夏祭りの一幕たち


 葵が光太の駄々を聞いて現れたそこ。石矢魔町内の夏祭りの会場は、近くの人々たちによってごった返していた。暑いし人混みだし、あまり好ましくはないとため息をついていたけれど、ふと見た先に裸の赤子を背負う後輩の冷めた視線と、葵の視線がぶつかった。どうしてこんなところに、そう言う前に彼――男鹿――が目敏く葵の姿を見つけて「おっ」と驚いたような顔をしながら近寄ってきた。
「よう、邦枝も来てたのか」
「…そ、そうよ。光太にせがまれて」
 葵はただ内心の動揺を隠すために必死で、ベルと光太は見つけたりと遊び出す。子供同士が遊ぶにはあまりに人が多くごちゃごちゃしていたので、土手にでも場所を移ろうかということになり、邦枝・男鹿一行は移動することにした。
「ヒルダさんは?一緒じゃないの」
「ん、ああ…。一緒にきたけどはしゃいでどっか行った」
 ヒルダは子供ではないのだから放っておくと男鹿は冷たく言い放った。人ごみに疲れた休息場所にはうってつけかとも思ったが、土手の方も人はいつもよりも多く落ち着けるような様子ではなかった。だが男鹿は別にここでいいと言うので芝生の上に腰を下ろす。じゃれ合う二人の子供を横目に、なんとかひと息つく。川面にはぽっかりと大きめの月が浮かんでは、暇潰しに投げられた小石によって揺らめかされている。周りはザワついていてあまり落ち着ける環境でもないが、こんな時間も悪くないように葵は思った。
 男鹿の呼びかけに視線を向けると、目の前にはお好み焼きのプラスティックの容器。葵は厚意を素直に受けることにした。箸から受け取り容器を手にして一口頂く。口の中に広がる独特の芳ばしさと旨味。テキ屋の群れで買ったのはヨーヨーやお面などの光太の欲しがるオモチャばかりだったことに、今更ながら気付く。まだ夕食前だったことも忘れていた。何口かパクついてから、まだ中身のあるそれを男鹿に向けて返そうとした。
「全部食ってもいいけど……食わねえの?」
「もっと食べたかったら買ってくるわよ」
「なら食お。まだ腹減ってんだ」
 男鹿が受け取る時に、僅かに指と指が触れ合う。ただそれだけのことに内心ドキリとした。だが、今重大なことに気づかされた。このお好み焼きは食べかけだった。もちろん箸も使ったもの。そのまま気付かず使って、そしてまた返した。それを男鹿は今また使っている。これって……これって………
 男鹿が口にお好み焼きの欠片を運ぶ。その箸を何も考えずにぺろりと舐める。うまい、と言う。そんなごく当たり前の光景が繰り返される。食べ終わるまでの間、ずっと。それに気付いてから、葵の耳には周りの音の何もかもが届かなくなっていて、ただ目を逸らしたいと思いながらも、その目をそらせずにいた。暗いことが救いで、みっともないくらいに赤く染まったこの顔をどうか見られませんようにと、それだけを強く願った。
 と、唐突にパァン、と辺りに響き渡る乾いた破裂音。石矢魔名物・夏の打ち上げ花火の音。花火大会の始まりだった。ハッとして葵は川の遥か上空に目をやる。一つ上がった花火は火花を散らせてさまざまな色になりながら散ってゆく。夜の闇と川面に映って、幻想的に美しい世界となる。ややあって今度は二発、パパン、と立て続けに上げられる花火。これが十回まで続けられてから、バンバン花火師の花火が上げられる仕様になっている。
 花火の命は蝉のようだと葵は思う。華々しく飛び回れるのはほんの一瞬、その間だけ輝けるけれどそのあとはすぐに落ちていってしまう。命すら失って。切ない生き物と、切ない輝き。似て非なる何かだと感じてしまう。一瞬だからこそ輝ける姿。その姿に魅せられていた。言葉など陳腐なものしか口にできない。キレーとか、スゴイとか。そんな邦枝を見ながら隣の男鹿がにやりと笑った。
「ここ、実はこの花火大会の特等席なんだよ」
もしかして、見せようとしてくれたのだろうか? そんなことを葵は思ってしまう。だが、口にできるはずもなく、何も言えずに再び花火を見上げて感嘆の息をはくだけだった。
 余談であるが、花火は小さな魔王には怖いものらしく、親である男鹿にしがみつきながら怖くないやいと言わんばかりに男鹿の後ろ髪を掻きむしったりきいきい騒いだりしていた。その間じゅう男鹿はウンザリしたように文句を言っていたが、花火を見ては満足そうな表情を浮かべた。光太は花火を怖がることなくはしゃぎながら見ていた。時にうざったいと思う葵が膝に抱いたりする場面はあったものの、ベルとは違った印象である。
「だああああああ、髪ひっぱんなイデェ」
 低い男の情けない叫びと、男鹿と葵らの近くにドサリと倒れこむ様子。両手には大量の荷物が提げられている。肩を怒らせて苦しげな呼吸に喘いでいる。見覚えのある金の短髪、その肩には幼い女の子が乗っており、男鹿にしがみつくベルを見ては「おーベルっ!」と指差した。神崎二葉、その子である。ちなみにベルは二葉には頭が上がらないようである。二葉の声に神崎が顔を上げて、ようやく葵と男鹿の姿を認めた。呼吸を整えととのえようやく口を開いた。
「な、…っんでオメーらが俺、…っの場所にいやがんだ、よっ……」
 神崎も花火の特等席はここだと言いたいらしかった。早い者勝ちだと男鹿は珍しく正論を口にしながら取り合わない。それより花火を見ろというようにアゴをしゃくって視線を促し、そのまま神崎が向けた視線の先に火花の神秘的な花が咲いた。さすがの神崎もおとなしくなったが、その傍で二葉が怖がるベルをからかっていた。泣きべそをかきながらも何とか男鹿と葵でなだめるばかりになってしまい、花火どころではなくなってしまったが、ちょうど花火が終わる頃にベルは二葉によって泣かされ、男鹿に電撃が堕ちて祭りは終了した。



*****



「ちくしょー、さんざんだったな」
 電撃の痛みに顔をしかめながらも、ようやく引いた痺れから回復した男鹿と葵は帰路に着いていた。ふらつく男鹿を心配した葵が一度休憩を要請し、近くにあったベンチに座った。ポケットに入っていたハンカチで男鹿の顔を拭ってやる。光太もベルも別々の背中に寄り添って寝息を立てている。特にベルは泣いたせいもあってとても疲れているらしかった。それは男鹿もまた同じなのだろうが。
「いい。汚れんぞ」
「洗濯すればいいじゃない」
 少しだけ休んでから帰り道へと歩を進めた。気が付けば男鹿と葵は手をつないでいた。いつの間に? どっちから? なんで? さまざまな疑問が葵の頭の中を駆け巡ってグルグルしている。考えたところで葵は葵でしかなく、男鹿にはなれない、分かるはずもない。分かるのは隣にいる男鹿はいつもと何ら変わりはないということだけである。
「疲れてるでしょ、ここまででいいから」
 葵がそう言っても男鹿は頑として聞こうとしなかった。疲れていようがいまいが、家の前まで送ると聞かない。
「夜道、女一人で帰したなんて……言えっかよ」
 それだけボソリと呟くように言った。
 一人の女性として、少しは意識があるということなのだろうか。葵はそんなことを思ってドギマギしてしまい、それからは黙って送られることにした。つないだ手が不自然に熱かったけれど、気温も高いのだから発散しきれない熱が溜まっているのだなどと無駄なことを考えながら、ずっとこの道が永くながく伸びればよいのにと願って歩く。足音は二人分。呼吸は四人分。長く伸びる影を踏みながら、今この時がすぐ終わりませんようにと花火に祈った。



*****



 その頃、神崎家。
 ようやく辿り着いた自室には当たり前のように二葉が入り込んできて、夏祭りから引き続き遊べ遊べと駄々を捏ねて神崎の手を煩わせた。
 夏休みは嫌いだ。冷房の中で暮らせるし、朝は遅く起きてもいいし、学校は行かなくてもいいし、ゲームはし放題なのに。それでも好きになれないのはこの超絶ワガママ姪っ子のせいなのである。二葉は皆に愛されワガママ放題に育てられているくせに、結局は神崎家次男坊…一の所にやってくる。ひたすらに懐かれている。歪んではいると思うが。
 今日もまたいつものワガママの延長で、石矢魔の夏祭りに行きたいと行って聞かず、父・武玄が連れて行きたがっていたが会合があるせいで已む無く一が連れていくこととなった。もちろん一は断ったし、拒否したし嫌がったのだったが、二葉に対する拒否権など何の効力もなく無意味で、引っ張り振り回されたということだった。
 そして今、部屋でグッタリしている所などお構いなしに二葉は表れた。一、はじめと何度もその名を呼びかけ遊べとせがむのだ。
「頼む〜…今日はまじムリだって。明日にしろ、二葉…」
 それだけ言うと、あまりの疲れのせいで視界がぐわんぐゎんと歪む。あとは濁りの中に記憶と感覚が落ち込んでゆく。あとは眠りの中に入ってゆくだけだ。二葉が揺さぶろうが蹴ろうが、髪を引っ張ろうが顔を引っ張ろうが、お面を被せようが何しようが、一は鼾をかいているばかりで無反応である。二葉はと言えば当然まったくおもしろくはない。自分の思い通りにならない一を何とかしたいと思う。そうやって一を起こそうという動きをしばらく続けていると、二葉もだんだんと夜も遅くなってきたせいか眠くなってきた。鼾をかく一に抱きついて頬を寄せた。この所、毎日一と一緒に寝ている。そして、いつものように一の口にキスをした。これは誰にも言っていない。
“一は二葉のもの”。
 もう一度、オマセな秘め事を一の唇に残した。



*****



 望まなくとも時は過ぎてしまうもので、てくてくてくてくとただ歩くだけで目指す先に着いてしまうのは当たり前のこと。けれどそれを今日という日ほど忌々しいと思ったことはない。家に着くことなど当たり前であり、喜ばしいことであるはずなのに。それを感じながらも葵は目の前に立っている男鹿を見上げた。彼の顔はいつものとおりと変わらない表情で、今何を考えているのかなどと分かり得るはずもない。ただ、言わねばならないことがある。そう葵は思った。
「……男鹿、」
 辰巳という名を知ってはいたが、下の名で呼ぶことなどできない。それは今まで苗字で呼ぶことが常だっただけに、わざとらしいと感じてしまうからだ。深い意味などなくとも呼び名が変わることには意味がある。そう勘繰るのは当たり前のことだったから、葵は下の名を呼べずにいる。
 葵の思いなどお構いなしで男鹿は何食わぬ顔を葵に向けた。その場所は邦枝家の目の前。つまり、今日の別れの時間は秒読みといったところ。歩を進めていればいずれは着くゴール。それが目の前に広がっているというだけのこと。当たり前のことに落胆するなど阿呆と言われても仕方がないかもしれない。それでも、まだ家に着きたくないという思いを葵は捨て切れない。さよならの挨拶を少しでも遅らせようとしてしまうほどに。
 だが、そんなことを言えるはずもない。
「……じゃあ、ね。今日は、送ってくれて、ありがと」
 素っ気ない挨拶と、それを受けて僅かに笑いながら「おう」と背中を向ける男鹿。明日会うと分かっていても、短い別れと知っていても、それでも胸を痛めつけるかのような痛みを伴う別れを惜しむ葵の気持ちなど、きっと男鹿は知る由もないのだろう。礼の言葉を告げるだけで終わった花火の夜は、いつもより少しだけ冷えていた。夏の割に、とても冷えていた。だが、心が冷えたわけじゃない。思いが冷めたわけじゃない。



2012.08.08

仙台七夕最終日、すごく涼しくて過ごしやすい日になりました!
起きて一時間ちょいくらいこれ打ってました。男鹿と葵にするか、神崎家とするか悩んだ末、7割男鹿と葵にして、残りを二葉と神崎にしました。
どっちもかわういです。あう。
あと哀葉は出しませんでした。彼が出ちゃうと、どうしても男鹿はヒルダのほうに行っちゃうような…そんな気がしますね。ソノ気がないだけに。


ちなみに二葉ちゃんは一が大好きですが、結婚はできません。理由はわかりますね?分からなければ調べましょう(笑)



ちなみに、お好み焼きのテキ屋は当然、東条というガチな設定でした。使わなかったけど。
あと、男鹿の女を送るというセリフは当然、姉ちゃんの存在からです。色気ではないっていうオチ。
これはあえて入れなかったんだけど、深読みしてくれても構わないですけどね。脳内変換桃色上等。

2012/08/09 10:02:36