モノローグの幕開け

「いったのか……」
 右腕のように働いてくれたあの男が逝ってしまったのはあまりに無念だと思う。だがそれも白虎に属し前線にいる以上はどこかシドといえど当人のカトルといえど胸中では覚悟していたことだった。神などいない、伝説など絵空事、クリスタルの力などない方が人は自然に生きられる。それをシドは心で理解しており、カトルは白虎が力を掌握することで画期的な軍事国家が築けると、そう信じていたのが二人の違いだったのか。しかしそれを指摘できるのは人間には誰一人いない。人間ならばクリスタルの能力によって他人の死を、死の記憶を失ってしまうからである。
 なのに、どうして、光る空を見て自分が作らせたアルテマ弾の成せる光とすぐ分かった。直前の情報も聞いていたから知っている。カトル専用機ガブリエルには確かに彼が乗っていて、彼は空高く上昇したという。しかも0組に負けて逃げるかのように。それがどうして爆発したのかなど知らないが、爆発したのならカトルは既に死んでいるはずだ。あの爆発ならば苦しんで生きているという万が一の可能性もない。何より情報によれば大気圏外にまで到達したと見られている。すなわちオリエンスに当たり前にある空気とか大気とかそういった物質がないところでの爆発ともなれば、うまく機体から脱出したとしても空気などの補給はどうやって行っているというのか。シドに知らせずに脱出ポッドなるものを作っていたというのか。そんな時間や研究費があったとは思えない。攻撃と速度に力をいれていたはずである。なぜならシドは負けるわけがないと口を酸っぱくして教育していたからだ。
 だがシドはカトルのことを忘れない。理由は分からない。忘れないのであれば彼は生きているのだろうと思うしかない。見回してみれば周りの者はわたわたとしている。ミリテスは終わりだと泣いている者もいる。だからわざと聞いてやった。
「何故ミリテス皇国が終わると思うのだ?」と。兵はシドを見ていくらか冷静な心を取り戻したようだ。敬礼を返しながら答えたがそれは前々から決められている答えだ。
「シド様をお守りしている盾は壊れてられてしまったからです!」
 この答えを聞いて分かった。盾は、もうない。目の前の兵は盾を物理的なものと思って答えている。しかし盾というのはカトルのことだ。きっと彼の名を出しても兵はぽかんとすることだろう。そしてそれは誰ですか、と聞くことだろう。それは口にせずとも確かな重みをもってシドが感じた事実である。
 カトルは間違いなく死んでいる。しかし忘れられない。そして何も感じない、ただそれを疑問に思うばかりだ。どうして自分だけがカトルの存在を憶えているのだろうかと。理由は分からないが知りたいと思った。兵に背を向けて書斎へ向かった。自分だけが忘れないということに何かしらの意味があるのだと信じてそれについて調べた。きっとクリスタルとか神とかそういった存在の干渉なのだろうと忌々しく思いながらも古い書物を読み漁っていく。眠る時間などない、そんな時間があるならこの建物から脱出するほうがきっと先なのだろう。もはや通信も切ってしまったがじきに朱雀の連中がここまで乗り込んでくることは明白だった。だが書を紐解くことをやめられない。シドの探究心はどんどんと強くなっていくのだった。


 名前を呼ばれているわけじゃない。けれど呼ばれているのが分かる。ねぇ、みたいな呼びかけでそれが分かるのは昔から知っているのかそれとも、歴史という名のなにかが呼ぶ存在のことを細胞レベルで記憶しているのか。それを脳内で問いかけても、はたまた声を出して語りかけても答えは返ってなどこなかった。答えなどきっとここにはない。そう、答えがしりたければ呼ばれるがままに歩を進めればよいのだ。恐れなど抱くのはミリテス皇国の名折れである。そしてその時のシドにはまったく恐れはなかった。
 そしてその時のシドにはアギトの伝説の記憶が蘇っていた。どうしてそんなことを唐突に思い出したのだろう。伝説は伝説だと思っていたはずなのに、どうしてか今は伝説に向かって体を動かしたいとばかり思う。おかしなものだ、人は死ぬことが近づくと行動がおかしなものになると聞いたことはあったがそれはこういうことなのか。確かにシドは年齢もいっているし今まで国の出来事とはいえたくさんの命も奪ってきた。それがカトルではないが因果応報というものなのだろうか、死が近づいているというような気はまったくしないがきっと近づいているからこそ今までは考えなかったようなことを考えてしまうのだろう。アギトなど伝説の中の戯言で、この世界には存在などし得ない神のような存在。弱き者が縋るだけの存在なのだ。そう思いながらもシドは足を止めることができなかった。
 呼ばれている。
 見上げた空が朱く、まるで朱雀の旗のような朱に染まっている。夕闇の前の色にしてはおかしいような気がした。時間は何時だろうかなどと考える前に、白虎は堕ちたと混乱する帝都の外を何の躊躇いもなく外に出た。私が今死ぬことなどあり得ない。それは予想でも予感でもなく、何者かに与えられたかのような確信があった。だが誰が? それに答えることはできないが。
 あわてふためく白虎の民の姿が見えた。何を慌てることがあるのか、そう思えばシドは冷たい目を民らに向けていた。大衆とは都合が良い時は仕えてくるものだが、都合が悪くなれば亡命し離れゆくものである。それはこれまでのシドが生まれる前の歴史が物語っている事実に他ならない。だからシドが何食わぬ顔で歩く様にも驚きもしない。自分のことしか考えられない。それが追い詰められた人間のあるべき姿であり、人間らしい姿でもあると言える。人間らしく醜い姿、であるが。

 シドは呼ばれている、そんな気がする方向に歩き始めた。だがすぐに気付く。徒歩ではなかなか近付けはしないと。だからすぐにアーマーを動かすために踵を返した。白虎の上層部の者であればカトルでなくとも自分専用のアーマーぐらいは装備しているのだ。カトルの機体ほどのチューンナップも、攻撃に優れた機能も携えてはいない。兵卒に乗り込ませる量産型に比べれば戦闘機能も機動力も防御装置も高い性能を誇ってはいるものの、前線に立つカトルの機体はシドが乗る機体の何十倍も良い機能を蓄えたものであった。それを破壊に、否、後退にまで追い込んだ0組の実力たるやこの機体では何の役にも立たないであろうことは想像に難くないが、この弱き機体を操縦するシドの心の中には何の恐怖心もなかった。ただ、呼ばれる声に応える心持ちで空を飛ぶ。夕闇の空であるはずの空の色はまだ闇色に染まるそぶりも見せず、操縦席を通して見上げた空は朱雀の旗の色というよりも濃く汚れたような色であったから、まるで血液のようだとシドは思った。
 空の一点に浮かぶ目玉のような何かが一瞬だけ見えたような気がした。そこに吸い込まれるようにシドは機体とともに衝撃を受けながら転がっていく。仮面の男と二言、三言語る。大したことでなかったように思う。その内容は記憶の中には残っていない。忘れさせるのがルシという存在なのかもしれないが。
 そしてシドは自分の軍帽が赤い熔岩のようなものに溶けゆくさまを見つめていた。それと同時にすべての記憶が無から有に還ってくる。クリスタルによって失われさせられていた悲しみと苦しみの記憶。歳を重ねているがためにその数は少なくない。それにシドは軍人であるがゆえに死人を見送ってきた回数は町人よりも数倍以上に多い。その中にはシドに忠誠を誓いながら逝く者もいた。それはシドが生きてきた間に関わってきた者が有する、すべての記憶であった。



 人間は笑えないほどに愚かだ。
 シドが記憶という記憶を見たその先に思ったのはそれだった。人間はただ、覚えている限り、シドが知る人が見る記憶の限りずっとたたかってはしんでいった。理由とか大義名分とかいったものは二の次で、死ぬ時の記憶は己と共にあり、かつ、記憶の中で最後に残った者だった。それはクリスタルによって抑制された歪まされた記憶のせいであったから本来の記憶という意味合いでは遠いかもしれない。しかし人間というのはそのぐらい単純な生き物なのかもしれないという気もしてくる。どんどんと川の濁流のように溢れ出してくる記憶の流れはとどまることを知らない。ただひたすらにシドの脳内をざんざんと侵してゆく。その記憶を見るたびにクリスタルの与えし忘却の力思い知る。
 ここに誰もいなくてよかった。ただ、悲しくてただ痛みを感じる。そんな記憶がシドの脳を侵食していく。死にゆくことは苦しくて、とても……怖い。冷たい、痛い、嫌だ。すべてが負の感情や負の感覚に満たされたものだったから何にも縋るべくものがない。それでもこれを、乗り越えることに何らかの意味があるのだろうと思って、ただひたすらに噛み切って血の味がするほどに唇を噛んだ先に、死に別れた伴侶の姿があった。おまえがしんだ、とシドがどこかで呟く。そこは病院ではないけれど、彼女は病院で息を引き取った。軍人の嫁なのだから死に目にあえないのは仕方ないと十年以上も言われてきた。そしてそれをさも当たり前と感じてきたことに、己の幼さを感じて咽び泣いた。とっくの昔に死んだ彼女のために、シドは初めて泣いた。
 その昔、妻を愛していたことを思い出して。



 顔を上げた先に見えたのはただの赤。血よりはいくらか澄んで明るい色だけれど、それでは赤い色は死に直結する血の色を彷彿とさせた。それはきっと、今まで忘れ去っていた誰彼の死の色だったからだろう。そう考えれば朱雀の色がこんな色だったのはある意味きっと因果なのだろう。それは何者にも避けることのできない厄災であったり、それはすべての破壊であったり、はては喪失であったりするのかもしれない。そしてそれは恐怖だったり怒りだったり、驚愕であったりするのかもしれない。
 次の瞬間、シドに衝撃があった。それは衝撃であり死でも生でもない、何かは分からないが痛みに近い何らかの感触よりはとても強い衝撃があった。寒くもない暑くもない、快感もなければ不快もない。ただ自分という何らかの存在がここにあってそれが心地よいものだということ。何かをしているとかすべく存在しているというわけでもないけれど、それでもいてもよいんだと思えたから。くだらないはずの、小さいはずの人の心が突き刺さるように温かみに感じることがあるなんて意外だった。そして願う人々はすべてクリスタルによって死した者の記憶をすべて失っているのだろうけれど、必要とされることは生を感じることだとシドは感じる。死してなお必要とされることはどんな気分なのかは分からないが、意味などきっとないのだろうと思った。思っていたことは衝撃のうちにいつしか消えてしまった。
 それでもシドは生きている。死ぬことは生きることと対なのだと思っていたが、それは違う。クリスタルが忘れさせた記憶がそう思い込ませているだけだ。生きることは死ぬことにつながっており、死ぬことは生きることを感じることだと悟った。朱く濁った空と、黒くすべてを飲み込んでしまいそうな海を見て、それでも望んだ。オリエンス統一の先に見ていたはずの未来を。アギトのいない世界を。クリスタルの力に頼らない世を。
 そして、それ≠ヘ突如シドの前に訪れた。呼んでいたのはそれ≠セったとすぐに理解する。だがシドはそれ≠ェ何かは分からない。生きているのか? ただ動いているのか? 何のために? それ≠フ行動に意味があるのか? それ≠ヘ行動しているのか? それ≠ノは意思というものがあるのか? すべてが謎ですべてが朱く彩られていた。痛みと苦しみと恐怖を感じる色が赤であることをシドは初めて知った。その色があの朱雀の誇る0組のマントの色であることは何かの因果なのだろうと何となく思った。
 仮面の男がそこにはいた。実際は男かどうかは判別がつかないのだが、勝手にそうであろうとシドが判断したというだけのこと、判断したからといって何ということもないのだが。呼んでいたのは彼なのだろうが、彼ではないのかもしれない。今起きている物事、今感じている事実のすべてがまるで夢幻のようでシドは見上げたまま黙っていた。男は言った。言葉を発したことで、余計に彼を人間と判断するのは難しいと思った。それでも皮膚が焼ききれんばかりにびりびりと感じる存在の大きさのようなものが突き刺さる。
「我、来たれり…」
 いつかの昔に読んだ書物にあった言葉だ。それが今までの破壊や破滅の歴史の歯車になっているかのようにずんと重く響く。彼は人間ではない。だが彼が何であるか分からない。彼は神なのだろうか? それともその逆に位置する存在なのだろうか? 答えはない。そしてシド自身も言葉を発するまでの何かはない。ただ彼を見上げるのみ。
 やがてシドと仮面の者は闇に飲み込まれた。目を開けたそこには禍々しい神殿のような内装の建物があって、外に出ようなどと愚かなことを考える間もなく、仮面の者がシドに問い掛けた。
「貴様は、悼みを感じてなお、留まるか…?」
 言葉の真意は分からない。だがここで終わるのは何かが違うと思った。だから頷く。仮面の奥からでも分かるように強く縦に首を振る。「ならば、超えて見せよ」という声と同時に衝撃が脳天から足の爪先までをも劈いた。死と近い痛みではない。だがさっき思い出したクリスタルによって失われた記憶を思い出したときのような強いイタみ。その痛みを和らげていくのがそれ≠フ狩る生命とファントマの流れであった。流れ込むファントマを受けながらシドは次第に回復していった。そして回復が終える頃にはすべてを理解していた。
それ≠ヘルルサスと呼ばれるアギトなき世界を狩り取る者。仮面の者はルルサスの神のようなもの。そして今シドはルルサスの神のルシという存在であり、決して枯れることない魂の力を感じていた。仲間や親類が死んだ悼みはむろん胸の奥にある。けれどもそれ以上に嬉しいのだ。何より確かな力を得た実感が湧いていることが。そしてアギトなどこの世には存在しないことが。兵器などなんの意味もないことが。人間が不要であるこの世界のすべてが。
 そして見えていた。0組の輩が無策にもこの城に向かいつつある愚かなさまが。世界で何より不要であることを知らせるのも、すべてを知る者として当然の役割だろうとシドは思い、そしてニヤリと笑った。ルルサスが無力な人間を淘汰して行く世界に残るのは有能な神々と、それに仕える者たちだけなのだ。空はルルサスが淘汰を繰り返すたびに朱く、色濃く染まってゆくのである。


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何故かシドが主役になってしまってます。
間違ってるかもしれないけど、ルルサスと審判になるまでのシドとの行動と心の流れのつもりです。カトルが出張るはずなのになぜー???
勝手にこういう流れでアギト化したんだと思いました。というかシドはあくまでアギトの伝説をなぞっていたような感じだっただけで、アギトになったとは個人的に思っていないんですよ。
スクウェアとしてはどういうつもりでシナリオ書いたんでしょう?謎です。

や、オリエンスにはアギトなんて生まれなかった。それでいいような気がしてるんですけどね! アギトの塔登り切ってやりたい気持ち満載ですが今はそれどころじゃない(笑)

や、私はシドはルルサスのルシになったんだと解釈してるんですが……違うのかなあ? あまりに最終章が置いてけぼりすぎましたから勝手に想像で補完しました。以上


モノローグの幕開け
たかい

2012/01/23 09:41:33