2011.09.30 Fri 08:16
再会・一


「ウチのモンがやられただと?!」
安い飲み屋で怒声が響く。迷惑そうに顔を歪める客は騒いでいる男達からは見えない。店主が困ったようにおろおろしている。折角の客が逃げてしまっては商売上がったりである。だがそれを騒いでいる団体さんには口が裂けても言いだせない。それは、その団体さんはこの居酒屋をどうしてか贔屓にしてくれているから。もうひとつ大事な理由もある。その団体さんは『神崎組』というヤクザ屋さんという団体なのだ。最初は暴力団ややくざはお断りしていたものだが結局不況には勝てない。何より騒ぎを起こしたりする者はいなかったのでほっと胸を撫で下ろしていたのだが、今日は何という厄日。せめて暴れ出して警察沙汰にはしないでくれよと店主は心のなかで祈るばかりである。
「勘定だ」
見慣れた短髪と酒を飲むのに邪魔でないのだろうかと思う、口から耳にかけて繋がるピアスの鎖が店主の目の前でじゃらりと鳴った。
「はっ、はい……!」
「騒いじまって悪かなったな。ワビだ」
若頭と聞いている。若い割にこういうところはしっかりしている男だと店主は思った。頭を下げてチップを三枚受け取る。
ツケはしないし切符も悪くはない。だから店主は彼らのことを拒否できなくなったという経緯があったのだ。ゾロゾロと男どもが店から連なって出ていく。ああ、今日も無事に店を閉めることができるようで安心しました。店主が握り締めた手を見下ろした。思わず声を洩らす。
「……何だい、野口かぃ」


2011.09.30 Fri 08:40
再会・二


神崎達は仲間がやられたと聞いて慌てて居酒屋を後にした。その仲間の元へ向かうためである。詳細はまだ分からないが些細なことで口論になり、先に手を出してきたのは向こうだと言っている状況だ。普通に一発二発で終わればよいものを、ボッコボコにされたというものだから神崎達も様子を見に行かざるを得なくなったのである。

急いで向かった先には確かに仲間の一人で神崎組には中堅に当たる男が道端に座っていた。腕が折れているらしく腫れた顔には懐かしさすら感じてしまう。こんなときに不謹慎かもしれないが、やはりケンカに明け暮れていた学生時代に戻りたいと思うのもまた神崎らしさな訳で。それを押し隠しながら声を掛ける。
「随分手ひどくやられたな。どっかの組の関係か?」
「いえ、硬山開発の若造でした」
「わかった。おら、早く診療所つれてけ」
「はい」
ここで怪我人を含める数名の男が夜の闇に消えた。それを見送ってから傍らで黙して語らなかった城山が声を掛ける。
「これから、どうしますか」
「……」
軽々しく答えを出すのは早計な気がしていた。組織に組するということはそれだけ面倒なことなのだ。まったくガキ大将よろしく城山とつるんでいるときの方が今の数倍楽しいに決まっている。チ、と舌打ちして唇を噛む。
やられていた男は神崎組の中堅でオヤジの友人である。つまりは組の沽券にも関わってくる話なのでこれを「なかったこと」には当然できない。何より既にオヤジには話が上がっているだろう。それだけであるならば、勿論向こうの会社に乗り込むべきであろう。
しかし、オヤジの友人というあの男の常日頃の素行の悪さは今までに何度も目にしている所なのだ。それをオヤジは見えない手を差し伸べて庇い続けてきたのは組織の人間としては丸分かりである。
まだ神崎組は代替わりしたわけではない。だが、と神崎は思う。下の者に示しのつかないようなことを続けてアタマが務まるかよ、と。神崎組だ何だと言っても、結局は二番煎じだと笑われるのが胸糞悪いのだ。
「城山ァ、何ボサッとしてんだ。行くぞ」
「…!神崎さん、どこに」
「ナシつけに行くに決まってんじゃねぇか。硬山開発によ」


2011.09.30 Fri 22:07
再会・三


硬山開発とは最近伸び悩んでいる建設会社である。特にガラが悪いという噂なども聞かないため暴力沙汰は珍しいと言える。しかし警察が動いていない辺りバックにどこかの組の関係が動いている可能性もある。そうでなければ単純に相手側の言いがかりであるから、ということになる。そのどちらであっても勿論神崎組としては警察が出るようなことにしてもらっては困る。結局はヤクザ稼業というものは官とは敵対する以外に道がないのだから。
神崎が腕時計を見遣る。ガキみたいなGショックとかミリタリー系を身につけるのは減った。誕生日の祝いだと半ば投げやりに貰った高級な時計がそこには着けられている。しかし神崎にとってみれば防水加工がどのくらいとか衝撃への対策とか、どう考えてもGショックの方が魅力的だった。ロレックスだかフランクミューラーだかなんだか知らないが、ギラついた腕時計はそんなに気に入ってはいないが、時刻を見るには丁度良かったのだ。
夜の八時すぎ。硬山開発に着く頃には八時半を回っているだろう。城山が運転する車のなかでぼんやりと夜景を見る。過ぎゆく夜景が今日の暴力事件のことなど跡形もなく溶かしていくようだ。だが、事実は溶けてはいかないのだ。
「いますかね」
「まだ八時だぞ。今頃銭勘定でもしてるだろうよ」
硬山開発はほんの二、三年前まではぐんぐん伸びてきていた会社なのだ。社長はきっとその成長で成金になり下がっていることだろう。神崎のなかの成金オヤジを想像しながらむかつく胸を潤すために常に車に積んでるクーラーボックスから好物であるヨーグルッチを取り出してすぐさま咥える。煙草は吸わない。ヨーグルッチのストローを咥える方がどれだけ体にも心にも、そして味もいいことか。
車はその間も折れては走り、駆けては曲がった。そうして数十分という時間が経過したそののち、目的の場所へと辿り着いた。特に立派ではない事務所の看板がここは硬山計画という会社の持ち物です、と謳っている。名前もダサイし外装もダサイ。一時期だけとはいえど勢力を伸ばした会社とは到底思えなかった。鼻で笑いながら神崎は助手席から降り立った。これからすることはケンカでも睨みあいでも何でもない。ただの状況説明といった所だ。
まだ明かりの灯ったままである事務所へと足を踏み入れていく。


2011.10.04 Tue 23:11
再会・四


事務所には当たり前みたいに電気が煌々と点いていたから足を踏み入れることに何ら、疑問も抵抗も抱かずに済んだ。禿げた頭のおっさんがきっと事務所の社長か何かだろう。確かに客人がいるらしかった。禿げた頭のおっさんに向かい合って座る男の後ろ姿。後ろ髪が肩近くまで流れていて、前の方はよく見えないが少し長めのガチガチに固めた感じの印象を受ける。そんなガラの悪い感じの男にぺこぺこと情けない程に小さくなりながら頭を垂れていた。
神崎にしてみれば見慣れた風景としか言いようがない。禿げには弱味があるのだろうと思った。そしてきっと背中を向けている男は暴力団かなにかの類だろうということも瞬時に―――
だから邪魔はしないで見届けてやろうと思いドカリとソファへ腰を下ろした。城山もそれに続く。もう営業時間は過ぎているので禿げ頭が「あっ」と言った。神崎を咎めるつもりなのだろう。すると、それに倣うようにゆっくりと後ろ髪少し長めが振り向く。
「………」
互いに言葉を忘れる。神崎は相手のことを知っていた。そして相手も神崎のことを知っていた。だからこそ言葉を失ったのだ。今、こんな状況で何と言葉を発すればいいのか、なんて学校で習ったことがない。もちろん学校が何かを教えてくれたことなどないのだが。どんな心境だろうと見合っているだけではムダに時が過ぎてしまうのはもったいないことだ。どちらともなく相手の名を口にした。
「神崎…」「…姫川」
知り合いだったことに、禿げ頭が呆けたような表情でその場に立ちすくんだ。ああ、電気の灯りで明るい暗闇は元気の薄い禿げで照らされていた。


2011.10.04 Tue 23:42
再会・五


「てめぇ何屋になりやがった…?」
まず口から洩れたのはその言葉だった。そもそもこんな安っぽい場所で姫川財閥の糞坊ちゃんを見かけることなど有り得ないと思っていたから。振り返った銀髪リーゼント頭は相変わらず夜にも関係なく色眼鏡かグラサンか分からないものを鼻眼鏡状態にしていて、神崎の問いに「はあ?」とバカにするように返してきた。その態度で彼自身は何も変わったつもりはないのだろうと思って手を軽く振る。そもそも姫川という男に問い掛けすること自体がきっと間違いだったのだろうと思い直してもいた。
「取り立てに、見えんだけど」
そう言ってやればやっと理解する。姫川はあぁ、と頷いて禿げ頭に向き直った。神崎には長めの後ろ髪が見えるのみである。そのまま神崎を見ることなく告げる。
「月末だからな。で、お前は?何か用か」
「ウチの組のモンが軽く世話になったみてえでよ」
「ふうん、」
状況説明などは要らなかった。姫川は禿げ頭の胸倉を掴んでいた。もう一方の手には昔馴染みの改造スタンガンが握られている。しかしそれは禿げからは見えないようにうまく腰の下に隠されている。顔だけ振り向かせて姫川は神崎の方を見た。なら、コイツをこれで叩けばイイか?と聞いているのは分かった。だから黙ったまま静かに、そして僅かに頷いて見せた。次の瞬間、
「ぎゃあああああああああああああああ!!!!!」
禿げ頭オヤジの叫びが事務所内に響き渡った。どうやら痛みになれていないハゲチャビンらしい。力尽きた禿げを捨て置いて、姫川が神崎に向き直った。口元には薄く笑みすら浮かべている。「よう」それだけ言う。今さら言うことなのだろうかと笑えてしまうような言葉ですらないかけ声。焦げたようなにおいが辺りに立ち込めていたが、誰も何も言わないからしばらくぷぅんとにおったまま。
「うちの子会社だから、集金してたんだけどよ。迷惑かけたみたいですまねえな」
ああそうか、と神崎は今更ながらに気付く。これだけ金をバラまける程の金持ちならどこに子会社があってもおかしくはないし、なによりここは石矢魔なのだ。どこで繋がっていようともまったくおかしいことなどではなかった。ただ神崎が失念していただけの話だ。
「今のでワビだろ。なら別に構わねぇ」
そう答えることなど姫川はもちろん分かり切っていた。口元の笑みを押し殺しながら神崎に近づく。久しく会う同級生が面白いイキモノに映ったからだ。


2011.10.05 Wed 23:46
再会・六


そこまでしなくてもなぁ…と思ったものだったが、行動としてしまった以上はそれについては評価してやるしかないだろう。そう思いながらゲンナリとした思いで神崎は内心溜息を吐いていたけれど、溜息とほぼ同時ぐらいに掴まれた手はぐいんと強引に引かれてそこから遠ざかるのがまるで当たり前みたいに事務所の外を出ていた。カンカンカン、と安っぽい金属の音と銀髪のリーゼント頭。呆けた面の禿げ頭など部屋に残して投げ置くのがお似合いだと姫川も冷たい判断を下したのだろうと思いながら神崎は視線を上げる。
どうして。視線は神崎の方が上であるのに、見上げながら見下したみたいな視線を投げかけてくる姫川の目が射抜いてくる。ああ、気に食わない男に遭ってしまったと思うけれど、そこまで嫌でもない神崎自身の丸くなった気持ちについて、考える暇なんて今の今ではあるわけもない。
ただドタバタと事務所から出て車に乗った。それだけの、ある意味では洋画の逃走劇に似ている。否、不実の罪でどうこう言われる辺り、そのものだろうと似たような洋画のタイトルを脳内に数個浮かべた辺りで姫川の高めの声が耳を刺激した。


2011.10.11 Tue 10:19
再会・七


「面に出てんぞ」
なにが。そう神崎が耳につく声に返そうとしたら、ヌメっとした男の余裕そうな笑みが目の前にあった。なにを考えているのか分からないので、思ったことを口にしようとしたら、勝手に向こうが答えてきた。考えを読むなよ考えを。
「さっきの、やりすぎじゃね?って。」
それだけ言うと姫川は神崎から目を離した。神崎はチッと舌打ちだけ返す。特に言葉を返す必要なんてない。さっきのハゲジジイにどうこう感じる必要なんてないことは分かっているのだし。隣から聞こえる姫川のクスクスと抑えた声がああうっとおしい。
だって、と神崎は思う。別にことは済んだのだから構わないのかもしれない。だが本当にうちの組のモンだけが白のワケがない。理由がなければ建設屋も暴れたりはきっとしなかっただろうとも思う。禿げ頭はなにも聞かされていなかった可能性もある。だったら、せめて裏拳ぐらいでよかったのでは?という想いが頭を何度もよぎった。別に改造スタンガン食らわせることはないだろう、と。考えながら足を組み直して助手席を見つめると、誰もいない。なんだよ、俺が座ればよかったじゃねぇかよ。なんでガラ空きなんだよあそこ。違和感ばかりが神崎の胸を満たした。不意に隣から声がした。
「最近、お宅でオープンした店でサービスしてよ。それでチャラだ」
神崎は答えないから、城山は車の速度を落とした。彼の答えによっては進路変更をせざるを得ない。だが城山も分かっている。この物言いでは特に断る理由はない。結局は店に向かうことになることは明白だ。分かっていながら答えを待ち、やがて車は路肩に寄せられる。待つことには慣れているから一向に構わない。
「へんなとこクソまじめだよな、てめーは。罪悪感なんて持ってて、ヤクザ家業はキツイんじゃねえの?ま、今回は俺がいいって言ってんだから、そんなの捨てちまえ」
「……そうじゃねぇーよ。店、分かってっか?」
「あ?この歳になって風営法とか言ってんじゃねえぞテメェ」
「………出せ。城山」
「はい」
目指すは神崎組下にある風俗店だ。


2011.10.11 Tue 23:19
再会・八


城山の運転する車が、とあるペッカペカの店の目の前で止まった。裏口の止まったのは、店の裏の顔を表から見せまいとする城山の気持ちだった。「うし」と立ち上がり車から出た神崎と姫川は、アッサリと城山の気持ちを躙って表に回って入って行った。フロントが神崎の顔を見るやきっとガチガチになってしまうだろうと予想の上で、城山も続いて入って行く。その途中、先程まで車の中で続いていた神崎と姫川の会話を思い出していた。

「まさかオメエがプロデュース?して、フーゾクやるたぁさ。噂、聞いてたけど。マジなんだ」
「アァ? 悪ィかよ」
「オトナんなったなー…て」
当然、ナメんな、と神崎が後ろで動いたらしく激しい衣擦れの音が聞こえる。だが殴ったり、というようなことはなかったから城山はそのまま運転していた。やがて、はぁ…と溜息にも似た神崎の大きな吐息がする。暴れるのは諦めたようだった。城山も安心した。それと同時に聞き覚えのない声色がくつくつと笑う。
「筆下ろしは済んだのかよ?」
「っ、はぁ?!」
姫川の言いたいことなど、城山にも予想がついた。そして、そう思うのは当然だろうということも。神崎はそれにすら動揺して声を裏返しながら声を返している。まるで『図星ですよ』と言わんばかりの声で。だから姫川は笑うに決まっているということも。
「フーゾクなんざァ信じらんねぇって感じだったからなぁ。やっと男になったのか、ってよ」
「ナメんな、成金。」
「で?真実や、いかにィ?」
きっと姫川は答えを分かっているんだろう。だからこそこんなことを言うのだ。なんだか神崎があまりに情けなく聞こえてしまう。堪らず城山は車のスピードを上げた。それについて神崎と姫川は気づいていたかどうか分からない。特別に揺れるような道ではなかったし、辺りも暗かったからだ。神崎が答えを口にする前に、半ば強引に城山は車を止めたのであった。
それが今ついさっきの出来事だ。

城山が足を進めた先に、予想通りにペコペコと頭を下げるフロント嬢と神崎と姫川の姿があった。神崎が言う。
「客を、連れてきた」
言うや否や神崎は強引に姫川の服のポケットにガサッと手を入れていく。そして姫川の財布を抜いては即・札を抜き出しフロントに置く。オイッ、と声を掛ける姫川をまるっきり無視して勝手に話を続けた。
「1番のコ、つけてサービス頼むわ」
「はいっ!」
ボソボソと他に何事か話したようだったが、姫川はすぐに部屋に引っ張られて行った。


2011.10.13 Thu 00:29
再会・九


ぼそぼそ。小さく神崎がフロントの娘に告げた。決して城山は地獄耳などではない。ただ今この状況で聞かれても何ら問題がないから神崎は言ったのだ。
「本番、ナシでな」
そう言われたフロントの女はきょとんとした顔をして神崎を見つめて立ち尽くす。サービスしろと言ったり、本番はなしだと言ったり、目の前の彼の言葉については女は理解できていないようで呆けたような顔をしていた。そんな彼女に神崎は言葉を返すことなく、バシッと彼女の背を叩いて早く動くように促した。慌てて彼女は動き出す。その様子を見るやすぐ神崎は城山に向き直って「帰っぞ」と言った。もちろん肯定する以外の返事を城山は持ち合わせていない。同じ方向に歩は向いていく。姫川?そんなもの勝手に帰るだろう。

車の中で神崎は助手席に座ったまま静かに笑った。姫川に対してしてやったりな気持ちだったのだろうと思う。だがそれはどこか屈折しているというか、神崎があまりに言葉通りの男であることに違和感を感じていた。城山という重臣であっても。車は右へ左へ道を曲がり、神崎家を目指している最中ではあるものの、彼に言わないわけにもいかなかった。言わないことが神崎に向けての忠誠とは限らないからだ。
「店の女はどうして?って顔、してましたよ」
車はウィンカーをチカチカさせながら角を曲がった。低いエンジン音とともに神崎の息をのむ音が聞こえた。だが、それに対して何を返せばいいというのか。城山は分からなかった。彼の運転する車はまっすぐ道なりに進んでいく。神崎家を目指して。ああ、神崎家はそう遠くない道のり。

2011/10/13 00:29:13