深海にて3


 誰かをどうこう思うこと。
 それが好きとか嫌いとか、そういうものでくくれてしまえば簡単だからラッキー?かもしれない。でも、そんな言葉でくくれない複雑な思いというものがある。
 それは言葉にするにはあんまりにも長くなりすぎてしまうし、語るには複雑すぎる。



「男鹿。あんたにいっときたいことがある」
 唐突に寧々がそんなことをいった。急なことだったのでレッドテイルの面々も理解できずにぽかんとしていた。もちろん元総長である邦枝葵もその一人であった。そんな葵の態度であるにも関わらず、寧々は葵を睨みつけるようにして男鹿の胸倉を掴みながらにいった。
「どうぞ!姐さん!!」
 急に振られた意味が分からない。振るのであれば前持って打ち合わせをしておくべきである。だから葵も含めて時が止まったように固まっていた。そんな葵に寧々は、仕方なしに掴んでいた手すら離して歩み寄った。耳打ちする言葉は葵も予想していないものだった。
「もう、アタシも観念したっすよ…。男鹿に告白したら、いいんじゃないっすか」
 えええええええええ!
 顔から火が出るのではないかと思うほどに葵が赤面し戸惑っているのをいいことに、寧々は再び男鹿の前に立っていった。それは申し訳なさそうに頭を下げて低い姿勢で物申す。
「葵姐さんは、アンタと一緒になりたいって、…そう思ってんだ!」
 確かに悪魔野学園とのイザコザはなんとかなって落ち着いていたものの、こういうオチはないだろうと葵は泣き出したかった。だがそれすらかなわなくて、どんな顔をすればよいのかすら分からなくて俯いたままでいた。だから男鹿の表情の変化は分からない。その時男鹿は、寧々の言葉の意味が分からずに「は?」とだけ短く声を発した。言葉ですらない。そのイントネーションで葵も分かって、赤面したままの顔をあげた。涙目になっていた視線はいつもより熱く男鹿の元に届いていて、男鹿は葵と視線が合った途端に僅かにたじろいだ。だが、葵がそれ以上に何かを行動しようとしないでいるから、堪らず由加が声を上げた。
「男鹿っち。姐さんは男鹿っちに惚れてるんス!男として、ほっといていいんスか?」
 まったく分かりやすい言葉で解説してくれていた。分かりやすすぎて泣けるぐらいの言葉で。葵ですら血の気が引くくらいに。そして、男鹿の顔を見ることは当然できなかった。男鹿を見るには今よりももっと、もっともっと強靭な精神力が必要で、自分という存在は弱くて脆いものだと心の中で蔑むしかなかった。経った時間はそう長くはなかったと思われる。男鹿の低い声が葵の頭上に降ってきたのは。
「………マジか?」
 疑問符の語尾にハッとして反射的に顔をあげてしまっていた。直前の疑問符に対する言葉は何だったろう。瞬間的に由加の軽々しい言葉が浮かぶ。
 なんでそんなこというのよ、勝手に!だって、私が男鹿のこと好きだなんていったことないし決めつけてるだけじゃないのよ、どうしてくれんのこのワケワカラン状況。
 由加をどうこう思った所で、赤面したままの、しかも蕩けた表情がどうにかなるわけもない。答えない葵に焦れたように男鹿は「なあ、」といったがそれでも葵はYesもNoも口にすることはできなかった。答えは決まっていたのだけれど、口にしてしまえばきっと、逆のことをいってしまうことが分かっていたから。
 静かに手を取った男鹿は、答えがないことに対して頷いた。何もいっていないのに何かを理解するだなんてまったくおかしいことだと葵は思う。
「じゃ、……付き合う、か?」
 それを聞いた途端に、体から力が抜けた。どうしてか涙すら流れてしまう。それを隠すためにまた俯いたままで、今まで突っ張って強がっていた気持ちなどグラグラで、支えてくれた男鹿の優しい腕にすがりついて本気で泣きたくなってしまうほど。きっと男鹿は葵が泣いていることなど分かっているのだろうが、それについて彼女に問いかけようとすらしなかった。ただそこで支えていただけである。



 気づけばレッドテイルの面々も、クラスメイトも教室から消えていて、帰りは男鹿と葵の二人だけだった。黄昏に染まった空の中、二人はゆっくりと校門を出た。葵は先の男鹿の問いに対して答えてなどいなかった。けれどもその帰りは男鹿がぎゅっと強めに手を握ってくれていたから、不安もなかった。
 黄昏時の明るさは恐怖を煽るものでもなかったし、暗いとかホラーとかそんなことを、気にするほど赤ん坊ではないつもりだ。だが、こうして守ってくれる誰かがいることはひどく励みにもなったし、よりかかる場所があるという思いが余裕を生みもする。
 気づけば葵の家の前まで男鹿はいた。男鹿の家はそう遠くはないが途中からは別方向だったのを葵は知っている。男鹿は「じゃな」と短くいってから背を向けた。ひたすら葵の胸はざわついていた。どうすればいいか分からなかった。本当は、誰にも内緒だけれど男鹿のその背中にすがりつきたかったけれど、そんなことできるわけもなくやっと一言だけ、告げた。
「…あり、がとう。男鹿」
 男鹿はそのまま去っていった。背中にはベルちゃんがしがみついていて、いつもの様子と何ら変わりないように思えた。もっと一緒にいたいけれど時間は限りあるもので、明日もまた学校は葵も男鹿も関係なく学業に携わるすべての若者たちを呼んでいるのである。ためらうことなく男鹿は帰って行った。葵はしばらくそこに立ち尽くしたまま、握られた手の温かさにぼんやりしていたのだった。今起こったことは夢でも何でもないのだと、伝う温かさが葵にやさしく告げていた。



*****



 次の日、もちろん寧々を初めとするレッドテイルの面々に「昨日はどうでした?」などと聞かれる対象としてガッツリ扱われた。男鹿はまだきていないようだ。
「……二人で、帰った……」
 周りの空気が凍りついたのを、恥ずかしながらも浮かれ切っている葵はまったく気づかない。周りは呆れ返っていた。一緒に帰ったことなど今までだってあっただろうが(確か)、と。驚くほどに小学生の恋とも呼べない恋のようで、見ている方はヤキモキしてしまう。葵の視線が自分自身の片手を見つめていたことに、由加はピンと来ていった。
「男鹿っちと手ぇつないで帰ったんっスね!ちっとは進んだんじゃないっスか」
 そんなことかよ…とは思っても、赤い顔を隠して俯いたまま頷く葵の姿はあまりにキュートと呼ぶに相応しい。それをネタにやんややんやとやっていたら始業時間から遅れること数時間、男鹿の姿がようやく現れた。眠そうに目を擦っており、騒ぐ女子のことも葵のことも見ようとはしない。いつものように葵の隣の席に座って、欠伸を一つ。その男鹿の上で髪を掻きむしっているベルちゃんの容赦ない姿が目に入る。
「よう、男鹿。クイーンと付き合うことにしたんだって?」
 もう片方の葵の隣の姫川が、男鹿の姿を見るや声をかけた。欠伸のせいで涙が滲んだ目をゴシゴシと焦ることなく擦り、遅れること数秒ようやく男鹿は姫川と葵の方を見た。その頃には男鹿の恋に落ちたらしいという様子を見てみたくてクラスじゅうが興味津々のために静まり返っていた。他人の恋バナというのはこの図体のデカイ子供たちにはあくことなき探究心の賜物らしい。そんな興味をよそに男鹿は、とても眠いといった表情で動作も頭の回転もひどく遅いらしい。
「ん〜……ああ、まぁ」
 とだけ何の感情もこもらない声で返す。やはり男鹿は男鹿なのであった。周りは、特に男鹿のことを昔からよく分かっている古市などは深いふかいため息をついた。俺を選べば幸せになるだろうに、といっても誰も聞いていないが。そんな答えなど分かっていたという風に、呆れる様子も気にする様子もなく姫川は続けて聞いた。
「気のねえ返事すんじゃねぇよ。なら、何でオッケーなんかしやがった」
 姫川は過去にもよく葵に言い寄って負けたり、殴られたりしていることでも有名だ。グッドナイト下川もそうだが、こういったキモくてヌメっとした男にモテるタイプなのかもしれない。そんな彼女が男鹿のようなタイプに心奪われるのも、そういった底辺中の底辺的な意味で見れば分からないでもない。単に自分よりも強いということを認めてしまったり、同じくらい小さい子供の面倒を見ているという共通点があったりしただけなのだが。
「は?別にヤだと思わなかったからに決まってんだろ」
 実に面倒臭そうに男鹿はそれだけいった。それだけの言葉でクラスは湧いて、授業が始まったのも分からずにクラスじゅうでなぜかどんちゃん騒ぎになった。祝福は悪い気はしないが、葵は顔など上げられずにおり、眠気マックスの男鹿は保健室に眠りに逃げてしまう始末。
「…前途多難だね、こりゃ」
 寧々が笑った。レッドテイルの葵以外のみんなも笑った。これからどうなるかなんて分からない。周りの態度で分かることもある。そう、確かに昨日のあの時から男鹿と葵は恋人同士で間違いないのだということが、葵の胸の奥でとても嬉しく脈打っている。それでも嬉しそうな顔など誰にも見せられない。葵は自分の頬を軽く引っ張ってからようやく顔を上げていつものようにいった。
「あんたたち、いつまでも浮かれてるんじゃないよ!そろそろ授業が始まるんだから」
 しらーっとしたクラスのみんなの顔を気にしたら負けである。どうせ葵の顔は喜びを隠しきれずに笑顔になってしまっているのだから。もうすぐ男鹿も戻ってくるだろう。もし昼休みすぎて戻ってこなければ迎えにいければなぁ、そんなことを思う葵だった。



12.06.29

いつぞやに言っていた男鹿と葵が付き合うきっかけの話。

ほとんど葵の片思いみたいなものですがね。それが最初でひかれていく男鹿つまていうのは、ある意味新鮮じゃないでしょうか?意外とそういうネタ見ないんだよね。

初キスネタも書いておきたいです。
それと一緒に初エッチも書く気満々なんだけども(笑)オチが決まらないから終わらない男鹿×葵シリーズになったりして…?

なんて考えながらアップします。
よろしく。こんな男鹿と葵見たい!ってのも教えてください。男鹿葵とだけいわれてもワカリマッセン

2012/06/29 23:24:26