夜のあどけなさ



 由加と神崎が付き合い始めて三ヶ月ほどになる。もう分かってるでしょう、と城山が苦笑混じりに神崎と由加が一緒にいるときに引導を渡したのだった。さすがの姫川も、寧々も、夏目もその言葉には、その諭しにはぎょっとしたほどだ。折れたのは神崎、頷いたのは由加。レッドテイルの掟のせいで渋ってはいたものの、好きなものは好きなのだからしょうがない。寧々も一緒に諭したその後、そんなふうに皆に認められて付き合い始めてから三ヶ月。
「どこまでいった?オマエら」
 何故か担任に聞かれる。担任まで知ってるのかという落胆と、答えたくもないし、答える気もないので早乙女の元から素早く、それはどちらともなく同じ思いで立ち去る姿はなかなかに面白い。特に、今日という日は誰にもそれを聞かれたくなかった。
 数週間前から決めていた今日という日。決行するのは大したことじゃないが、二人にとっては大きな事件だ。早くも胸が高鳴っている。今から由加は神崎の家に行くのだ。もちろんこれまで何度も遊びに行っている。二人きりだったことも、片手で数えられるくらいだがまぁ、ある。だが、今日のは違うのだ。いつもの遊びに行くねー、というのとは意味合いが。つまり、由加は今日、神崎の家に泊まりに行くのだ。神崎組の面々は慰安旅行で三日間いない。あの黒服連中が家にいないなど、そう滅多にあることではない。だから神崎から勇気を振り絞って誘ったのだ。
「パー子、うち泊まりに来ねぇ?」
「えっ、えぇっ?!」
 まぬけなことに、答えは聞けなかった。アワアワした様子の由加に、小さくて低い声で説明した。その時の神崎の様子といったら照れまくりで縮こまった子供のようであんまり可愛らしかったので、それを見ているうちに徐々に今度は、由加の方が冷静になってきた。ニヤニヤする由加と目が合うと、さすがの神崎も違和感を覚えた。その違和感を押し退けて聞いた。そして、答えはもちろん───Yesだ。それが今日のこの日だったというだけのこと。

 誰もいない広い家の一室で、二人きりの存在としてそこにある。それだけで甘美な響きだというのに、神崎に言われるがままにシャワーを浴びてきてシャンプーの匂いとシャワーの熱を感じさせる目の前の、花澤由加という一人の女性に目を奪われない訳がない。風呂上りの由加を見上げた神崎の表情は、由加から見ても確かにバカみたいに惚けていたものだった。そう感じてしまう方が逆に恥ずかしくなってしまうくらいに分かり易すぎて。
「…っ、先輩、っはお風呂、いいんっスか?」
 そう聞いたのはもしかしたら色の付いた言葉と取られるのかもしれない。だって、テレビドラマやちょっとだけエッチなマンガでよく見る光景、よろしく致す前段階に、二人別々にシャワーを浴びてそして…なんて大人の世界。言葉にしてみてから初めて気付いた由加は、己の言葉に顔中がカァッと熱くなるのを感じたが、それに気付かないふりを続けた。意識してると思われる方が面倒だと思ったからだ。だが、惚けた顔をした神崎の方が冷静ではいられなかったらしく、由加から目をそらすのは早かった。ただ、言われるがままに低く、おう、と素っ気なく返してすぐに背中を向けた。言われたし答えたのでシャワーを浴びてくる、そういう意思らしかった。いつもより神崎の背中が小さく見えて、由加は可笑しくて仕方なかった。

 シャワーの場所は遠いから、神崎の部屋からはその音は聞こえはしない。それだけにドキドキは募ってバカみたいに由加の胸は早鐘をうって痛いほどだった。だが、まだ神崎は戻ってはこない。そう思えばこそ深呼吸の二つや三つもして、余裕を感じることもできる。きっと今シャワーを浴びている神崎の方こそ余裕なんてないだろう。彼の表情は分からないけれど、彼の思いは手に取るように理解できた。由加も神崎も、そう変わりはないのだ。そう思いながら冷静さを取り戻して少しした頃に、神崎が短い髪をがしがしとタオルで拭きながらドアを開けた。当たり前の空間のはずなのに、──ああ、確かに彼女がいる。心臓がどくどくいわない訳がない。
「お疲れ様っス」
「──ん」
 何食わぬ様子を装いながら、短い返事を言葉なく告げる。思いは伝えばいい。素っ気なさを装う必要もあった。だが、神崎はまったく平静なんて取り繕うこともできないまま由加を見やる。これまでに見たことのない彼女の、洗いざらしの濡れた髪、そこからふんわり漂うシャンプーの香り、紅潮しているらしい彼女の生きのいい頬の色、そこから洩れ出す異性に対する艶っぽさみたいなものを感じてしまう。それを感じてしまえば男として黙ってなどいられなくなってしまう。それはいくら奥手である神崎と言えど例外なく。でも、がっついていると思われたくなくて、余裕がないなんて思われたくなくて、ぐっとそのせり上がる欲をなんとか神崎は抑え込む。ケンカ以外の何かしらでは、もしかしたらとてつもなく理性的な男なのかもしれないが、比べる所がない以上は不明である。男とか女とか、そんなことを気にしないように提案したのは部屋にあるゲームをやることだった。いつも語っていたゲームの新作を、神崎は確かに買ったばかりだったし由加はそれに興味があって見たがっていた。それはゲーム友達としても当然の行動で、常の余裕を取り戻すには充分な時間と行為だった。
 アルコールを口にするなんてそんなに珍しいことでもなかったけれど神崎はそれを願わなかったし、由加はそれについて考えてもいなかった。ただありのままゲームの時間を経て、そして夜も深まって眠気も覚えてきた頃。あくびを噛み殺しつつ布団を敷く。神崎のベッドにいつの間にか座っている由加の姿を見て神崎の理性はどこか一本の糸が切れたようで、そんな単純でくだらないことで理性なんて音も立てずに崩れてしまうなんて知らなくて。ただ、欲望のまま彼女の唇を奪っていた。それはただ口と口を合わせるような幼稚なものから始まって、けれどそれでは足りませんと言わんばかりに相手の唇を求めるようなものになっていき、それでも足りなくて舌先をそろそろと伸ばすような遠慮がちにも求める動きのあるそれを許されてしまえば当たり前だろう、遠慮がいらないと知れば男は遠慮なんてできない。ただ欲しいがままに彼女の舌を味わいたいと願う。たかがキスかも知れないが、それでもいい。彼女の、由加の舌を味わうことでゾクゾクするほどの喜びが身体の中を駆け巡るような気がしていた。その証拠に、神崎の首筋にはゾクゾクの証である鳥肌が立っていた。それは不快な意味合いではなく。もっと彼女に触れたくて、もう恥じらいはほとんどない。いつもは呼べない名前でだって彼女のことを呼べる。なぜなら、彼女に酔っているからかもしれない。彼女から口を離して、その近すぎる目を見つめる。これ以上の女なんていないと思う。バカみたいに、目の前の女とやりたい。ふにふにと、やわらかい胸を揉みながらまたキスをした。その胸に直に触れたい。胸を覆う最後の垣根である布が邪魔だった。そのままベッドの上に押し倒すような格好で、だが乱暴にではなくできるだけやさしく寝かせる。見上げた由加の目がぼうっとしていつもは見せない色に彩られている。上気した頬が別の意味でまた新たに染まったようだ。彼女のことをずっと見つめていたいと神崎は思う。だから目を逸らさずに後ろ手に電気のスイッチを切る。ここは神崎の城、否、神崎の部屋なのだからそれくらいはお手の物である。闇に包まれた部屋の中で、神崎も由加も一時的に視覚を失う。見えなくてもここにいる、と示すために神崎はおおよそ彼女の唇があるであろう箇所に唇を寄せる。そこは確かにやわらかだったけれど、どうやら狙った箇所とは違うらしい。
「…ゆか、」
 掠れたような声しかでなかった。相手への激しい感情のあまりに喉がカラカラに乾いている。想いを口にする代わりに神崎は舌先をそろりと伸ばして由加の唇を舐めた。その動きの一つ一つに由加はぴくぴくと反応する。お互いに息が上がっている。高揚も喜びも共用している。それがとても幸せだと感じる。脳裏にその言葉は浮かばないけれど。甘やかなことを思いながらも行動はやはり雄のそれ。由加の着るパジャマのボタンを外していく。手が急いでいて逆にもたもたしてしまう。もどかしさに擦り切れそうな理性がさらに千切れそうだ。露わになった由加の素肌を見て、闇に浮かぶ白さに思わず息を呑む。それに触れられるのだと現金にも喜んでしまうのは、男の性としか言いようがない。きめ細かな肌に神崎は舌先を伸ばしてみる。と同時にひ、と由加の口から小さな悲鳴のような声が上がる。神崎の手にすっぽりと収まりそうな小振りの胸に、早くはやく直に触れたい。ブラジャーを外すために彼女の背中に両腕を滑り込ませた。位置をちゃんと掴めている行為に、徐々に夜目に慣れつつあるのが分かる。不器用にかちゃかちゃとホックを外そうとするが、なかなかうまくいかない。それでもなんとかたどたどしくブラジャーを外す。由加は拒否しなかったけれど、急に慌てて上体を起こし自分の胸を両腕で隠そうとしている。ベッドの上に落ちたブラジャーがそこに存在している。
「っ、せ、先輩っ…」
 濡れた由加の声が神崎の耳をせつなくうつ。泣いているのだろうか。白く浮かぶ彼女の顔を見たけれど、涙の痕は闇に隠されているのか見えない。必死に胸を隠そうとしている彼女の頬に手を寄せた。上気して熱い。やはり水分は感じられない。それとも、泣くのを堪えているのだろうか。神崎はかける言葉も見つからない代わりに、由加の頬に唇を寄せた。触れるだけの子供みたいなあどけないキスをする。だが、由加は嫌々するように神崎の唇から逃れようとそっぽを向く。やっぱり気が急いてしまったせいで怒ってしまったのだろうか。神崎は一つ低めに咳払いする。
「…や、か…?」
 神崎なりのやさしさのつもりだ。ムリに彼女を奪うつもりなどない。ひょんなことで崩れかけた理性が復活して、本当によかった。嫌ならここでやめるという意思を示すために、神崎はわずかに体をずらし少しだけ離れる。暗闇の中で目元が濡れているように見える。泣いていないのは分かってはいるが、どうしてもいたたまれない気持ちになる。由加は胸を隠したまま、おずおずと神崎の目を見つめる。おのずと目が合う。その目が合ったままで由加はもう一度、ゆるく首を振った。何が言いたいのかはよく分からないが今日はここまでの合図なのだと神崎は思う。だからベッドの上に落ちたブラジャーを、できるだけさりげない動作で拾ってやる。きっと、見られるのは恥ずかしいだろうからとすぐに背中を向けてやる。それに応えるように後ろから布がこすれるような音が遠慮がちに聞こえる。それから少し経って、由加の声が後ろから神崎の耳に届く。もうその声には濡れた響きはなかった。
「先輩、ごめんっス。──ヤ、じゃないけど…っ、その、証拠に上下セットの下着、着けてきたしっ。…でもウチ、オッパイ小っさくて、見られんの、恥ずかしくて…っ」
 後ろからぶつかるように由加が神崎の背中に抱きついてくる。やわらかさと温かさとぶつけられた言葉が、じんわりと神崎の胸に浸透してくる。誰も胸の大きさなんて一言も口にしていないのに、女という生き物は不思議なものだ。後ろから回された両手を神崎の腹の辺りできゅっと握る。その指をいたわるようにほぐしたら呆気ないほどすぐに指が開いてしまったので、指に指を絡ませた。体も手先までもぴったりとくっついたまま。
「だから、嫌わないで、…ほしいっス」
「ばぁーか。誰がデカパイ好きっつったよ」
 こんな些細なことにいちいち不安がる由加のことを可愛くないと言える男がどこにいるというのか。嫌いだなどと誰が言えるというのか。そもそも嫌いならば付き合うことも、泊まりにこいと言うこともあるはずないというのに。そんな愛おしさを言葉にできず、ただ絡めた指をふにふにと動かして弄ぶ。それだけのことがどうしてだがとても幸せだった。
「じゃあ…、先輩、ウチのこと、その、…どう思ってるか、言って欲しいっス」
 そろそろ顔を見たいと思っていた矢先、急に由加から不意打ちのような言葉のジャブが浴びせられる。よくドラマなんかで見るアレだ。女の側が好きって言って。ちゃんと言葉にしないとわかんないよ。っていうあの小っ恥ずかしいヤツだ、と神崎は瞬時に悟る。由加の言わせようとしていることが手に取るように分かってしまったから、逆にやりづらくて敵わない。好き、とかそんなこと口にしなくても充分態度で示しているつもりだし、付き合う前に一回言ったはずだ。そう何回も軽々しく口にできる言葉じゃないし、そんなことを考えているだけで顔に熱が溜まってくるのが分かる。好きだと思えば思うほど、どうしてだか口には出せないような気になってくるから不思議だ。神崎の喉からは唸るような音しか出なかった。焦れた由加が強引に腕と体を離す。離れてゆく体温に寂しさを覚えるなんて子供の頃の、昔のむかしの記憶みたいだ。神崎は反射的に由加に振り向く。
「…離れんなよ」
 由加の望んだ言葉ではなかったろうと神崎は思う。けれど、その言葉を聞いて由加とても満足そうに笑った。素直じゃない神崎を見据えて笑ったのかもしれない。だが、その笑みで確信したことがある。由加少なくとも神崎の気持ちなど分かっていて言葉を欲しがっていたのだと。胸がどうのと悩むようなあどけない少女であっても、やはり女は女なのだ。絶対に男では敵わない部分がある。とても狡いというか、聡い所がある。
「ウチも、…ずっといっしょがいいっス」
 隣に座り直してベッドの上で手をつないだ。子供のようなこの行為が、なぜかとても満ち足りた時間だった。同じ気持ちでいられるなら、一緒にいられるなら、ずっと幸せだろうなと漠然と思った。

 ──とは言ったものの、本能と理性のせめぎ合いに勝てるほど経験豊富でもない、否、男女の関係うんぬんと言ってしまえばまだ中高生レベルのお坊ちゃんであると己自身も自負がある神崎は、結局のところうとうとと瞼をとろんと下げ始めた由加の体を布団の中に寝かせて、小さな寝息が聞こえ始めた所で自分はソファに向かった。またムラムラしだしたら今度は抑えが効かないかもしれない。ただでさえ、好意を持っている相手なのだ。その相手の無防備な姿を見てしまえば獣にも狼にもなり得ることなどとうに分かり切っている。彼女の白い肌がまだありありと思いだせる。まだお目にかかっていない乳房に未練はあるけれど、急いではいけないと神崎の理性は心の奥から叫んでいる。まだ体の芯に熱が篭っているような感覚がある。ソファに寄りかかって座り、ボンヤリと考えごとをする。いかがわしいことを考えちゃいけないと思えば、逆にやらしいことを思ってしまう。
(頭、冷やしてくるか……)
 寒空の中、由加に黙ったまま一人でブラブラと散歩した。頭を冷やす目的なら少し寒いくらいの方が丁度良い。家の近くの空き地を歩いて懐かしい思い出に目を細める。そういえば東条と聖石矢魔生徒会長とが女の取り合いをしていたり、悪魔野学園の連中が乱入して来てバトっていたのがこの辺りの空き地だったはずだ。あの頃から由加は子供みたいに神崎にペタペタと懐いてきたのだった。そんなに前のことでもないのに、とても懐かしかった。当時、こんな関係になるなどとは露ほども思わなかったが。この縁を、つながりを大事にしよう、由加のことを大事にしようと願う。明日の朝はなにを食べようか、とようやく色気のないことを考えながら部屋に戻る。体も頭も一通り冷めた頃だった。部屋ではまだ由加は寝ているらしく、神崎は離れたソファの上に横になった。意識して寝れないかもしれない…。それはそれでいいか、と思う。どうせ明日も学校は休みなのだ。ゆっくりと二人で微睡んだりゲームしたりできる限られた時間なのだから。


お題:おどろ

12.11.20


指の間〜シリーズの番外なのかなっ?と思いながら書き出して、3日くらいで上げてしまったヤツです
ただの神崎とパー子がいちゃラブしてるだけの、中身のなんもない話w
だから描写もあんまりヤラシクないというか。子供っぽいというか。ちゃあんと神崎が男男してますが、結局はヤレてませんからねwww

でも内容が梓とカズのヤツとカブった…よ、ね?
これは書いてて失敗したなあってとこです。ダメじゃんそんなんじゃ。いっしょにいたいなんて当たり前すぎるしさぁ。
もう少し言葉を探すべきだったか…


まぁ最近はしあわせなイチャイチャを書きたいので、たぶんあちこちで書き散らかすかと思われます。
では!

2012/11/20 23:49:49