神様のお気に入りになれなかったわたしたちの話12/31



 街中をうろつくのはあまり好ましいことではないとさすがの英虎も分かっていたので、自宅でケータイを右手にいつになく真面目な顔をしていた。もちろんケータイはwebページに繋がっている。ディスプレイに浮かんでいるのは無料の求人募集サイト。街でもよく見るようなワーキンなどといったサイトではなくもう少し急を要するような少しだけアングラなサイトに繋いではいるが、都心部での求人ばかりが目立って近くの働き先が見当たらない。部屋には冷たい炬燵と軽い財布の存在だけが虚しくあり、英虎の私物は洋服類以外はほとんど無い殺風景なものだった。高校生男子のごく普通の部屋とはあまりにかけ離れている。己のアルバイトした金のみで暮らしているのだから、当然小遣いなどといったものは手元に残らない。生活の糧に全て消えて行く。普通の高校生には考えられない生活だが、英虎の中でこの生活はごく普通で当たり前のことなのだった。だから仕事が、特に学校が長期休みであるこの時期に仕事をしないとなると、家計に直接響くのだから英虎が必死になるのは当然である。そこで唐突に、忌々しくもディスプレイは着信モードに切り替わる。誰からかかって来たのか見ることもなくケータイを耳に当て、いつものぶっきらぼうな調子で「ハイ」と短く返事をする。意外にも声は女のものだった。
「虎!つながるなんて思ってなかった。今からバイト?」
 静だった。どうやら繋がるまいと思いつつ連絡をよこしていたらしい。毎年のことだったが、英虎は年末になるとバイトからバイトに明け暮れ、連絡が取れなくなる。たまに連絡をよこしている静の存在があったのは英虎としても知っている。だがいつも連絡をするのは冬休みが終わった頃だった。特に用事はないのだけど、と静はまた会うヒマのない幼馴染の近況を聞いて安心した、と笑って電話を切る。そんなことが続いていた矢先の今回である。英虎の声もどことなく元気がなく落ち込んだものになっていた。どうしたの?と聞かれればすぐに今回の有様を話してしまう。働く場所がない、正月はどうすべきなのか考えていたということ。それをいとも簡単に吹き飛ばしたのは静のたった一言。
「久しぶりに、家にこない?」
 他にやるべきこともなかったので、英虎はおう、と返事をした。場所は分かっている。まだ静の親父さんは接骨院の院長をやっているのだろう。何年も前に行った静の家を懐かしく思いながら記憶を辿り道を歩く。外は雪がチラついていたが特に気になるものではない。すぐに止むようなサラリとした雪だ。


「あらぁ、虎くん?こんな大きくなったのねえ」
「うっす、ご無沙汰してます」
 出迎えたのは静の母。すぐに英虎の記憶は十年ほど遡ってガキの自分になってしまうような思いがした。こんな安らいだ時期もあったのだと思い知らされる。邪気のない笑みが知らずの内に零れていた。静の母の顔を見るたびに昔のことを思い出してしまう。それは決して忘れられぬ強くつよい記憶。もしかしたら静すら知らないかもしれない、果たされることのなかった願いの記憶。それを思うと鼻がつんと痛むような、胸がツキンと痛むような思いが広がるから思い出したくはなかったのだけれど。



 それは英虎も静も小学校に上がる前の記憶。静の母は学校のような広く長い廊下のある場所を歩いて、コツコツ、と冷たい音を立てながら部屋に入ってきた。一緒に入ったわけではなく、英虎はその部屋の中でうすぼんやりと目を覚ましたようなそうでないような…。うつらうつらしながら夢とうつつを彷徨っていた。それは後から聞いてわかったことだが英虎が怪我をしたためだったという。と聞けばそこは病院だったのかもしれないが、その辺りの記憶はハッキリしない。解る必要も今さらないと思ったので言及することもないため分からぬままだが、それでいいと英虎自身も思っているのだからいいことだろう。その部屋の中に入って来た静の母は「英虎を養子に迎える準備はできています」というような言葉を一息のうちに吐き出すみたいにしてまくし立てた。気配は感じなかったが話す練習のために口にしたわけではなく部屋の中には既に人がいたらしく、男の低い声がそれに対して否定するかのようななにかを返した。そんなやり取りが何度か続いたのを夢と現実の狭間で英虎は感じていた。それについて静の母ももちろん何もいうわけでなかったし、静からも聞いたことがなかったから本当に夢である可能性は否定できない。けれど英虎は彼女の人柄を信じたいと思う。むしろ願ってしまう。彼女がそうやってくれたであろうことを。そして今、彼女に向けてそれが本当であったのか聞こうかと、そんなことを唐突に、そしてとても強く感じた。ごくり、と低く英虎の喉が鳴る。今更聞いて何ということでもないことを分かっていて、それでもなお知りたいと思う裏にはきっとなにか強い力が働いているのだろう。それが何であるかなどと英虎には分からないことであるが、そんなことはどうでもいい。お母さん、と昔みたいに静の母に声をかけ、


「虎!」



 と静が呼ぶ声と、英虎が静の母を呼ぶ声は丸かぶりで、それでも高低の差でどちらの声をも瞬時に聞き分けた彼女は微笑みながら英虎に言う。来たみたい、と。静のことを呼ぼうとしたと勘違いしたらしい。その勘違いがすぐには理解できなくてその場で静の母を見ながらバカみたいにぼぉっとした。気付けばすぐ側に静の姿があり、薄れつつある知りたいような知りたくないような思いは現実の中に薄れていき、殆ど感じられないくらいに透明に近くなってから静に言葉を返す。「よぉ」とごく短く。静の手が英虎の大きな手を握りながら家の中へと招いた。それにつられるまま英虎は懐かしい七海宅へと足を踏み入れる。
「ゆっくりしてったら」
 昔はもっともっと、静とも一緒にいた。そう英虎は記憶している。何をしたという記憶はない、ただ共にあって楽しかった。そしていつしか一人になった。荒んだ街で一人暮らして、そして禅さんに会った。彼に会ったことで強さを学び、今のような生活にまで成り上がった。それよりも遥か以前に静の母は英虎を息子に迎えると言った淡く薄く、ただ夢に過ぎないような揺らいだ記憶がある。それを言った彼女に似てきた静があたたかく微笑んでくれる。それを思うと英虎の胸の奥にはあたたかな思いがじんわりと広がる。彼女を抱きしめて撫でてやりたいような、愛でたい思いが胸に。だが、それを実行に移してしまうほどに英虎は無知ではない。だから思いは封じ込めて肯定の意味で頷いて見せる。窓の外から横目にも見える空は夕刻の、紫がかった晴れてはいるけれど冷えた横長な空の色。これから瞬く間に夜が訪れていくことだろう。昼も夜も関係なく七海家にいた時の記憶はひどく薄れていて、本当にあった出来事だったすら危うい記憶で。そんな消えかかった記憶を胸に抱きながら静に進められるがままに部屋の中、ソファに座らせられて始めて現実に引き戻される。
「肩とか、凝ってない?」



「働きすぎなんだから」
 という呆れた声が降ってきた後の記憶は快感という名の波にのまれて現実かどうかはひどく曖昧。何度も問いかけるような、それでいて英虎を安心させるようなやわらかな口調で静は何度も話しかけて来て、それに対してしっかり返したはずだったのに問いも答えもまったく記憶にない英虎と。やわやわと肩を撫でるようにしていたと思ったら、気付けばソファの上満杯に邪魔くさいほど育ってしまった大柄な英虎の肢体がごろんと横になっていた。その頃には肩だけではなく腕を、首を、背を、腰を、既にある部分を揉みほぐされていたらしく骨抜きのようにヨダレを垂らした格好でうたた寝していたのだから記憶などアテになるはずもない。ふと気づいた時に上げかけた自分の口元から情けなくもたらりと垂れたヨダレは相手からは見られてないといいな、と思いつつ素知らぬ顔を装って拭ってしまう。あとは「寝ちまったみたいだな」なんて言えばその場は収まる。セオリー通りに口を拭って顔を上げると、何もかも分かっていますよみたいな顔をした静が微笑んでいたからその先は続かなかった。
「お母さんに会うと、いつも虎は安心してるみたい」
 意外な言葉が続いたから黙ったままでいた。というよりは、続ける言葉なんて見つからない。その言葉があまりに無意味に聞こえたから。母という存在がどれほど安心を与えるのか、当たり前のように母親がいる静にはきっと分かっていないのだろうと英虎には感じた。まるで幼い子供のやきもちのようだと感じる。だが嫌だとは思わない。そう思うのは仕方がないことなのだろう、それでも良くしてくれているこの静かという、妹のような姉のような存在が英虎にとっては言葉にするにはあまりに難しい特別なものだったから。きっとどちらの答えも、同い年である静にとっては気に入らないものであろうことは容易に予測できたこともその要因だ。それだけに口を開く際には言葉を選ぶ必要があった。それを深々と考えるようなタイプではもちろん、決してないのだけれど。
「そりゃ?そうだ、俺のお母さんみたいなとこもあんだからな」
 目が合う。
 だが、というか。やっぱり、というか。気難しいところが静にはあるらしかった。表情を殺したような顔をして、冷たい視線を英虎に投げかけてきているように思える。言葉がないからそう思えたのかもしれない。なにかおかしいことを口にしたのだろうか? 今さっき口にしたばかりの言葉をもう一度、誰にも聞こえないほどに小さくぱくぱくと口の中だけで心の音にした。


「違うわよ」


 なにが。と聞く前に静は肩をくっつけるくらいに近く、英虎の隣に身を寄せた。英虎がどんな態度を、回答をするのかきっとわかっていたのだろう。声にする前に行動は始まり、そして終わっている。そして勝手に答える。それは英虎が聞こうとしていたけれとまだ唇はふるり、ともしていなかったけれど。ついでに言うと、今言った「違うわよ」という一言についても聞きたかったがそれを吹き飛ばすような言葉が静の口から溢れるなんて、さすがの英虎でさえも想像だにできなかった。
「虎は昔っからお母さんばっかり。ねぇ?」
 そんな嫌味な言葉を言われる筋合いはないだろうと思いつつも英虎は否定した。確かに七海家の父よりは母に懐いていたことは認めよう。仕事で忙しい父よりは家を守る彼女の方がとっつきやすいのは当たり前だ。だからこそ、静は何が違うというのだろうか。だがそれ以上に口を開こうとはしない。ただ目が合ったまま、どちらも逸らそうとしない。目の奥の真実を見透かすような顔をして。
 だから、英虎は言ってやる。静が何を思っているのかあまり分からないけれど、きっとくだらないことだろうと思ったから。
「俺たち、キョーダイだったらずっと一緒だったのにな。」
 どっちが上か分からないけど、なんとなく静はやっぱり姉のようだと思いながら口にしたら、静は英虎の顔を見ながら急に真っ赤になってしばらく口をパクパクとさせていた。だが、否定もしなければ肯定もしない。それは喜んでいるのか嫌がっているのか分からない態度だ。しばらくしてようやく静は声を発する。
「な、なに言ってんのよ。バカ虎」
「や。なんか、懐かしくて」
 嬉しくて笑ってしまいそうな顔をなんとかもやもやと抑えているのがこのときばかりは丸わかりだった。初めて英虎は静を可愛らしいと思った。それと同時に思う。どうしてかは分からないがきっと静は知らないのだろう。あれが本当なのか英虎が望んだ夢だったのか、けれど英虎は確かに聞いたのだ。静の母が英虎を養子にする話をしていたことを。他人の子供にそんな思いをもてる女性の子供はきっと心も美しいのだろう。そんな美しい心をもつ人とキョーダイならきっと自分も澄んだ心をもてるんだろう、そんなことを無意識に思ったのかもしれなかった。ただ静とずっと一緒にいれたらしあわせだろうな、そう思った。


12/1/25

遅れましたが(カナーリ)大晦日の英虎くんです。大晦日は七海家にいたという(笑)

恋愛未満ですが、虎の初恋が描ければいいな、と思ったもので。あ、ちなみに女の感は鋭いです、ハイ。だってしっかり妬いてるもんねえ。

これを書きながらアニメの話で虎の過去バナシ出たらしいとウィキでみたんですが、まぁ漫画では出てないんだよね?!とか。あと静と知り合った時期は明言されてないとか。そんな逃げを考えながら過去ネタを使うのもキャラによりける…とか悩んでみたり。

ちなみに大晦日編が途中で途切れたので続いてしまいます。もはや来月中に終わればいいなぁという気長シリーズ化しています。元旦編で終われよ!虎AND静ァ?

2012/01/26 00:05:49