勝者はいない


「いつかの決着といこうぜ」
 姫川が余裕の笑みを浮かべている。陣野の顔色は変わらない。ただ気付いてはいる。目の前の男がいやに余裕ぶってくるじゃないか。確かに今回は前と違って得物も持っているからだろうか。それでも陣野は己は武器を持とうなどとは思わなかった。どうせ目の前の坊っちゃん野郎に陣野のことなど跪かせることなど実力的にまったくできやしない。望んでもいないゴングが音もなく鳴った。教室から椅子と机は避けられていて、ここでやろうと言わんばかりの態度だったから、姫川が向かってきてからいこうと陣野は面倒そうに思う。先制攻撃は苦手だった。元よりケンカも学校もどうでもいいのだ。ただし売店とテキ屋は大好きだ。
「行くぜ」と早く来ればいいのにもったいつけた時間がもったいなぁなどと陣野の思惑を無視した姫川はようやく向かってきた。一撃目は軽く避けた。すぐに二発目はあのスタンガンの横凪ぎ。それすらもいとも簡単に避ける陣野。当たると思っていた攻撃を悉く避けらた者には大きなスキができる。だが姫川も避けられることは予想の範囲内だったのだろ。続けて前蹴りとボディに向けたパンチが形通り繰り出してきた。少し避けるのは骨が折れるので陣野はすぐに防戦と見せかけて交戦することに切り替える。そもそも長引くのが面倒なのだ。
 まだ何も食らっていないのに、下腹に違和感があった。思わず陣野がよろめいた所に姫川の拳が胸元に当たった。どうやら姫川の思うつぼだったらしい。だが陣野が倒れるわけではなく身体を守っているだけのことだ。ギャラリーが一撃目のヒットにわぁっと沸いた。それすら陣野にとっては腹の痛みを助長させるようで要らないと思った。だがそれを口にする気もない。早くこの茶番を終わらせよう、と思いながら顔を上げる。だが身体のどこかが不調であるということはそれだけ動くことが不利だった。きっちりと決まるはずだった姫川への蹴りはすんでの所でかわされた。否、すんでの所まで待ってかわされた。つまりは不快な程に相手は余裕なのだった。
「どうしたんだ?さっきまでの余裕は」
「……………」
「つらそうだなぁおい」
 この男はきっと陣野の身体の不調を知っているのだ。その理由を作ったのも彼である可能性が高い。だからなんだ。陣野はバカ正直にその手に踊らされたのだ。ハマッた自分が悪いから今日は負けるのだ。しかしそれではあまりに悔しいではないかと思って。ぐらつくフリをして姫川の顔に向けて頭突きをした。ごつっ、と低い音を立てて、それはしっかりと決まった。鼻を押さえながら悪態づいている姫川の姿が悪足掻きに映る。だが本当の悪足掻きは陣野自身であることなど当人には分かり切っていた。
「なら、食らわせてやるよ……」
 スタンガンの柄を持ってそれで殴りつけてこようとする姫川の悪魔のような笑みが陣野の目に映る。だが次の瞬間聞こえた咆哮は姫川の高音ボイスではなく。獣のような低い呻りと叫びだった。そして姫川ごと陣野は乱入者に蹴り飛ばされた。窓ガラスは割れてガラスの破片でいくらか皮膚を裂いたぐらいのもので、痛みがあるようなものではなかったが、脇で後頭部を抑える姫川は何事かと慌てて立ちあがっていた。見た者は陣野と一緒だった。
「てめぇ……、神崎」
 いつ見ても邪魔くさそうにしか見えないピアスのチェーンとズボンのチェーンをチャラつかせて、神崎はそこに立って陣野と姫川の方を睨みつけていた。どうやら姫川を睨んでいるらしい。元より最下位争いよろしく東邦神姫とか言って競っていた2人だ。何らかの競う理由が常にあるのだろう、と陣野にはまったく興味も何もそそられなかったので身体を休めた。動くと面倒なことになりそうだとも思ったためである。
「いつも、いっつもいつも!てめぇはンなくだらねぇコトしかできねえのかゲス野郎」
「ハァン?何ホメ殺しにしてくれてんだクサレ極道が」
「城山!陣野もってけ!」
「はい」という低い返事と共に図体もデカイくせに素早く陣野の身体を持ちあげて城山が戦線離脱しようとした。なんだ?なんだこれは。と陣野が聞く間もなく、ただ城山の動きに合わせて連れ去られていくだけだ。まったく状況は理解できなかったが見慣れた廊下が過ぎ去っていく様はまるで暴れ馬に乗せられいるみたいだった。あと腹が痛くて堪らない。急に置かれた場所は男子便所の個室の便座の上にもはやがっちり置かれていて、周りの生徒がいたらしくざわついているみたいだった。両肩を叩いた城山がすぐに踵を返した。「話は後だ。スッキリしてから来てくれ」とだけ言って。
「…そうか……、俺は便所に行きたかったのか……」
 他人から生理的なことを教わる気分たるやおかしなものだったが、仕方がない。すべて理解できていない状況はまだ続いているのだ。ざわつく個室の周囲からは、
「え、今のって」「何だ、城山ってホモだったのかよ」「噂はあったけどな」「でもあの東条グルーブの陣野さんと?」「っていうか意味がわからんし」「つーか学校の便所とかありえねぇ」「なんでもいいからやめてくれ」「冗談だろ」「バカ、聞こえるって」などなど。
 雑音が五月蝿いので陣野は力んだ。周りのヤツらの目がこれ以上悪い意味で向くことなどないのは聞こえていたから、アルイミ城山も被害者なのだろう。


********


「…助かった」
「神崎さんの頼みだ」
 便所の傍に命令されるがままに立って待っていた城山の方へ陣野は寄って行く。あまり気にしたことはなかったが、そういえばこいつは神崎の右腕だったな、などと今更ながらに思い出す。
「お前は姫川に下剤を盛られたんだ」
 真相は一言だった。別にもったいぶらなくてもよかったのではないかと内心ツッコミたかったが、今更それを言った所で何も過去を塗り替えることはできないからただ「そうか」とだけ陣野は返した。だが結局それが何だというのだろう。自分が姫川の行動を読めずに売られたケンカを買っただけのことだ。確かに元より姫川はそういう男だったし、別に彼に対する怒りなど陣野にはない。そこに割り込んできた神崎組の存在の方が不可解だ。どうして、と聞こうとした所で頭上が翳った。ん、とだけ言って顔を上げると神崎がそこにはいた。
「よう、大丈夫だったか」
「……土石流だ」
 神崎が陣野に向けている手には、彼の大好物のヨーグルッチが握られている。
「飲めよ。ゲリベンにいい」
 ヨーグルッチを受け取りながら陣野は自分の腹を撫でた。まだ調子は悪い。だがトイレにこもるのはもう少しガマンさせてからにしよう。ストローを挿し口に押し込んではすぐ咥えた。美味い、と思った。いつもいつもこんなものを神崎は飲んでいたのか、などと三年間も同じ学校にいたくせに今更ながらに思う。だがそんなことはどうでもよかった。陣野には聞きたいことがあった。
「神崎」
「ん?」
「俺が下剤を盛られたからって、どうしてお前が助けるみたいな真似をした?」
 神崎も当然ヨーグルッチを飲んでいた。ごくり、と口に含んだものを飲み込んでから気だるそうな顔を崩すことなくゆっくりと陣野を見遣った。見えなかったがピアスの側の頬が腫れている。確かさっきまでは腫れていなかったように思うが、陣野も腹が痛かったし急に来た男の顔などちゃんと見てはいなかったかもしれない。どうせ日がなケンカばかりしているような男の顔など見る必要もあるまい。その程度だ。
「助けたワケじゃねえ。許せなかったんだよ。あんなん、男の勝負じゃねぇ」
 それだけ返すと神崎は再びぼんやりと窓の方へと目をやってからストローを咥え直した。なかなかいい男じゃないか、と陣野は感じた。どうして神崎は弱いくせに人望があるのか、やっと分かったような気がした。東条とはまったく違うのだが、人情とか男である所とか、結局は人間の感情論に訴える男なのだと知った。陣野はそれだけ聞くと薄く笑みを浮かべヨーグルッチを飲み干し、やがて痛み来る腹のために個室に向かって行った。



 陣野が次にトイレのドアを跨いだ時には城山の姿も神崎の姿も、ヨーグルッチの空すらもその場所からは元からなかったみたいにきれいに消え去っていた。

11.09.26

下痢ネタってどうなのよ(笑)
しかも聞いてたのはmihimaru GTのバラード系だったりとか。まったく関係ないし。
や、姫川マジで下剤盛って勝つの愉しむよなとか思って浮かびました。こんな陣野も夏目には負けてるんだよね。夏目の強さってばパネぇっす。
本当は姫川と神崎のやりとりがあったはずなんですが、すぐに城山に陣野を運ばせてしまったため、口げんかは入らなかったです。まぁ内容的には原作とそう変わらんので入れても入れなくてもよかったんですけど。
念のため、内容:「てめー下剤盛って勝って嬉しいのかよっ!」「あ〜スッゲェ嬉しいねえ」「さいってーだなハゲ」「どう見たって髪あるだろ眼ェ腐ってんのかテメェ」→乱闘
みたいな軽いノリ。なんだかんだで結構神崎と姫川って仲いいのかね?
あとは陣野ってブリーチのチャドとかぶってんだけど(笑)天然だよね。っていうのが出ればいいなぁとか。まぁこれが続くとしたらそれはもう神崎対陣野でしょうね。もちろんやる前から勝敗決まってるんだけど、神崎は何度でも向かうよ。

題:阿吽