※ 葵ちゃん死にネタ
※ キャラが歳取るのは許せない方はバックで
※ 男鹿と葵ちゃんが夫婦な未来パロ


 彼女が静かに微笑む。病院のベッドに寝てるのは時間が勿体無いと何年振りかの我儘を言った。そうして退院して来て数日、病魔に侵された細い身体は思うように動かず、窓から外を見ては懐かしそうに目を細めたり微笑したりしていた。昔に比べて静かになった。勿論、病気のこともあるのだろうが、やはり時間は人の意識を変えるものなのだろうと思わざるを得ない。丸くなったなぁ、などという言葉があるが正にそれだ。
「ねえ」彼女が、不意に彼に声を掛ける。そこには笑み。今までよりも確かな笑顔で彼のことをまっすぐに見た。その顔は初めて会った高校時代よりも勿論皺が増えており、さらさらと流れる長い黒髪の中には白い毛も混ざっていた。肌は病気と老いからハリのないものであったし、手を見てもカサついた痩せ細ったそれは、年輪を思い知らされる。だが、彼女は変わらず、確かな美しさを保っている。病魔でさえそれを追い払うことはできないのだ。そして、彼女自身がそれについては何の考慮もしていないのだから凄いと言う他ない。
 彼女がわかっていることといえば、彼女の命はあと数日のものだということだった。だからこそ彼女は病院を出たいなどと我儘を夫に告げたのだ。そして、彼は妻の思う通りにしてやった。それだけのことだ。
 彼はせめての罪滅ぼしのためにでも、これをしてやらなければならないと思ったのだった。勿論病院側とは揉めた。当然だ、死ぬと分かっていて退院させることなど現在の法律ではグレーゾーンなのだ。だが彼は構わないと言い張った。最期の時を我が家で過ごしたいと思うのは衣食住を欲求として持つ生物であれば、間違いなく望むものなのだから。そういった小難しい話が出来るほど彼は賢くないので、強引に退院手続を済ませ、彼女を引き取って来た。その日から、ずっと一緒だ。
「ねえ、聞こえてる?」
 もう一度、今度ははっきりと彼女が言った。仕方がないのでおう、とだけ彼は返した。それ以上返しようもない。
「ありがと。最後の我儘、聞いてくれて」
 この間の退院のことを言っているのだと気づき、彼はまた素っ気なく返した。
 彼女は罪の意識など感じる必要などないと言うだろう。だが、彼は彼女に対して申し訳ない気持ちで何十年も連れ添ってきたのだ。だが、それについて彼は絶対に口にしない。だからきっと彼女はそんな気持ちになど気づいてはいないだろう。それは彼の問題だ。彼はその思いは墓場まで持って行くと結婚の際に決めていた。





 数日後、彼女は寝たままで動けなくなった。呼吸はごく浅い。医師にも来てもらったが手の施しようはないと首を横に振るばかりだ。彼は無表情で彼女の死にゆく様を、医師が必死で肺に空気を送る様を見ていた。呼吸が止まった直後、彼女は苦しみから開放され少しだけ微笑んだ、ように見えた。生者のエゴかもしれない、と彼は胸の中で呟いた。
「ええと、息子さん…でしたか」
「いえ、旦那っす」
 そういうといかにも時代遅れ的な医師は少し表情を変えたが、「ご臨終です」と頭を下げた。医師たちは静かに退散して行った。死んだ患者を前にして医師ができることはない。
 彼は逝ってしまった妻の前に腰を下ろした。まだその顔には表情はない。彼は死んだことがないから、死の実感は遅いのかもしれない。だが、彼の両親は確かに死んだ。数年前に事故で亡くなった。姉は生きているが、現在は遠い場所に住んでおり、あまり連絡を取っていない。むしろ彼の方から連絡することは皆無だった。家族というのはそんなものなのかもしれない。
 どうして、こんなことを静かに、しかも彼女が、死んだというのに冷静に考えているんだろう。ふと、そんなことを思った。
 彼は近くにある鏡を見た。映る夫婦の姿。だが彼はどう見ても二十代の若者の儘で、彼女だけが年齢に合わせて歳を重ねていた。時が止まったかのように若い時の姿を保った彼の姿は、よく歩く人々に親子の姿と見間違われた。その度に彼女が気まずそうに否定していた。若い姿の方が気にするならまだしも、なぜ彼女が気にするのか、謝るのか分からないと彼は一度だけ言ったことがあった。よく考えてみれば逆の立場だったら問題なかったな、とも思う。やはり女性であれば美しくありたいと思うものなのだろう。





 そもそもこうしてある一定の時より老化が進まないのは、悪魔の契約にある。彼は高校一年生の時、魔王の子供を拾い、最終的には親として契約を交わしたのだった。それには従来の人間では思いつかないようなドタバタ劇とも言える苦労があり、それを支えてくれたのが妻だったのだ。
 だが、あまりに強過ぎる力は周りの者にも影響を及ぼし、人間の力ではどうすることもできなかった。彼は人間でありながら魔王に匹敵する力を持つという偉業を達成した。それと引き換えに彼の近しい者たちは命を削られていった。どんな形であれ魔力に関係しているのだと、結婚前に聞いた話だ。だが、詳細な意味など彼に分かるはずもない。
「俺が殺した……」
 思い詰めたように、やっと彼は口を開いた。彼女の息遣いはまったく聞こえなくなってしまった。ずっと持っていた罪悪感をぼそりと語る。彼女の長い髪を撫ぜた。

 いつだったか。彼の親の葬式で呆れたように彼女が言った。
「悲しくないの」
 何が、と彼が返す。親は先に死ぬものだと分かっているから、それが今だったというだけで悲しいよりも忙しいと思っていた。あと、葬式はつまらんとか。そんなことを口にしたら彼女は涙声になった。どうして泣くのかわからない、と彼は言ったがバカ!と一蹴されてしまった。彼女はあの時何を言いたかったんだろうか。泣く彼女に手を焼いていると姉が来て、
「辰巳!あんたボサッとしてないで手伝いなさいよ」と怒られた。姉だって、泣くより先に葬儀やらの準備でピリピリしているというのに。その時姉がそっと彼女に声を掛けた。
「辰巳は、泣いたりしないわよ」
 そんなことを言っていた。
 覚えている限り、泣いた記憶はない。そもそも泣くなどと弱々しいことはしない。辰巳、彼の父はすぐに土下座して泣いて謝るタイプなので、その反発もあるのかもしれない。

 彼女の顔に、涙の粒が落ちる。彼はごめんな、と小さく何度も謝った。直接手を下したわけじゃない。だが、彼女は確かに寿命を削って彼と連れ添った。彼女が知らなくても、彼は知っているから。今、彼女が生きていたらきっと、泣いたところを初めて見た、とひとしきり驚いてから慰めてくれるだろう。その彼女も、もう逝ってしまった。
 あまりの衝撃で、胸を掻き毟り心臓を取り出したい。頭に針を刺して脳を穴ぼこだらけにしたい。先に逝くと分かっていても、辛い別れはいくらでもあるのだということを、初めて知った。息が詰まって喉がぐうぎゅうと鳴った。
 辰巳は思う。あと少ししたら魔王が帰宅するだろう。それまでに涙を止めなければならない、と。魔王がそれに倣って泣いたら大事である。最愛の妻・葵の亡骸にそっと口づけした。その顔が涙で濡れた。
 これからの人生、これからも大事な誰かをなくしていくのだろう。自分のせいで早々と亡くなる人たちのことを思う。亡くなった人たちのことを思う。
 永遠に近い命を所望したわけでもないのに、なんと辛い人生になってしまったことか。長く生きることなど、何の意味もない。辰巳は、どう生きていけばよいのか途方に暮れた。


追憶に生きたところでどうするというのか


12.08.19

男鹿が葵ちゃんを看取った話

暗いです。くらい。
あと、もう少し短い予定でしたが、思ったより長くなりましたね。年齢については何も書いてませんが、一応五十代くらいのイメージで書きました。

詳細はよくわからんのですが、ベル坊がいるから結婚しても子ども作ってない感じです。しかも魔王として、というより普通の子供としてベル坊を育てたようなノリです。働いたりするのかよ?!とかツッコミ。

思いついた時にはもう少し意味深だったような気もしますが、その時書けなくて忘れたりするんですよね(笑)なんかまとまりがなくなってしまいました。
男鹿は口にしないけど、嫁さんに対する愛情を感じてもらえればなあ!男鹿からラブっぽい話がないので。

title:落日
2012/08/19 12:30:32