大切に抱き締めていたもの全て指の間から溢れ落ちていくんですB


 ある日夏目が唐突に言った。
「昨日、由加ちゃんと一緒に帰ってたよねぇ?」
 昨日?と言ってから神崎はああ、と短く返した。そういえばそうだった。言われなければ気付かなかったけれど、言われてみれば最近は帰りに一緒になることが多くて、夕暮れまで一緒にヨーグルッチ飲んだり話したりしている。内容は他愛もないことだから特に覚えていない。だが確かに一緒に帰っていたように思う。それが当たり前になっている日常に今更ながらに気付く。昨日は夕暮れが早くなったなぁと気に入りのGショックを見て神崎が口にした覚えがある。
「ぶっちゃけ、2人付き合ってんの?」
 そのまま前にいた城山の後頭部に頭突きする格好で前のめりになった。その様子を見て夏目はけらけらと笑う。とても愉しいですよと言わんばかりだ。城山が神崎の前で呻っている。急に与えられた攻撃は後ろからだったから、予想もせずに効いたらしい。それについてどうこう弁解することができない神崎は倒れ込んだままの恰好で城山の背中に何の悪気もなく寄りかかったまま遠い眼をして夏目を見た。
 先の言葉の意味からどうしてそういう話になるのだろうか。確かに一緒に帰りました。でもそれは家が近いから帰宅時間が一緒である彼らは帰りが一緒になるのです。ソレに何か意味があるんですか?ねえ、なつめくん!と言うぐらい。それについて夏目はアッサリと醒めた様子で言葉を返してきた。うすら笑いすら浮かべて。
「帰りが一緒になるのは分かるよ。方向が一緒なのも知ってる。だから別に仲悪いわけじゃないし一緒に帰るのも頷けると思う。でも、一緒に公園で話してるっていうのは……デートって取られてもおかしくないんじゃない?」
 おかしいだろう。と咄嗟に口にしたけれど、何となくそれが弱々しい言葉だったのは理解できている。にやにやしている優男の顔が厭味にしか映らない。いつの間にか城山が振り返っていた。後頭部を擦ったりしているのでまだ痛みは残っているのだろう。神崎は気付けば夏目と城山に囲みにあっているような状態になっていた。前から後ろから、2人の視線が突き刺さって痛む。どうしてお前らはそんな顔をして見てくんだよっ!と思ったけれど授業中ともあれば暴れるのはあまりに好ましくなかった。授業なんてどうでもいいのだけれど、今この話題で目立つのは頂けないと思ったからだ。そして、だからこそ2人はこんな態度なのだと分かっていた。なんという頭脳プレイなんだろうか。
「違ぇし。俺、デートなんて、してねえよ」
「へえ、でも…」夏目は城山に目配せする。
「俺は昨日、手をつないで帰る姿を見てしまいました」
 反射的に神崎は自分の手を見てしまう。思い出すことができる。由加の手を握った自分の手はきっとヨーグルッチを持つ手とは逆の右手だったはずだ。右手を見てはじわりじわりと彼女の体温を思い出すことができる。そうか、手を握っていた。それは意識してやっていたことではなかったけれど、見られた姿恰好としては実に恥ずかしいものではないだろうかとかぁっと熱いものが込み上げてくる。痛みでも苦しみでも怒りでもない、それはただ神崎の顔を、耳までをも赤く熱く染め上げた。望まない色に染められた熱をもった神崎は自分が今どんな状況なのか分かってすぐに立ち上がり、己の席の机を持ちあげた。途端、教室はどよめいて邦枝が騒ぎを止めるまでは落ち着かなかった。結局、神崎と夏目と城山は保健室へと行ったのだったが。



*********



 顔を腫らした城山がベッドで横になっている。夏目がその脇に座っている。神崎もその隣にる。さらに室内には邦枝葵がいた。保険医はそこにいなかったから城山の手当ては邦枝がやったのだ。もちろん寝かすまでもなかったのだけれど、とりあえずそうしているように邦枝が口を挟んだのでベッドに横になっているという格好である。
「あなたも擦り剥いてるでしょ、手」
「ん……お、おう」
 思いきり暴れるということは、暴れた側にも時に傷を負わす。それが狭い場所であればある程に。そんなことはおかまいなしに暴れたものだから机を叩きつけながらしっかり傷を作っている。情けないと思いながらも擦り剥いた腕を出す。なめときゃ治んだろ、と言ったが邦枝はそれをちゃあんと無視した。長く靡く黒い髪が窓から入る光に透けてきれいだと思った。思わず反射的に目を細めて邦枝の様子を見下ろす。
「神崎君、ごめんね?」
「あぁん?元はと言えばオメーがよ」
「何を言ってたか、覚えてるの。ちゃんと」
 夏目と神崎との会話に邦枝が割って入った。ばしっと軽く手当ての痕を叩かれるとビリっとした傷みが神崎の傷から髄に走る。だが顔を顰める程のものでもないから気にしない。そもそも痛みを気にしていられる程の余裕なんてないのだ。今度は邦枝がなにか言いだした。何を言ったか、なんてまったく覚えてるわけない。ただ必死に暴れただけだろう、と。それを口にしなくても分かる位ぽかんとした表情のまま神崎は夏目から目を離して邦枝を見遣る。邦枝の目はまっすぐに神崎に向いていた。
「昨日、手をつないで帰ったんですって?由加と」
 また、その話なのか。と思ったけれど城山は目を瞑っていた。だから城山を責めるのは止めた。そもそも神崎自身が怪我を負わせてしまった男である。もちろんそうする権利はあると神崎は思っているが、この状況であれば多少とばっちりであることも否めないので罪悪感がまったくない、というわけではなかった。それ故にすぐ神崎は城山から目を離して邦枝を睨み返す。
「家が近ぇんだよ。だから何だ」
「付き合う、つもりなの?」
 またそういう話なのかよ。異性と話してるとそう見られるのかよ、と面倒くさくなった。はぁと思わず大きな溜息が出た。それを見て邦枝が文句を言うものだからわざと舌打ちしてやった。くだらない質問が多すぎるだろうと思うから舌打ちしたというのに。ちらと見た夏目はただニヤついた顔のままで助け船を出してくれるような様子はない。この男も実に薄情な所があるからつるんでいるとイラつくこともあるのだ。もちろんイザとなれば男気もあるしケンカもべらぼうに強いのだが、それを見せることはほとんどないといった風のような男なのだ。そんな所も嫌いではないのだけれど。
「好きとか嫌いとか、めんどくせえな。男と女が一緒にいたら、ぜったい付き合わなきゃならねえなんて誰が決めたんだよ。手ぇつないだらガキ孕ませられんのかよ。だったら少子化問題解決じゃねえかバァカ」
 まくしたてた言葉が邦枝には刺激が強かったらしく、赤い顔をしてしばらく俯いていた。その間もサラサラの黒い髪が神崎の視線の下で靡いていた。その髪に触りたいと思ったけれど、それはそれでまた勘違いされそうなのでやめておいた。忘れてはならない、現在は自粛という言葉が大事な状況なのだ。まだ赤い顔を上げた邦枝は睨みつけるようにして、でも恥ずかしそうに告げた。
「べっ、別に止めるわけじゃないのよ。ただ、大事にしないんだったら私たちが絶対に許さないんだから」
 勝手な言葉を吐くとすぐに保健室から出て行ってしまった。それを言うためだけにきっと城山の手当てをしたり、一緒に運んだりということをしたのだろうと思えばなんだか不憫にすら思える邦枝であった。返す言葉を飲み込んだ神崎は夏目の方を見る。
「で?別にクイーンは反対、とは言ってないよ?」
 夏目はいつもに増して楽しそうに笑っている。そして低い位置から聞こえる城山の寝息。この状況で寝る男もいれば煽る男もいる。まったくちぐはぐでデタラメなメンツだ、と神崎ですら思ってしまう。それだからきっと面白いのだろうけれど。もはや夏目にぎりぎりといきり立つ気力もなくなってしまって、神崎は呆れたように見てやる。それでも夏目には効き目はないらしい。ちゃんと口で言ってよね、分かんないんだから。そう夏目の目は言っている。
「ソノ気なんて、ねぇって」
「ふうん…でもさ、神崎君。由加ちゃんのこと好きだよね?」
 もちろん今の状況なのだ。ラブってことに決まってる。Love or Like ? なんて空気の読めない質問をするつもりもない。だが、どうしてそういう質問になるのだろうか、神崎は意味がまったく掴めないでしばらくの間、困惑の表情を浮かべていた。手を握ればラブになるのかといえばそうではないだろうという見解になるはずだ。それなのに今の状況は常識の範囲で考えてまったく無視したような見解に落ち着いている。しかも夏目だけではなく、邦枝や城山もそういった見解を持っていると見ていい。ということはクラスメイトがほぼ同じような見解を持っているという回答に落ち着くわけである。それは由々しき事態だろう、とさすがの神崎も感じる。
「ソノ気はねぇってばよ」
 神崎の脳裏に由加の顔が浮かんだ。確かに昨日彼女の手を握っていた。しかも、ずっと。まるで見られているかのような錯覚に陥る。ひどく心臓は早鐘を打ち始める。どくどく、どくどく、と。だがその理由は分からない。別にダチなら手を握ることなんて普通だろうと思う。そしてダチ?という言葉に疑問を覚える。こちらは神崎組という集まり。人数は特に多いわけではないけれど、来る者は拒みはしない。だが来た以上は気合い見せろよ、という意味合いを含めて時折拳か足蹴の1つや2つを食らわせてやって、泣きごとを言うヤツは捨ておく。それぐらいの組織の統括力は必要だと神崎は思っているから時に苛めるようなことをするのである。それらはダチかと言われれば「違う」と答えざるを得ないであろう。勝手にくっついてきて忠誠を示そうとしない連中など、ただ在るだけの存在である。ダチ、ともう一度思う。ああ、やっぱり彼女はそうなのだろう、と神崎は胸の奥で思う。神崎組とレッドテイルというレディース。きっと相容れないだろうぽっこりと開いた窪みは『ダチ』という言葉だけではきっと埋まらないだろうと思った。神崎の胸がすこしだけ痛んだ。…ような、気がした。
「好きか、嫌いか、って言われりゃ別に嫌いじゃねぇ〜よ」
 でも、それだけだ。そう神崎は主張したけれど夏目はふうん、と鼻で笑って思惑みたいなものを隠蔽した。素直に答えることの何が悪い。神崎はそう口にはしなかったけれどそういった想いを込めて睨みつけてやったけれど、やっぱり夏目には凄みなどまったく通用しなかった。


********


 寝息立てる城山を無視して帰路に着いた。もしかしたら今日も由加と一緒かもしれない。それはさすがに気まずいような気がする。などと考えていたら、きっと向こうも一緒だったのだろう。その日の帰り道は由加と顔を合わせることも何もなかった。ただごく普通に家に帰った。公園のベンチでしばらくヨーグルッチと戯れていたが、誰も訪れることはなかった。元より遊具の近い方でない自販機の方へはそう人が訪れはしないのだ。自販機近くのベンチで腰を落ちつけたままぼんやりと思う。
(何か、物足りねぇ…)
 何か、が何であるか、なんて神崎は分からない。ヨーグルッチを飲み干して家に帰って行った。


11.10.07

周りが勝手にくっつける編です。
なのにパー子は出てきません。これはもう敢えて出て来ない、と言った方がいいでしょうね。どっちも相手については興味とか好意はあるわけです。でもそれがラブかライクか?と言われたらそれはまた別の話という状況なんですね。
だからこそくっつけられてしまうことで離れようとするようなS極とN極みたいな関係になってしまう。つまりはそういった経緯があってパー子は保健室に顔を出せないでいるわけです。

で。由加の方はそこまで言われてないかもしれないけど、神崎はしっかりとどうなんですか?と聞かれてしまって、答えに窮す。
それはしかたないんです。彼自身も分かってないことだし、答えの出しようのないことだから。そういうふうに相手を見たことがないってこともあるでしょうし。けれど聞かれてしまえばそういう目でも見始めざるを得なくなる。それはヤラシイ気持ちとかは別として、周りのアオリが悪いです。こういう状況が状況だけに。
ただ、この場合は神崎が聞かれたことに対してわからんと答える前にカッとなって暴れたのは悪かった。これは周りから見れば図星を隠そうとして暴れたようにしか見えないのです。もうね、人間というのはそういうものなんですね。しかたない。

これから神崎は色恋沙汰に向き合っていこうと、内面では思いつつも外面ではつっぱって行きます。いままでどおり。夜露死苦!

2011/10/07 23:07:32