脳内麻薬と真昼の空




 噂は聞いていたが、目の当たりにしてみるとなんともいえない空気が漂ってしまう。気まずいと感じること自体がおかしいというのに。神崎はボンヤリとした表情を硬くしないようにするのが精一杯だった。ただ、その空気を察した城山がウロウロしているサマがなんともウザい。思いやりのある男だが、それだけにこういった事態には対応が下手くそなのだ。夏目と、その彼女がそこにいて、神崎と城山のすぐ側で笑っている。神崎は素直に喜んでやれない自分にもどかしさを感じる。勝手に好きになったのは自分。勝手に望んでしまった。勝手な男だと、自己嫌悪に陥る。だが、彼女のことを好きだと自分自身の心の中で認めてしまったから、もう、それ以上知らないふりをすることなんて出来なくなってしまった。知ってることを知らないふりなんて出来るほどに、神崎は大人なんかじゃない。祝福出来るほどににデキた人間でもない。ただ、胸の内を押し殺してつまんなさそうな顔をしているだけしかできない。あまりに情けない話だが、変に勘ぐられたくもないし、目を背けたい事実もある。矛盾しているが、彼女と目があってしまえばああ、好きだ、と感じる。
「あんだよ、」
 城山の落ち着かぬ態度に苛立ちが募る。思わず殴りやすい彼を、無意味に殴ってしまいたい衝動に駆られるほどに。その代わりに睨みつける視線は驚くほど鋭いものだったが、城山には当然の如く慣れっこなのだった。気にする素振りもなくいえ、といつものように答えるだけだ。その視線の先に、夏目の彼女がいる。そのことがまた神崎にとっては面白くないのだが。別に城山は彼女を見ているわけではなくて、神崎を見ていることなど分かっている。それもまた神崎の苛立ちを増幅させる要因となっているのだった。苛立った所で何の意味もない、ただの事実だというのに。
 あ、と思う間もなく、不自然に夏目の彼女と目が合う。だが、逸らすのもおかしいのではないか? そう思えば神崎は逸らすことも躊躇われた。彼女の目を見ていると先までの城山に向けていた苛々は嘘のように消えていた。ただ、この気まずいような空気をなんとかしたい。彼女は黙ったまま神崎を見ている。こんなに長い間互いを見つめあった、という表現はおかしいかもしれないが、そうしあったのは初めてだろう。そして、やはり気恥ずかしさから耐え切れなくなった神崎の方が先に目を逸らした。その態度を見て、彼女は睨みつけるような冷たい視線を投げかけてくる。
「なによ」
 いつものとおり生意気な口をきく彼女。大森寧々。夏目の彼女。レッドテイル四代目総長。寧々の声とともに再び、逸らしたはずの目が合う。何か勘付かれただろうか、そう感じてしまえば何となく神崎はさらに気まずい。だがおかしな態度を取るのも避けたかった。隣に座る夏目は、そんな神崎を嘲笑うかのように涼しい表情で微笑む。畳み掛けるように何も知らない寧々は言う。
「なんか文句ある?」
 寧々にとっては神崎など、ただの邪魔臭いヤツなのかもしれない。前からなんだかんだと突っかかってきていたような気もするし、それは神崎側からかもしれなかったけれど、少なくとも寧々からしたら神崎という男はあまりよい印象などないだろう。それだけは想像に難くない。そう思えばこそ、神崎は言葉に詰まってしまう。文句などない。だが、何かを口にしようと思えば思うほど、それが文句みたいなトゲのある言葉になってしまうのは狙ってなどいない。だが、そうなってしまうのだ。そうならないように注意しながらない頭を絞って神崎は短い時間で考える。気まずい雰囲気を吹き飛ばす言葉なんてあるのだろうか。かつ、笑顔すら出るような和みすら感じるような冗談が言えればよいのだが。脳内には夏目と楽しそうに話す寧々の先の姿が浮かんでいて、神崎の胸の内をバカみたいにざわつかせるばかりで、これといってまったくよい言葉など見つかるはずもない。低くぽろりと落ちた言葉に寧々が、夏目が、口を揃えて「え」と言葉にならない声を発したのを聞いて、神崎はアホのようにのろのろと顔を上げた。どうして夏目と寧々は神崎に向けて驚きの表情を向けているんだろう。その理由がまったく分からなくて間の抜けた感じになってしまう。かっこいいとか悪いとかそれ以前の問題だ。そして状況が理解できない。その中で夏目はさも当たり前の様子で神崎に言った。
「何言ってんの神崎くん。俺が寧々ちゃんと付き合ってるわけ、ないじゃん」
 これは何の冗談なのだろうか、とそれだけを思った。わざとらしいくらいにのろのろとした動きで、しかもカクカクしていて昔のポリゴンのゲームみたいなぎこちない動きで夏目を見ると、神崎に向かって夏目はちゃあんと目を合わせてウインクしてよこした。何か、というか神崎の口にできずにいた気持ちを知っていますよと言わんばかりの態度で。一言も口にしたことなどないのにまったくもって面白くないが、だが、先の夏目の言葉が事実であるのならば面白くないなどと言っている場合ではないのではないかとも思う。今までのことがずっと、勝手な勘違いだというのならば神崎は、今までいもしない相手に勝手に嫉妬したり我慢したりしていたのだということになる。バカみたいだと思う。だが、夏目ではない誰かの影があったから、それを感じられたから勘違いしたのではないかとも思う。だが、どうやって聞けば良いというのだろうか。その取っ掛かりを掴むことができずに焦るばかりだ。その中で城山が寧々に声を掛ける。
「仲が良さそうだったからな。じゃあ大森、特定の相手はいないのか?」
 空気が痛いほどに読める男だと思った。寧々はさも当たり前みたいに「いないけど」と面白くもなさそうに答えた。それはそうだろう、自分の女としての評価を下げるかのような言葉を己で吐くのだ。そう面白いことではないだろう。だが気にした様子もなく城山を見て、神崎を見た。口を開きかけた寧々を遮るように夏目が声を発した。
「城ちゃん、それ聞くのは野暮ってもんでしょ。さ、帰るよ」もはや強引としか言いようのない言葉。そして城山の腕を掴み、その場からわざとらしいほどに素早く立ち去ろうとする。神崎は声を掛ける暇もなく二人の後ろ姿を見送るしかなかった。つまり、残されたのは寧々と神崎の二人だけ。さっきまで気まずい感じだったのに無理やり残すなんて鬼、とも思えるし二人きりにしてくれてありがたいとも思う。前者の思いの方が強いような気はするが。さらに気まずくなった空気は色を変えることなく、さらに澱んでいくような気さえした。寧々と神崎は嫌でも目があってしまう。急に残されて何を言えばいいのか頭が働かない。もちろんいつも頭の回転がいいだなんてどちらも思ってはいないが。寧々の方が先に口を開いた。
「ねぇ神崎、なんであんな勘違いしたのよ。もしかしてアタシのこと好きなの?」
 寧々が冗談めいて笑いながら言う。だがその言葉は神崎にとってあまりに深い意味がある。ずっと──といってもつい最近になるまで互いは敵対こそあれ、それこそ友好的に絡むことなどレッドテイルとして殆どなかったのだが、──好きと思っていたのだ。もちろん今だってそう。バカみたいだが夏目を勝手に彼氏と勘違いして、勝手に自分の想いに諦めという名の踏ん切りをつけよう、つけようと考え続けていたのだ。つまりは、もしかしなくっても好きなのだと口に出てしまいそうな言葉を俯いて飲み込む。だが言葉の代わりに首の動きは間違いなく肯定の意味で縦に振られていた。また短い寧々の意外そうな「え」という言葉にすらなっていない言葉が、この静かな空間の中で木霊した。冗談めかしたおふざけの言葉をどうして目の前の男は、神崎というヤクザの息子は肯くのか。それは、そういうことなんだろう。だけど、どうして? 寧々はそう思わずにはいられなかった。そんな素振りはなかったと思っていたけれど。
「マジで……?」
 言葉のボキャブラリーの少なさに寧々自身でなくても呆れてしまうけれど、それ以外に何を言えるというんだろう。好いた惚れた腫れたの世界からは一番遠そうな顔をしてこの神崎と言う男は。朱に染めた顔はいつものそれと違っていて、あまりに滑稽で笑えるほどだ。どうして好きだなんて思えるのか分からないけれど、今まで神崎と寧々との絡みと言えば冷たいくらいに攻撃的な言い合いだったはずだと記憶している。そんな言い合いの中で恋心など芽生えるものなのだろうか。寧々は不思議でならなかった。だが確かに神崎は肯いたのだ。それが嘘でない証拠に赤い顔をして真っ直ぐに寧々のことを見られないでいる。想いを口にした以上、すぐに直視するのが恥ずかしいのはよく解る。寧々だってかつては、そんな想いを抱えたこともあったから。解るけれどやはり思う。まさか、そんなバカな、と。はあ、と大袈裟に息を吐き出す神崎の肩が大きく動く。何かを諦めたみたいに体全体から力を抜いて。こんな時に、例えば寧々が抱きついたらこいつはどうなってしまうんだろう、と思うほどに無防備な姿を晒しては何食わぬ顔をわざとして、余裕ぶった感じで寧々に視線を合わせる。いざとなれば素早く視線を外すだろうことは今までの経験上、寧々は知っていたけれど素知らぬふりを決め込む。狙ったわけではないけれど睨むように見えてしまうかもしれないけれど、それも石矢魔らしくて味があるだろうなどと言い訳を頭の中だけでしつつ知らないふりをし続けた。そのうちに神崎も平常に戻ったようで顔色はいつしか朱に染まってはいない。
「別に、…イイだろ」
 神崎が小さく寧々に向けて言う。何が? そう聞く前に神崎が口を開いていた。少し言いづらそうに、でも、しっかりとした口調で今ある出来事というか、事象を見据えたその上で。だがあまりの照れ臭さに、言葉にした途端に目を逸らしてしまったのは人生経験の少なさと年寄りは笑えばいい。
「勝手に、………こっちが好きなだけなんだから、よ」



 別にそれについて何かを答えるわけでも、答えを求める訳でも、意見を言うわけでもなくただ、一緒に近くまで帰った。付き合うとか付き合わないとか、そういう話ではなくて、ただ単にそう思っていますというだけの話で、これからどうなりたいとかそういう話ではなかったから『次』のことなどまったく思わない。それは神崎も寧々も同様だ。次回の何かを望むのはあんまりに願いすぎではないかと思ってしまうから、怖くて望めないでいる。一緒にいたり、それこそ言ってしまえばイチャイチャしたいなどという邪な想いなんて腐るほど持っているに決まっている。だがそれを表に出してしまって幻滅されるのが怖いと神崎は中学生男子のように夢のあることを思ってしまう、考えてしまう。だからこそ踏み込めないでいる。経験値は夏目のように豊富でないから確かに低いけれどこれまでだって彼女と呼べる女がまったくゼロであったわけではなく、ここ何年間かいなかったというだけの話で、恋人ができることについて戸惑いがあるわけでもなかったけれど。それでも恋人になってほしいと乞うにはあまりに勇気が深く要った。別に恋人である必要も感じないし、そうやってただ一つの言葉で雁字搦めになるのもどうかと神崎は思うのだ。確かに恋人であったり、婚約者であったり、伴侶であったりすればそれは大事なその人なのだろうけれど、だが、言葉で自分以外の誰かを締め付けてしまうのは、人として違うのでないかと感じていた。それはヤクザという言葉に縛られている自分に対しても、きっと言えることなんだろう。だからこそ低い望みを深く願ってしまうのかもしれない。願わくば、これまでどおりに一緒にありたいと。どこか進んだ関係をこれからは願ってしまうのかもしれないけど、それを願うまではこれまで通りで何ら問題なくいられればそれで良いと。本当の願いなど胸のどこか奥の、奥の方に眠らされているけれど、だから何だというのだ。頭の中で何度も何度も言う。好きだ、と唱えてだから何だ、と小さく嗤う。己を自虐的に嗤うことは不快であって、その内実は不快ではない。ただ好きだと思うことが、それだけのことが心地好いだなんて今まで感じたこともなかった。それを当人へ肯くだけの小さな肯定だとしても心地好さは変わりはしない。好きだと認めることのしあわせ。それがこれから先も許されるかどうかは分からない。だが、今は確かにしあわせだと感じられているから。だから今この時だけでも構わない、しあわせだと思うことをもっともっと感じたいと思うのは当然だろう。想うだけでも十分にしあわせを得ることができる。それは、愛とか恋とかそんなことをきっと超越していると信じたい。そんなに細やかな人間などそうそういるはずもないのに。ただ今の神崎のように、この時だけの短いしあわせに酔いしれているだけのことなのに。ああ、それを理解できるのは何年先のことであるのかなどと誰もが解るはずもない。若い時はただ目の前にあるオイシイモノをただ貪ろうとしてひたすらに。目の前のしあわせもまた、当人からすれば確かにしあわせなのだった。誰がどう言おうとも。
 時折、気が向いたら時にだけ返ってくる好意的とも取れるメールの文面が前よりも少しだけ増えた。何気ないメール内容であっても、家にいる時や一人の時はにやけてしまうことがある。一人の時だからいいけれど、これを他人に見られてしまうのは非常にまずい。顔を筋肉を引き締める努力は、特に外では怠ってはならないと神崎は深く思っている。それくらいに大森寧々、クソ生意気な女で頭の中はいっぱいだ。染められていく。きっと寧々が思うよりもずっと。学校の休日に他愛ないメールをしたらショートメールが返って来たのがバカみたいに嬉しい。

 お昼ごはんは
 パスタが食べたい
 -----END-----

 短文のメールに神崎は思いを馳せる。そんなものならいつだって奢るから、好きになってくれなくて構わない。けどせめて、嫌いにならないでほしいと切に願う。こんな健気な想いだけがそこにはあって、月に何回か、ダチ連中と一緒でいいから遊んだり駄弁ったりしたい。できればそのうち一回くらいは二人だけで話がしたい。何を話せばいいか分からないが、共通の話題などチンタラ見つければいい。ただ、好きと思えばどうして彼女が遠のくような気がして、嫌われたくないと思えば可笑しなことも言えなくなってしまう。ボロが出るのが怖いというか、恐れるものがまた一つ増えてしまった。身構えるのは効果なこともあるのだと初めて知った。考えないことが一番いいのだろうが、ずっと考えているのだからそれは無理というものだろう。とりあえず、最近見つけたことは『好きになることは幸せなことだけど、とてもこわいことだ』。今さらと皆は笑うかもしれないけど。ただ、全力で生きている。
 神崎は素早くメールに返信をした。今日の昼飯はパスタで決まりだ。あまり美味しい印象はないが、駅前のサイゼリヤにでも行こうか。それとも、少し背伸びして大型ビルにでも入ってそこのパスタ屋にでも足を伸ばそうか。寧々がデートと感じてくれているかどうかは問題ではない。神崎だってこれがデートと呼べるものなのかどうかがまだ分からない。勝手に好きで勝手に食事にいきたいと言っただけのことだ。自分のやりたいように、あとはもう少しだけ我儘に振る舞えればもう一歩くらいは踏み出せるかもしれない。だが急がなくてもいい、と神崎は思う。ことは性急にすれば逃げていくことが多い。緩慢過ぎてもまた然りなのだが、まだ傷つくことに納得できる段階ですらなくて、もうしばらくはこのままで留まっていてもいいのかもしれないなどと思うのだ。ただ必死で『好き』を想い、感じる。


12.12.03

神崎と夏目と夏目の彼女の寧々と というキーワードで書き出しました。なんか違う…(笑)
なんでうちの神崎は寧々さんにメロメロなんでしょう?w

片想いについて少し語るつもりで書いたものです。思ったよりもかなり長くなっちゃったィ

こんな恋もあるんですよ。なんかねぇ…思うことがジンワリくるような、先へ先へ!っていうんじゃなくて、そんな恋が。
そんな想いを書いておきたかったんです

なんでこんなに青いんだ…


まぁこれを越えるとエッチィこととかにようやく目を向けるというか、やりたいはやりたいんだけど、そこまでいけてない感じが子供っぽくてイイと思う。

せつない片思いじゃなくて、せつなくない片思いを一つ書いておきたかった。
これは……せつなくは、ないですよね?
どちらかというと、友達の延長線にあるし


せつなさなら、友情に書いておきたいよ〜

両手じゃ足りないよ、
theme song:hypnosis

でも書きたかったものと若干違うって話
続きがあるか〜??
でも6500文字以上とか長い、あう

2012/12/03 16:16:29