大切に抱き締めていたもの全て指の間から溢れ落ちていくんですF


 最初はぞろぞろと足並み揃えるみたいにして大人数だったけれど、夏目が「あっ俺バイトだから」を筆頭にして徐々にレッドテイルと神崎組の人数は減っていった。過去に何度も一緒に帰ったことがある神崎と由加のことを今さら心配するような者もいない。自分の家に近づけば「じゃねー」と手を振ったりしながら道を分かつだけのことだ。明日も平日だし、また明日会う仲間にさよならを言わずに背を向ける光景がまだ明るい空の下で何度も繰り返されて、そして。
「ほらよ」
 ここ数日だけしていなかった当たり前の光景がまた蘇ったみたいに、懐かしくリピートされる。神崎が由加に対して行こうというわけでもなく、ごく当たり前に公園に入って2本ヨーグルッチを買い与える。ほしいと言ってもいないのにそれでも受け取る。そして今日もいつもみたいに神崎の飲むペースが早い。ベンチに座ってパックをズーズー言わせているのは見栄えしないけれど、神崎と由加の二人しかいないのだから関係ない。
 ゴミ箱も見ないで神崎がゴミ箱シュートしながら、当たり前のこの時間がどれだけいやすいものなのかをぼんやりと感じる。ここ二日か三日のことのはずなのに、元教育実習のセンセイにてんやわんやになってしまっていた。だが、この時間が心休まる時間だと気付くきっかけにはなった。隣に座ってヨーグルッチ1本奢ってやった頭の足りない女は隣にいて、まだストローにしゃぶりついている。カラン、と乾いた音がして放ったヨーグルッチのパックが箱に入ったことを示す。由加がおお、と感嘆の声を上げる。何回も見ているのにパーな頭だと神崎は思う。だが、それが気楽なのだと思う。だから、何の気も無しに口も開ける。
「パー子、まじ頭悪ぃ」
 何か反論してくるかと思ったら、由加は神崎を見上げたような格好のまま黙っていた。まじまじと神崎を見ている。別に怒ったような様子もなかった。なにかに見惚れているみたいにおとなしく一点だけを見つめて動きを止めていた。何を見ているのか、神崎には分からずに少しの間ぼんやりとする。だがすぐに聞いた。
「お前、何見てんだ」「…キレー」
 声がかぶった。神崎の短い髪にそっと触れた。これのことを言っているのだろうか。答えはなくて由加は髪の毛を細い指でもてあそんでいる。意味がさっぱり分からない。神崎=キレイはちょっと有り得ないだろうと思う。邪魔しないでほっとくか、とも思ったのだがやわらかに髪を撫でる手を掴んで見る。脱色した髪なんて、と思ってふと見たら由加の髪は話のタネになっている亜由美のものとおんなじような色。たぶんみんな気付いていただろう。今さらになって髪の色が似てるだなんてどうでもいいことに気付く。
「パー子は日暮れに後頭部消えんじゃね」
「ウチはカメレオンじゃないっス」
「お、枝毛」
 どうして気付かなかったのか、なんとなく分かってしまった。たぶん、由加と一緒にいる時の神崎は自然体で、あまりに今この時だけに身を任せていられるからなのだろう。
 それから髪の話とかピアスの話とかを由加が聞いてきたので、そんな話をした。ピアスを開けたいと駄々こねるみたいに言うが、話していればどうも由加は膿み易い体質らしい。開けた後の方が消毒とかが面倒なのだと説明すると、おもしろくなさそうな顔をする。
「だったら先輩が消毒してくれればいいじゃないっスか〜」
「上等だな、先輩をアゴで使うってか?おお?」
「開けたら先輩のピアスいっこもらうっス」
 やらねぇよ、と神崎が言ったら「けち」と再びぶうたれた。本当は別に一個ぐらいやっても構わないぐらいの数があるのだが、くれて当たり前みたいな根性が気に食わん。
 由加を通して辺りが暗くなっていく様子が分かる。そろそろ帰った方がよいかと思って立ち上がる。まだ帰るには早いのでゆっくりとした動作になってしまう。いつも自然に分かれる道で不自然に神崎が立ち止まった。腕時計を見てまだ早いか、と考えている。子犬みたいに周りをうろつく。由加が聞きたいことなど誰でも分かる。
「…今日、総会らしーんだわ」
 こうやって普通に遊んだりしていると忘れてしまいがちな神崎の未来の職業を思い出して、おお、と面白いくらいに反応する由加。総会に顔を出すのは面倒だったので早く帰りたくなかったのだ。じゃあ、と小さく由加が口を開く。
「ウチ来るっスか。親8時くらいまで帰ってこねっスよ」

 距離にすれば神崎家と花澤家は近い。どうりでちょくちょく会うわけである。最寄りのコンビニとかスーパーが同じなのだから当然と言えば当然だ。それでも高校3年の終わり頃になるまで気付かなかったのだから驚きなのだが。何度か道の途中で神崎は由加に言った。「俺を呼ぶなよ」と。
 神崎という名前もありそうでないものだし、この辺りで神崎と言えばもはやあのヤクザの家でしょうと言っているようなものだからだ。だがもう面は割れてるんだろうか。自分の存在がこういう時は面倒くさくてかなわない。親が有名というのも考えものだ。それをまったく感じたことがなさそうな姫川がちょっとだけ頭に浮かんだ。金持ちは武器だ。
 由加の部屋は花っぽい飾り物が多くてゴミゴミしてるし散らかっている。そして神崎の目の前のテーブルには消毒液と安全ピンが置いてあった。やっぱりこうなるのか、と由加を睨みつけてみるものの、神崎のガンつけなど効力はなくニコニコしている。
「せっかく来たんスから開けてって下さい」
「そりゃオメーの都合だろ」
 神崎のツッコミは黙殺されて、黙って何をしているのかと思えば由加は耳を指差して「ソレにするっス」と勝手に自分の最初に付けるピアスまで決めた。安全ピン刺しときゃいいだろ、と冷たく言ったのに聞かない。駄々っ子か。
「おそろがいいっス」
 そんなことを出しぬけに言われてムゲにできる男がいるんなら連れてこい。内心神崎はそんなことを思った。



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 一度ライターで熱消毒を施してから、さらに消毒液をちり紙に垂らして安全ピンを拭く。膿み易いという話をもう一度したが由加はテコでも譲らない。意外に頑固者なのかもしれない。点けたままのテレビは今日のニュースを早口で伝えている。安全ピンの切っ先を由加に見せると、怖いと予想外に怖がる。結局お前はどうしたいんだよ、というと「開ける」というのだ。面倒くさいったらありゃしない。
「ピアッサーとかだと思うじゃないっスか。普通」
「あ?パシれってか、ナメんな。だいたい俺ぁそんなん使ったことねぇ」
「こっちは初めてなんっスよ!怖いじゃないっスか!先輩みたいな百戦錬磨じゃないんスからぁ」
「せめてその用語、ケンカかなんかの武勇伝に使ってくんねーかな…」
 もう半分やけくそだ。神崎は由加のすぐ隣に座って耳を拭いてやる。ひっひっひ、くすぐってぇ、とオッサンみたいな笑いが聞こえたが無視した。別に由加に対して色気を願っているわけではないのだが、さすがにヒドイとしか評しようがない。何度か由加をビビらせながらそれを繰り返す。からかい甲斐があるのでついついからかってしまうのだ。だが最後には神経の通ってないところに刺すんだからそんなに怖がるなとなだめた。
「じゃ、いくぜー」
 ブツリ。
 開ける側の神崎はもはや顔を見れば「ああ、あのピアスの人」という印象を受けるぐらに開けているのだから何とも思ってはいないのだが、初めて開ける由加の方はといえば、鼓膜に近いそこから穴が開く音というものを初めて聞いたものだから、それはもう怖くて怖くて仕方がなかった。泣くつもりなんてまったくなかったし、そんなに怖いものだとも思っていなかったのでこの状況はアルイミ事故なのだろう。
 由加が泣いた。ぼろぼろと大粒の涙を溢して。
 何泣いてんだよ。
 そう言う前に、溢れて落ちる涙を指で何度が拭って、そして抱き寄せて頭を撫でていた。その行動は子どもに対する反射に近い。人は自分とは別の人の体温で心落ち着かせたりするものなのだ。子どもも大人も、大人に近い子どももそれは変わらないものなのだろう。えぐえぐと嗚咽を洩らす由加の声が、やがて小さくなってそろそろ大丈夫かとゆっくりと体を離していく。その途中、神崎はふと思った。間近にある由加の濡れた瞳に当てられたとでもいうのだろうか。落ち気味のマスカラの色も気にならずに、今、キスできる。そんなよこしまな思いを抱く。由加の口は閉じ君の半開きだったからかもしれない。濡れた眼がソソったのかもしれない。そう思うことは、イコール目の前の彼女とそうしたいと願っているからなのかもしれなかった。神崎当人が知らないどこか胸の奥で。
 本当に願っているのかどうかは分からない。だが、まだぴたりと合ったままの由加との視線はどう考えてもOKサインと受け取れる。だから神崎は顔を寄せた。計り切れていない由加のことも考えた上で、ゆっくり。それでも彼女は眼を逸らそうとはしない。
「由加〜。帰ってきてんなら電気ぐらい点けときなさいよ」
 急に部屋の扉が開かれて、由加の母が顔を出した。そして、二人の様子を見て驚いた表情を見せながらオジャマサマ、とどっちが住人か分からない発言を残して慌てて顔を引っ込めていった。神崎が何食わぬ表情を作りながらも「こちら、こそ、お邪魔してます」と言ったのが聞こえていたのかどうかは分からない。ただ、振り向いた時の由加はあんぐりと口を開けて呆然としている様子だった。



********


 だからそんなことしてるんだね。と言ったのは夏目の冷めた声だった。その後に笑われたがどうこう言う暇はない。簡単に神崎は夏目が聞いてきたのでそれを説明しただけのこと。ただ神崎は自分の席に由加を座らせて耳の消毒をせっせとしてやっている。休み時間は有限だったからだ。そして神崎は3年なのに出席という単位がおおよそギリギリなだけに。
 昼休みの、由加がいない時に夏目が弁当を食べながら神崎に問うた。
「結局、神崎君は由加ちゃんを、どー思ってんですかあ」
 今まで何度かそんなことを問われていたかもしれないが、それは暗にだった。こうやってまっすぐに聞かれてしまうと真面目に考えてしまう。何より昨日の今日だったからだ。そして今日に限って城山は何の助け舟も出してはくれない。ただそこにいるだけの木偶の坊のようにそこに存在している。だから余計に記憶は鮮明になって、邪魔がない記憶は神崎の脳内にひどく忠実だ。
「べ別にそんなつもりだったわけじゃねーし。なんもしてねぇってのは、パー子に聞けば分かっし」
「神崎君、俺なんも言ってないけど顔まっか」
 いつしか聞いたようなセリフでいくらか脳みそが通常モードに戻ったかもしれない。だが後ろからレッドテイルの面々が帰って来たことを知らせる、彼女たちの声が聞こえてきたから戻りかけた頭がまたどこかおかしくなったかもしれない。神崎は顔の熱さがどこにもいかないことに対してひどく窮屈に思った。そして今夏目に言った言葉についても。
「ねぇ由加ちゃん。昨日神崎君にキズモノにされた挙句、他にもなんかされたんだって〜?」
「…や、コレはいいんっス。ただ、先輩絶対エロかったっスよ」
 コレ、というのは由加が昨日穴を開けて、そして先程神崎の手で消毒を施されていたその耳を軽く撫でながらのことであったから、ピアス穴のことであることは周りの者には伝わった。しかしその後のエロかった、発言は物議を醸すものである。そもそも夏目も他のみんなもエロい話など聞いてはいないからだ。だがキス未遂のことだろうと思った神崎はそれを慌てて否定した。
「違ぇって。それ、パー子の勘違いだろ!俺、何もしてねぇーし」
「でも、絶対シようとしてたっスね」
 否定し続けた神崎はエロい、というレッテルだけを貼られたまま帰ることとなった。明日もまた由加の耳の消毒をやっているのだろうけれど、エロい気持ちだけでどうこうしていると思われるのも癪だからその役目は何としてでも果たしてやろうという、おかしな使命感が生まれたのもまた事実だ。

 確かに、キスできる。キスしようか。と思ったのは事実だ。だがそれがエロいと判断されるにはあまりに軽率だろうと神崎は思う。何よりエロ未満だろうと思うからだ。それはさておいて、夏目に対する回答はひどく難しい。どう思っているか、などと一個人に対する言葉で簡潔に語るのは容易ではないことなど、夏目だって分かっているはずなのに。
 単に、パー子と答えるにはひどく近く、だがキスするにはひどく遠い。現実の距離感と神崎が思う距離は超えられない隔たりがあるらしい。そしてもう一度思う。
「おそろがいいっス」
 そう出しぬけに言われてムゲにできる男がいるんなら連れてこい。神崎はその思いに嘘はなかったのだということを強く感じる。だが口に出来るはずもない。
 恋愛ゴトに疎い神崎だって思う。そんなことを口にしてしまったのなら、まるで惚れているみたいだろうが、と。そう言われたくなくて、聞かれたくなくて夏目に対しても口を閉ざしたままでいた。だって、神崎としても今ここにある思いが何であるかなんて分からないのに勝手に好きとか嫌いとかラブとかライクとか好き勝手に言われるのが気に食わないというだけの話。
「うっせえ」
 それだけ口にした。それ以上は余計な言葉になると思ったから、わざと黙っていた。だのに城山がぼそりと、
「神崎さん、顔赤いです」
「そっかぁ〜」と夏目。
 何がだよ。と神崎は思ったが、それも思うだけで押し殺して黙っておいた。こういう時に口を開くとロクなことがない。どうやら運気下降気味というかなんというか、からかわれるのが確定している以上はおとなしくしていた方が間違いない。いつの間にか授業中になっていたし、ここには由加もいないのだからおとなしくしているのは容易に思えた。唐突に夏目が言った。
「惚れたね、惚れた惚れた」
 ガターン!
 神崎は急にイラッときて夏目をブン殴った。はずだったが、やっぱりいつものとおりそれは夏目の隣にいた城山の姿で、夏目は当たり前のようにしている。急に暴れた神崎の様子に普通の教師が真っ青になって、授業は中断した。葵顔の教師と眼が合う。はたと気付く急激な気まずさ。慣れている城山は何も言わずにのっそりと起き上がり椅子に座り直す。
「…せめて前フリが欲しいんだが」
 城山が溜息混じりに夏目に言う。急に殴られてはうまく対応ができない場合だってある。いくら城山が頑丈だと言っても、神崎のような容赦ない男に殴られまくっていては身がもたない。多少は防御ぐらいさせてくれ、という意味である。すぐ隣でチッと神崎が面白くなさそうに舌打ちした。ぼそりと夏目が言う。
「認めればいいのに。楽になるよ〜」
「早く授業したらどーよ。つうか早くしろ」
 別に授業など聞いていない神崎だったが、とりあえず授業よ始まれと思ったので教師に促した。別にお前にムカついて暴れたワケじゃねぇし、という意味も含まれている。そして夏目の声は聞こえていないかのように無視した。
 そんなこともあったので、その日の神崎はそそくさと素早く帰ってしまった。そしたらちゃあんと由加からメールが届いていて、

> 膿んだらどーするんすかー

 俺が知るかよバカパー子。と思ったが返してやらなかった。
 どうせこんなにからかわれるんなら、本当に行動しておくべきだったと心の奥の方で思ったのもまた事実。


12.05.26

パー子のターン。
ピアス開けるのは絶対神崎でお願いします!それまではコドモイヤリングで我慢してました。

しかしもう少しするとまたゴタゴタがあったりする展開にしたい。いちゃついてるだけなら他のサイトさんでも読めるので…事件性がないと自分で書いてても飽きちゃうっていうのもあるんですよ。あと、ヘンにリアルな部分もほしいっていうか。
あ、割とコイツ思ったよりふつーじゃん。みたいな感じも入れつつ。実際、学生時代なんていうのは遊ぶばっかりで終わってたので、恋愛ばっかりっていうのはねぇだろ、と思うんですよ。あ、あっしが色気なさすぎんのか(笑)

あと最初のとこの神崎とパー子の会話が好きですね。話してる途中なのに枝毛とか。
噛みあってんだか噛みあってないんだか…
でも普通の会話なら当たり前にあるじゃないですか。友達同士なら自分の世界で勝手にしゃべりますからね。ペース早いやつもいれば遅いやつもいるっていう。この二人、というか神崎関係はペースが早い感じがしますね。城ちゃんはふつうっぽいな、そんなとこも。

続きにイメージ投下してますのでもしよかったら、…カスですが(笑)
つづきを読む 2012/05/26 12:45:45