夜になれない


 その日は雨が降っていた。ざあざあ。けれど屋内に入ればその音はほとんど聞こえなくなっていた。テレビの音が大きいから・他の者の声も大きいから。理由は何だっていい。そう邪魔にならない音になればそれでいいぐらいのこと。見上げた空はひどくどんよりとしていて重そうだ。どす黒く、やがて来る夕闇にすぐに屈してしまいそうな重みをたたえていた。だから何だと言われれば何だというものでもない。雨が降っていて、それが屋外では五月蝿かった、というだけの話。いつものように車を転がしておけばよかったと後悔するが、余計な経費を使わないために気を使ったつもりだった。しかし天候のせいで隣にいる彼はイラついているかも知れないと思ってそろりと彼の顔を覗き見た。機嫌が悪いから殴られるのなら別に構いはしない。けれどこの場で暴れられてしまっては困るのだ。ここは公共の場であるし、誰かの目に着いてしまえば面倒なことにもなりかねないからだ。
 彼の様子は大人しいものだったのでほっとした。彼もまた暗い空を見上げていた。きっと同じ気分だったのだろう。だがそれで諦めたように肩から力を抜いた。見ているだけで分かる程に彼はこの所、常に張り詰めた様子で肩を怒らせていたように思う。その力を今という一瞬だけでも抜くことができたのなら、それでいいと思う。それだけで意味があると思う。ゆっくりと彼はこちらを向く。
「……城山」
 彼は低い声で城山を呼んだ。返事を待っているわけではない。ただ目の前にいる相手に声を掛けたというだけのことだ。いつものように当たり前に城山は「はい」と返事をしたけれど、それと被った彼の声が響く。その時の彼の表情と言ったら。目を細めてなにかに満足するみたいに満たされた表情をしていて、闇に近づく空の色など先まで見ていたはずなのにまったく気にしていない風で。
「今のままで、いいのか?」
 彼の問いに答えることなんて、城山にはできない。そもそもその問い掛けの意味が分からない。何が今のままでいいのか、悪いのか、ということ。今のままでどこがいけないのだろう?悪いことなどきっとないはずだ。それは城山と彼が出逢った高校時代に遡ってしまうけれど、その時から彼は罪など犯していないのだから。確かに彼のやり方には問題があるだろうとは分かっている。けれどそれは犯罪などではない。そうすることが彼のやり方である、と最初から謳っている以上そのやり方に反対するのは反目している、ということになる。だから彼の問いは城山には理解できかねるし、考える必要のないことなのだと思っていたけれど、彼はそんなことを投げかけてくる。そんな彼と合わせたくないと思う目が合ってしまう。こんな問い掛けがなければ目が合うくらい何ということもないのだけれど、問い掛けがあった以上はムゲにもできない視線。ムダとも思える時間、彼と城山との視線は絡みつくように合う。息を飲む音すら聞こえる。
「何が、ですか」
 やっと城山が絞り出した言葉はこんなもの。答えを出さない、その理由はあなたが言っている意味が分からないからですよという意味合いの言葉である。聞かれる意味合いなど理解できないし、理解したくもないと思ったからである。どうしてこのままではいけないなどと城山が思うものかと思う。それほどまでに城山の忠誠を信頼していないのか、それともそれほどまでに踏み躙るような行為をしていたというのか。どちらでも驚きはしないつもりだけれど、聞かれることに対しての驚きを隠すことはできない。
 そんな城山に対して驚きを見せる彼は一瞬、言い淀んだ。当然、言わなくても分かるだろうと思っていたことを質問にされたからに他ならない。城山のまっすぐな視線が彼に突き刺さる。城山はいつも、どんな時であっても彼の味方なのだ。けれどそれは学生時代の絵空事となっている可能性も否定できなかった。だから聞いたのだ。それだけのことだ。
「後悔、してねぇのか。って」
 分かりやすいように答えたつもりだったが、城山には分からないらしかった。というより、城山は聞きたくなかったのかもしれない。きっと城山ぐらいのまともな思考であれば理解できただろうから。それでも理解できないと言い張るには、それ相応の彼なりの理由がきっとあるのだろう。痛みを伴うだろう言葉を緩く首を振って聞かないようにする城山の姿がそこにはあった。
「後悔?何を言っているのか分かりません。神崎さん、俺は貴方の元で後悔など、ありえません」
 学生時代だけできっと失われてしまうだろうと思っていた城山の忠誠心は今でも健在である。それは今の言葉以外にもここ何年という間にも神崎は助けられ続けていたから、ほんとうは分かっていた。けれども聞かずにはおれなかったのだ。あまりに城山という男が不憫でならなかったから。そして、ここで後悔を口にしたのなら、もしくはその答えをいくらか渋ったのであれば神崎も道を変えるべく話を進めようと思っていたのだから。そしてそれは神崎なりの優しさ、思いやりであったのだが。もう、笑うしかない。不憫すぎるこの男を嗤ってやるしかない。てめぇはばかだと言うしかない。フン、まずは鼻で嗤ってやる。きっと隣に佇む城山もその意味は理解できている。だからといって気にするはずもない。神崎によって城山はバカにされて踏まれて蹴られて、それでも隣にいる。それを後悔しないと後悔などするはずがないと言い切ったのだ。笑われるくらい気にするはずがないのだ。
 2人が見上げる空の色はその間じゅうも刻一刻、と色を濃くして時を刻み続けている。この空からすっかり陽が落ちたら、もう戻ることはできないだろうと分かっていた。だから神崎はこんな静かな所に来たのだ。そして城山は勝手に着いてきた。どうしてこんな所に来たのかと問い詰めることもなくただ、静かに隣にいるだけ。言わなくとも伝わるものがあるのだろう。そうでなければ十年以上も一緒に同じ道を歩んできた意味がない。
 神崎はいつも思う。何かの大事な節目の時にいつも思うことがある。それはきっと自分の弱さなのだろうということも分かっているが、それを口にしたのは生まれてきてきっと初めてだったろう。口にしてしまえば思っていただけの時とは違う。隣にいる城山にも聞こえる。
「このまま時間が止まったらな―――…」
 あえて城山の方を見なかった。だが城山が僅かに動いたような気配。弱気な発言だったからきっと彼も驚いたのだろう。遠くに見える海の姿は闇に隠れてしまった。波止場も見えない。けれど生まれてずっと住み慣れた土地だったから神崎はどこにこんな建物があって、こんな様子だということが闇の中であろうとも大雑把に思い浮かべることができる。このチンケな町がすべて自分のものになるのは目の前だというのに、何故だか嬉しくなかった。今から家に戻る。そうすれば組の者らに望まれてこの町を支配することができる。だがそれの何が楽しいのだろう。時間が止まってしまえば町を支配することはできないが、それでも完全に暮れてしまう空を見なくて済む。ずっと変わらない風景を見ていることもできる。その相棒が城山というのもあまりに色気のない話だが、実に神崎一らしい。そう自身で思った。そんな心の現れだった。情けない男だ、と自嘲する。不意に城山が口を開く。
「不思議ですね。神崎さんが襲名するのは嬉しいのに、俺も同じこと考えてました」
 己を嘲った表情は城山の言葉によって驚きの表情に掻き消された。反射的に見た城山は別に平然とした様子だった。どこまで“神崎”を理解してるんだこの男は。そう神崎は思った。これだけ自分以外の誰かに依存して、依存しまくってその誰かのためだけに生きれる男が他にいるだろうか。やはりこの男を評する言葉は決まっている。
「バァ〜〜カ。」
 生きている内に一回くらい感謝の言葉を掛けてやっても良かったかもしれない。それでもアリガトウの一言を紡げずに星のない空を見上げたまま、神崎はそれだけ告げた。むしろ、これで良かったのかもしれない。感謝の言葉なんて柄じゃないし、何より、そんな言葉を掛けてしまったらこの男のことだ、過剰反応でブッ倒れてしまうかもしれない。何より神崎が言いたかったことなどきっと理解しているから、口にしてやる必要なんてないのだ。
「…日没だ。行くぞ」
 城山を見向きもせずに空に海側に背を向ける。あとは帰路に着く間の短い時間だけが自由奔放で子どもでいられる限られた時間だった。今から自宅に戻ってしまえばあとはオヤジから組長の座を譲られるパーティが始まる。その主役は勿論分かり切っていることに神崎一である。現在は若頭という位置に属していて、組長になるための修業期間が学校を卒業してから十年以上続いた。この道の隣にはずっと城山がい続けて、夏目は別の道を歩んではいるけれど、今でもつるんでいる仲の良い同級生には違いない。けれどこんなにぱっくりと分かれてしまって、これだけ正反対の男たちが神崎の両側にいたことが今思ってみれば、ひどく不自然で意外なことだったのだと思う。その立ち位置はとても居心地がよかったけれど、夏目は高校の卒業と同時にラッキーにもバイト先のドラッグストアに就職していった。それを神崎も城山もごく普通に喜んだ。そういう普通の感覚を持ちながらも城山は、堅気の道を外れることに躊躇せずもう二度と戻れない道を歩もうとしている。神崎と一緒に。もう少し悩んでいたかったので何か題材はないだろうかと考えてみた。海をみにいきたい、と言えば城山は車を出してくれるだろう。だが、それだけのことだ。少しだけ先延ばしになるだけだ。だから何だ。しとしとと降る雨の中、城山がおもむろに傘をさしてくれる。そうしろと言わずともそうするのは当たり前のこと。雨の中の散歩は足取りが重くなるものだから、戻りたくないなぁという思いを隣にいる彼が気付かなければいいなと思った。



(このまま時間が止まったらな―――…)
 ああ。きっと、願ってはいけないのだろう。今も未来も過去に塗り替えられてしまえばいいのに、なんて愚かなことを。それでも人は過ぎゆく時間に心を奪われ続けて思い悩んで生きてゆく。だからせめて、誰かのために生きるこの愚かな男を傍に置いて、バカと呼び続けて蔑み続けて、同じように愚かな自分を棚に上げて笑いながら生きてゆく。


2011.10.16

久しく日曜が休みというヨロコビ。
Song Of :西野カナ/このままで

なんかねぇ、西野カナとミヒマルが最近のヒットですよ奥さん。でも10/19(だっけ?)バンプのZEROが出てしまうのでそっちも聞くような気がしてます。って関係ない話ですいません。

ラブソング聞きながらですが、別にラブ話ではありません念のため。
でも歌詞でこのヤクザな話がインスパイア。

うちの夏目君は絶対堅気です。ヤクザにはなってない。彼はそういう意味では普通だし、何より神崎がダチをヤクザに入れたがるような男でもないのは分かります(違いますか?)。
でも城ちゃんは普通に神崎から離れないから必然、でしょうね。側近なんですが、何年たっても側近気取りと神崎にコケにされるんです(鬼)。

とりあえず昔はよかったよなぁ、みたいな話
まぁ掲示板機能使ってネタ箱でヤのつく神崎ネタやってて書きたくなったんですよ。で書いてみた。だからグダっとはしてるかもしれないし、どういう設定だよとかツッコまれてもうまく返す自信はないんですけどね(笑)
とりあえずは神崎が組長になる襲名式前にちょっとうだうだしてるし、本心も洩らすんだけど結局は前に進む。って言う感じですかね。本心は別の所にあるし、子どものままでいたいっていう永遠の願いもあるんだろうけど、それを言葉や行動にしない辺り、神崎も大人になったんだろうな―とは思いますけど。

実は何気なく「このまま時が止まったら」という言葉を使ってほしかったんですが、かなり当たり前の展開で使っちゃいました。城山の方が自然です。
裏設定ですがこの時点で神崎はべるぜ本編から20年くらい経過している予定。大学を経て25歳くらいから家業継ぐわけで、10年ちょいくらいオヤジ殿の下で働いているわけです。
で、オヤジとしてそろそろ組を任せても大丈夫かなって思ったのが30代後半ぐらいの歳。
いろいろ考えてると神崎の兄貴も出したいなぁとか思うんだけど、、、結構ありがちだなぁと思いつつ(よく神崎サイト見てると兄×一モーホーネタとかあるらすぃ)手を出してはいません。そのうち書くだろうけどね。

Corundum
2011/10/16 22:31:00