた時は、当人じゃない由里も凹んだものだ。ファンがこれだけ凹むのだ。当人は泣いただろう、悲しんだだろう、悔やんだろう。だが、故障してしまったものはもう、元に戻すことなどできないのだった。時間が巻き戻せないことと同意義だ。お金のことから昔のことまで、グルグルと思考は巡っていく。達海のことは知らないことばかりだった。空白の期間に何があったかは分からない。ただ分かるのは、その間にいつの間にか彼は結婚してイングランドで弱小チームを率いて監督ごっこをしていたというだけのことだ。奥さんもよくもまぁ何も言わずにいるものだと思うが、サッカーバカの達海は意外とお金を使わないから何も言われないのかもしれないなどと由里は勝手に結論づけた。と、その時、不意に達海の声が店内に響く。
「おーい、由里ちゃ〜ん」
 何だ急に。しかもその呼び方。言いたいことは満載だったが、達海に呼ばれた以上無視するわけにもいかず場違いな店内に再び足を踏み入れた。ダウンコートの前に達海が立っていた。8色ほどあるそれに迷っていたらしい。どれがいい?などとさらにどうでもいい質問を投げかけられる。無難なヤツ買えよ、と思いながら由里は一番無難なブラックを選ぶと、達海は不服そうに唇を尖らせる。黒では面白くないのか、なら私に聞くな。そう思ったがあえて、口に出すのはやめておいた。そこまで子供じゃない。目を輝かせてオレンジのコートを選んでほしいと達海は訴えている。だが、由里は絶対にオレンジだけは選ぶまいと思っていた。この波長の合わなさが不思議にフィットするというのはどういうことか、よく分からないが悪くはない。由里は達海の訴えを無視してモスグリーンを選ぶ。この色は確かに悪くない。「えー」と達海はまたも残念そうにオレンジを見やるが由里はわざと反応してやらない。こんな時しかやり返す時がないのだから大目に見てもらうことにする。だが結局、達海は由里が選んだそれを買った。
「奥さまは如何いたしますか?」
「お、おくさま…?」
「これなど、お似合いかと思うのですが、」
 こんなボサボサ頭のおっさん──もちろん若くは見えるのだが──の奥さんに見られるなど、ハッキリいって恥ずかしいことこの上ない! 目から星が飛び散って倒れそうなほどに衝撃を受ける。だがすぐに思い直した。その間、十秒にも満たない僅かな誤差程度の時間。相手は商売人商売人…、そして今、旬なのは年の差婚ブーム…つまりはそういうこと。お似合いとかそういう意味じゃなくって…、あああ、それでも頭の中ぐちゃぐちゃする。そんな由里の考えを無視して店員の女性はクリーム系のコートを指して、ファー付きの大人っぽい雰囲気のそれを勧めつつ由里の様子を伺っている。由里のパニックなど彼女が知る由もない。悪気だってもちろんない。ただの客商売だ。
「結構です! ありますから、持ってますから、買う必要ありませんから」
 店員と客の会話はあんまりちぐはぐで、達海が混乱する由里の肩を軽く叩いた。薄く笑っている。達海が会計を済ます間、複雑な思いを抱きながら由里は店の外で彼が来るのをぼんやりと待ち続けた。数分間の長さと短さを今日は何度経験したろう。ただ、彼と一緒にいられることが楽しくて、他に何かを感じるヒマなんてなかった。さっきの勘違いは邪魔だと思ったけれど。どう見たって夫婦なんかに見えるわけないじゃないか、と否定したい気持ちはあとから考えても変わらない。出てきた達海は愉快そうに笑った。自分の買ったダウンコートの入った大きな紙袋を肩に背負い、いつものように「よぉ」とさもない様子で一緒に外に出る。まだ寒い時期ではないので、軽装でぶらりとショッピングモールから出ると、時間はもう夜の7時を回ったところだった。辺りは暗くなっていて、店のライトが照らす辺りだけが明るい。
「由里よぉ。やっぱ、夫婦とかに見えんだって」
「…ううー、しんじらんない、ショック…」
「所帯持ちに見られたの、初めて?」
 達海は由里のショックな気持ちなどいざ知らず、ヘラヘラと声をかけて来る。三十代も後半に差し掛かろうというおっさんと、二十代半ばに差し掛かろうといううら若い乙女をくっつけようなどと、何とも不届きな店員であると由里は理不尽さに身悶えていた。お似合いですよと言われても嬉しいことと嬉しくないことがあるのだ。達海は確かに顔も悪くないし、スマートだし足も長いけれど、髪はバッサバサだしだらしない格好をしているし、歩き方もだらしないし、タバコ臭いし、口調もやる気がないし、眠そうな顔をしてるし、欠伸も所構わずするし、悪いところを挙げた方がきりがない男なのだった。それだけに夫婦に見られたくなどない。もっとちゃんとしていれば別に構わないのだけど。
「飲みいく?」
 駅近のここからはいくらか居酒屋があるはずだった。所帯持ちに見られた憂さ晴らしに飲むのは必須なような気がして、意気込んで由里は頷いた。そのまま飲みに行き、達海はタバコを吹かしながら頬杖をついて笑った。もう一杯めはどちらも空けていた。そこそこに美味い酒だとひとしきり褒めたところだった。要は話も弾み始めた頃だったのだが。
「なぁ、お前さ、俺のこと好きなワケ?」
 それはさも冗談ですよと言わんばかりの言葉だったけれど、由里にとっては胸が激しく早鐘をうつような話題だった。図星を、その好きな人から告げられたのだ。平静など保っていられなかった。だが、狼狽えることなどないと瞬時に思った。睨むような、だが酒に浮いた目はどこかふざけている。口元は笑みにわずかに歪み微笑みの形になっていて、本気の色は見えない。だが、返事をする方の由里は本気だ。本気で返すしかない。どうせ、いずれ分かることだ。そして、自分の気持ちにウソなどつけ続けていられるわけもない。だから、指摘してくれた友人以外には他の誰にも言えない気持ちかもしれない。けれど、達海だけには知っていてほしいと思ったから。否、達海だけは知っておく必要があるだろうと思ったから。
「うん」ウソなどつかなかった。本気で、本当のことを答えて必死で頷いた。由里は好きな人に自分の気持ちを悟られることが、こんなに恥ずかしいものではないのだということを、知っていてくれるだけで温かに思えるのだと初めて知った。だから、聞いてきた達海の態度を見て意外に思ったのだ。達海は半ば固まったようになって目を見開いていた。由里を見たままで。驚いた顔のまま由里の方を見ていた。
「……キッツぃなー。ウソだろ?」
 達海のキツいは、否定的な意味じゃないことを知っている。もちろん肯定的な意味でもないのだろうけど、決して嫌だという意味ではないと由里はとっくに知っていたから気にならない。初めて聞いたらきっと不快になったのかも知れないが、少しでも達海のことを他の人よりも知れてよかったと思うばかりだ。そして、好きだと言われて嫌がる男がそうそういるものか。同性相手ならまだしも異性で、しかも二十代の乙女ときたものだ。何より処女であるのだし。そう嫌な気持ちなどしないはずだ。否定的な言葉を吐きながら達海は不器用にも器用にも、複雑な表情を浮かべている。とりあえずその日はその後に一、二杯飲んでお開きになったけれど、結局その後も何度か由里と達海は二人だけで飲みに行った。二人だけじゃない時も何度かあったけど、それはそれで楽しいのだから全然構わない。嫌われさえしなければそれでいいとさえ、由里は淡くそう思っていた。少しでも達海さんと同じ時を過ごせますようにと。彼が監督であるその時期だけでいいから。
 そんな飲み会を数回続けてまた、達海の家に泊まることになった。嫌でなかった由里は断らなかった。だが、由里は結構酔っていた。前に来た時のようにコンビニに寄ってから一緒に達海のアパートに行ったのだが、やはりフワフワしていてあまり記憶にない。そのまま簡易ベッドに二人で入ったというだけのことだ。今度は由里も逃げはしなかった。達海さんのことが好き。それを認めていたから。好きな人と一緒に、それこそ言葉通りに寝るのなら構わないと思った。それはセックスの意味合いはほとんど含まれぬ幼稚な気持ちだったけど、子供の作り方を知らないほど由里だってガキではないのだ。そんな気持ちの中、冒頭の文章へと行為は繋がる。ただただ翻弄される。達海にとって由里という女がどんな存在であるのかなんて、由里のような子供に分かるわけもない。確かなことは、少なくとも嫌われてないだろうということ。なぜなら嫌いな誰かの体に触れたり、家に招き入れたりしないだろうから。恋い焦がれているわけなどないことなど知っているけれど、せめて夢だけでも見させて欲しいと願ってしまうのは愚かだろうか。愚か者はひたすらに縋るように彼が服を脱がせようとする行動に抗うこともせずに、自ら手伝ったのだった。あまり記憶にない中でただ一つだけ、どうでもいい記憶だけがずくずくと胸の奥にあった。
“脱いでしまっても、これだけ暗いんならきっと見えないよね”
 その記憶だけが鮮明で、あと他の記憶はもやがかかってよく分からない。嫌じゃないのだからきっといいのだろう。ただ、あなたの前だけで、女になれて良かったと思えたの。そんなことはどうしたって口になんかできないけれど。


12.12.30

思ったよりもチャラチャラ〜っと書けたタツユリっぽいシリーズその3です。

とうとう恋の話になってしまいました!
相変わらず文章は推敲していないのでおかしいかとは思いますが、そこはご愛嬌。
由里が自分の気持ちに気づいたのでもう少し達海との関係が進むかな、と。


ジャイキリランク入るかどうか悩んでます。
もっと数としては増えそうですし。
特にこのシリーズ…
あとは達海ネタ。
このシリーズの番外も書くかも。さっきちょいと思い付いてしまったのだぜ。

2012/12/30 19:52:57