「どうでもいいことかもしれんが、俺はちょっと安心したぞ」
 倫太郎はすっかり記憶を取り戻した所で過去の秋葉原のショップを歩いていた。70年代の街並みは未来の萌えにまみれた街の姿からは想像もできないもので、寂しさはあったものの隣にいる鈴羽の存在によって救われてもいた。だからそんなことを口走ってしまっていた。何も知らぬ鈴羽は訝しげに倫太郎を見やり「はあ?何」といつものように言う。まるで記憶などなくしていないかのように。まるで2010年のあの夏の日のように。
「いやな、俺はお前がデブ専ではないのかと疑っていたからな」
「デブ専…?どういう、」
 言ってからしまった!という顔をして慌てて話題を変えた。しかも遠い未来から来た彼女はデブ専の意味すらも知らなかった。ので助かった。あとはうまくやりすごせばよい。
 倫太郎自身もよく分かっていた。鈴羽は2017年に誕生し、父親はダルだということを分かっている。その存在をどうこう思うことになんの意味があるのだろう。ダルの娘と一緒にいると分かっていて、これだけ切ない思いに駆られるだなんて思ってもみなかった。だからこの思いは許されるべきものでもない。とは言っても咎める者も存在しない。二人とも存在し得ないイレギュラーな存在であるから、誰にも理解などできないのだ。
 ずいぶん前の遠く戻れない未来の夏の暑い日に、それ以上未来のダルが作ったタイムマシンを直すダルの傍で、鈴羽は倫太郎たちと会えてよかったと、過去に遡る固い決意を語ったのだ。あのときの儚くて哀しげで、とても懐かしく優しい笑みを倫太郎は忘れることができない。あんな顔をして彼女が無理に笑うから、あのときから確かに彼女に惹かれていた。過去で記憶をなくす前から本当は彼女を思っていたのだと、胸の奥にずくりと疼くなにかを抱えて眉根を寄せた。
「お前の父親のことだ。俺の右腕であり、残念なHENTAIデブオタだが………かけがえのない俺の仲間だ」
「父さんの願いなんだよね、そのPC見つけるのは。がんばんなきゃね!岡部」
 ダルがいない。まゆりもいない。紅莉栖もいない。ラボメンの他の誰もが存在すらしていなかった。その親たちもまだ出会っていなかったかもしれない。そんな昔の世界に倫太郎と鈴羽だけが存在していて、互いのことを理解しているのはまだ倫太郎だけなのだった。ここに存在する倫太郎は狂気のマッドサイエンティストでも何でもなく、身分もなにもない謎の青年に過ぎない。それがどうしようもなく寂しくて、夜の闇に絡め取られているかのような気持ちにすら陥る。だが、鈴羽に縋るなどということはできない。世界線を超えて観測者として存在し続けているのは倫太郎だけなのだから。
 見慣れぬ秋葉原の古臭い街並みの中に、時折変わらず建つ建物などに目を奪われ、30年以上も変わらぬものがあるのかと驚いたりすることもあった。ようやく見つけたIBN5100はあまりに目玉の飛び出るような金額だった。だからフェイリスパパが買って行く所を捕まえてうまく話を持っていくしかないだろうという、いつかの未来へとつながる動きを二人で決めた。やはり未来をつなぐのはラボメンメンバーにつながっている。それを感じては倫太郎としては口にせずにはいられない。
「これもシュタインズゲートの選択か……」
「なんなのそれ」
「お前はIBN5100のためにあの電器屋の誰かと仲良くなるとか、もしくはあそこでバイトするのだっ!俺はさすがに店を辞められん」
 2010年では考えられないほどに仕事は溢れていて、若者は仕事を選び放題であった。だが一箇所に留まるのはぐんぐんと上がる給料のためである。というか、倫太郎はオモチャ屋の仕事がどうにも合うらしい。そもそもラボでこんな感じのオモチャみたいなガジェットを作っていたのだから、天職なのかもしれない。つまりは、辞めたくないのである。また、倫太郎の性格では新しい就職先に馴染むのもそうだし、仕事を覚え直すのも面倒という所があったからだ。そして、鈴羽は倫太郎にはないものを持っており、新しい所に自分から飛び込んでいく性質があった。好奇心旺盛なのもあるし、怖いもの知らずな所もある。そして、鈴羽は記憶をなくしてもブレない。
「んじゃ分かった。うまくいくかな」
「何をいうのだ、うまくいかせるのが俺たちの役目だ」
 不安そうに俯く鈴羽のお下げ髪が夕陽に照らされて金色に輝いた。伏せられた睫毛は思っていたよりも長く、反射した時には涙に濡れているかのように見えて思わず言葉を失う。行動力はあるし、力も体力も倫太郎よりもずっと上である鈴羽だが、やはり十代の女の子なのだ。不安でどうしようもない時だってあるだろう。不安でどこかに行ってしまいたい時も、不安で立ち止まってしまいたい時もあるだろう。だが、どちらも止まることも逃げ出すことも選んではならないと言葉にはせずに伝えようとし、倫太郎は鈴羽の、あれだけの運動神経を持ちながらも意外にも華奢な身体を強く抱き締めた。彼女が身を捩ろうともしないので、しばらくそのまま互いの鼓動の音を聞くかのように抱き締めていた。そうしている間は鈴羽はどこにもいかず、少なくとも倫太郎のことを感じているだろうから。
「…鈴羽。どこにも行くな、前だけを見ていろ。未来はお前が望む通りになるから!俺も…俺も手伝うから」
 鈴羽の身体を抱き締めながら、声を取り戻したまゆりのことを思い出していた。あの日のようだと思ったのだ。だが、あの日の倫太郎と今の倫太郎は違う。確かに自覚があり、自分の考えなど分かっていてあえて背を向けているだけなのだ。だが、それでも秘めた想いをぶちまけることだけは避けたい。未来の自分に対しても、ダルに対しても何とも言えないような想いに駆られるからだ。
 逃げてくれても構わない。そう思っていたけれど、鈴羽は逃げようともせずに抱きとめられたままで、まるでそれを望んでいたかのようにおとなしくなってしまっていて、倫太郎はそのまま抱きしめているしかなかった。きっと、鈴羽はなにも分からず途方にくれているのかもしれなかった。この、右も左も分からない世界線で、ようやく点が見えてきたというだけの、本来ならばいるはずのない結ばれぬ世界線でさまよっているのかもしれない。記憶という糸を手繰り寄せることすらかなわずに。倫太郎はそんな、自分に都合のいいことをなんとなく思った。
「岡部………」
 小さくくぐもった声は、倫太郎が強めに抱き締めていたせいであって、鈴羽には何の落ち度もない。だが、倫太郎は鈴羽の声を聞いてようやくβエンドルフィン過剰分泌とも思える妄想の中から、ようやく顔をあげることができた。現実にこんな格好のままではあまりに恥ずかしいとしか言いようがない。慌てながらの誤魔化すための無意味な咳払いと、急に身体を離したせいでヨタついた鈴羽の身体を支えるために再び触れることになった倫太郎の心持ちといったら、まったく思案とは別方向に向かっていて、さっきまで触れていたとは思えないほどに今度は思いも寄らないことに対してドギマギしてしまっていた。鈴羽はもちろんすぐに立ち直った、否、体制を立て直したけれど。
「岡部、どうして…?」
 自分の力で確かに立っている鈴羽は倫太郎の顔を見上げながら表情を歪めてそう聞いた。なにを聞かれているのか、倫太郎は分からずただただその場に立ち尽くしながら困惑した。見上げた彼女はやはり、理性の上ではわかっていたけれども涙など流した跡すらなくて、勢いに任せて抱き寄せた自分が恥ずかしいとしか評しようがなかった。
 だが、目の前にいる女を『大切』以上『愛おしい』とすら思い始めていることを隠し通せるものなのだろうかと、見下ろしながらに思った。鈴羽がどう思っているか、などとそれは今まで一緒にいたのだ、ラブではなくともライクであることは間違いないと思うしかない。そうでなければこれからについてもうまくいくはずもないのだし。
「どうしても、こうしてもない…。お前が、どこかに飛んでいくのを、俺は知っているからだ」
 過去の未来に鈴羽はいたのだ。人工衛星?と呼ばれるタイムマシンで飛んできて、そしてそのまま消えようとして……。悲痛の手紙を思い出すと、唇を強く噛みながら喉を鳴らして唾を飲み込んだ。目の前にいる鈴羽が不思議そうな表情をしているが気にしている場合ではない。人工衛星のようなタイムマシンはまだまだ開発途中で、過去には行けるが未来に帰ることはできないのだという。片道切符しかない長い道のりを思う。それを乗り越えてきた強さを持つ彼女に惹かれるのは、脆弱な倫太郎たちにとっては、もしかしたらごく当たり前なのかもしれないとも感じた。
「意味、わかんないよ」
 未来を忘れた鈴羽の言葉はとてもまっすぐで、とても突き刺さるようなものだった。だが、分からなくていいとすら思う。分からなくても倫太郎を信じてくれている鈴羽の存在だけが、他の何にも代えられないかけがえのないものになっていることを倫太郎は感じていた。分からなくてもいい、ただこうして未来へとつなぐ道になることを拒みさえしなければ。
「IBN5100を手に入れるまで、俺たちは離れることなど許されない。それが、シュタインズゲートの選択だ…。エル・プサイ・コングルゥ…」
 いつぶりだっただろうか。倫太郎がこの無意味な別れの挨拶を口にしたのは。そして、いつも倫太郎がこれを口にするは今日の次の明日に、つながっていると勝手に確信している時だけなのだ。愛や恋などにほだされるより先にやるべきことがあるのだと倫太郎は心の中で言い放って、大切な少女から背を背けた。彼女の記憶が戻った時、それでも想いが確かにつながっていたのならその時に………
 一縷の千切れても文句の言えぬ想いだけを抱えて、だが、それをうち破り捨ててしまいたいと右腕であるダルの気だるそうな顔を思い浮かべて、倫太郎は芽生えた想いを踏み潰すつもりで鈴羽の華奢な背中を引っ叩いた。
「さっさと働け、バイト戦士よ!電器屋に潜り込むのだ。これは重大なミッション!!作戦名を―――」
 言う前に倫太郎は、鈴羽から顎にパンチを食らってKOされたのだったが。
 それでも倫太郎は構いはしない。待ち続けよう。鈴羽の記憶が戻るのをずぅっと、一緒に。他に待つ相手はいないのだし、他に頼れる誰かもいない。だから好きとか嫌いとか、そんなことではなくて魂でつながりあって支え合おうと。そのためにはよこしまな想いなど捨てるよう努力するのもまた道ではないかと、そう思いながら。



2012.08.06

七夕ですねー!
あ、お疲れっす。

鈴羽とオカリンのラブラブストーリーは厳しいものになってしまって、すいません……
本当はもっともっといちゃちゅっちゅさせようと思っていたんですが、失敗いたしました…!この続き?のいちゃちゅっちゅが見たい方はメールください(笑)



ゲームではオカリンは草食系なので、オカリンからの想いっていう話にしようと思ったんですが…オカリンはやっぱり科学オタク男子であって、ガンガン行こうぜは無理でしたね。


まぁ鈴羽を抱き締められたので、そこについては気が済んでいます。
ルカ、まゆり、助手、萌郁、フェイリスと書きたいのでぼちぼち考えて行こうっと。
好きであればよろしくです。あ、シュタゲを、という意味で(笑)

2012/08/06 22:22:50