大切に抱き締めていたもの全て指の間から溢れ落ちていくんですC


 夢を見た。
 はっと思わず上体を起こしたけれど、今さっきまで見ていたはずの夢は一瞬のうちに消え去っていた。ただ息は弾んでいた。きっと嫌な夢だったんだろうな、とそう悪い思いも抱かないうちにのっそりと立ち上がった。忌々しいかな、舎弟の一人である城山がきっと階下にスタンバッてるんだろうと思えば欠伸を噛み殺しながらも起きるしかなかった。ふわぁああ、あ、と大きい欠伸をよそにすぐ学ランに袖を通して洗面所に向かった。朝飯?そんなのはヨーグルッチが2本ぐらいありゃあいい。


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 遅刻ギリギリと言われてしまえば面倒を避けて走ろうとする身体を抑えることができないのは学生ですよという単位を脳内に置いているから。走る城山の手を掴んで半ば引っ張り回されるがままに辿り着いた教室の喧騒の中。ああこいつら不良だろうが、と思いながら自分もなんだろうと思う。ヨーグルッチは早くも空きっ腹に二本目を入れ込もうとしていた。担任の野郎がどうこう言っているが神崎としてはどうでもいい。学校の先公なんてクソ喰らえだといつでも思っているから。
「神崎さん。さっきの話、」
 急に城山が神崎に話を振って来たが、何のことを言ってるのかまったくわからず目をぱちくりとしばたたかせた。てめぇはばかか、それともクソか。そう言うつもりで睨みつけてやった。そのつもりだったけれど城山はその視線の威力など慣れたものだったからしれっと返してくるのである。遅刻寸前、走ってくる時に神崎が言っていた言葉というものを。
「中学時代の夢、って言ってましたよね」
 覚えていないと思っていた。それでも覚醒してきた脳みそが神崎に語りかけてきた。中学時代の時のこと。今朝の夢。
 城山が言う”中学時代の夢”ではあまりに言葉足らずできっと誰もが聞き違いをしてしまうような言葉だろうと思う。だって、まるで中学生時代に見た淡く儚い将来の夢のように聞こえるではないか。意味は朝起きる前にノンレム睡眠とかレム睡眠とか、どっちだったか忘れたけれどそんな寝ている時に見る夢だというのにまったく意味合いが違うだろうが、と。
 だから近くに座る姫川がふうん、とにやけ面で神崎を見てきた。夏目ならまだしも、とりあえず姫川に見られるのは状況が状況だけに不快だった。わざと嫌ですよ、という顔をしてやったら余計に姫川はくいついてきた。失敗した、と神崎は胸中思う。
「違ぇ。今朝の夢、だろが」
「そ、うですか。すみません」
「中身、おぼえてねぇし意味ねぇよ」
 姫川を追いやるために強引に城山を言いくるめた。今朝に見た夢なんてメシを食っている間に忘れるような刹那のことなのだ。眠いと思って寝ている間に見せるまぼろしのようなものなのだ。だから覚えていなくてもまったく不思議はない。そういった経験だって山の程神崎自身にもあったから言った。本当は城山の言葉で思い出したしまったのだけれど。
 中学時代の、とある女の夢を。
 だが、神崎の中学時代を知らない城山も姫川も、それ以上つっこんでくるようなことはなかった。当たり前だろう。そうする材料は今、この場にはないのだから。だから神崎はその日の放課後まで中学時代の頃の夢を見たことなど、すっかり忘れていた。言葉を返せばその日の午後、神崎は中学時代のことを思い出すことになる。それは、思いがけない形で。


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 ゲーセン。と言って向かったその場所に行く前、ふっと眼に入った自販機で好物のヨーグルッチを買った。ビンタイプだったのは少し気に食わなかったが、近くにゴミ箱とベンチもあったものだから許してやるしかないだろうと思ってそのままベンチに腰掛けた。ストローがないことはどうでもよかったけれど、なんとなくそのまま口を付けることに対して違和感があった。やっぱりストローを通して飲むのが当たり前になっているのだと気付く瞬間。それでも飲んでしまえば口から胸を伝ううまみと幸福感。ああ満たされていく。ごくりごくり、と喉を鳴らして飲んでいる時に影が神崎の視界を覆った。目を細めていたから気のせいかと思っていたけれど、影の主を見る前にビンから口を離した。というよりは、ヨーグルッチは無くなってしまっていたからそうするのは当然だったのだけれど。
「……かん、ざきくん?」
 細い声が聞こえた。ような気がした。そもそもそんな名前で気易く呼ばれるような覚えはなかったから。声色からして女からなんて、特に。もう反射的に見ていた。近い位置にいる女の顔を。あれ、と神崎は思う。会ったばかりのようなデジャヴュ。違う、それは今日の朝の夢の正体。城山によって蘇らせられた中学校時代の思い出を蘇らせるかのような夢。目に映る彼女はまるでそれを再演するかのようにそこにいて、神崎を見ていた。彼女はほんとうにそこにいるのだろうか?瞬時に信じることなどできなくて神崎はただ彼女と視線を合わせたままでいた。
「だよねぇっ?キンパになっちゃってぇ〜。しかも、ヒゲ生やしたのォ???」
 気易く女は神崎のヒゲに触れようとしてきたから、神崎は反射的にフイと顔を逸らした。そうすることが神崎らしいと思ったし、彼女もそうすることが意外だなんて思わないだろうと思ったから。しかし彼女は躊躇うように、神崎のヒゲを触れることなどかなわなかった己の手を持て余して困ったような顔をしていた。目が合えば彼女の方がごめんね、と告げてきた。こっちの立場がないだろうが、などと内心神崎は思っていたけれど口にすることはできなかった。口にするには理由がないといけないから。勝手な思いだけで言うのはバカだと知っているから。神崎がバカだなんて誰もが知っているけれど、筋を通さないことを言うのは己の中の正義に反していたから、神崎として許すことができない。単にそれだけの理由。目の前の女がどうとか、周りの誰がどうとか言う問題なんかじゃない。それでも謝罪の言葉を述べる彼女に申し訳なくて神崎はやっとの思いで「別に」とだけ返した。
 だんまりの時間が続くのはひどく気分が悪いから、神崎は彼女の影だけを感じながら言う。
「亜由美さ、センセ……久し振り」
 それは、神崎が彼女を知っていますよという意思表示に他ならなかった。神崎は俯いたままそう言ったから見えなかったけれど、彼女はパアッと明るい笑みをその瞬間に見せたのである。やっぱり自分が見間違えたわけではなかったのだし、彼もこちらを覚えていてくれたのだ、と確信できたのはひどく嬉しい。
「今、何年生?」
「……高3、だけど」
 彼女のやわらいだ声に誘われて神崎はようやく顔を上げる。彼女は微笑んでいて神崎の短髪をやさしく撫でた。別に嫌な気分などではなかった。神崎は彼女のことを思い出していた。ひどく懐かしいのにどうして今朝みた夢を忘れてしまっていたんだろう。神崎の問いに答えられる者などきっとこの世にはいないだろう。
 さらりと彼女の長い髪がまぶしい。赤茶けた髪が中学時代とのギャップを感じるけれど、それすら彼女の美しさを失わせるような材料にはなりえない、と静かに神崎は感じた。長い髪はさらりと流れてああ、まるで邦枝のように。でも色的には由加を、思い起こさせるようなものであったけれど、その時の神崎にはレッドテイルなどというくだらないレディースを思い出すような余裕はない。ただ、彼女が下を向いた時にかかる髪をきれいだと思ったということだけ。そのきれいな髪をさらりと流して彼女は笑う。
「覚えててくれて、うれしい。だって神崎君、私の授業なんてあんまり出てなかったでしょ?」
 そう思われても仕方ないのだろう。けれど、神崎自身としてはそうではなかったのだと3、4年ほど前の過去を思い出す。確かに真面目に授業に出るような生活などしていなかったし、中学の中でもきっと目立った学生だったのだろう。普通の生徒に混じって髪を染めたりピアスを開けたり、授業に出たり出てもすぐにいなくなったりしていたのだから教師としてはきっと嫌な意味で心に残っていたのだろうと。それでも彼女の授業にはまるっきり出ていない、というわけでもなかった。むしろ彼女の行う授業に限り、割と出席していたと思うのだが。というか、そう敢えてしていたように思う。
 要するに彼女は神崎の中学時代の先生であったのだ。
 ベンチに座ったままで記憶の中では真っ黒だった髪の毛を思うけれど、彼女には赤茶けたその色も違和感を感じることはなくて、むしろ周りの者の目を惹くくらいによく似合っている、そう思った。けれどそれを口に出すことは何だか無条件に躊躇われた。
 彼女は分かっていないけれど、神崎は彼女の授業はそこまでサボっていなかったことはきっと周りにいたクラスメイトも分かっていただろう。理由は明言しなかったけれど、もちろん周りの男子生徒にとってみればきっと明らかだっただろうと思う。これだけ若い先生の授業をサボるのを止める理由なんてひとつしかない。意味合いを別として、彼女に特別な思いがあったからに他ならない。というより、彼女のことを気になっていたから、彼女を見ていたかったから、彼女と一緒にいる時間を少しでも長くしたかったから。以上の理由に他なるまい。
 だが、そんなことは神崎とて口にできるわけがない。おかしな勘違いをされても嫌だし、前の話だと言っても面倒なことだ。そしてそれらを説明する必要性などないから。だから彼女が問い掛けにも似た言葉を投げかけてきたことに対しては明確に答えを返すことはしない。簡単にふん、と鼻を鳴らして目を逸らすぐらいだ。答えなんてもちろん待っていなかったのに、彼女は意外な言葉を神崎に向けてかけてくる。
「…でも、カッコヨくなったね、神崎君」
 どくん。一気に上がる体温と鼓動速度。そんなこと社交辞令みたいなものだと分かっているのにも関わらずどくどくと邪魔くさい胸から感じる音が忌々しい。その音が聞こえるせいで余計に緊張してしまうのだというのに、その音が聞こえるのは身体の内側からがんがんと小人みたいなヤツがガツガツと打ち付けてきているみたいで、耳を塞いだくらいでは聞こえなくなることなんてないと分かっていたからそんな愚かな行動はしなかったけれど、鼓動の速度に合わせて間に合わない身体の中のもろもろの処理速度に比例して赤く染まる脳内温度。カッカしてんじゃねぇよと思うのは心ばかりで身体にはまったく届いていない。わかっている、わかっているから、だから、目の前にいる彼女をまともに見ることなんて神崎にはできなかった。目を逸らしたまま口を開くことしかできない。
「亜由美センセイ、こそ、こんなとこでナニしてんだよ?」

 聞いてはいけなかったのだろうか。彼女は、少しさびしそうに目を細めた。彼女の方をまともに見ることができたのは、彼女が神崎から目を離してくれたからだ。まだ神崎の心臓の邪魔くさい音はドキドキといった感じで高鳴っていたけれど、それを気にして話もできないでいられる程、子どもでもない。
 神崎の記憶に間違いがなければ彼女は現在、中学教師のはずだった。だからこの時刻にこの場所で神崎に会うということはあまりに違和感があることだ。教師であるならばアーケードを歩くにも厳しいだろうというのは、勝手な想像だろうかとも思ったけれど。それでも違和感を彼女に聞かずにはおれない。そうすることによって、彼女を冷静な目で見られるようになっていく。高鳴っていた心音もやがて収まって行く。それは己の体温によって身を持って分かること。相手にとってその質問がどう思うか、なんてことは後から付いてくることであったし今の神崎にとっては思いも浮かばぬことなのだ。だから彼女の言葉を聞いては少し神崎は悪かったな、という思いを噛み締めたのだが。
「…今日、お休みなの。私が勤めてる塾」
 彼女は教師ではなかった。そんなことなど知らない。確かにテレビのニュースなどで少子化とかナントカ言っているけれど、それでも看護師とか保育士が足りない、なんて言っているのに。と神崎は思う。けれど身の周りでも中学から高校に上がらないで土方などで働いている者もいるくらいだった。他には自分の夢に向かって、それに近い下働きをしている者等もいると聞いた。自分は特別な夢もないからどうでもいいと思っていたけれど、夢を持つ者はアルイミまぶしい、等と今更ながらに思うのは愚かなことだろうか。愚かだからと言って今の今、否定する者もいないのだ。愚かが何だ、そう思ったけれど目の前の彼女を見て複雑に思ってしまう。彼女が言わなかったことは理解できた。彼女は教師を目指して、そして神崎がいた中学に教育実習生として現れた人なのである。だから神崎は彼女をセンセイ、と一応呼ぶ。もちろん神崎の中では教師ではなかったのだけど。
 その人は現在、どこか分からないけれどもそこらの塾に講師としているらしい。もちろんこのご時世、学校の勉強よりも塾の勉強に重きを置く親もいるくらいであると聞いた。神崎は不良であるし勉強とか何とかについては真っ向否定し続けていたからあまり詳しくは知らないが、殆どの生徒らは塾、もしくは家庭教師に世話になっていてやっと授業についていっているらしい、ということも聞いたことがある。それについては勉強が好きなヤツがいっぱいいるのか?と去年辺りに神崎が聞いたのだったがギャグだと思われて周りに笑われた、という苦い思い出があるのであまり思い出したくはない。
「ショーシカ、ってヤツだろ。別に気にしなくていいんじゃねぇの」
「ありがとね、神崎君。…ちょっと、元気出た」
 どうして分かった風な口を利いたのか、なんて後から聞かれたって、その時にだって分からなかったのだから未来も過去も永劫に分かるわけもない。ただ、元気なさそうになにかに迷っているみたいに伏せた睫毛が長くてきれいだと思っただけだ。そんなことを思ったなんて悟られたくなくて悪態づいた。
「ハァ?何言ってんのあんた、バカじゃね〜?」
 別段気にしたような顔をしていなかったから、言葉について後悔しないで済んだ。彼女の笑顔は数年前の思い出と何ら変わりない。


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 夢を見た。それは中学校時代のほんわかとした夢だった。
 そこには今日ばったりと会った、その当時の黒くて長い髪を靡かせて隣に座っていた。授業を抜け出した神崎を追ってきたのだろう。息を切らせていたから。彼女の髪が神崎の顔にかかると、途端に視界は覆われて息苦しくなる。あ、お、お、ちょ、センセ…まって。これ、何だ……苦しい。激しい苦しみじゃなくて、にぶい苦しみ。俺はあんたに何かしたのかよ?あんたは魔物だったのかよ?声を出そうとしてもひゅうひゅうという息遣いにしかならない。
 目が、醒めた。
 どうして。どうしてこんな夢を忘れていたのだろう。起きた時に毛布が顔にグルグル巻きになっていたから、このせいで髪に巻きつかれるようなおかしな夢を見たのだと思った。まさかこんな夢がアルイミ正夢になってしまうなんて、それこそ夢にも思わない。


11.10.18

とりあえず書きためてたヤツを形にできました。パー子出てこねぇえ!や。すいまっせん。
一応この話から小ネタバブの『恋の後味』に続きます。併せて読んでもいいし、読まなくてもいいよ。つじつま合わせて書いてるわけじゃないので、おかしいところがあるかもしれないしなぁ(汗

やたらと気になるのは髪の毛ネタが多いってことなんです。
もうね、勝手に清楚っぽく髪の長い女が好みって設定を勝手につくって書いてるから。
実際、神崎の好みはヤンキーじゃなさそうな感じがします。好みの相手とホレる相手はズレてても仕方ないわけですよね?違いますか。そういうことってよくあると思うけどなあ。

で。あとはどう続けようかなってことですね。
パー子のターンをつくらなければ。このノリだとやっぱり初期設定の パー子→神崎 な構図でいくしかないだろうか。でも 神崎→パー子 な感じも好き。この二人はコンビネーション最高だと思うのだがいかがだろうか。寧々さん相手というとどうにも神崎は弱い感じがする。


関係ないが、前に書いてた後書を見るといろいろと恋愛ばっかりは嫌だなぁとか書いていたが、ケンカ話を書いていろいろ書いて、恋愛話を書いています。確かに恋愛ばっかりは嫌ですが(べるぜっぽくない。恋愛体質は葵ちゃんだけでよいのです。そして古市は彼女いたことねぇ。パネェ)ケンカと恋愛が丁度いい感じにあればいいなぁと思ってます。

2011/10/18 10:36:06