大切に抱き締めていたもの全て指の間から溢れ落ちていくんですJ


 陣野の胸倉を掴んで昨日のことについて文句をいうと、陣野はアッサリと非を認めた。バンザイお手上げ状態で。
「…スマン。忘れていた」
 それをいうと教室の姫川とその取り巻きたちからバカにしたような笑いが洩れる。それに対して神崎がギンと強く鋭い視線を向けると、すぐに大人しく無音に近くなった。
 陣野は神崎に胸倉を掴まれたまま、続けた。謝罪の言葉は三文字のみで終えたらしく、それ以上に紡がれることはない。
「だが、昨日、事態は動いた」
 いっている意味がまるで不明。乱暴に胸倉から手を離しながら「あん?」と続きを聞く。陣野は他人になにかを伝えることはきっと苦手な性質なのだろう。彼の話しぶりを聞くとそう思わずにはいられない。神崎たちの方が話を聞かせるのはどう聞いても上手い。陣野の話は唐突すぎるが、深みはあると思わせる。言葉が少ないから一つの言葉の中にいろいろな意味が含まれているせいかもしれない。だが、早く結論を知りたい時に彼の話はやはりイラつくものなのだ。
「行方不明、になったそうだ」
 だ、誰が?! 問い掛けてその答えなど自分の力でこじ開けられることを知る。神崎は慌ててケータイを取り出して操作する。その手を阻むように陣野が神崎の手に、手を乗せた。見上げた所で陣野は静かに首を横に振った。ムダだ、そういいたげに。なにがムダなのかすら分からないのに、ムダといわれても納得などできるはずもなかった。ケータイごと手を引っ込めて神崎は得意のガンつけをカマす。それに怯む陣野かおるなどではないことも承知で。神崎は亜由美の番号を呼び出し、通話ボタンをプッシュした。呼び出し曲が耳元で鳴っている。でない、そう思う度に神崎の中でイライラが募っていく。その様子を見ようともせず、陣野は神崎へ背中を向ける。それを追いかけるようにして陣野に向けて手を延ばした。肩に手は引っかからないで、するりと幽霊のように抜けていく。あ、と小さい声が神崎の口から洩れたがそれを気にかけるような男ではない。陣野はそのまま席についたのだった。その間も神崎の耳元では耳障りにもまだ呼び出し曲が流れていて、流行りのJ-POPなど微塵も興味がないのだと知らされる。そして、ようやくカチャ、という無機質な音ともに声が聞こえた。
「只今、留守にしております。ピーッと鳴ったら発信音のあとにお話ください」
 それは、神崎が求めた声ではなくて、どこの電話にかけたとしても、大抵留守の時には聞こえる自動音声の機械的なアナウンスだった。彼女は、電話に出なかった。神崎は陣野の方を見た。彼は実に涼しそうな顔をしていて、まるで神崎にも亜由美にも関係ないかのような格好だ。鍵を握っているのは、きっと陣野なのだろう。そう縋る思いで彼を睨みつけていたけれど、授業を知らせるチャイムから数十秒遅れて教師が入ってくるまで彼にはなんの動きもなかった。授業だけはまともに出ている不良。それは単位のことを考えて神崎もそれに準じていたものの、今のようなやるせない思いを抱えている以上は忌々しいとしか言いようがなかった。
 放課後まで待つつもりなど、神崎にはない。だから長く長く待った、四時間目の授業の後、すぐに昼食のために消えた陣野の背中を見やりながらため息をついた。早く陣野が戻ることを祈るまでだ。
「神崎君、なぁんか恋する乙女みたい」
 まったく空気の読めない言葉をかけてこれるのは夏目しかいない。理由だって知っているくせに意地悪なヤツだと本気で思う。だが、軽い夏目の口調は時に気休めにも、気晴らしにもなるのだった。なにより彼を責めることなどできはしない。今、神崎が気にしている問題に夏目は無関係だからだ。



 結局、陣野には放課後まで待たされた。チャイムと同時に神崎が我慢の限界とばかりに陣野の席に行き、本日二回目になるが、胸倉を掴んだ。隣にいた相沢が困ったような顔をして陣野を見るが、陣野はまったく動じない様子でゆっくりと言った。
「場所を変えた方がいい」
 最低限の気遣いはできるヤツなのかもしれない。そう感じながらようやく神崎は手を離した。シャツの胸元がだらしなく伸びてしまっていたが、神崎には関係ない。陣野自身も気にしてはいない。場所を変えるといっても顔ぶれは増えていた。文句を言ったところで引くメンツでもないのだが、個人的な、しかも異性の話なので神崎的にはついてくるなと言っているのだが。神崎、夏目、城山、陣野、相沢。東条は多忙のためそこにはおらず。ムサイ顔ぶれで女の話をするというのはさらに頂けない。出てくるのは神崎の溜息ばかりだ。
「どうせならエアコン効いてるとこの方がいいんだけど」
などと夏目が言うと、近くにいた姫川がケータイをいじりながら言葉出てを差し伸べてくる。
「近くのサテンがいい。折角だから聞いてやるよ」
 何故か姫川までもが加わった。もう勘弁してくれ、と言うに言えない状態だった。せめて飲み代はすべて姫川に持たせてやろうと思った。姫川に続いてむさ苦しい男連中らがダラダラ歩いて、ちょっとばかり高級そうな店に入っていく。このメンバーがいると客がよってこないような気がするが、気取った店に入るのも、たまには悪くない。何より冷房のひんやりした空気を誰もが切望している。店の人は複雑な表情を浮かべたが、姫川の顔を見ては深々と頭を垂れた。適当なテーブル席につき、それぞれがてんでんばらばらにドリンクを頼む。それが運ばれる前に口火を切ったのは相沢だった。しかも紡がれた言葉はあまりに的外れなもので、拍子抜けしてしまう。
「あのさー…、俺事情とかよく分かってないんだけど、何の集まりなワケ?これ」
「そりゃ神崎の女の話に決まってんだろ」
 何故か姫川が、神崎が頭を抱えたところで勝手に答えた。簡潔に言えばそういうことなのだが、なんでお前が?という思いもあり、聞きたいことがなかなか陣野に問い掛けられないでいる。「それだが、」と陣野が続けようとした所で頼んだドリンクが届けられる。それを頼んだ者の前へ渡す作業がワタワタと続けられる。これでは前に進むはずの話もなかなか進まない。しかも陣野は頼んだオレンジジュースをマイペースに飲みだす始末。どう切り出してよいか分からず、待つことを選んだ。
「ええと、どこまで話した?」
「…お前の弟の塾の先公がクビになったって話までだ。ほとんど何も聞いてねえよ」
 それを聞くことで苦しむのは神崎の方だ、とも陣野は言ったが、それを今口にすることはないだろう。亜由美サンがクビになった理由に興味など持ってはいなかった。所詮オトナの世界の話だと、自分には関係のないことだと思っていたからだ。仕事がないないと言っても今時、高校生たちだってアルバイトをしているのだし探せばやりたい仕事もできるだろう。まだ学生の神崎はそれぐらいの感想しか持っていない。
 陣野の話は、彼自身あまり余計な口を開かないこともあって実に簡潔で分かりやすいものだった。だが、前置きは神崎に向けたもので、「聞いて後悔しても知らんぞ」とだけ言った。それを聞いている間じゅう、神崎は顔色を変えてずっと黙ったままだった。

 陣野の弟が親と話をしていた内容が、ぼんやりと聞こえてきた。特に聞くつもりもなかったが同じ部屋にいれば聞こえるというものだ。それは弟の塾の講師で、美人だと評判だった人の話だ。その人は髪の長い美人で、男子生徒からはなかなかに人気があったという。しかしその講師はある日「急に諸事情あり退職しました」とだけ告げられ、急に来なくなってしまった。その理由は語られることなく、また講師らによってわざと触れられないような空気があった。だが、それは陣野の弟が塾内の噂で聞いた話、つまり、また聞きのさらにまた聞きになるので、どの程度本当のことか分からない、と前置きを頭に置いて聞いて欲しい。と告げた上で、塾の別のクラスにある生徒の親が急に現れたのだという。もちろんそれは陣野の弟の知り合いでも何でもないらしく、誰かの母親が乗り込んできたということだ。誰であるかは問題ではない。どうして乗り込んできたのかが焦点になる。よく分からんオバサンは開口一発、
「うちの息子が帰ってこないんです!ここの先生の、あの女でしょう!」
 こうのたまった。それが誰を指すのかは言わずもがな。答えの代わりに授業を行っていた講師がオバサンを宥めながら「ここにはいません。もう辞めたんです」と答えた。例の女講師以外あり得ないと、生徒の誰もが思った。他にいるはずもない。
「揉み消したのね!……あんなことが広まったら、学校にも入れないかもしれない。人生を狂わされたのよ」
 母親が喚き出したので講師は慌てた。彼女を何とか外に出しつつ、生徒たちには自習とだけ告げられた。勿論、自習などできるわけもない。その噂話で持ちきりになった。だがあまり騒ぐと別の講師に見咎められてしまう。控えめに噂話をしていたのだという。その時にある少年がこんなことを言ったから教室が騒然とした。それまでは静かにざわめいていた教室がヒートアップした。その少年はさもない冴えない、普通に歩いていれば声などかけられることのない何の変哲もない少年。
「僕のクラスメイトなんだ。まさか、って思ったよ。まさか、先生とエッチする、なんて…」
 中学生で初体験を済ませてしまう者も中にはいる。だが、こうやって勉強云々で塾に、通うような者たちにしてみやば恋愛とかセックスとかそんなことよりも今は現在は勉強が必要で、少なくとも三年生以前に済ませている者以外は『童貞・処女』の部類と思ってもらってほぼ間違いないであろう。それはまあ良いとして、少年の言葉は周りから波紋を呼んだのだった。彼は今乗り込んできた母親の息子の友人なり、何なりなのであって事情については多少なりとも知る立ち位置にいたのだということ。勿論その直後、彼はもみくちゃにされながら詳細について可能な限り教室にいる彼らにあざいざらい話すように促された。全てを話したわけではない可能性があるが、そこにいた連中は皆ある程度の事情を耳にしたという。何故なら彼が口を開いている間はひっそりと静かに聞いているというのが守られていたからである。それにより教室がブログ炎上(笑)することなく常のように静かであったため、他の講師が見回りに来ることもなかった。
 少年が言ったことについては、どこが大袈裟とか嘘とか本当とか真実とか、そんなことはまったく分からない。それを計る術もない。直感に頼るなどという古い手立てはアテにならなさすぎる。ただ、クビになった女講師と彼のクラスメイトの男子生徒とが肉体関係に及んだのだという。そして、男子生徒が不安そうな顔をして言ったそうだ。どうすればいいんだろ、と。それは中学生でも分かるようなことで、彼は性行為に及んだ際に避妊をしていなかった。悪気があったわけではなくて、ただそうなってしまっていたというだけのこと。少年は子供の育て方なんて分からないと言ったが、それでもそのまま結婚するのも否定ではないと言ったという。だが少年はまだ婚姻できる年齢でもなく、また女の腹に子が宿ったかどうかは定かではなかった。それについては陣野の口からはまったく述べられてはいないためである。だが、そういう噂が塾の中で瞬く間に流れ、その女はクビになったという事実。その二つの事実のせいで、えげつない噂がさらに広まっているらしい。

「でもそれって……、神崎君の時の話とも、よく似てーーー」
 夏目の言葉は神崎が真剣な表情のまま、しかし言葉もなく己の胸に問い掛けるように己のシャツをぎゅうと強く握ったままでいたことで、中断された。まったくいつもの神崎の様子ではなく、また、夏目の言葉の意味も理解しているようであった。
 わけがわからないままに侵食される。身体が侵食されれば、気づかぬうちに心も奪われてゆく。愛とか恋とか、幻想を夢見て彼女を欲する。それがどんな結末であろうとも、そんなことを考える余裕などなくただひたすらち欲する。そうして、彼女へ向けて堕ちてゆく。
「…そして、その元塾講師の女は少し前から連絡が取れない。そのガキと一緒ではないかと父兄は言ってるらしい」
 らしい。確証のない話し方だったが、いずれそれが本当かどうかは分かることだ。それをあと少しだけ確かなものにするために、神崎が彼女に連絡を取るかどうか、それは彼に委ねられていた。顔色がすっかり悪くなった神崎は、それでも震える手で自分のケータイを取り出した。彼の手が震えるから画面もブレて震えている。何を恐れることがあるのか、彼女を信じられないのか、と何度も神崎は頭の中だけで反芻する。数時間前に聞いたコール音の代わりに流れるJ-POPの長さを思う。彼女は出ないのか、出られないのか、持って行っていないのか。そのどれかが分からなくて手が震えているのだと気づく。留守電にすれば聞いてしまうからしないのかもしれない。だが、すべては憶測の中だけに留まる話だった。やはり確かめなければならない。ここ数日ですっかり呼び出し慣れた彼女の番号をリダイヤルで呼び出した。



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 やはり彼女は出なかった。
 どうして出てくれないのか分からない。だが、彼女と話すことができない以上、確かめることもかなわない。だったら家に行けばいいだろ、と言った姫川の一言で彼らは喫茶店を後にした。いい顔をするはずもない神崎の後ろにはむさい男どもがズラズラと続いて、立ち止まった先でノックした扉の向こうからは何一つ音もせず、人の気配すらしなかった。彼女は確かにここにも塾にも、どこにもいないのだった。
「駆け落ち、の可能性があるというのがもっぱらの噂らしい」
 もちろん、そんな話なので包囲網は敷いているので二人が捕まるのはきっと時間の問題であるとの噂だった。すべてが噂の上に成り立つ話なのでどこからどこまでが本当のことであるのかはまったく分からないが。物音と人の気配のしないドアを何気なく眺めながら姫川は呟く。
「案外、ここに隠れてたりしてな」
 まさかな、と言いながら高校生男子どもは彼女の部屋の前を後にした。その間じゅう、神崎はずっと言いようのない想いに心を震わせていた。寒々しい風が胸の奥に吹き込んで来るようで、寒くもないのに寒さに震えられそうだ。だが言葉にもなんにもできなくて、ようやく帰り道の分かれ道で一つだけ陣野に声を掛けた。
「結局、おめぇは何が言いたかった?」
「……気をつけろ。間違いなく、その女はクロだ。お前の純情なんて、何の意味もない」
 別れの言葉もなかった。そのまま神崎一派と東条一派は道を分かれた。姫川はくっくっと笑いながら神崎側に歩いてきている。由加と神崎ほど近いわけでもないが家の方向がいっしょなのだ。陣野の冷たくも事実を抉った言葉には笑いが止まらないのだった。恋愛とかそんな一時の感情に振り回される神崎という男が不憫で不憫で、笑えて堪らないのだ。
「おい姫川。ふざけるな、何を笑う」
「べっつに」
 いたたまれなくなった城山からの一言は軽く流した。それに比例するように神崎の足取りは徐々に徐々に、元よりダラけた歩き方で遅いというのに、さらに遅い歩みとなっていた。まるでただ帰るなんていやだ、と駄々をこねる子供みたいに。遅く歩いた所で何も変わらないというのに。帰りたくないのに、早くここから離れたい。確かめたいことは山ほどあったけれど、知りたくないとも思った。符号していく事実に耳を塞ぎたくもあったけど、知るべきだと感じてもいた。そんなことばかり思う自分自身の弱さを認めたくないというのもあった。踏み躙られたくないと思うだけのありったけの純情を抱えて、神崎は帰路をゆっくりと辿る。不安が滲んだ哀しい背中に、城山も声を掛けられるはずもなかった。


12.10.08

ようやく終わりました…
ってまだまだ何も解決してないっていう(笑)
や、実は途中でメールが落ちて落ちて書けなくなっちゃったんですね。これからはiテキストで書くようにしよう。途中保存がされるっぽいし。ジャイキリの文章はそっちでうってたんですよね。
よく分からないんですが、iOS6にアップデートしてからメールがよく落ちるようになってしまって。やっぱ4S買うしかないのかなぁ…本体だけほしいな。

つーわけで、神崎君フラれたんじゃね?のターンです。
もう大体佳境なのでそろそろ終われよって感じですかね。
パー子をあとは絡ませていかないと。結構これを書いてる間にも原作も進んじゃって…まぁ捏造上等なのでおかしいとかそういうところはないと思うのだが。
なんだかんだで石矢魔メンバが絡められるのでいいかな。
別の短編なんかも書きつつ、シリーズ書いていくのでヨロです。

2012/10/08 14:13:32