銃口は2人に向けられた

ぜろさん



 寧々が病院から出てくるところをなんとはなしに捕まえた。その時寧々はひどく居心地悪そうな顔をしていた。どうしてだろうと視線を上げた先に踊る文字を見て納得した。知らないうちにあ、と声がもれてしまっていた。だがどうでもいい。その病院の名前を口にした。知らないふりをする必要なんてない。
「さんふじんか………」
 もしかしたら子供ができたのかもしれない。まだ学生だけれど、それは父親という立場上、認知するかしないかの方が重きを置かれていて、子供どうこうはまだ問題ではなかった。だが聞かずにはおれない。子供ができたのか、と。
「違いますぅー」
 アッサリと寧々は答えた。定期的に中学生時代から婦人科に通っているのだという。なあんだ、と安心したように笑った。そうしていたら、寧々は睨みつけるような視線をぶつけていく。相手が年上だとかそんなことが関係あるのはコドモの時だけだ。
「なんでアンタがホッとしてんのよ、夏目」
 彼が、夏目がまた笑った。
 二人はたまたま、寧々の通院の帰り道で会ったのだった。最近はといえば夏目は神崎と顔を合わせる機会は少なくなっていた。それも、夏目が高校時代から通い続けていたドラッグストアの店長となったことも手伝っている。まだ慣れぬ雇われ店長は毎日を慌ただしく過ごしているばかりだ。同級生たちと連絡をとる暇もなく家に帰るとシャワーだけを浴びて倒れこむように眠っている、そんな日々を過ごしていたのだ。もちろんその日々に文句などつけようもなく、これほど不景気不景気いわれるこの時代に当たり前のように仕事が舞い込んでくるのはとても有難かった。まだ結婚していない夏目は実家から職場に通うこともあり、実家にお金を入れている身分だ。そんな中で仲間の神崎と連絡をとる暇もなかったのだから、その女である寧々とばったり出くわしたのはある意味ではラッキーなのだと思う。
「だってさぁ。まさか、って思うじゃん。神崎くんとは、長いんだし」
 夏目がそうはいっても、そこまで長い間恋人という付き合いなどしていない。それを大げさにいうのは別れてほしくないからか、それとも、夏目自身がそう長く続かない性分のためだろうか。それを測れず半ばほうけた調子で寧々は返答する。
「まだあいつとはそこまでいってないわよ」
 え、と言葉発することなく夏目はかちんと固まってしまう。神崎は分かっているが、夏目は寧々の過去の話をよく知らない。もしかしたら神崎はそんな話などしないのかもしれない。意味があんのよ、と前置きして寧々は自分の過去を簡単に夏目に説明した。
 中学生時代、寧々はある男に出会った。それはもちろん神崎でも、夏目でもない。だが彼は薬物依存のため寧々に暴力をふるい、犯しながら愛してるとか好きだとかいった。その行為は寧々の心をも傷つけた。それからレッドテイルに入ることとなったのだ。そんなこともあり、寧々はメンタルケアも含めて産婦人科に定期的に通っているのだという。男である夏目はそんなものなのかなぁと聞いていただけだったが、そんな過去など初めて知った。聞いてよいものだろうかとひどく居心地が悪い気持ちで一緒に歩く。
「…神崎君も我慢強いなー」
「さすがに可哀相っても感じるけどね」
 それは寧々の本音だった。ハタチそこそこの健康優良男子が恋人のレッテルを手に入れたというのに、まだそういう関係に発展していないというのはどうかと思ってもいるのだ。だが、まだ傷は癒えていないといってしまえばそれまでだ。
 それも踏まえて今日はセンセイに相談に行った。気さくで楽しいオバサンセンセイで、もう五年以上の付き合いになる。彼女は寧々にこういった。
「聞いてると、大丈夫そうだね。ちょっと冒険してみたら?…あ、無理しない程度にね。ムリだと思ったらゴメンナサイすれば許してくれる相手なんでしょ?」
 その話を聞いて夏目は腕組みをして冒険したら報告してよね、とニヤリと笑った。一方の寧々はあーハイハイ、と軽く夏目をあしらってから再び向き直った。今度は夏目の近況を聞く番だった。
「疲れてるでしょ。顔に書いてある」
 いわれて夏目は自分の顔に触った。苦笑を浮かべて少し困ったように眉を下げる。顔に出るようではまだまだだねぇ、と呟いてからいつもの髪をかき上げる仕草をした。だが目だけはいつもより少しだけ真剣な色を帯びていた。その真剣さは意外だったので寧々もたじろぐ。
「寧々ちゃん、今から時間ある?」
「……ある、けど」
「じゃ、俺とデートしよう」
「あのねえ…」
 にっこりと笑みを作って夏目は強引に寧々の手を握る。おかしなものだ。神崎と一緒にいる時よりも当たり前に恋人のような行動がさりげなくできている気がする。夏目がプレイボーイなのもあり、神崎が奥手なのもあるのだろうが、丁度良い相手というのはいないものらしい。今の寧々には神崎ぐらいで丁度良いのだから付き合っていられるのだろうが。そんなことを考えている間も、ちゃんと歩幅を合わせながらも夏目は寧々の手を引いて歩いていく。はたと気づく。まだ行き先も聞いていないではないか。
「どこ行くわけ?」
「着くまで、内緒」
 今までの夏目との会話の脈絡を辿ってみたが、行き先など思い浮かぶわけもなかった。ただ近況を話していただけなのだ。石矢魔のさびれた商店街に向かっているが、そのどこかの店に目もくれることなく通り過ぎて行く。商店街を抜けると飲み屋やホテルがあるような大人の、狭い街並みが目に映る。ホテル街と商店街の狭間くらいにある路地に入る。横道に逸れた途端に街は色を失う。薄汚れたペンシルビルと、ゴミが飛散したようなゴミ捨て場が眼前に狭く広がる。そこで夏目は足を止めた。何があるのだろうか。寧々は小さな店を見回した。小物屋や潰れた店舗があるようだった。すると、すぐに再び手を引かれた。細くて汚いビルの階段を上り始める。二人で横に並んで歩けるような広さもない狭い階段だ。
「ココ」
 ようやく夏目が店の扉を開きながら、寧々の手を離した。足を踏み入れると、薄暗い店内はミリタリーグッズで埋め尽くされている。エアガンや戦車のフィギュア、寧々には理解し得ないがマニアックなものだとG.I.ジョーなんかもある。かけてある薄手のジャンパーは踊る大捜査線の青島タイプだったり、輸入物のグッズが多いようだ。寧々は特にこういう趣味はない。むしろ普通にアクセサリーショップなどに行きたいと思う。夏目はどうして、こんな場所に寧々を連れてきたのだろう。どうせなら神崎を相棒にして連れてくるべきである。寧々には理解できなかった。夏目は店をぐるりとひと眺めしてから寧々に目をやる。
「寧々ちゃんは興味ないと思うけど、俺はオトコノコだからさぁ、こーいうの好きなんだよね」
 寧々の考えは顔に出ていたので、前置きに夏目はそういった。分かっていて連れてきているのだと。その意味は割と真面目な話だ。夏目がその話をしようとした時、奥の方からヒゲ面でメガネで、パーマを当てた昔風のオジサン(? ヒゲのせいで年齢不詳のためオニイサンかもしれないが、寧々には分からない)が出てきた。
「いらっしゃい。……あ、おー。慎ちゃんじゃないの」
「久しぶりー、タケさん」
「お、カノジョか。前と違うな。ねぇカノジョ、こんな男に騙されちゃダメだよ〜」
「そんなに俺のこと悪く言わないでよね。勘違いされたら困るじゃん」
 寧々が愛想笑いを浮かべながらに否定をするヒマもなく、二人がぺらぺら話し始めたので、寧々は店の中をぼんやりと見回すことにした。積もる話もあるのだろうと思ってはいたが、さすがにオバサンの井戸端会議とは違う。すぐに夏目は話を切り上げて寧々の方にやってきた。
「ごめん、お待たせ。じゃ、早速だけど出よっか」
「買い物するんじゃないの?」
「ううん、この店を見て欲しかっただけ」
 パーマ頭の店主に挨拶しながら二人はまた細い階段を通っていった。降りてすぐに夏目は、遅いけどランチにしようといって再び寧々の手を引いて歩き出す。引っ張られてばかりだがなかなかに楽しいデートなんじゃないか、と内心感じ始めていた。神崎といるよりも断然デートらしいデートだ。本当はデートでも何でもないのだが。

 寧々が連れていかれたのはホテルのランチであった。ランチといってもランチタイムはとっくに過ぎていたのでランチタイムというような金額ではないはずである。だが夏目にとっても寧々にとっても昼ごはんである。
 ホテルの入口に立って、思わず性的な匂いを感じて寧々はたじろいだ。だが、それも一秒にも満たない瞬間的なことだった。夏目とは、そんな関係でも何でもないのだ。そして何より夏目は神崎と仲良くやっている男だ。ただし気ままな男、ではあるが。気まま者だがそれ以上に男気はあることも寧々は知っているからだ。
 夏目が勧めてくれたホテルのメニューは確かに美味しいものだった。食後のコーヒーを口にしながら、それでも千円弱の食事に驚いていた。よくもこんなムードのある場所で、かつ、財布にも優しい場所があることを知っているものだ。どうりで恋人の存在が切れ間なくいるわけである。神崎とは気持ちがいいくらいに真逆だ。そんな思いで夏目をぼんやり見ていると、目が合う。
「…なぁに。見惚れちゃった?」
「なワケないでしょ、バーカ」
「で、あの店に連れてったのは、さ」
 どうやら食事を終えてようやく本題に入るようだ。両手を組んで顔の前で祈るみたいにしている。そしてまた口元に笑みを浮かべたままで、目だけを本気の色で輝かせて寧々の方を見つめた。そのポーズと相成って、まるで寧々に対して何かを祈っているかのようである。寧々はそんな態度の夏目を見たのは初めてだったからどんな態度で接したらいいか分からず、そのまま目の前のロン毛男の姿を目が合うのも構わず見続けていた。
「あの店の支店、っていうかさ。あれでもあの店売れてるんだよ。で、その店持たないか、って話がきてて。場所は近県だよ、通勤圏内」
 高校時代からずっとドラッグストアにバイトで働き、そして運良く夏目は社員になったのだった。彼ほど苦労せずに就職を決めた石矢魔校生を、寧々は知らない。なんとラッキーなヤツなのだろうと思ったものだ。そして自分も一年後には苦渋を舐めることとなった。しかも二十歳を過ぎた今でもフリーアルバイターという低所得で、明日にもクビになるかもしれないという身分である。それだけこの世の中は厳しいというのに、この夏目という男は。
「正社員って安定を捨てるか、自分の能力に懸けてみるか、ってことだよね」
 夏目は今までにないくらいに真剣な表情をしている。寧々は幸せな望みだと思った。本当に恵まれた男である。羨ましいとは思うが妬ましいとは感じない。だが夏目の考えには複雑に思える。それを口にするべきか迷ったが、それでもやっぱり口に出すことにした。
「アタシとしては、やりたいことやればいいって思う。でも、例えばアタシが夏目のお嫁さんだったら…止めるかもしんない。あ、カノジョでも。だって、安定してないって、すっごい不安だから。アタシがいまだにフリーターだからかもしんないけど。………でも、どっちを選んだとしても、結局は応援するよ。夏目が選んだ道、なんだからさ」
 いいたいことはいった。あまり、夏目の顔は見たくないと思ったので寧々は俯いていた。そんな寧々の様子などお構いなしに、夏目が両手で寧々の手を握った。だから俯いたままであった寧々も思わず顔を上げて、そして目が合ってしまう。続く沈黙がほんの少しの時間。だが長く感じてしまう。
「ありがとね。寧々ちゃん」
 夏目の手が、くしゃりと寧々の髪を撫でた。理由など分からなかったが気恥ずかしくて堪らない。そして、無駄にやさしい夏目の手先が嬉しく感じてしまう。



 ホテルを出て商店街のショップから出てくる神崎に出会った。目が合うと、途端に神崎が何故か目を泳がせている。それでも知らないふりもできなくて近づいてくる。その態度に、もしかしたら、と寧々でさえもピンとくるものがあった。確証ではないが、神崎はホテルから出てくるところ、もしくはホテル街で手をつないで歩く夏目と寧々の姿を見たのではないだろうか。確かに二人はホテルに入って、ともに出てきたのだがエントランスの一番質素な場所で食事をして出てきたというだけのことである。
「よ、よぉ。オメーら二人なんて珍しいな」
 たまたま会ったから、といいながら寧々は自分でも知らずのうちに神崎の手を握ってしまっていた。いつもならしないはずの行動だった。夏目と一緒に数時間いただけだというのに、乙女にでもなってしまったのだろうか。否、そんなことはない。ただこの手が好ましくて、愛おしかったのだと握ってみて初めて気づく。このごつごつした可愛げのない感触がひどく懐かしい。あ?と神崎が疑問符を浮かべたけれど気にしないことにする。だって、口にするにはあまりに恥ずかしい。
「俺は今日遅番だから用意しなきゃ。神崎君、残念だけど、またね」
「…そか」
 夏目がそういって、ひたすらに短く神崎が相槌を返しただけのこと。その中でも静かに二人の間の空気は凍りつくように尖っている。それを傍観者という身分ではないはずの寧々は感じていた。だがその空気を打ち破るのも、また夏目なのだ。鋭利な刃物のようで、やわらかなマリモのようで、角ばった囲碁台のようで、丸い星のような男である。
「大丈夫、寧々ちゃんに手ぇなんて出してないから。ランチ奢っただけ」
 少し遅れて神崎の息を呑む音。考えが読まれることは誰にとっても不快以外の何物でもなかった。夏目の去る後ろ姿がうざったく思いながらも神崎は寧々の方に向く。寧々はわざと聞いた。手は握ったまま。
「なに?妬いたんだ」
 俺のもんだ、なんて神崎はとてもいえなかった。お前は俺のもんだ、なんていえるほどに大きな存在であるという自信もない。だから黙ったまま握る手の力を少しだけ強めた。代わりに甘い言葉でもいえればいいのだが、それすら性格的に敵わない。それを払拭するためにキスの一つでも二つでも、なんでもいいから行動で示したいと神崎は思った。だが、そう思えば思うほどに脳内だけがカッカとヒートしていく。口にできないのに、行動にも移せないでいる。それでも考えていた。寧々が夏目に目移りしても、なんとか取り戻す、と心の内のうちのうちで。そうしてやっと口を開いた。
「悪ィかよ、クソアマ」
 甘さ、なんてない。それが自分たちらしいと二人同時に思った。きっと似ているのだ。神崎も寧々も、考え方とか信念とかそういった目に見えないものが。


12.05.21

夏目と寧々の意味深な話篇
夏目ってばいい役してますなあ。これって二十代から四十代くらいまでありそうな話じゃね?って思う。恋人のダチとかそういった関係は別にして。
永久就職でもしなければ、働くことに関してはいつまでも不安を持ってるのが民間企業戦士というものだし、夢を捨てきれないのが男というものだと思うんですね。
夢、という言葉は使いませんでしたけど。や、夏目のそれは夢ではないと思ってたし。あくまでやってみたいことの一つ、くらいのもので。


寧々の話は今回は入り切らなかったので別の話で持ち越そうかな、と。
今回は嫉妬を認めた神崎の、輝かしい成長?だけを綴って終わります。

あ、長くてすいまっせん。。。


関係ないけど、しばらく副題は『キスしたいって思う神崎』でした。なんじゃそれゃーーーーー。

2012/05/22 00:55:14